Chapter 9-2 〜 ポトとクリスティーン


艦隊、奴隷海岸に近づく。

現在、艦隊が接近中の目的地は、その名も奴隷海岸。ウィーダーという悪名高い「積み出し港」でした。

ところが、ヒューエルの報告によると、とうとう艦隊の噂が彼らに追いついてしまい、ウィーダーには奴隷船は(拿捕対象外のスペイン船やポルトガル船以外は)いなくなってしまっているそうです。

ジャックはそれを聞いて喜びました。これまでに拿捕しまくったせいで、どうせこれ以上回航員を出せないし、これで遠慮なくフランス艦隊の方へ向かえるからです。「北へ向かう前に、(残して行く)沿岸艦隊に挨拶して行こう。ついでにあの悪党ども(奴隷業者たち)にも挨拶して、神を畏れる気持ちを吹き込んでやろう。」

スティーブン、ヒューエルにポトをプレゼントされる。艦隊、ロイヤル・サルートをする

ヒューエルは報告を終えた後、艦隊司令官たちと昼食をとり、その後スティーブンと話しました。彼はある港の市場でポトが売られているのを見つけて、ドクターが見たがっていたことを思い出し、買っておいてくれたそうです。ドクター大喜び。

ブリッグ以下の小型艦で編成される沿岸艦隊を除く艦隊は、これでアフリカでの仕事を終え、セント・トーマス(サン・トメ)島およびシエラレオネを経由して北へ向かう予定です。しかし、ジャックは「置き土産」に、もう一度だけ奴隷商人どもを震え上がらせてゆくつもりでした。

英国艦隊が手を出せない国籍の奴隷業者たちと、ヨーロッパの金品目当てに他部族を襲って奴隷に売り飛ばす地元のダホメイ族。彼らに警告を与えるため、ウィーダー港へ実弾を撃ち込むことができればいいのですが…そうもいかないので、ジャックは代わりにロイヤル・サルート(21発の祝砲)をぶっ放すことに。

祝砲の口実に使われたのが、皮肉なことに、その日がたまたま誕生日だった「H公爵」でした。王族の誕生日には軍艦はロイヤル・サルートを撃つことになっているし、H公爵は「まあ大雑把に言えば王族に含めてもいいかも」という身分の人だったので。思いがけないところで敵の名前を聞いて、ふと暗い気分になるスティーブン。

スティーブンの気分とは関係なく、ロイヤル・サルートはジャックの狙い通り効果覿面でした。フリータウンでの砲撃訓練ほどではないにせよ、凄まじい轟音が響き渡り、港に集まって見物していた何千人もの奴隷業者とダホメイ族は、驚いて伏せ、手で頭を抱えるのでした。ちょっといい気味。

スティーブン、ポトを観察しながら順調に回復する。艦隊は順調に航海する。

3巻で、決闘の傷がもとで熱を出したスティーブンは、回復後に大きなカメに癒されていました。そして今回はポト…彼には珍しい動物が何よりの薬になるようです。

ポトというのはアフリカの熱帯雨林に生息する、体長30センチぐらいの霊長類で、夜行性。スティーブンはオーロップの自室に彼女(メスでした)を入れ、ロウソク1本の光で、夜遅い時間をポトと共に過ごしました。

ジャックの心配とはうらはらに、いざ出航してみると風に恵まれ、艦隊は順調に航海を続けました。その間に、スティーブンも日に日に回復してゆきました。水兵たちは、「ポトが艦に幸運を連れて来た」と信じているようです。まあ、風が吹かなかったら今度は「ポトが悪運を連れて来た」になるのでしょうけど。でも、ポトは可愛い生物なので、悪運より幸運の方が似合いそうです。

そのうちに、スティーブンは短い時間なら仕事につけるようになりました。沿岸艦隊の病人を引き取ったベローナには、熱病患者が沢山いました。ほとんどは三日熱とか四日熱とか呼ばれる軽いものでしたが、黄熱病の患者も3人いました。

スティーブンは「黄熱病は感染しない」とまわりの患者たちを説得し、3人には「諦めさえしなければ、治るチャンスは十分にある」と励ましました。現在この言葉を言ってスティーブンほど説得力のある人はいないので、そのお陰もあってか、彼らは気力を回復し、すでに病状がかなり進行していた1人以外は回復に向かいました。

「スティーブン、黄熱病の2人は助かるんだって?君がポトを連れて来て本当によかった。」「ジャック、何てことを言うんだ。君は何て迷信深いんだ。」「ごめんごめん。もちろん、君の薬もちゃんと効果があったんだろう。」

スティーブン、セント・トーマス島で薬を補給する。ステートリー号海兵隊長とテームズ号海尉、決闘する。

ギニア湾の出口にあるセント・トーマス(サントメ)島では、最低限の補給だけしてさっさとシエラレオネに向かうつもりでしたが、「熱病用の薬が底をついている」というスティーブンの訴えに、ジャックは仕方なく上陸を許可しました。

スティーブンが急いで薬を補給する間、この機会を逃さず上陸した人々がいました。以前にディナーの席で、自艦を侮辱した・されたで喧嘩になっていた、ステートリー号の海兵隊長とテームズ号の二等海尉でした。二人は上陸して決闘し、お互いの腹に銃弾を撃ち込みました。

テームズの海尉は病床からステートリーの海兵隊長に謝罪の伝言を送り、海兵隊長は病床で謝罪を受け入れ、二人は和解したのですが…不幸なことに、それは二人にとって「死ぬ間際の和解」になってしまいました。謝るんだったら決闘する前に謝れば、こんな馬鹿げた事にはならないのに、と思うけど…コトが勇気や男らしさに関する侮辱だったので、一度は決闘しないと収まらなかったようです。ハタ迷惑ですね、ダフさんの性癖も。

さらに不幸なことに、二人の和解は他の乗員たちには伝わらず、二人の死によって二隻の対立はますます悪化。事あるごとに、テームズの水兵はステートリーを「女々しいオカマ船め」と罵り、ステートリーはお返しに「索が緩んでいるぞ、もっと帆を上げろ」などと、テームズ号の船乗り技術の低さを嘲笑するのでした。

艦隊、フリータウンに到着。スティーブンたち上陸する

まあそんな問題はあったものの、とりあえずは順調な航海の後、再びフリータウンに寄航した艦隊。すぐに総督からディナーの招待があり、艦隊司令官と艦長たちは艦長艇で陸へ向かいます。

ボンデン率いる、一点の乱れもない服装とオール捌きを誇るベローナの艦長艇乗員は、美しい規律を乱す乗客に嫌な顔をしました−いつもの汚い格好に緑のおんぼろ傘を持ったドクターです。「キリックの奴は何をしてるんだ?」乗員は囁き合うのでした。

彼らの迷惑顔もどこ吹く風で上陸したスティーブン。市場に連絡員を訪ねた後(残念ながら留守でした)、念願の沼に向かいました。汚い傘を日傘がわりに、鳥を探していると、「ドクター!ドクター!」という叫び声が聞こえました。

「医者を探しているようだな。見つかるといいが。」スティーブンはつぶやき、鳥の観察に戻りましたが、すぐに3人の士官候補生と1人の海兵隊員が走って来て、息を切らせて叫びました。「ドクター!艦隊司令官がお呼びです。総督閣下がドクターを招待されました。」「残念だが行けませんと伝えてくれ。」「だめです!」声を揃えて必死に叫ぶ4人。「ドクターを連れて帰らないと、鞭打ち刑だと言われました。」スティーブンはため息をついて、どうやら縁のない沼を後にするのでした。

スティーブン、総督夫人クリスティーン・ウッドと会う

「ドクター、急な招待で申し訳ありません。」ジェームズ・ウッド総督が彼に挨拶しました。「しかし、前回シエラレオネにいらっしゃった時お会いできなかった事で、妻がそれはそれは落胆しまして…紹介します。」見ると、若く美しい女性が立っていました。

「マダム、このようなむさくるしい格好ですみません。」「とんでもない!」ミセス・ウッドはスティーブンの両手を握りしめました。「私はエドワード・ヘザーレイの妹です。ドクターのご本と論文は、全て読ませていただきました。」

エドワード・ヘザーレイはスティーブンの友人で、ロイヤル・ソサエティのメンバーの博物学者でした。シャイな彼は、妹と一緒にイングランド北部の屋敷に住んで、兄妹でイギリスの動植物を研究していました。かつてエドワードはスティーブンに、解剖学、特にコウモリにかけては、妹の方がずっと詳しいと言っていた…「ミス・クリスティーン!お会いできて光栄です。」

ディナーの間中、ミセス・ウッドは総督夫人としての義務を放り出して、夢中でスティーブンと動物の話をしていました。「是非、明日もいらして下さい。私の庭と動物をお見せします。ウタオオタカも、フサオヤマアラシもいますのよ。よろしかったら、私の骨も見てください。」「それは是非。一緒に沼も散歩しましょう。」

「君は運がいいなあ、ディナーで唯一の美人が、君とばかり話していたじゃないか。」ディナーの後、ジャックが言いました。「共通の興味を持っている女性と話すのはいいものだ。おれもミス・ハーシェル(4巻)と望遠鏡の話をする時は時間を忘れてしまうけど…知識があって、しかも美人だなんて!どうしてウッドと結婚したのか不思議だよ。彼はいい船乗だし、いいやつだけど、頭は空っぽだし、歳は彼女の二倍だ。」「他人の結婚はいつも不思議なものだ。」

個人的見解ですが…クリスティーン嬢がウッドと結婚したのは、ひとえに「アフリカに来たかったから」ではないか、と私は疑っています。もちろん動物の研究のために。当時の女性が外国へ行くには、そこへ赴任する人と結婚するのが唯一の方法だし、結果としてその面では思い切りエンジョイしているみたいなので、まあ良いんじゃないでしょうか。でも、観察は思う存分できても、それについて話せる相手がいないのは寂しいかな。スティーブンが来て、こんなに喜んでいるのはそれが理由でしょうね。(少なくとも、彼女の方は…)

スティーブン、クラリッサとブリジッドから手紙を受け取る

シエラレオネにはソフィーから手紙が来ていて、ニコニコ顔のジャック。「君にも来ているよ。ただしスペインから。」

クラリッサの手紙によると、今年のスペインの冬は厳しく、里に狼が下りてきているそうです。でも彼女は元気で、読書をしたり、尼僧たちの聖歌を聞いたりしながら静かに暮らしている。スティーブンの大叔母である僧院長は、彼女とブリジッドにとても親切にしてくれている。ブリジッドは今やお喋りになっていて、英語もほぼ正しく喋るし、スペイン語も少し喋るが、パディーンと話すアイルランド語が一番好きなようだ。字を習ってて、覚えは早いが、どちらの手で書いたらいかわからないようだ…

同封された手紙には、牙をむいた狼の絵と、発音どおりに綴ったアイルランド語で「おとうさま おげんきで ブリジッド」と書いてありました。

言葉も字も覚えが早いらしいブリジッドちゃん。さすがスティーブンの子。(あ、ダイアナも外国語は得意だったかな。)それに、お絵描きのネタは色々あるだろうに、やっぱり「狼」ってところが、スティーブンの血を感じます。あと…ブリジッドちゃんは両利きなのかな?

スティーブンが幸せにひたっていると、ジャックが同じぐらいのニコニコ顔で来て、言いました。「ソフィーからとても素晴らしい手紙をもらった。すぐに返事を書く。"Peccavi"ってどう綴るんだ?」

スティーブン、クリスティーンを訪ねる

その夜、スティーブンが眠りにつく前、クリスティーンのことが頭を離れませんでした。彼を見る彼女の目の輝き、膝に置かれた手。彼女に惹かれているのだろうか?「いや、私の動機は完全に純粋なものだ。彼女は私が安全だと思っているのだろう−私のような中年の、外見の悪い、黄熱病でしおれきった男は。祖父のように…いや、叔父のように思っているのだろう。しかし、彼女と総督府に敬意を表して、明日はキリックにカツラを手入れさせよう。」

こらこらスティーブン…怪しいぞそれは。今現在、ダイアナは行方不明だしなあ。う〜ん…

その翌日は、この地方の乾季に特有の猛烈な砂嵐(ハーマッタン)が吹き荒れたために上陸はできなくなりましたが、幸い短期間で吹き止み、数日後、キリックの手入れしたカツラと清潔な服を身につけたスティーブンは、鳥の標本を花束代わりに抱えて、クリスティーンを訪ねました。

クリスティーンは大喜びで彼を歓迎し、彼女の見事な骨(骨格標本のコレクション)を見せながら、長々と解剖学の話をしました。「私たちが若かった頃、コウモリは霊長類に近いと考えていましたが、今考えると全然違いますね。霊長類の方がずっと面白いです。」

彼女は、以前に飼ってたポトの骨を見せました。「一年半も飼っていました。まだ生きていればいいのにと思います。ポトには情が移るものです。」「ディア・ミセス・ウッド、お願いしてもよろしいですか?」「ディア・ドクター・マチュリン、何でもおっしゃってください。」「私にも情が移ったポトがいるのです。彼女を北回帰線より先へ連れて行くことも、ここで殺して解剖することも、環境の違うこの辺りの森に放り出すこともできません。」

「わかりますわ」クリスティーン、スティーブンの手を優しく握り、「置いて行って下さい。私が細心の注意を払って面倒を見ますわ。もし、私のポトと同様に彼女が死んだら、彼女の骨は差し上げます。

ああ、何と言ったらいいのか、このオタク同士の会話(笑)。

理由はまだ言えないのですが、私はクリスティーンにちょっと複雑な感情があるのですが…でも、嫌いではないのだよなあ、この天然ぶり。人からペットを預かった時、普通言うか、「死んだら骨は差し上げます」って(笑)?でも、スティーブンにとっては当たり前の発言なので、その可笑しさには気づいていないだろうな。クリスティーンは、天然ではあるけど、妙に現実的なところもあると思います。まあ、彼女はそれほどたくさん出てくるわけじゃないので、独断と偏見入ってますけど。

艦隊、シエラレオネを出航して北へ向かう

その後、マーケットの連絡員のところへ寄ったスティーブンは、サー・ジョセフからの手紙を受け取りました。諜報活動用の暗号で書かれた手紙が3通、彼とサーとの個人的通信用の暗号で書かれた手紙が1通。

諜報用のうち最後の1通には、「フランス艦隊の動きは予定通りだが、出航が1週間早まった。アメリカから戦列艦が一隻来る」と書いてありました。個人用暗号の手紙は、サーがどこかで暗号を間違えたらしく、中に「ダイアナ」という言葉が含まれているらしい、という以外は意味不明になっていました。

それは後にして、彼はフランス艦隊のことをすぐにジャックに報告しました。「間に合うように聞けてよかった。すぐに出航する。」

その後12時間で、艦隊は大急ぎで出航準備を整えました。スティーブンも大急ぎで、クリスティーンのところへポトを連れて行き、別れの挨拶をしました。不思議に辛い別れでした。若い女性で、これほど彼に親切にしてくれた人は他にいなかった…