Chapter 7-2 〜 ライオン狩り


(p196〜p199)洞窟に座ったスティーブンとオマールが、しばらくじっと待っていると、見事なライオンが現れる。オマールはにっこりして、「マーマッドだ」と言う。

マーマッドはイノシシをくわえて、威風堂々と歩いている。 二人の目の前にさしかかった時、オマールが立ち上がって撃つ。最初の弾は耳の後に当たり、ライオンは倒れるが、すぐに起き上がって怒りの咆哮をあげる。オマールは二発目を撃ち、ライオンは倒れて、今度は動かなくなる。

しかし、すぐ近くにマーマッドの妻の雌ライオンが来ていた。二連銃を二発とも撃ってしまったオマールにはもう弾がなかった。雌ライオンは頭を下げて夫の致命傷をなめ、呻き声をあげ、二人の方を見て、まっすぐ走ってくる。

「スティーブンは月光の中に彼女の目をはっきりと見た…彼女が最後の跳躍をした時、心から惜しみながら、彼は彼女を射殺した。」


月光、百獣の王の最期、つれあいを失った猛獣の嘆きと怒り、一瞬の目の輝き。不思議に印象に残る、悲しくも美しいシーンでした。

スティーブンが「心からの後悔」を感じた、というの、すごくよく分かるのですよね。もちろん、射殺しなければ自分と太守が殺されるわけで、仕方ないのですけど。

日本語では「雄ライオン、雌ライオン」と書きましたが、英語ではオスはlion、メスはlionessと呼ばれています。英語では、オスメスや仔と成獣で呼び方が違うことが多くて面倒くさいのですが、この場合は「lioness」と呼んだ方がかっこいいなあ。なんとなく。

バーバリライオンは、こうやって絶滅していったのでしょうね…

(p199〜p201)オマールの部下たちが銃声を聞いて駆けつける。部下たちが二頭のライオンの皮をはぐ間、太守はスティーブンの手を引いてキャンプに戻り、ジェイコブの通訳でスティーブンに心のこもった感謝と祝いの言葉を述べる。

スティーブンはにこやかにお辞儀をして、ジェイコブの通訳でしかるべき謙遜の言葉を返すが、強く感情を動かされ、疲れきっていた彼は早く寝床につきたかった。

太守は、マーマッドの子供たちはもう自分でエサを取れる年齢だが、念のためこれから何ヶ月かは毎週ヒツジを届けさせると約束する。また、シーア派の連中の金については、わたしが太守である限りは、一オンスたりともアルジェを通過させないと約束する、それを全員に徹底するよう宰相に直接伝えるので安心してほしい、と言う。オマールはスティーブンを抱擁し、頬にキスして、お辞儀をして別れる。


「傭兵部隊への金は、アルジェを通過させない」という太守の約束をとりつけて、ここに来たそもそもの目的を果たしたスティーブンですが、それを喜ぶような気分ではないようです。

ここで、スティーブンは「ごく最近感じたが、今になって初めて完全に知覚された、非常に強い感情 (the force of very strong emotion so recently felt but only now fully perceived)」が押し寄せてきて、早くひとりになって休みたいということしか考えられなかった、と書かれています。

この「ごく最近感じた非常に強い感情」とは、「雌ライオンを殺した際の後悔の念」を指していると解釈することもできるのですが…ダイアナの死に対する感情を指していると取ることもできると思います。もしそうだとすれば…

ここまで、ダイアナの死に対するスティーブンの感情は、「悲しみ」「嘆き」「寂しさ」より、むしろ「無感覚」「無気力」と表現されることが多かったように思います。私はそれを「スティーブンらしい」と書いたのですが…もしかしたらそれは、防御反応として、感情にフルに身を任せるのを避けていたということもあったのかもしれません。感情がそこに「ある」のは感じていながら、はっきり認めるのを避けてきたというか。

それが、つれあいを殺された雌ライオンの悲しみ、その怒りの爆発に身近に触れたことで、何かが触発されて、心にずっとあった感情が「初めて完全に知覚された」。

この部分には、直接には、ダイアナのダの字も出てこないのですけどね。でも、行間に彼女の存在を感じる。この章全体が、ダイアナへのレクイエムであるような気がします。こういう書き方って、なんともオブライアンだな、すごいな、と思います。

(p201〜p207)太守のキャンプからオアシスへ帰る途中、一行は激しいシロッコに襲われる。体中細かい砂だらけになりながら夜遅くオアシスについたスティーブンは、風呂で砂を落とし、疲れから深い眠りにつく。翌朝の夜明け、スティーブンはジェイコブにゆりおこされる。

ジェイコブ、実は自分は「カイン派」信徒で、宰相の秘書助手のアーメッドが同じカイン派だったので、情報をくれたと言う。アーメッドは秘書助手として宰相の手紙の写しをとっていたのだが、その手紙の宛名は他ならぬイブン・ハズム(傭兵部隊に金を支払おうとしているモロッコの族長)だった。宰相は実はかくれナポレオン支持者で、イブン・ハズムとも通じていたのだ。

手紙には、「金を運んでモロッコからアルジェリアへ向っているキャラバン隊をすぐに引き返させ、金はアージラ港(モロッコ北部大西洋岸の港)から船に積み込んで、ジブラルタル海峡を抜けてドゥラスまで運ぶように」と書かれていた。その船は、宰相の知り合いであるアルジェリアの海賊が所有している快速のゼベックだ。

一刻も早くこのことをジャックに知らせて、金を乗せた海賊船をジブラルタルで阻止しなければならない。スティーブンとジェイコブは、怪しまれないように朝まで待ち、宰相に挨拶してから急いでアルジェに向った。


カイン派。あー、また面倒くさいものが出てきちゃったよ(本音)。

カイン派(Cainite)とは何ぞや?えー、私だってちゃんと知っているわけじゃないのですが、調べがついた範囲で、説明してみますね。自信ないけど。言っておくけど、長くなりますので、面倒な方は飛ばして下さい。

カイン派は、「グノーシス主義」の流れをくむ一宗派です。

グノーシス主義とは、詳しくは上のウィキペディアを読んでほしいのですが、1〜4世紀ごろの地中海世界に興った宗教・思想のひとつです。従来はキリスト教の「異端」のひとつとして「グノーシス派」と呼ばれていたのですが、現代では、グノーシスはキリスト教とはそもそも別個の宗教であり、ただ初期のキリスト教に(あるいはお互いに?)多大な影響を及ぼしていた、という解釈が主流だそうです。

初期〜中世のキリスト教会によって弾圧されて文書が燃やされてしまったので、正確な正体が長く不明だったというのは、たしかにそうなんですが、それは「異端」というより「異教」の弾圧と呼ぶべきであるそうです。

古代グノーシス主義の研究に大きな進展をもたらしたのが、1945年にエジプトの農民が畑から偶然掘り出した「ナグ・ハマディ文書」です。(<死海文書とは全然別もの。念のため)ナグ・ハマディ文書はグノーシス主義の古文書の写本で、キリスト教に関係あるもの、ないものが混在していたのですが、一番有名なのが、グノーシス版イエス語録である「トマスによる福音書」です。(ちなみに、たしか「ダ・ヴィンチ・コード」に出てきたような気がする「マリアによる福音書」も、ナグ・ハマディ写本ではないけどグノーシス文書のひとつです。「イエスに関係するもの」=「キリスト教に属するもの」ではないことに注意。)

さて…16巻の感想の中で、「私掠船」サプライズ号の母港であった「シェルマーストン」(これは架空の港町)には、キリスト教系の小セクトが多数存在し、サプライズ号のクルーにも多くの信徒がいて、宗派ごとにグループを形成していることを書きました。このセクトのひとつで、12巻から登場していて一番記述が多いものがセト派(Sethians)です。(映画に出てきた「スレード」という水兵は、このセト派のリーダーですが、たぶん名前が同じなだけでキャラは違うのでしょう。)

実は、このセト派については、解説しようとするとどうしても長くややこしくなるので、この「感想」では今まで言及を避けてきたのですが…ついでにここで解説してしまいますね。つまりこの「セト派」も、グノーシス主義の流れをくむ宗派のひとつなのです。

「セト派」は、旧約聖書に出てくるアダムとイブの三男である「セト(Seth、「セツ」と表記される場合もある)」を自分たちの祖先とみなし崇拝する人々です。これがグノーシス主義の「反宇宙的二元論」とどうつながるのかは…えーと、わからんです(笑)。セト派自体は、正確にはキリスト教の一派ではなく、キリスト教以前から存在するのですが…シェルマーストンのセト派教会は、たぶんかなりキリスト教化しているという設定だと思います。

で、やっとここの話に戻ってくるのですが…ジェイコブとこの秘書助手アーメッドが密かに属している「カイン派(Cainites)」は、旧約聖書に出てくるアダムとイブの長男カイン(次男アベルを殺し、「人類史上最初の殺人」を行ったとされる人)を自分たちの祖先とみなし崇拝するグノーシス主義の一宗派です。こちらが「二元論」とつながるのは、なんとなく分かる気がする。つまりこの世に「悪」が存在することによって、初めて人類は自発的に「善」を追究することが…あ、いい加減な自己流解釈はやめておきますが(笑)。

とにかく、ジェイコブの説明によれば、カイン派は偏見にさらされているので、自分たちがカイン派であることを公にしていない人が多いのですが、信者は「カインの印」を密かに身につけていて、それを見れば、信者同士は仲間を見分けることができるそうです。最初に会った時、ジェイコブとアーメッドが交わしていた目配せがそうだったのですね。

もちろんユダヤ教徒であるジェイコブと、基本的にイスラム教徒であるアーメッドが「カイン派」に属していること自体、グノーシス主義がキリスト教の一部ではないことを示していると言えます。

ジェイコブの言う「カインの印」が、具体的にどんなものを指しているかは、はっきり書かれていなくて謎なのですが…あ、そうか、その前にそもそもの「カインの印」について説明しないといけないのか。えーと…旧約聖書創世記で、カインがアベルを殺した後、神が…ここは引用した方が早いか。

「…あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。(中略)私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。(創世記第4章)

というわけで、これが「カインの印」なんですが、お読みの通り、この「印」が具体的に何であるかは、謎なわけです。長い歴史の中で、いろんな人々がいろんな解釈をしてきたわけですが…私が知りたいのは、ジェイコブたち「カイン派」の人々の解釈なのです。だって、「密かに」身につけられるモノで、しかも信者同士は見れば分かるって…うーん、想像がつかない。

ああ、やっぱり長くなった。これでもごく大雑把な説明なのですが…とりあえず「カイン派」についてはこれくらいにして。

母親がフランス人と言っていた宰相、やっぱり(?)隠れナポレオン派でした。正真正銘のナポレオン嫌いの太守には、面従腹背だったようです。せっかくアルジェでストップをかけたのに、金は別ルートを通ることになったと知ったスティーブンたち。ジャックに知らせるため、急ぎアルジェへ戻るのですが…