Chapter 2 〜 The Irishmen Once United


サプライズ号、フランスの小型軍艦を見つけて追跡する

そういうわけで、シェルマーストンを出航したサプライズ号は、最初の寄港地リスボンに向かいます。ところが、英仏海峡を出たところで、さっそく合法的拿捕対象を発見。フランスのスノー型私掠船です。アイリッシュ海(ブリテン島とアイルランドの間の海)を北へ逃走するスノーを、張り切って追跡するサプライズ号。

あいにく風が弱いので、スイープを出して漕いだりもしながら、少し追いついたり、少し離れたり、じりじりするような長い追跡になります。こういう時はすることもないスティーブンは、甲板で追跡を見物。望遠鏡で相手のスノー型帆船を観察しています。

ところが彼は、敵艦の甲板に知っている顔を発見してしまいます。何度も確認して、間違いなく昔の知人だと悟った時、彼はショックを受けました…かつてのユナイテッド・アイリッシュメンのメンバー、ロバート・ゴフ

スティーブン、追跡する仏艦にユナイテッド・アイリッシュメンの仲間を発見する。

時々私が愚痴っているように、オブライアン氏はキャラクターの過去について、分かりやすく時系列に整理された説明をしてくれません。人間が実際に記憶を蘇らせる時のように、何かをきっかけにして唐突に、主観的に、背景説明もなく、ランダムに出てきます。読者はあちこちの断片をつなぎ合わせ、背景は自分で調べたりしながら、パズルの断片を集めるように、少しづつ理解してゆくことになります。

たいへんですが、これがまた、一気に説明されるより面白かったりするのですよね。壮大なミステリを読んでいるようで…まあ、かなり気が長く、しかも相当キャラに入れ込んでなきゃ、楽しいとは思わないでしょうけど(笑)。

しかし、この章は珍しく、ゴフをきっかけとしてスティーブンの過去の最も重要な事柄についてかなり具体的な記述があります。本筋に関係ないように思えますが、非常に重要で貴重な章です。1798年のアイルランド蜂起についてや、アイルランド人である彼がなぜイングランドの諜報員をやっているのかということについて、これまでになく明確な説明がなされています。

でも…ここを書くには、やはり1798年のアイルランド反乱について、今までに書いたよりも詳しい説明が必要であると思いました。なぜなら、ただ「何月何日に起こって、ここの戦いで反乱軍が勝って、ここで負けて、何月何日に鎮圧されました」という概要説明だけでは−この反乱の残虐な側面を知らなければ、これがスティーブンに残した影響がわからないと思ったからです。(私はこれを調べて、1巻の読み方がまったく変わりました。)

適当なサイトがあればそこにリンクしてしまうのですが、日本語のサイトでは詳しいところが見つかりませんでした。イギリスのサイトにはいいのがあったのですけど、英語サイトにリンクするだけっていうのもあまりに不親切かな〜と思ったので、かなり大雑把ですがまとめてみました。ここに書くには長すぎるので、別ページに→ユナイテッド・アイリッシュメンと1798年アイルランド反乱

スティーブン、ゴフとのかかわりを回想する。

ゴフは架空の人物ですが、おそらく、UIのリーダーの誰か(または何人か)をモデルとして描かれているのでしょう。

ゴフとマチュリンは、共にUIに所属し、同志ではありましたが、最初から考え方の違う二人でした。アイルランド人によるアイルランドの自治とカトリックの公民権復活には共に賛成していましたが、他のことでは意見が分かれていました。特にマチュリンは、独立運動にフランスを介入させることと、手段として暴力と使うことには強く反対していました。ゴフはUI内でこの両方に賛成する一派の一員でした。

スティーブンは1790年代半ばの時点ですでに、フランス革命政府が−彼と彼の仲間にあれほど輝かしい喜びと希望を与えたフランス革命が−すでに絶望的に変貌してしまったこと、新たな形態の専制政治に変わってしまったことを悟り、フランスの介入がアイルランドにとって非常に危険であることを感じていました。しかし(先程の別ページ解説からみても)スティーブンはこの両方の点でUI内では少数派であったようです。

そして、彼が反対していた1798年の蜂起は悲劇に終わり…密告者が横行する中、生き残ったマチュリンとゴフは共に命の危険にさらされ、共に国を後にしました。…しかし、まったく逆の方向(地理的にではなく政治的に)へ。

マチュリンは、1798年の反乱とその残虐な鎮圧によるショックと、ほぼ同時に「恋人を失った(※)」ことによるショックにより、しばらく世捨て人状態だったようです。(1巻はじめの時点では、彼はまだこの打撃から立ち直っていない。)

しかし、精神的打撃からようやく回復した彼は、フランスには1789年の大革命の思想を踏みにじる非常に危険な警察国家が育っていることを悟りました。フランスのカトリック教会へのひどい扱いや、ナポレオン軍がヨーロッパ各地で(特に、彼のもうひとつの故郷カタロニアに対して)行った残虐行為を見て、彼はこの帝国を倒すこと、この史上最も機略に富み、かつ侵略的な独裁政権を倒すことこそが、アイルランドとカタロニアの自由に対する必要条件だという確信を深めました。

逆にゴフは、他の親フランス派の生き残りとフランスへ亡命し、フランス政府との関わりを深めました。フランス軍を介入させることがアイルランド独立への最良の道だと信じて…おそらく今も。彼の乗った船は間違いなく、アイルランドへ向かっている−おそらく、フランスの任務を帯びた彼を故国に上陸させるために。

ゴフが捕らえれば、彼は間違いなく絞首刑になる。フランス帝国はその分だけ弱体化し、フランスがアイルランドを侵略する危険は少なくなる。しかし、反乱とその後の酷い経験から骨身に染みている「密告者」への徹底したの嫌悪が、彼を躊躇わせるのでした。

しかし、スティーブンの昔からの密告者への嫌悪、密告者に関わるありとあらゆることに対する彼の激しい憎悪の念が、圧倒的な力で彼の心を占めていた。密告者たちの裏切りのもたらす結果、拷問、鞭打ち、人の頭に注がれる熱したタール、そしてもちろん絞首刑。自分とそのような連中の間に、たとえ僅かでも類似点があると思うのは我慢できなかった。ゴフの逮捕に、自分が少しでも関わるのは耐えられなかった。

アイリッシュ海を北上しながら、サプライズ号は少しづつ、しかし着実にスノーに追いついていました。このままではゴフは、彼の船によって捕らえられてしまう。もちろん、ジャックに「追いつかないでくれ」と頼むことなど問題外。(まだ復帰していないとはいえ)根っからの英国軍人であるジャックにそんなことを話したら、捕らえるにしても逃がすにしても、彼にとんでもない精神的負担を強いることになりますから。

※スティーブンのアイルランド時代の恋人:ここでは名前は出てこないが「モナ」のこと。9巻1章-2を参照

スティーブン、悩む

スティーブンの葛藤など露知らぬジャックとプリングズは、相手を砲撃するかどうか話し合っています。ジャックは、小さい船にあまりダメージを与えると後で面倒だから、近づいてから斉射で脅して降伏させるのがいいという意見。それだと追いつくためにはかなり北上しなければならないが、幸い今夜は月夜、日が落ちても見失う心配はない。

スティーブンは一人で考えるためにオーロップに降り、ランタンの火を見つめて考え込むのですが…この状況って、何か思い出しませんか?そう、1巻のディロンです。スティーブンはあの時の彼と同じような状況に追い込まれているわけですが…

しかし、あの時のディロンと今のスティーブンには決定的な違いがあります。英国軍人としての倫理と昔の仲間に対する倫理の板ばさみになり、元UIの仲間を逃がしても捕らえても良心の咎めを避けられなかったディロンとは違い、スティーブンは自分の良心のみに従って決断することができるからです。もちろん彼も悩むのですが、その点ではまだ救いようがあるかな、と。

今のゴフはフランスに対してあまり重要な役割を果たしているとも思えない、彼が逮捕されたからといってナポレオンの弱体化には繋がらないだろう−スティーブンはそう結論を出し、彼の逮捕には絶対に関わるまいと心を決めます。

しかし問題は、どうやって逃がすか。着実にスノーを追い詰めるサプライズ号を、どうやったら遅らせることができるのか…

彼は磁石でコンパスを狂わせるという手を考えるのですが、位置もほとんどわからないのにそんなことをしたら、どこかの岩礁に乗り上げてしまうかもしれない。誰にも見られずにコンパスに近づくのは無理だし、星も出ているし…第一、スノーが見えている状態では無意味だ。

「拿捕船など諦めて、早くリスボンに向かおう」とジャックに勧告するか?しかし、ジャックは自分の仕事のことは完全にわきまえている。拿捕船を追って針路をそれる時間の余裕がどこまであるのか、正確に知っている。彼の専門分野のことでアドバイスすることは、彼に賄賂を贈るのと同じぐらい役に立たない。

降り出した雨の中、いらいらと甲板を歩き回り、思いつめた顔でスノーを見つめているスティーブンを見て、水兵たちは「ドクターがあんなに拿捕船のことを気にするなんて珍しいなあ」と思っていました。「金の握りのついた杖(医者のしるし)と自分の馬車を持っている人が、あんなけちな拿捕船を気にするはずはねえよ。あれはきっと歯が痛いんだ」と言う水兵もいました。

ボンデンは彼が追いつけないのを心配しているのかと思い、いろいろ説明するのですが…そこはさすがにボンデン、やがてドクターが「何かはわからないけど、別のことを心配している」とピンと来て、「戻るときは気をつけて」とだけ言って、自分の部署に戻りました。

「スティーブン、何しているんだ、びしょ濡れじゃないか。どうしてダイアナがくれた防水コートを着ないんだ」ジャックが心配して彼をキャビンに連れ帰り、一緒にブロス(肉・魚・野菜などを煮出したスープ)を食べました。「おれはこれから寝るけど、君も寝た方がいい。疲れているみたいだ」「そうだな…確かに具合が悪い。」

スティーブンは、今あれこれ考えても何の役にも立たないと悟り、これからの成り行きに合わせて行動しようと決めました。そのためには寝ておかなくては。彼は少しだけアヘンチンキを飲み、船尾船室に戻って濡れた服をぽいぽいと脱ぎ捨てました。すると、もう寝ているはずのキリックがどこからともなく現れ、タオルと乾いたナイトシャツを差し出しました。彼は何か言いたそうでしたが、ただ「おやすみなさい、サー」とだけ言ってさがりました。

スティーブンは、引出しからロザリオ(※)を出して寝台に入り、祈祷を始めました。

普段は、「ロザリオの祈祷は迷信に近い」と思っているし、個人的な願い事のために祈ること(困ったときの神頼み)は「不適切」だと感じているスティーブンですが…今はなぜか、「わかりやすい敬虔さ」の必要を感じたので…

しかし、疲れとアヘンチンキの効果と、乾いた服と寝床の気持ちよさから、彼は7回目の「アヴェ・マリア」に行かないうちに眠りに落ちるのでした…

ロザリオ:カトリックの祈祷に使う。Y字ネックレスのような形状だがネックレスではない(あまり首にはかけません)。要は祈りの回数を数える道具で、ひとつひとつの石で唱える祈りが決まっている。

翌朝、スティーブンは砲の音で目覚める

スティーブンが目覚めて甲板に出ると、ほとんど視界のきかない激しいスコールの中を、乗員たちは何かの修理作業にかかりきりでした。

彼が朝食の席に着くと、ジャックがすまなそうに言いました。「スティーブン、すまない。ヘマをやってスノーを逃がしてしまったんだ。トムの言う通り、撃てる時に砲撃しておけばよかったなあ。嵐で潮が変わった上に、風も変わって、向こうには吹いているのにこっちには吹かない始末でね。ぎりぎりまで追ったんだが、もう少しで射程距離に入るってところで、フォアトゲルンマストが落ちたんだ。まったく、申し訳ない。君があまりがっかりしていなければいいんだが…」

スティーブンは「全然がっかりなんかしていないよ」と言い、コーヒーを一口飲んで、満足と感謝の表情をカップで隠しました。