Chapter 10 〜 岩礁と無人島


ジャックたち、なんとかディアンヌ号を浮かせようと努力する

それからは、次の満潮(半日後)にはなんとか艦を動かせるように、とにかく少しでも軽くしようと、全員が船倉から島へせっせと荷物を運び、真水は捨て、ポンプをつき、昼夜を問わずの重労働。

浸水は急激ではないものの、じわじわと水量を増しています。島には傾船修理できそうな砂浜もあるし、そうしなくてもポンプで排水しながらなんとかバタヴィアまでは行けそうだ−とジャックはふんでいるのですが、とにかく動かせなければどうにもならない。

そのうちに次の満潮がきます。座礁した時が大潮だったので、これから満潮時の水位は低くなるはずで、この満潮で動かせなければもう次の大潮(半月後)まで動かせる望みはありません。錨を下ろし、キャプスタンのバーを長くして、艦長やドクターも含む全員が必死で回すのですが…艦はびくともしません。

艦長は苦渋の決断を下しました。「軽いカロネード砲を除いて、砲を全部海に捨てろ。」(砲は重いので、島に運べないか、運べるとしても時間がかかりすぎるのでしょう。)これは自らを去勢するようなもので、軍艦乗りにはこの上なく辛いことでしたが、背に腹は変えられず。

それでも、艦は動きませんでした。その次の満潮は、前回の満潮よりかなり水位が低く、とうてい離礁は不可能。次の大潮まで待つより、どうしようもないようです。

フォックス、ピナスでジャワに向かいたいと言う。ジャック許可する

早く本国へ帰りたくてじりじりしていたフォックスは、艦が当分動けそうもないと知って、ピナス(大きめの艦載艇)で先にジャワに行きたい、と言い出しました。たった2日の距離だし「私には本国に条約締結を一刻も早く知らせる義務がある。この事実によって海軍や東インド会社のアジア政策も変わってくるし、戦争遂行全般に影響のあることで、国益のためである」と彼は主張するのですが…

この巻を最初に読んだ時は、フォックスさんの主張もわかるような気がしていました。何でも即、本国のトップに連絡できる現代の感覚が抜けなくて…「本国政府に伝わっていないのなら、条約結んでも意味ないんじゃ?行く時はあんなに急いでいたのに、何で帰りはこんなにのんびりしてるんだろうジャックは」と、ちょっとフォックスの方に同情していたような。

でも、再読してそれは間違いだとわかりました。往路あんなに急いだのは、フランスが先に条約を結んでしまうおそれがあったから。一旦サルタンを英国の味方につけてしまえば、その時点から、フランスの協力で重武装した海賊に英国貿易船が襲われる心配もなくなり、本国政府がそれを知っていようがいまいが、あまり関係ない。即時本国に報告して指示を仰げる時代と違って、電報・電話の発明前は、どんなことでも本国が知るのに数ヶ月かかるから、英国政府の看板を背負っていても、たいがいのことは現地で判断・処理しておくしかない。だから一週間遅れたからといって、さほどの違いはないのでは。

つまり、フォックスが早く帰りたがっているのは、ひとえに自分の栄光のためなのですが…ジャックはこの案についてよーく考え、結局ピナスを出してやることにしました。

今のところ好天・順風が予想されますが、海賊がうようよしている海域。ピナスにはカロネード砲を一門、マスケット銃を全員分、弾薬と食糧と水はたっぷり。海尉1名、水兵3名を乗せて万全の体制ですが、スティーブンは不安でした。「ジャック、大丈夫なのか?無茶な計画ではないのか?」「そんなことはない。バタヴィアまでたった200海里(390km)だし、順風だし、ブライ(バウンティ号の艦長)はもっと小さいボートでその20倍の距離を行ったんだ。」「でも、フォックスが無理な命令をしたら…」「フォックスは命令できない。指揮を執るのは海尉だ。」

ピナスの指揮は、二等海尉のエリオットが志願して執ることになりました。実はエリオットは座礁した時の当直士官。しかも「風が強くなったらトプスルを縮帆しろ」という艦長の命令を忘れていたために、座礁時の艦はスピードが出ていて、そのせいで座礁がひどくなったかもしれない。エリオットはそれをよくわかっていたので志願し、艦長もそれを知っていたので彼を任命しました。

エリオット、フォックス、三馬鹿トリオ、他3名を乗せたピナスが去るのを、艦長は甲板から帽子を取って見送りました。

海兵隊が島に野営地を設営し、乗員は落ち着くが、ジャックは海の異変を感じる

フォックスの若い秘書エドワーズは「万一に備えて」条約の正式な写しとともに残されました。(フォックスはエドワーズを嫌っていたので、そのせいもあるらしい。)こんな状況とはいえ、フォックスたちが去ってある意味すっきりしたらしい艦長は、エドワーズと士官たちを招いて艦上でディナー。「一度、『座礁した船亭(The Ship Aground)』というパブで食事したことがあるが、本当にそうなるとは思わなかった」と、軽口を飛ばすジャック。(関係ないけど、英国のパブってなんであんな変な名前があるんでしょうね。)

あと約二週間はディアンヌ号を動かせないと決まったので、乗員たちは無人島に野営地を設営しました。野営地の設営は陸軍の専門分野。軍艦の中の陸軍さんといえば海兵隊。隊長のウェルビーはじめ、ふだん艦の上では船乗りたちに「素人」と思われがちな海兵隊員たちは、立場が逆転して自分たちが「専門家」になったのが嬉しくて、張り切って設営を仕切っています。

スティーブンはこの島の探索をしようと、カットラスを片手に森に消えました。ジャックは海側から調べようと、ボンデンたちを連れてボートで一周。野営地を張っている南側は砂浜、北側は崖になっているようです。ボートが北側にさしかかると、崖の上にスティーブンが立って、ハンカチを振りながら何か叫んでいるのが見えました。しかし、聞き取れたのは「スープ」という単語だけ。

謎の言葉に首をひねりながらジャックが艦に戻ると、スティーブンはもう帰っていてチェロを弾いていました。「ジャック、スープのツバメだ。巣がスープの材料になるツバメがコロニーを作っている。」と、嬉しそうに目を輝かせるスティーブン。「小さい灰色のツバメで、巣は真っ白だ。イノシシもいた。人間が時々来ているらしいな。道の跡らしいものもあったし、動物は警戒心が強い。」ドクターがこの島の動植物について熱心に語るのを聞き流しながら、ジャックはバイオリンを取りました。

ツバメの巣のスープ…この中華の高級料理、元は海藻で、コラーゲン豊富でお肌にいいそうですね。残念ながら食べたことはありませんが。

久々に心行くまで合奏し(フォックスたちがいる時は遠慮して合奏できなかったので)、気持ちよく眠ったジャックですが、翌朝は珍しく寝覚めが悪く、何だか嫌な予感がしていました。座礁した艦の艦長とあれば、気分が良くないのは当然かもしれない−でも、野営地は素晴らしい出来で、井戸もできたし、艦の方は船匠の修理で浸水はほとんど止まったし、荷物を降ろしてだいぶん軽くなったし、次の大潮には浮くのは確実で、あとは待つだけなのだが…

嫌な予感が戻ってきたのは、沈めた砲に浮標をつけるため、泳ぎの達者な数名の水兵を率いて海に潜っている時でした。海水の様子がおかしい。水温が高すぎるし、妙に濁っている。風はまったくないのに、うねりが強くなっている…

島とディアンヌ号を大型台風が襲う

彼の予感どおり、やがて水平線に暗い、銅色の光が見え始めました。ジャックはカロネード砲と大事な装備をすべて島に上げるよう命令しました。「あんな色の光を見たのは、過去に一度だけだ。スティーブン、君が砲の上に落ちて頭を打った時(10巻)だ。君も、薬や医療器具や大事なものを、全部島に運んでくれ。」

装備の運搬を終えると、ジャックは乗員全員に上陸命令を出すのですが、それが終わる前に、空全体が不気味な紫色に染まったかと思うと、突然、すさまじい暴風雨が襲ってきました。激しい風の中、ジャックは艦に誰も残っていないことを確認し、最後にボートに乗りました。「ピナスは望みがないだろう。」エドワーズにはそう告げざるを得ませんでした。

嵐と豪雨の中、ボートのうち2艘が転覆し、20人余りが海に投げ出されましたが、残りの150名余りはなんとか島にたどり着きました。激しい雨にもかかららず、海兵隊長が腕を振るった野営地の地面はしっかりしていて、排水溝に雨水が激しく流れ、テントはひとつも倒れていません。

豪雨とひっきりなしの稲妻の騒音に包まれたテントの中で、ジャックとスティーブンは黙って座っていました。ジャックは座ったまま、時々うとうと眠りかけながら、騒音の中に耳をこらし、ディアンヌ号の断末魔の悲鳴を−大波で浮き上がり、岩礁に叩きつけられる音を−聞こうとしていましたが、幸いというか、台風の轟音にかき消されて何も聞こえませんでした。テントの中はほとんど途切れなく稲光で照らし出され、スティーブンはロザリオの祈祷を唱えていました。

突然、違った種類の轟音がして、ジャックは顔を上げました。「あれは何だ?」「土砂崩れだよ、マイディア。」(台風もなく山もあまりない英国では、土砂災害にはなじみがなさそうですね。)

スティーブン、フォックスの報告書を読む

スティーブンはずっと起きていて、ディアンヌ号から運んだ薬棚を見ていました。一番乾いていて、安全な場所。そこにはフォックスからエドワーズに預けられた条約の正式な写しが入っている。

写しに添えたフォックスの報告書を、スティーブンは密かに読んでいました。自分の諜報員としての役割が明らかにされていると困るので。報告書にはそのような記述はまったくなかったのですが…

それは奇妙な報告書でした。自分がいかにこの条約を独力で締結したかを強調し、他の人がいかに助けにならなかったか、あるいは明白な妨害をしたか…被害妄想としか思えないことが延々と述べられています。特に、エドワーズに対する攻撃は常軌を逸していて、フォックスが何らかの異常に陥っていたことを確信させるのに十分でした。

その報告書をどうしたものか、スティーブンは迷いましたが…「どちらにしても、あまりにひど過ぎて誰も本気に取らないだろう」と思い、とりあえず戻しておきました。

台風が過ぎ、ディアンヌ号はバラバラになっている

翌朝、台風は過ぎ、森から浜へ雨水が滝のように流れていました。乗員たちがテントから出てきて、呆然と辺りを見回しています。土砂崩れで流されたのはキャンプの端だけだったのですが、運の悪いことに、火薬を入れていたテントが失われていました。

岩礁にはディアンヌ号の影も形もありませんでした。ジャックははかない望みをこめて、ディアンヌ号ば無事なら流されて来ているはずの岸を見るのですが−もちろん、何も見えません。

浜には高波でいろいろなものが打ち上げられていました。ボートの残骸、倒れた木、夥しい数のココナッツ、ワオザルの溺死体…そして、哀れなディアンヌ号の破片。

「肋板が竜骨と交差するところで割れているな。」「この肋板材、初めからちゃんとした仕事じゃなかったようです。」ハドレー船匠が言いました。「ミスタ・ハドレー、大きな破片がこれだけあれば、小ぶりのスクーナーが作れるのではないか?」「はい、十分です」「それでは、急いで作ろうではないか。


13巻蛇足:Dianeの死

またしても、こんなところで巻が終わってしまいました。無人島でラストを迎えたのはこれで3回目ですね。しかも、無人島から脱出できる見込みがはっきりしたところで終わった前の2回と違い、今回はこれから船を作るって…大変。

しかし、ある意味、ここはキリのいい所なのかもしれません。それは、ディアンヌ号が死んでしまったから。ジャックの指揮艦が「死」を迎えたのは、2巻のポリクレスト号以来です。ソフィーのように敵に取られたり、レパードやウースターのようにガタがきて「引退」するという「別れ」はありましたが、目の前で「死んだ」のは、彼女が二隻目。ポリクレストはまあ、ちょっとアレだったから…長い航海を共にして愛着を持っていた自艦の最期をみとったのは、ジャックにとってこれが初めてでしょう。しかも、こんなにバラバラになっちゃうなんて…(泣)

ジャックの悲しみは想像に余りあるものがありますが、それでも部下たちを不安にさせないために、即座に「船が作れる!」と前向きな発言をする彼は立派な艦長です。…艦長って辛いね。