Chapter 7 〜 奴隷船


ジャック、秘密命令書を開く

艦隊司令官や艦長が受ける命令書の中には、秘密を守るため、「緯度XX、経度XXに達したら開封せよ」といういう条件がついているものがあります。今回、オーブリー艦隊司令官もそのような秘密命令書を受け取っていました。

ジャックはこの命令書を開けるのを楽しみにしていました。この艦隊には、奴隷貿易を妨害するという以上の使命があるのではないかと期待していたからです。奴隷船を相手にするには、この艦隊の勢力は大げさすぎるし…寄航したリスボンで読んだ英国の新聞が、「人間の血肉を取引する人道にもとる貿易に鉄槌を下すため、英国海軍オーブリー艦長が正義の出動」などと、わざわざデカデカと書きたてていたのも、なんだか怪しいと思っていたので。

英国は植民地でも奴隷制を取っていないとはいえ、奴隷貿易を禁止したのはたった6年前のくせに、まあ偉そうに言うものだ、とは思いますけど。でも…英国が奴隷制に反対するのが、人道的というより政治・経済的な理由であるにせよ、ジャックの任務が本来の目的のカモフラージュを兼ねていたにせよ、とにかく、奴隷貿易を止めようとする勢力があることは良いことだと思います。

ジャックは、自分とプリングズと航海長の測定がぴったり一致し、命令通りの緯度経度に達したと100%確信できるまで、命令書の開封を我慢していました。これは命令を忠実に守る気持ちというより、彼なりの「縁起かつぎ」なのですが。

ついに命令書の厳重な封を開いた時、彼の顔は喜びに輝きました。「奴隷貿易を妨害した後で、アイルランドに向かうフランス艦隊を阻止せよ」という命令だったからです。(スティーブンはとっくに知っていたことですが。)そこには、在フランスの英国諜報員からもたらされた情報(アイルランドのバントリー湾に陸軍部隊を運ぶフランス艦隊の出航予定日時とランデブー地点)と共に、「政治・外交的事柄についてはドクター・S・マチュリンに相談すること」という、いつもの一言が記されていました。

ジャック、奴隷貿易について知識のある士官を探し、ヒューエルという航海士を見つける

フランス艦隊との対決に、すでに心がはやるジャックですが、だからと言って任務の第一段階をおろそかにするつもりはありません。むしろ、限られた時間で最大の効果を上げようと心に誓います。そこで艦長を集め、奴隷貿易について知識のある士官はいないかと訊きましたが、残念ながら名乗り出る者はいませんでした。

しかしその後、オーロラ号のハワード艦長がスティーブンのところへ来て「正確には『士官』でないので言わなかったが、オーロラ号の航海士(士官候補生)のヒューエルが商船オーナーの息子で、平時にはトーマス艦長の奴隷貿易船に乗っていたことがある」と告げました。「奴隷船がつくづく嫌になって、海軍に戻れてほっとした、と言っていたよ。」「トーマスが奴隷船を所有していたとは知らなかった。」「持っていたのは彼の家族だ。奴隷貿易が禁止されてから、彼はこの事をひた隠しにしている。」

というわけで、ジャックはヒューエル航海士を呼んで話を聞くことにしました。ヒューエルはもう35歳の、天然痘と砲の暴発で負った火傷のせいでひどく醜い顔をした万年士官候補生でした。海尉に任官できなかった理由は顔が醜かったからではなく、無能だったからでもなく、「紳士として不合格」と見なされたから…そして、曾祖母からアフリカ系の血を引いていることで差別されたからでした。

ヒューエル航海士、艦隊司令官とドクターに奴隷船のことを説明する

ジャックに「奴隷貿易の一般的なところを説明してほしい」と言われたヒューエルは、物怖じせずに艦隊司令官の目を見つめ、話を始めました。その「一般的なところ」と言うのは、まあ想像できるとおり酷いものなのですが、まとめると…

高さが約70-75cmほどしかない、戸棚のような「奴隷甲板」に人間を詰め込めるだけ詰め込んで(通常約500人)、外に出すのは昼だけ。夜の間は排泄物もそのままで、昼に水を流すとはいえ、風下1マイルに悪臭が漂うので、すぐ奴隷船だとわかる。当然伝染病がはびこり、そうでなくても衰弱と絶望がはびこり、毎日何十人もの死体が海に捨てられ、2ヶ月ほどの旅で、まあ3分の2ぐらい生き残れば御の字という商売。

「もう少し人道的な扱いをして、生き残らせた方が利益も上がると考えるだけの頭のある者はいないのか?」スティーブンが質問しました。「『高品質の商品』を自慢にしている業者もいますが、少数派です。奴隷貿易が禁止されてから値が高騰して、3分の2でも十分に利益が上がります。それに、もし風に恵まれて早く着けば大もうけですから、ほとんどは詰め込めるだけ詰め込んでいます。」

「船の種類は?」とジャック。「ほとんどはスクーナーです。スペインの旗をあげて(スペインは我々の法律の範囲外ですから)…監視艦隊がいなくなってから、以前の業者がかなり戻っています。連中はこの辺の海岸をよく知っています。」「君は?」「はい、ほとんどは。」

「それでは、プリングズ艦長と航海長と書記を呼んで、これからの航路を決めよう。ドクター、これからは陸上者にはつまらない話になるから…」「どうして私が陸上者なんだ?骨の髄まで船乗りじゃないか。しかし、そろそろ病室に行かなくては。ミスタ・ヒューエル、君には後でゆっくり、アフリカの動物の話を聞かせてもらいたい。」

航海士という身分で、雲の上の人である艦隊司令官のキャビンにいきなり呼ばれたのに、なかなか度胸の据わっているヒューエル君。若い頃に「この世の地獄」を目撃したのと、海軍でずっと不当な扱いを受けてきたせいで、いい意味で開き直って冷静な人間になったのでしょうか。なんだか好感の持てる若者です。(当時の35歳は若者とはとても言えないのですが…他に何と言ったら。)

ダフ艦長の「性癖」、ステートリー号で問題を起こしている

さて、前章でキリックが(夫婦喧嘩の話の前に)ちらりと言っていた通り、ジャックの艦隊には問題艦が二隻あります。ひとつは、横暴かつ無能なトーマス艦長のテームズ号ですが、もうひとつ、ある意味もっと大きな問題なのは、困った性癖を持つダフ艦長のステートリー号でした。

海軍と同性愛というのは、「つきもの」のように言われることもあるのですが、もちろん公式にはバレたら死刑の重罪。とはいえ、少なくとも士官の場合、同性愛者であるというだけなら、嫌われたり陰口を叩かれることはあっても、なんとなく「黙認」されていることもあるようです。

しかし、それはあくまで「軍艦の上では出さない」が前提条件。艦の上で誰かと愛し合ったり、ましてや部下に手を出すなんてもっての他。まあ、当時も現代も、相手が男でも女でも、それがダメなのは当たり前ですよね。セクハラはいけません。だから、同性愛自体は何とも思わない私でも、ダフさんにはちょっと同情できないのでした。

もちろん、ステートリー号の士官たちにとっては、「同情できない」どころの騒ぎではなく…ある日、スティーブンはステートリーの軍医から相談を受けました。「ダフ艦長は夜な夜な、お気に入りの若い水兵を艦長室に呼び、しかも彼らを露骨に贔屓するので、規律がめちゃくちゃになりかけている。でも公式に告発したら、艦のみならず艦隊全体にとって大きなダメージになってしまうので、それは避けたい。ドクターから艦隊司令官になんとかするよう頼んでくれませんか。」

スティーブンは「それでは密告者になってしまうし、第一、ダフ艦長が実際にそんなことをしているかどうか、私は直接知っているわけではない」と、彼らしい理由で断るのですが…

その日の午後は旗艦でディナーが行われ、艦長たちが集まりました。ステートリーの艦長艇のクルーは、艦長の「お気に入り」と見られる青年水兵たちが揃い、全員がリボンを縫いこんだぴったりしたズボンなどでピカピカに着飾っています。

その隠微な意味にはまるで気づいていない艦隊司令官は、それを見て豪快に爆笑しました。「ダフ艦長、その若いレディみたいな服装に気をつけないと、戦時条例29条違反だってからかわれるぞ。ははは!」

ディナーの席で、スティーブンはハワード艦長と海兵隊長と文学の話を楽しみました。新しい文学に詳しい海兵隊長によると、最近出版されたジョン・ポールトンの小説が、ロンドンでたいへんな評判になっているそうです。「ドクター・マチュリンと同じ名前の人物に捧げられていますが、ご親戚ですか?」(14巻のポールトンさん、小説を完成させて出版したのですね!しかも評判は上々のようで、めでたいことです。)

文学談義に花を咲かせながら、彼は時々ダフ艦長を観察しました。ダフは評判の戦士だし、背が高くハンサムな、明るい感じのいい人物で、彼の士官たちが懸念するような性癖を思わせるところは微塵もない。しかし、もし士官たちが正しいとしたら、先程のジャックの他意のない一言が、十分な警告になってくれればいいが…

ジャックとプリングズとヒューエルたち、奴隷船妨害の計画を練る

フランス艦隊のランデブーには死んでも遅れたくないジャックは、早めに任務の第一段階を切り上げたいと思っています。しかし、これだけの宣伝に送られて出航した以上、奴隷貿易に対する警告を手っ取り早く派手にぶち上げなければなりません。それにはまず、奴隷船を見つけなければ。

ベローナの海尉には、結石で(スティーブンの手術の甲斐なく)死んだ副長の欠員があったので、ジャックはヒューエルを海尉心得に昇進させました。(これは、同じ欠員を狙っていたベローナの士官候補生たちをがっかりさせました。艦隊司令官直々の任命は、確実に正式昇進に繋がるので、人も羨む特権なのです。)アフリカ海岸の地理と奴隷船の動きに詳しいヒューエルから話を聞きつつ、ジャック、プリングズ、航海長、アダムス秘書はキャビンにこもり、入念に計画を練っています。

艦隊、最初の奴隷船を拿捕

ある早朝、キリックに寝床から引っ張り出されたスティーブンが甲板に行くと、みすぼらしい商船が艦隊に囲まれて止まっていました。あたりに漂う異様な臭気のせいで、すぐに奴隷船とわかります。スペインの旗を揚げた奴隷船の甲板では、裸の女や子供たちが不安そうにしています。

「ナンシー号だ。ヒューエルによれば、英国の奴隷船だったが、その後売られたそうだ。」ジャックがスティーブンに言いました。「船長の国籍と、書類を調べてほしい。外国語かもしれないから。」(ニセモノだったらいいなあ)と、彼は小さい声で付け加えました。というのは、艦隊は奴隷船全部を取り締まれるわけではなく、国籍によって許可を受けている船もあるので、この奴隷船が本当にスペイン船籍なら、このまま行かせなければならないのです。

船長は通訳を連れてベローナに乗艦しました。「英語は話せますか?」プリングズが訊くと、船長は「すこーしだけ、セニョール。これ、通訳。」と答えました。「スペイン語なら話せますね?」とスティーブン。「シー、シー、セニョール。」

スティーブンは船長とスペイン語で二言、三言話すと、パスポートを海に放り投げました。「偽物だ。こいつは英国人だ。スペイン語も話せない。拿捕してかまわない。」

ジャックとスティーブンとヒューエル、奴隷船を調べる

ジャック、スティーブン、ヒューエルの三人は奴隷船に向かいますが、ジャックはその悪臭と、女の子二人の死体が海に投げられ、それをあっという間にサメが食べ尽くすのを見て青くなりました。

黒人たちは、「別の人に捕まって、今より状況が悪くなるのでは」と怯えている様子。彼らが「助かった」ことを、ヒューエルがいろいろな部族の言葉で説明するのですが、誰も信じてくれないようです。

甲板にいたのは女と子供だけだったのですが、ハッチが開けられると、奴隷甲板に閉じ込められていた男たちがよろよろと出てきました…まだ動ける男たちが。「あとは病人ですね。ドクター、行きますか?」ヒューウェルが冷静に言いました。

スティーブンは刑務所や精神病院や救貧院のひどい病室を見た経験があり、ヒューウェルは奴隷船の経験があるので、異様な臭気が漂い、病原菌がうようよしていそうな奴隷甲板にも落ち着いて入って行くことができました。

しかし、ジャックには、これに似た経験がまったくありませんでした。大海戦のときのガンデッキは、それはそれで「地獄」だが、これとは種類が全然違う…彼はぐらぐらする頭をかかえ、それでも勇気をふりしぼって、頑固に二人の後をついて行きました。

ジャック、奴隷船の船員たちに掃除をさせる

病人の手当てを始めたスティーブンたちを残し、甲板に戻ったジャック。奴隷船の船員たちに「鞭を海に捨て、モップを持って下を掃除しろ」と命令した後、ベローナに向かって叫びました。「船長を戻らせろ。それと海兵隊、武器係、軍医助手を呼べ。」舷側を登ってきた船長に、彼はモップを押し付けて言いました。「このモップを持って、下へ行って掃除しろ。下を掃除、下を掃除だ。」

奴隷船員たちが、それはそれである意味腹立たしいほどの従順さで、せっせと掃除をする間、黒人たちは無表情に、何の意味もなさない世界を呆然と眺めていいました。ヒューエルが彼らに解放されたことを説明しますが、理解できないのか、信じていないのか、誰もあまり反応を示さず、ただ運ばれた食事をがつがつと平らげました。

ジャックは奴隷船を海兵隊に護衛させ、ドクターに「必要なものがあったらすぐに運ばせるように」と言い残してベローナに戻りました。スティーブンはキャビンを即席の救護室にして赤痢患者を手当てし、枷で擦りむけた500人以上の手首足首を延々と手当てし、一段落ついたところでヒューエルと話をしました。

「君の経験では、この船はひどい方かね?」「いいえ、とんでもない。艦隊司令官はショックを受けられていたようですが、出航して二週間程度の船としては、ずっとマシな方です。私が見た中で一番酷かったのは、海軍に戻ってから拿捕した船でした。奴隷甲板に200人以上の死体を発見しました。食事も与えず、運動もさせていなかったのです。それに、飢えと病気と絶望の前に、敵対する部族を一緒に詰め込んでいたので、手枷でお互いを殴り殺したのです。」

予想以上の惨状にショックを受けながらも、すぐにきりっとその場の指揮を執ることができるジャックもかっこいいけど、どんなに凄まじいところでも、病人がいるとなるとためらわず入って行けるスティーブンもかっこいいです。プロだ。でも、偽スペイン人の書類を海に投げるところで一瞬だけ、冷静なプロ意識を超えた怒りが垣間見えるのも、素敵です。

それから、ヒューエル君もいい感じですね。彼が海尉になれてよかった。