グラディエーター Gladiator


1.マキシマスはローマを見たことがなかった 2.農夫としてのアイデンティティー
3.マキシマスの身分について 4.マキシマスの宗教
5.剣をとってはローマ帝国一の… 6.部下との信頼関係
7.Interview With Russell マキシマスの「過去」


1.マキシマスはローマを見たことがなかった
マキシマス:「私の部下が5千人、冷たい泥の中にいます。3千人は負傷し、2千人はこの地で死ぬでしょう。彼らが無駄に戦い、無駄に死んだとは、私は信じない。」
マルクス :「では、何を信じる?」
マキシマス:「彼らはあなたのために戦ったのです。そして、ローマのために。」
マルクス :「それでは、ローマとは何だ、マキシマス?」
マキシマス:「私は広く世界を見てきましたが、残虐さと闇ばかりです。ローマが光なのです。」
マルクス :「しかし、君はローマに一度も行ったことがない。ローマがどういうふうになってしまったか、見たことがないだろう。」


マキシマスのキャラクターを考える上で、結構重要だと思うのは、彼が「ローマのために戦う」ことに一生のほとんどを費やしながら、映画の後半までローマ(都)に足を踏み入れたことはなかった、ということです。ローマ以外の世界(おそらく主に北部の辺境)は広く見ながら、「永遠の都」は見たことがなかった。そして彼はナイーブにも、ローマの文明が「残虐さと闇ばかり」の世界を救う「光」になりうる、と信じています。

ローマの文明のエッセンスを目の当たりにしたことのなかった彼にとって、もしかしたら「ローマ」は、「マルクス・アウレリウスの語るローマ」だったのではないでしょうか。

「マルクス・アウレリアスの語るローマ」というのは、「国家の理想」「建国の精神」としてのローマ、というような意味です。それが、「どのようになってしまったか」というのは、5、6年前のローマに比べてあの街は変わってしまったよ、という意味ではなくて、私がお前に常々語っていた建国の精神・理想と比べて、えらい違うものになってしまった…という意味でしょう。

それに関連して、マキシマスのキャラについて。私は常々、映画やTVドラマのキャラというのは、脚本家と役者が共同で作り上げる作品、と思っているんですけど、この映画に関しては、脚本が未完成だったこともあり、かなり役者(ラッセル)が作り上げた部分が大きいんじゃないかと思ってるんです。でね、前にラッセルが、このキャラをスペイン語訛りでやったらどうか、と監督に提案して拒否された、というのが気になってまして…(ローマ史劇ではなぜかみんなシェイクスピア風イギリス英語を喋るのが慣例になってます。)それって、ラッセルがマキシマスのキャラを、単に「ローマ人」じゃなくて、ローマ市民だけど、どっかアウトサイダーで、かなり田舎モンで、グラックスやルッシラなんかとはちょっと違う育ちの人間だと強調したかったのじゃないかと思って。それが、「ローマに行ったことがない」という点ともつながってくるわけですね。

しかし、初めてのローマ入城が剣闘士として檻に入れられてのものになるとは、彼もまさか思ってなかっただろうなあ…初めてコロシアムを見ながら、ジュバに「こんなものを見たことがあるか?」と言われて、茫然と首をふるマキシマスの表情が、とても印象的です。


2.農夫としてのアイデンティティー
答えのない質問のひとつ:マキシマスが軍に入ったのは何歳の時?

ラッセルはインタビューで、「彼は9歳の時から軍隊にいて…」と語っていました。だから、9歳が正解、としたい所なんですが、そうするとひとつ問題が出てくるのですよね。9歳から軍隊にいたのなら、彼の「ほんとうは農夫」という自己認識は、いつ形作られたのでしょう?9歳から兵士じゃ、兵士としてのアイデンティティーが全てになってしまわないかなあ。まあ、そのへんはわかりませんが。

この「マキシマスは農夫」というのは、私はかなりラッセル自身が反映されていると思うのです。ラッセルが役を引き受けた時点で出来ていて、ラッセルが「かなり書き直しが必要」と思ったという脚本の第二稿がインターネットに出ていますが、その中には「マキシマス=農夫」というセリフはまったくないのです。

「ロードショー(8月号)」に載っていたインタビューで、ラッセルはスコット監督とロンドンのリバーカフェで酒を飲みながら、ストーリーについて「微に入り細に穿つ」話し合いをしたとありました。マキシマスの語る故郷の風景は、その時のラッセルの言葉から来ているとか。「戦士だけど、ほんとは農夫」という設定も、その時出来たのかもしれません。

ん?と、いうことはラッセルも、6歳の時から俳優だけど、「本当は農夫」(笑)?


3.マキシマスの身分について
ローマ文明に関する子供向きの本を立ち読みして得た知識なのですが、当時のローマ正規軍(legion、レギオン)にローマ市民しか入隊できず、貴族でなければ百人隊長より高い階級の将校になれなかったそうです。スペイン出身のマキシマスが、どうして将軍になれたのでしょう?まあ、辺境出身でもローマ市民という人はいますから、入隊できたのはまだわからないでもないのですが…マキシマスが上流貴族の出身?ちょっと考えにくいですよね。おそらく、マルクス・アウレリウス帝が彼の才能を見込んでいろいろ特別にはからってくれたのでしょう。


4.マキシマスの宗教
えーまず最初に、私はキリスト教徒です。(カトリックです、一応…)

マキシマスがコモドゥスに名乗りをあげるシーンで、マキシマスは「今生であれ、来世であれ、必ず復讐を果たす」といいますよね?マキシマスはまさかあの後あのような展開になると思っていないので、その場で確実に殺されると思って、「来世で」と加えたんでしょう。あれって、仏教になれ親しんでいる国民はあまり気にしないですんなり聞き流している思うんですが、キリスト教徒なら一瞬「ん?」と思います。キリスト教には輪廻転生の考え方はないので…もちろんマキシマスはキリスト教徒ではありませんが、キリスト教以前のローマの宗教って、どうだったのかなあ?と一瞬疑問が…そのへんは、あまり気にしないで脚本が書かれているのかもしれませんが。

で、考えてみたのですが、ひょっとしたら、彼の宗教は「ローマの」宗教ではなくて、マキシマスの故郷の土着的信仰という設定ではないかな?温暖な気候と肥沃な土壌に恵まれた農業の地に、自然に生まれた信仰。闘いの前に土を手にこすりつけ、匂いをかぐしぐさにも、マキシマスの信仰を感じます。ゲルマニアの基地で夜の祈りを捧げる時でも、「神」でも「神々」でもなく、「先祖」に祈りを捧げてましたものね。東洋的です。

ラッセルはたしかインタビューで、「彼の宗教は、キリスト教徒やユダヤ教徒には、ばかみたいに思えるかもしれない…」と語っていたと思います。(はっきり記憶していないのですが)そういうことを言わなければならないぐらい、マキシマスの宗教的背景の設定は、今迄のローマ史劇(と、いっても「グラ」の前は35年前に溯るんですが)の中では特異で、キリスト教/ユダヤ教文化圏の人にはちょっと違和感があるのかもしれません。

キリスト教/ユダヤ教には輪廻転生という思想はないはずなんですが、最近のアメリカのファンタジー系映画には、よく「生まれかわり」のモチーフが出てくるんですよ。(「ワン・モア・タイム」、「愛が微笑む時」など)昔の映画にはあまりなかったです。(死んだら天使になる、というのが多い)そのへんに、アメリカでの東洋思想の普及があらわれていると思っていたのですが、マキシマスの東洋的宗教観にも それがあらわれているのかもしれません。



5.剣をとってはローマ帝国一の…
マキシマスは将軍とはいっても、現代の軍隊の将軍のように司令室の大スクリーンの前に納まって指令を出していたりしません。先頭切って敵陣に駆け込んで剣を振るって敵を斬るわ斬るわ…その腕自体、他の追随を許さないものであるというのは容易に想像できます。だからこそ、後に剣闘士としても成功(?)できたわけですけど。
ちょっと考えると、将軍たるもの、連隊を管理運営する能力とか、戦闘においても、全体的な戦略を立てる能力の方が重要で、「剣の腕」なんかは二の次のような気がします。しかし、剣の腕がずば抜けているというのも、部下の尊敬を集める重要な要素なんでしょうね。

さて、どなたかが彼が「真剣白刃どり」もできる、と書いていらっしゃるのを読んで、あーあの処刑のシーン、とちょっと笑ってしまったのですが、あのシーンよく見ると「白刃どり」をしているわけでなく、先に頭突きをくわせて、そのあと剣の刃をわしづかみにしているような気がします。あれでは、手が切れてしまうだろうと思うんですが、後のシーンを見ると掌は切れていないのですね。何故か?

で、ちょっと考えてみたのですが、ひょっとして当時の剣の刃というのは日本刀ほど鋭くはないのではないでしょうか?日本刀を「白刃どり」するのには、よっぽどの神業的タイミングで掌の間に刃を挟まないといけないのでしょうが、ローマ時代の剣ぐらいならわしづかみにもできる、と…(うーん、やっぱり無理があるかなあ…)また曖昧な記憶で恐縮ですが、この映画の時代考証の誤りのひとつとしてあげられていたことで、「当時の剣は相手に『突き刺す』のみの用途で使われていて、この映画のように相手に振り下ろして『斬る』ことはできなかったはず」というのを読んだような…この映画のように剣の一振りで首を落とすなんていうのは、不可能だったようなんですね。

ラッセルはインタビューで、「フェンシングの心得はあったけど、当時はフェンシングはまだ発明されていなかったから、かえって邪魔になった。もっと原始的な動きを心掛けた」と話していましたが、そういえばフェンシングには剣を『突く』動作だけで、『斬る』動作はないですよね。

ひょっとしてこの『斬る』動作を主とした殺陣というのは、黒沢映画その他の日本の時代劇の影響が入っているのではないかと思います。(私は日本の時代劇の知識も、ハリウッドの昔の剣戟映画の知識もまるでないので、まるっきり当てずっぽうで言っているのですが。)まあ、日本刀による殺陣のように鮮やかにすぱっと斬っているわけではなく、力まかせに叩き切っている感じですが。

しかし、この時代考証はあえて無視して正解だと思います。だって、『斬る』動作をいれたほうが絶対、断然かっこいいもの〜!私のお気に入りのシーンのひとつに、マキシマスが辺境のアリーナに2度目に登場し、あっという間に6人片付けるところがあるんですが("Are you not entertained!?"のシーンですね。私なら"Yes,I am entertained!"と答えてしまいそう)、あのシーンで強烈に思い出したのは「椿三十郎」の伝説的な殺戮シーンでした。(三十郎は6人どころではなく、もっといっぱい斬りまくってましたが…)

#余談:マキシマスはイギリスの雑誌「EMPIRE」で「映画史上最もセクシーなキャラクター」に選ばれていましたが、「日本映画で最もセクシーなキャラ」なら私は個人的に三十郎様(三船敏郎@「用心棒」&「椿三十郎」)を推薦したいです。


6.部下との信頼関係
マキシマスはもちろん、どこをとってもカッコいいところだらけなのですが(「賛成!」という声が聞こえる…)私がいちばんカッコいいと思うのは、前述した剣の腕などではなく、「部下との絶対的な信頼関係」です。

剣闘士になってローマに来たマキシマスが、コロシアムでトラと闘った後、彼の部下、キケロが彼を訪ねて来るシーンがあります。そこで、ふたりはこんな会話をします。

マキシマス:「指揮官は?」
キケロ: 「ローマから来たアホです」
マキシマス:「どのぐらいで戦闘態勢に入れる?」
キケロ: 「あなたのためなら、明日にでも。」

どうです、この簡潔極まりない会話!マキシマスはキケロに、「そのローマから来た指揮官に従っている兵はどのぐらいいる?」とか「おれが戻ったらどのぐらいの兵がおれについてくる?」とか、一切聞く必要がないのですね。後のシーンでグラックス議員にも断言している通り、自分が生きていることさえ知れば、部下はひとりのこらず自分に忠誠を誓ってついてくると、彼は100%確信しています。軍を長く離れ、今は奴隷になっている身でありながら、その自信はまったく揺らいでいない。うーん、カッコいい!

後に大幅に変更された脚本の第二稿では、マキシマスはちゃんとオスチアまで逃げ延びて、軍を引連れてローマに帰って来ることになっていました。当然、オスチアで彼を待っていた部下たちに熱烈な歓迎を受ける、というシーンも、ちゃんとあります。だから、このマキシマスの確信が正しかったということは証明されているわけですが、完成版の映画ではマキシマスはローマ城壁の外で捕まってしまい、部下たちとは会えずじまいです。

私はこの映画の完成版のストーリーの方が絶対良い、と思っているのですが、彼を待ちわびている部下たち(と、例の忠犬)のところへ戻ってくる将軍マキシマス、というのもちょっと見てみたかった気もします。映画にはそういうシーンがないから、私たち観客は、マキシマス自身の確信の中にこそ、彼と部下たちとの絶対的な信頼関係の証を見るのです。そしてそれは、感動的です。

思えばこの映画、「グラディエーター」という題名でありながら、マキシマスも「私の名はグラディエーター」なんていうセリフを言いながら、本当は彼は「心は、ずっと将軍」なのですね。


7.Interview With Russell
この映画とこの映画のキャラ、マキシマスについてのラッセル・クロウのコメント

(1) GADIATOR - The Making Of Ridley Scott Epicより

「マキシマスは偉大な将軍だったのに、手枷をつけられて剣闘士奴隷として売られることになる。…ちょっとしたライフスタイルの変化、ってやつだ(笑)。」「少しの間、彼は新皇帝の前に立って復讐をとげることだけのために生きるが、そのうちにこの時代の政治的な騒動に巻き込まれて、協力せずにいられなくなる。他に言いようがないからこう言うけど…彼はいい奴なんだ。」


(2) 2000年夏、テキサス州オースティンにおけるケビン・コナーによるインタビューの一部

ケビン・コナー(以下KC):「グラディエーター」の撮影はタフだっただろうね。なぜって…

ラッセル・クロウ(以下RC):タフだったよ。

KC:感情的にも「インサイダー」と同じぐらい難しかっただろうし、それに肉体的にも、アクションをたくさんこなさなければならなかったから。

RC:うーん、正直に言うとね、「グラディエーター」に関して一番難しかったのは予算1億ドルの映画を脚本なしで撮り始めなければならなかったことだよ!

KC:本当に?

RC:それは難しかった。そこから先は簡単だったね。格闘だろ、トラだろ、それから…「オーケイ、ウェスリー、今日は何をするんだい?」

KC:「あそこにいるあの男…彼の腕を切り落として!」

RC:「了解!」

KC:でも、この映画についてひとつだけ。君は…君のキャラクター、マキシマスは小さい男の子に、「剣闘試合を見せてもらえるのか?」と聞くよね。

RC:ああ。

KC:そうしたらその子は、「うん、叔父さんが強くなれるっていうから」と言う。僕がこの映画を見て映画館を出ていくとき、5歳か6歳ぐらいの男の子が両親と一緒に出てくるところで、なんだかどんよりした顔をしていたよ。僕はその両親に「なんでこんな小さい子をこんな映画に連れてくるんだ?」と言いたかった。もちろん、すばらしい映画だけど…小さい子供にはふさわしくない…僕の息子は8歳だけど…

RC:5歳や6歳の子には駄目だろうけど、これが許可されている年齢よりはすこし下でも大丈夫だと思うよ。この映画がR指定を受けるべきだったとは思わない。この映画の暴力は、ファンタジーをベースにしているからね。つまり、近頃のアメリカの街で、戦車が大通りを走ってくるなんてこと、そうはないからね。それに、セックスも、まるで出てこないし。マキシマスは多分戦争でアレを切り落とされちゃって、それで妻子の所に長く帰っていないんだから(笑)。それに汚い言葉も出てこないし。この時代にそういう時何て言ってたのかわからなかったからだけど。

KC:それにしても、こういうローマ史劇では必ず英国アクセントを使うのは面白いね。どうしてそれが合うんだろう?

RC:そのことは何度も何度も質問したんだ。だって、おれの役は「スペイン人、スペイン人」って呼ばれているだろう?だからおれは最初に、「この役は、アントニオ・バンデラスっぽく、でももっといい発音でやりたい。」って言ったんだ。でも、賛成してくれなかった。だから、おれは「昼飯のあとにビールを2パイント(約1L)飲んだロイヤル・シェークスピア・カンパニー」って感じのアクセントで演った。


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