Chapter 5-2 〜 プロポーズ(その2)


(p121〜p122)クリスティーン、しばらく黙っていた後、「スティーブン、とても光栄です。お断りするのは、本当に悲しいのですけど…私は、ご存知のように、とても不幸な結婚をしていました。」と、再婚したくない理由を率直に語る。彼女の夫は、「結婚の肉体的側面を」成就できなかった。それをどうにか克服しようとする無駄な努力の過程で、彼女は結婚のその側面に関する全てに、根深い嫌悪感を抱くようになってしまった。すべてが暴力的で無意味な、所有と肉体的支配を求める欲望のように思える。

「ああ、あなたを傷つけてしまったのですね。誰よりもご尊敬申し上げている方ですのに。スティーブン、ごめんなさい…」クリスティーンは涙をこぼしている。二人はしばらくそのまま、鳥の声を聞きながら立っている。


びっくりするほど(スティーブンではなく読者がびっくりするほど)あからさまに率直に、結婚したくない理由を語るクリスティーン。

ああ…亡くなったジェームズ・ウッドさん、なんかよっぽどアレだったんですね。クリスティーンも気の毒ですが、なんだかこう聞くと、ウッド氏も気の毒なような気がする。まあ、この、他にやり方を知らなかったのでしょうねえ。

こと、こういう状況に関しては、現代ですら男女間の率直な会話が難しくて、みんながアホらしいほどムダに不幸になってしまうことが多いというのに…まして200年前、ヨーロッパの中でも堅苦しい文化だった英国のひとたちです。

でも、こういうことをスティーブンにはっきり話すあたりは、クリスティーンは賢明な女性かもしれない。

クリスティーンという女性は、子供っぽいようでいて、実のとこ非常にシビアなリアリストだと思います。まあ、クラリッサほどじゃないけど。男女の関わりというものについて夢も希望も持っていないという点では似てますね。(原因はまったく逆ですが。それとも同じなのか?)ダイアナは、何のかんの言って、ロマンティストだったよなあ…

クリスティーン、ダイアナ、クラリッサは、それぞれ性格や立場はまるで違うのだけど、みんなどっかしら、当時の社会に適応できないでいる女性たちだと思います。でも、クリスティーンは他の二人と比べて格段に有利な立場にあると思う。まず金があること、自分で自分の生き方を分析できるぐらいには頭がいいこと、心から打ち込める仕事(趣味)を持っていること、女性が直接関われない当時の社会とのバッファーになってくれる、理解のある兄がいること…つまり、ありていに言えば、彼女は男を必要としていないのです。

当時の社会で、女性が比較的自由に生きられる唯一の可能性は、財産を相続した未亡人であることですからね。(ウィリアムズ夫人や、ミセス・ブロードなんかもそう。ダイアナも未亡人だったけど、残念ながら金がなかった…)うーん、私ならその立場を捨てて再婚したいとは思わないかも。ごめんねスティーブン(笑)

情熱的に愛しあうことができて、かつ自分のプライドと自由を壊さない男を求め続け、スティーブンがその相手になれるってことになかなか気がつかなかった故に苦労したダイアナ。すさまじいまでに不利な状況に痛めつけられて育ったために、早くから「男は利用するもの」と割り切っているようなクラリッサ。不幸な結婚生活から解放され、男からも社会からも一歩引いたところで好きな研究に打ち込んでいるクリスティーン。

スティーブンはこういう女性たちに、「彼は普通の『男』とは違う」と、友人として信頼されてしまう傾向があるようです。そしてスティーブンは、そういう女性を『女』として愛してしまう傾向がある。問題はそこですね(笑)。

スティーブンのプロポーズを断って、はらはらと涙を流しているクリスティーンの気持ちはわかる。生きてゆくのに「男」は必要なくても、人は一人では生きてゆけない。クリスティーンにとってスティーブンは、中身のある会話を交わせる(たぶん、兄以外では)唯一の人間だったのに、結婚なんていうつまらない、唾棄すべき社会習慣が入り込んだために、かけがえのない関係を失ってしまうかもしれない…

クリスティーンについて、勝手に精神分析しすぎだな、私。でも、なんか私、クリスティーンとは似ているところがある気がするんですよ。少なくともこのシリーズに登場する女性の中では。もちろん私は金持ちでも若くも美人でもないし、「すらりと脚が長く中性的」というクリスティーンとは体型も似ても似つかないけど(笑)。

(p122〜p124)二人は家に戻って夕食をとり、クリスティーンはスティーブンに幻のコンゴクジャクの羽をプレゼントする。

スティーブン、今日あなたは、アオサギとヨタカとコンゴクジャクで三度も私を喜ばせてくれた。結婚していただけないのは残念だが、気の進まない理由はよく理解できる、と言う。

クリスティーンはプロポーズされた時の動揺からかなり立ち直った様子。「もし承諾していたら、具体的にどうなさるつもりでしたの?あなたはこれから長い大事な航海に出られるのに…娘さんのこともあるし。お嬢さんはおいくつですか?」スティーブン、「年はよく分からないが、まだとても小さいことはたしかだ。(承諾してくれたら)英国へ行ってもらって、娘の面倒を見てくれているソフィー・オーブリーのところに滞在していただき、私が海から帰ったら、それからのことはその時考えようと思っていた」と答える。

その時、スティーブンの懐中時計が夜中の12時を告げる。クリスティーンはその時計を美しいとほめる。スティーブンは、彼女が時計に魅了されている様子なので、今日のお礼にと言ってプレゼントする。クリスティーンはもちろん遠慮するが、スティーブンは時計を置いてくる。


コンゴクジャクはこちら。当時はまだ噂だけで、実際に標本を持ち帰って論文を書いた学者はいないという「幻の」鳥だったそうです。クリスティーンがスティーブンにプレゼントしたのは、フランシスコ修道会の宣教師兼博物学者の神父が、たまたま見つけた屍骸から直接抜いた羽根だそうで。

その宣教師の話と、フキナガシヨタカの羽が当地の部族の「ジュー=ジュー」(お守り、呪術の道具)として珍重されているという話の中で、クリスティーンは「アフリカに長く暮らすほど、アフリカ人について知るほど、私の宗教観はむしろ汎神論に近いものになっていて、それが宣教団をひどく怒らせることがある。でも私の方も宣教団は好きじゃないのでかまわない」と言っていました。この台詞、初めて読んだ時は別になんとも思わなかった…むしろごく自然なこととして聞き流していたような気がするのですが、今回再読している時に、待てよ、これは当時のヨーロッパ女性としては(いやたぶん男でもですが)、けっこう凄い台詞なんじゃないかな、と思ったのです。

クリスティーンって、考えてみればすごく面白いキャラクターかもしれない。この後あまり登場シーンがないのは残念です。

それにしても、スティーブンったら、自分の娘の年齢ぐらい覚えておきなさいよ(笑)。まあ、これは例によって、歴史的時間の流れと個人的時間の流れが矛盾してしまっているというこのシリーズの事情によるものなんですけど。

(p124〜p126)スティーブン、その夜はクリスティーンの家に泊まる。翌朝早く朝食をとっているとクリスティーンが起きてきて、「あなたを悲しませてしまってごめんなさい」と言う。スティーブンは「あなたのもっと悲しい理由について、私は何も存じませんでしたから」と答える。「でも、これだけは言わせて下さい。結婚は必ずしも相手を所有することではありません。まして支配などではない。」

「スティーブン、あなたはこれから長い航海に出られるのですよね。その間に、私、ゆっくり考えてみてもよろしいですか?もしかしたら、私ももう一度、普通の女のように考えたり感じたりできるようになるかもしれません。もちろん、あなたは拘束をお感じになる必要はまったくありません。」

クリスティーンは近々、ポルトガルの商船に乗って英国に一時帰国する予定にしている。オーブリー家の方々に手紙を届けることを申し出る。スティーブンは礼を言い、二人は心のこもった挨拶をして別れる。


彼女の家に泊まったといっても、別々の部屋です。当たり前か。パジャマも何も持っていなかったので、寝るときはすっぱだかのスティーブン。裸族のスティーブンは、もともとその方が好きそうですね。船の上ではそういうわけにはいかないのでしょうけど。

クリスティーンは当時のレディには珍しく、時にはメイドさえ連れずに、気軽にカバンひとつで世界を旅することのできるタイプみたいです。まあ、お金があればこその話ではありますが。

(p126〜p133)帰り道、コーヒーを飲みに喫茶店に寄ったスティーブンはジェイコブと会う。ジェイコブ、サプライズ号はフリータウンに入港しているほかの2隻の英国艦と、クリケット、ボクシング、ボートレースの対抗試合を始め、うるさくてかなわないので逃げてきたと語る。このうちボクシングの試合ではホレイショ・ハンソンが見事に勝ち進んでいると言う。

スティーブン、ジェイコブの現地の知り合いに頼んで、来月出航するポルトガル商船のクリスティーンの予約した部屋を花でいっぱいにする手配をする。

スティーブン、艦に戻ってホレイショの手当てをする。彼は額に1針縫う程度の傷を負っているが元気いっぱいである。

スティーブン、ニコニコしながら「どうだった?」と聞くジャックに、イエスとは言ってくれなかったがよく考えてみると言ってくれた、希望はありそうだと言う。ジャックとスティーブン、シャンパンで乾杯する。

ホレイショ・ハンソン、3艦対抗のボクシング試合でチャンピオンになる。


プロポーズは断られたものの、別れ際には希望のありそうな返事をもらって、明るい気持ちでクリスティーンの家を後にしたスティーブン。偶然会ったジェイコブに、「顔が太陽のように輝いている」と言われています。意外と、感情を隠すのが下手なスティーブン。それとも隠す気がないのか。ジェイコブさんの観察力が鋭いのか。

ホレイショは、意外にもボクシングに才能を発揮。ボクシングっていえば、ボンデンがかつて艦隊のチャンピオンになったことがあったのですね。ああ、また思い出してしまった…