Chapter 6 〜 アルジェ


アドリア海のフランス艦のうち、二隻は自ら王党派を宣言し(クリスティ=パリエール艦長のカロリン号とその僚艦)、ジャックは一隻を撃沈し(アルダン号)、一隻を投降させ(セルベル号)、残りは全部、スティーブンとジェイコブの活躍でカルボナリが燃やしてしまいました。

任務のひとつを、見事に片付けたジャック。セルベル号とポモーヌ号をマルタに送り出し、サプライズ号はもう一つの任務(傭兵部隊への金の妨害)のため、リングル号を伴ってアルジェへ向かうことに。

…で、この章は短くて、あまり本筋の進展もないので、脱線放題、余談放題でゆきたいと思います。ご勘弁を。

(150p〜p156)ドゥラスの燃える工廠を後にしたサプライズ号は、折から吹きだした強いレバンタールに乗って、時に14ノットにも達するスピードでアドリア海を抜け、地中海を疾走する。

パンテッレリーア島(シチリア島南方の島)に寄航した際、ジェイコブは傭兵部隊の使者が乗った船について情報収集するが、まったく情報はなかった。スティーブンたちは、このままアルジェに行って、金を通過させないように太守を説得することを優先することにする。


レバンタール【levanter】地中海からジブラルタル海峡を通ってスペインに吹く強い東風。7月から10月にかけて雨や霧を伴って吹くことが多い。

この時、季節はまだ4月末なんですけど、吹きまくってジャックを歓喜させています。スティーブンによると、「10歳は若く見える」…風が吹いたぐらいで10歳若返れるなんていいねえ。

びしょ濡れでキャビンに戻ってきて、「正午から正午までで二百海里(シー・マイル)を記録するかもしれない」とニコニコしているジャックに、スティーブンが「陸のマイルと海のマイルはどう違うんだ?」と訊くと、ジャックは「あまり違いはないけど、海の方がちょっと長くて、ずっとずっと湿気が多い」と答えて自分で大笑いしています。

実際にはマイル(陸のマイル)は1.6km、海里(sea mile, nautical mile)は1.852kmで、252メートルの違いがあるわけです。(湿度の違いは…陸の方が湿地帯か砂漠かによって違う。)ちなみに1ノットは時速1海里だから、1日200海里なら平均約8.3ノット(時速約15.4km)ということになります。24時間14ノットを出しつづければ一日336海里ですが、さすがのジャックもそれはやったことがないみたい。

時速約15キロ…とメートル法で書くと、結構遅いカンジがするのですけれどね。自転車で速めに走っている時ぐらいかな。よく、自転車を飛ばしている時なんか、「ああ、ジャックたちって、せいぜいこのぐらいのスピードで世界一周とかするわけだよな〜。それってすごいな〜」なんて思ったりします。

ついでに、レバンタール以外の地中海に吹く風を挙げておきます。

ポニエンテ【poniente】ジブラルタル海峡からスペインに吹く西風。

トラモンターナ【tramontana】フランスおよびカタロニアの地中海沿岸に北西から吹く風

ミストラル【mistral】アルプス山脈からローヌ河谷を通って地中海に吹く、寒冷で乾燥した風

シロッコ【sirroco】春に、サハラ砂漠からイタリア南部に吹く、蒸し暑い風


(p157〜p161)マオンから便乗した新航海士のジョン・ダニエル、鎖骨を骨折してシックベイにいる。スティーブン、彼を看病しながら身の上話を聞く

「航海士(master's mate)」という身分には二種類あって、ひとつは士官候補生が海尉任官試験を受ける前に一時的になる身分としての「航海士」。1巻のプリングズや現在のリード君のような人ですね。もうひとつは、将来は(海尉や艦長ではなく)航海長(master)を目指して修行中の人で、純粋に航海長の助手。ダニエル君はこの後者です。

航海術にかけてはなかなか優秀で、いい青年なのですが、どうしてもあまりキャラとして興味がわかないので、この身の上話の部分はばっさり省略。ごめんねダニエル君。

ただ、このダニエル君は数学好き…というか純粋に数字と計算が好きな青年で、また非常〜に貧乏なので、以前に自分の艦が捕まえそこなって別の英国艦にとられてしまった私掠船の拿捕賞金を、「あそこでマストが落ちなければ、768ポンドももらえたのに!」と、いつまでもいつまでも悔しがっているのでした。まあ、わかるけどね…貧乏はつらいよね…

しかしそれより、ダニエル君の数字好きと貧乏により、この話の中には、お金に関してすごく具体的な記述がいろいろ出てきているのが興味深い。たとえば、英国海軍の拿捕賞金がどのように分配されるかという解説が出てきたのですが、これについては考えているうちに面白くなってきたので、エクセルを使ってねちこく計算してみました。以下、細かいお金の話が続きますので、面倒くさい方は飛ばして下さいね。
【拿捕賞金の分配方法】
A.艦長:総額の四分の一(25%)但し、上に提督のいるときはその三分の一(8.3%)が提督へ
B.海尉、航海長、海兵隊長:総額の八分の一(12.5%)を人数で等分
C.海兵隊士官(隊長以外)、軍医、主計長、掌帆長、掌砲長、船匠、航海士、牧師:総額の八分の一(12.5%)を人数で等分
D.上記以外の全員:総額の二分の一(50%)を人数割り、但し階級によって以下のウエイトがつく
士官候補生は4.5人分
C.以外の下級准士官(司厨長など)は3人分
上等・二等水兵は1.5人分
新米水兵、サーバントは1人分
少年水兵は0.5人分
ダニエル君が悔しがっている、この逃した拿捕船の価値総額は12万ポンドだそうです。総額が12万ポンドとすると、上記D.の人々の取り分は半分の6万ポンド。ダニエル君の当時の身分は「二等水兵」ですので1.5人分。等分した1.5人分の取り分が768ポンドとすると、1人分は512ポンドですから、逆算すると60,000÷512で、D.の人々は(ウェイトをかけた人数で)延べ約117人分ということになります。

しかし…この場合、ダニエル君の艦はアフリカ沖で疫病にやられて、極端に人数が減っていたのですよね。だからこそ、彼の取り分がこんなに多かった(はずだった)のですが…このままだとD.の人数が少なすぎて、例としては不適切なので、ここは、艦の人数が正常範囲に納まっていると仮定して、D.の人数を「延べ」200人に増やしてみます。

延べ人数を200人とすると、実際の人数は…例えば、士官候補生3人(x4.5)、下級准士官8人(x3)、上級・二等水兵60人(x1.5)、新米水兵・サーバント68人(x1)、少年水兵9人(x0.5)…で、合計の実人数は148名になります。この人数割合の適切さにはあんまり自信ないけど、まあ小さ目のフリゲート艦で、ちょっと人手不足だとこのぐらい?

この例で考察を進めると、各人の取り分は以下のようになります。
【賞金総額が120,000ポンド、D.の延べ人数が200人である場合の例】
A.艦長:提督がいない場合(25%)=30,000ポンド 提督がいる場合(16.7%)=20,000ポンド
B.海尉たち:海尉が3人とすると合計5人 15,000(12.5%)÷5=3,000ポンド
C.上級准士官:海兵隊士官2人、航海士2人、牧師1人とすると合計10人 15,000(12.5%)÷10=1,500ポンド
D.その他の人々:60,000(50%)÷200=300ポンド/1人 士官候補生1,350、下級准士官900、上等・二等水兵450、新米水兵300、少年水兵150
うーん、D.の人数を増やして計算しても、やっぱり士官候補生はもらいすぎだと思う。(上記の117人で計算すると、士官候補生と下級准士官がC.の上級准士官より多くなってしまうのです。そういう場合は調整するのかな?)

でも、こうして金額を計算しても、当時の貨幣価値が分からないと、全然ピンと来ないですよね。そこで、それも考えてみました。

同じ話の中で、ダニエル君は、「768ポンドあれば、年利5%で預けると利子が年間38ポンド8シリングになるから、それだけで静かに暮らせた」と言っています。また、「上等水兵の給料は月1ポンド13シリング6ペンスだから、利子だけでそれより多い」とも…(1シリングは12ペンス、1ポンドは20シリング)これ読んでまず「利率高っ!」と思ってしまったのですが、それはおいておいて…

この話から分かるのは、「年間40ポンド弱あれば、一人でつつましく暮らせる。」そして「ベテラン水兵の給料は月に1.5ポンドちょっと。」ということですね。この二つの事実をヒントに、現代の日本円でどのぐらいになるか考えてみたのですが…

当時の水兵の給料が、衣食住プラス酒もタバコも医療サービスも支給された上のものであったこと、そして、たぶんそれでも不当に安かったであろうことを考えに入れて…また当時、田舎で釣りでもしながら静かに暮らせば、今と比べて現金支出はかなり少なくて済んだであろうことも考えに入れて…めいっぱい安めに見積もったとしても、1ポンド=20,000円にはなったのではないかと思うのですよね。

そう仮定すると…もしサプライズ号が、この例のように総額12万ポンドの拿捕船を手に入れたとしたら(実際、ジャックたちは何度もそのぐらいの拿捕船を捕まえていると思いますが)、スティーブンの取り分は1,500ポンド、つまり3000万円。ジャックの取り分は…もし提督に三分の一取られていないとすれば30,000ポンドだから…6億円?ひええ。

ジャックをはじめ、船乗りがみんな拿捕船ときくと目の色変えるのもわかろうってものです。一方で、ジャックがどうしてあんなにしょっちゅう金に困っているのか、さっぱり分からなくなってきた。一体、どういう使い方をすればこれだけの金が消えるんだ?

(p162〜p174)サプライズ号、アルジェリアの港、アルジェに到着する。スティーブンとジェイコブは太守に面会を申し込むためリングル号で上陸する。

ジェイコブはかつてアルジェに住んでいたので、彼の案内で迷路のような町を抜け、太守の宮殿と領事館のあるカスバに向かって登る。アドリア海でのジャックの艦隊(+カルボナリ)の活躍の話が届き、イギリス軍がアルジェを攻撃すると言う噂が広まって街は閑散としている。

スティーブンたちはまず英国領事館に行く。領事のピーター・クリフォード卿は痛風で寝込んでいるが、ベッドで面会してくれる。ピーター卿は、前の太守は兵士に殺されて新しい太守オマール・パシャが就任したので、自分のコネはなくなってしまったと言う。オマール・パシャは現在ライオン狩りに出かけていて、彼の宰相も同行している。スティーブンとジェイコブは太守か宰相に会いに行く決心をする。

領事は痛みの発作に襲われるが、スティーブンとジェイコブの治療でかなり楽になり、二人に感謝する。領事は二人の旅支度を整えてくれる。


実はここを読んでいて、何かヘンだな?と引っかかったのですよ。それは「カスバに宮殿がある」という部分なのです。

実は、古い古い流行歌に「カスバの女」というのがありまして。「♪ここ〜は地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く…」とか何とか言う歌詞だったのですが、若い人はご存知ないかも…と言うより、私にとってもさすがに古すぎて、知っているのはこの一節だけだったりするのですが…

この一節だけを、聞いたことがあるような、ないような、という私でさえ、この歌詞に何となく影響を受けていたらしく、私は「カスバ=新宿歌舞伎町のような怪しげな歓楽街」だとイメージしていたようなのですよ。

でもそうではなくて、カスバというのはアルジェの町の上の方にある、城壁で囲まれた旧市街(中心は宮殿)のことなんですね。ああ、勘違い…

「カスバの女」はジャン・ギャバンの出ていたフランス映画「望郷」の影響を受けて作られた歌だそうです。「望郷」は観ていないので、1937年制作のその映画でカスバがどんな風に描かれていたかは分からないのですが…少なくとも、オスマン・トルコ帝国の一部であった1815年の時点では、カスバは歓楽街でも怪しげな街でもスラム街でもなく、むしろ太守の宮殿や領事館があるようなちゃんとした場所であったようです。

もっとも、この後の1830年代からアルジェリアはフランス植民地になって、1960年代まで独立できなかったので、フランス支配下の時代は様変わりしていたのかもしれませんが。

で、現代はといえば…カスバ(旧市街)は世界遺産に登録されて、保護の対象になっているようですね。観光コースにも入っているようです。

こういうことを調べるついでで、昔のアルジェの絵や写真があるなかなか素敵なサイトを見つけました。スティーブンとジャックの見た風景もあるかも…こちら