Chapter 1 〜 ヘニッジとジャック


このシリーズは1巻〜4巻までは「一話完結」で、その後は巻と巻の間で話が切れずに繋がっています。しかし、繋がっている中にもいくつか「節目」があり、それが7巻、11巻、そしてこの17巻です。

7、11、17巻では、いずれも長い航海の後でジャックとスティーブンが英国に帰ってくるのですが…なぜかいつも、「帰ってきて、家族としばらく団欒して、次の航海に出る」という平和な話にはならないのです。むしろ英国で過ごす時の方が、疾風怒濤というか、人生の転換点というか…それがこのシリーズの特徴なのでした。

7巻は主にスティーブン、11巻は主にジャックの「転換点」でしたが、17巻は…あ、先走りすぎですね。

そういえば、私がこの感想を書き始めた当初は「とりあえず7巻まで」の予定でした。で、8巻以降を書き始めた時は「11巻が書きたいから」でした。それ以降は特に何も考えていなかったのですが、思えば、「17巻を書きたいから」というところもあったかなあ。特に好きな巻だからこそ、余計に書きにくい面もあるのですが。

17巻の題名は「The Commodore」-艦隊司令官。題名通り、ついにジャックは艦隊司令官になります。(ちなみに、ホーンブロワーにも同名の巻がありました。邦題は「決戦!バルト海」)

「ついに」って、4巻でもなってなかったかって?そうなんですけど、あの時は「二級(Second Class)」のCommodoreでした。今度は「一級(First Class)」です。

一級と二級のどこが違うかというと、まず最大の違いは、下に旗艦艦長がいるかどうかということ。つまり、一級の艦隊司令官は旗艦の艦長職を兼任せず、艦隊全体の指揮に集中するわけですね。

軍服も違って、二級は基本的に勅任艦長と同じ軍服なのですが、一級は少将(rear admiral)と同じ軍服で、肩章には錨と星二つ。例によって軍服は自費で用意するのですけどね。ジャックは今は金持ちだから、問題ないけど。

艦隊司令官の軍服をキリックが並べて恍惚とするシーンとかも、もちろんあるのですが…また先走りすぎですね。

16巻は、ホーン岬付近で舵を失って漂っていたサプライズ号が、幸運にもヘニッジ・ダンダス艦長のベレニス号と出会ったところで終わっていました。17巻は、この2隻とベレニス号のテンダー(※)リングル号が、いよいよ英国に近づいた辺りから始まります。

もちろんサプライズ号は、ベレニス号からもらった装備で舵とマストの修理を済ませていました。サプライズ号の方はお礼として、軍医を失っていたベレニス号のためにドクター・マチュリンのサービスを提供したのですが…医者の助けは大いにありがたいとはいえ、船乗り的価値観では医者よりマストと舵の方が遥かに上なので、サプライズはベレニスに頭が上がらない状態なのでした。

とは言え、幼馴染の親友ジャック・オーブリーとヘニッジ・ダンダスの仲には、そんなことはまったく影響を及ぼしていないようです。今夜は、サプライズ号でのディナーの後、二人でバックギャモンをして、ダンダスが大負けしたところ。

テンダー、補給艦(tender):戦列艦など大型の軍艦に付属し、陸や艦隊の他の艦と行き来しつつ装備の補給や連絡にあたる、小回りの効く小型艦艇。

ジャックとヘニッジ・ダンダス、サプライズ号でバックギャモンをしながら昔話をする

「よろしい、彼女は君のものだ。」「ありがとう。」

「彼女」とは、ベレニス号のテンダー、リングル号のこと。これはダンダスの個人所有物だったのですが(海上を無人で漂っているところを見つけたらしい)、バックギャモンのカタにジャックが巻き上げた…いや、勝ち取ったところ。

「そういえば、あれはベレロフォン号の士官候補生だった時だったなあ。あの時の傷がまだ残っているよ。」ジャックは袖をまくって、腕の傷を見せました。二人は士官候補生だった頃、バックギャモンで「イカサマした、しない」で大喧嘩になったことがあったのでした。

二人は決闘をしようと決め、小島に甲板磨き用の砂を取りに行かされた時にこっそりカットラスを持ち出し、水兵が作業している間に決闘したのでした。

少しばかり刃をぶつけあった後、「おおヘン、何てことをするんだ」とジャックが叫び…友達の腕から血が吹き出しているのを見て、ヘニッジは泣き出してしまいました。

傷をシャツで巻いて艦に戻った時、一部始終を聞いた艦長は激怒し、二人は嫌というほどお尻を叩かれたのでした。「ヘン、君の方がたくさんわめいていたぞ。ハイエナみたいだった。」

士官候補生時代のジャックとヘニッジ。12〜3歳ってとこかなあ。ほんと、お馬鹿でかわいいです。ジャックの身体中に残る傷跡は「名誉の負傷」みたいでかっこいいけど、実はこんなマヌケな由来のものもあるのですね。

ヘニッジ、ジャックに借金する

しばらく楽しく話していた二人ですが、ジャックはダンダスの様子がちょっと変なことに気づきました。「ヘン、どうした?艦に女を乗せているのか、どこか目立たない場所から上陸させてやろうか?」「いや、今回はそうじゃないんだ。」

ダンダスさんが言いにくそうに告白したところによると、彼は借金があって、このまま英国に上陸すれば即逮捕、スポンジング・ハウス直行だそうです。兄のメルヴィル卿には、「このwhoremonger(漁色家)」と罵られて家を追い出されたので借金を申し込めないし…そもそも借金が出来た理由というのが、「ある若い女性」と彼女の雇った弁護士に訴訟を起こされ、スッテンテンにされたことらしい。もちろん本物のビンボーになったわけではなく、後払いの給料をもらって相続財産の一部を処分すれば、十分カバーできる額なのですが…とりあえず今は現金がない。

このシリーズの登場人物で、女で身を滅ぼすとしたらバビントン君かと思っていましたが、上手がいましたね(笑)。

ジャックはもちろん借金を快諾し、拿捕船から押収した金貨で1000ポンド渡しました。まさか現金でもらえると思っていなかったダンダスは大喜び。ジャックに感謝しているところへ、リードが「正体不明の船が現れた」と報告に来ました。「74門艦らしいのですが、夜間秘密信号への返答が間違っているのです。」

スティーブン、帰国を目前にびびっている

その頃、スティーブンは…眠れないまま寝台に横たわっていました。

娘の誕生を聞いて以来…いやその前から、あれほど英国に帰るのを楽しみにしていたのに、現実に帰国する日が近づくと、心の奥底の押し込んでいた不安がどんどん表面化して…ダイアナと離れて、もう何年も経ってしまった。お互い変わってしまったかもしれない…

「何年も」というのが正確に何年であるのか、例によってはっきり書かれていない上「どっちも1813年」であるので分かりにくいのですが…だいたい3年ぐらいではないかと思います。

いろいろ考え込みながらうとうとしている所へ、「戦闘配置」の命令が来ました。

救護室で準備していると、リードが来て戦闘配置の解除を告げました。「英国海軍のサンダラー号だったのです。夜間信号をうっかり間違えたそうです。…すぐ提督にしてやると言われても、その信号担当海尉の立場にはなりたくないですね!」

早くも、提督になることまで考えているらしいリード君15歳(<多分)。

ベレニス号とサプライズ号、英国海軍戦列艦サンダラー号と出遭う

英国海軍戦列艦サンダラー号では、信号担当海尉だけでなく、艦長のフェローズも青くなっていました。

このフェローズさん、勅任艦長名簿の序列はジャックやダンダスより上で、順調に行けば次の人事で「青色艦隊少将(rear admiral)」になる人です。

ここで…あまり自信ない方面ですが、提督の階級について少しおさらいを。(ジャックが提督位に近づくにつれて、今後ちょくちょく出てくるので。)

何度か出てきているように、海軍では勅任艦長になれば、後は特に手柄を立てなくても、上の人々が死ぬか引退すると先任順位(勅任艦長任官日の順)で自動的に階級が上がってゆきます。その出世の頂点が将官クラス(flag rank)。将官クラスの内容は、下から:

青色艦隊少将(准将)(rear admiral of the blue) → 白色艦隊少将(- of the white) → 赤色艦隊少将(- of the red)
青色艦隊中将(vice admiral of the blue) → 白色艦隊中将(- of the white) → 赤色艦隊中将(- of the red)
青色艦隊提督(大将)(admiral of the blue) → 白色艦隊提督(- of the white) → 赤色艦隊提督(- of the red)

…ときて、アガリは海軍元帥(admiral of the fleet)
艦隊の色の旗を少将はミズンマスト、中将はフォア、提督はメインに掲げ、海軍元帥はユニオン・ジャックをメインマストに掲げます。

ひとつややこしいのは…日本語ではadmiral=提督ですが、英語ではrear admiralもvice admiralも含めた総称としてadmiralを使うこと。だから、例えばネルソンは亡くなった時、白色艦隊中将(vice admiral of white)でしたが、もちろんAdmiral Nelson(ネルソン提督)と呼ばれていました。提督(admiral)というのは、「大将」位を指すと同時に海軍の将官クラス全部を指す総称でもある…と考えればいいのかな。どうも、帆船用語もそうなんですが、英語だけの方が分かりやすいです、わたしには(汗)。

参照:Royal Navy rank flags

しかし。ここで落とし穴が一つあるようです。将官になるのは順番で、死にさえしなければ必ずなれるとは言え、このタイミングでドジをすると、青色艦隊ならぬ「黄色艦隊少将」になってしまうそうです。

「黄色艦隊」というのはこの世に存在しない艦隊。つまり、階級だけ少将になって実際に指揮する艦隊はなし、ということらしい。「艦なし艦長」の将官クラス版ですね。赤・白・青以外なら何色でもいいのに「黄色」なのは、やっぱり「臆病」という意味のある色だからかな。たしかに、「金色艦隊」とか「黒艦隊」とか「桃色艦隊」とかだと、なんか別のイメージになりそう(笑)。

解説が長くなってしまいましたが、つまりこのフェローズ艦長も、勅任艦長名簿上位の他の艦長同様、「黄色艦隊少将」になることを死ぬほど恐れていて、戦々恐々としているのでした。つまり、先任順位は下とはいえ、海軍で絶大な影響力をもつ艦長ふたりを怒らせてしまったかもしれないから。

ダンダスは第一海軍卿の弟だし(兄弟仲の悪さは他人は知らない)、オーブリーは何と言っても議員なので。おまけにマチュリンは王子の治療をした医者だし、サンダラー号の乗客の海軍省の役人が、なぜか彼を呼ぶように言っている…

というわけで、3人が朝食に招待されてサンダラー号に行った時、艦長は精一杯ご馳走を並べて迎えたのでした。しかし、ジャックとスティーブンは朝食の内容より、コーヒーがないということが大いに不満。スティーブンがさりげなく「コーヒーはありませんか?」と訊くと、フェローズは艦中を探させるのですが、結局ありませんでした。

どうやら、この艦の軍医が「コーヒーは神経を緩ませるから良くない」と言ってココアを推奨しているようです。2巻のライブリー号もそうでしたね。当時流行りの理論なのか?しかしドクター・マチュリンも、「身体によい嗜好品の選択」という点では決してあてにならないのですが(笑)。

スティーブン、サプライズ号と別れてスクーナーのリングル号でロンドンへ向かう

ベレニス号とサプライズ号は、途中で給水した時に帰国途中の軍艦に会っていて、その艦が先に英国へ帰っていたので、二隻が帰国間近であるという情報は海軍省に届いていました。なので、サンダラー号にはマチュリン宛とダンダス宛の手紙が載っていました。

ジャック宛は残念ながらなかったのですが、ダンダスへの兄からの手紙に彼のことが書いてあったそうです。サプライズが帰国間近と聞いて喜んだメルヴィル卿は、このようなイレギュラーな任務を引き受けてくれたお礼として、帰国したら艦隊を用意して、彼を艦隊司令官に任命する用意があると。

それをダンダスから聞いたジャックは、もちろん大喜び。「一級の艦隊司令官だ!アフリカ沖で奴隷貿易を妨害する任務だから、スティーブン、君も賛成だろう。」「そうだな。…ところで、出来るだけ早くロンドンへ行きたいのだが…」サンダラーの乗客の海軍省役人(実はサー・ジョセフの部下)から受け取ったサーの手紙には、「可及的速やかにロンドンへ来るように」と書いてありました。「それなら、リングル号に乗り換えるといい。」

バックギャモンのカタにジャックが勝ち取ったリングル号は、縦帆と横帆の両方を備えたトプスル・スクーナーで、「ボルティモア・クリッパー」と呼ばれる細長い船体の快速艇。特に向かい風の場合は、ベレニス号はもちろんサプライズ号よりずっと速く走れるのです。

リングルという船名には、ちょっとした由来があるのですが…この章は解説が長くなりすぎたので、また後で。

リングル号はプリングズの指揮でポーツマスへ向かいました。二隻を急速に引き離すリングル号。狭い甲板に立って、だんだん小さくなるサプライズを見ながら、スティーブンは妙に感傷的になっていました。サプライズ号は、彼がその人生でどんな家よりも長い時間を過ごした場所で、もはや彼の「家」そのものになっていたから…

スティーブンは海軍に入るまで、ひとところに落ち着いて長く過ごしたことがないのですね。幼い頃から流浪の人生だからなあ。ジャックは、子供時代はずっとウールコム・ハウスだし、結婚してからは(家をあけることが多いとはいえ)ずっとアッシュグローブだから、サプライズ号が「一番長く過ごした場所」ってことはないでしょうけど。

ジャック、アッシュグローブに帰るが家族は留守

リングル号を見送った後、サプライズ号はベレニス号とも別れてシェルマーストンに入港しました。すぐに馬車でアッシュグローブに急ぐジャックですが、我が家に着いてみると、家族はウールコム・ハウスへ行ってしまって留守でした。またもタイミングが悪く、がっかりするジャック。

厩に残っていた馬に乗って、ウールコムへ向かうジャック。馬は不機嫌そうで、おまけに途中で激しい雨が降り出しますが、もうすぐ会える家族のこと、もうすぐ自分のものになる艦隊のことで頭が一杯、幸せ一杯のジャックは気になりませんでした。

しかし、馬の方は大いに気にしていて…突然、鼻先を鳥が飛びぬけ、馬は驚いて横に跳ねました。ジャックは馬から放り出され、地所の境界を示す石に頭をぶつけて昏倒しました…