Chapter 7〜ワークザームハイド号


夜が明けると、前方にワークザームハイド号がいた。オランダ艦は、レパード号と喜望峰の間、風上に立ちはだかっていた。レパード号は総帆を張り上げ、再び南西へと逃れた。その夜も、次の夜も、レパード号は敵艦を撒いて喜望峰に向おうとするが、まるでジャックの考えを読んでいるかのように、朝になるとワークザームハイド号が視界内にいた。

次の夜、敵は斬り込みを試みた。ワークザームハイドは射程距離ぎりぎりで一時停船し、片舷全砲を撃ち込んできた。ジャックは暗闇の中にボートのオールのわずかな動きをとらえ、砲にぶどう弾を装填してボートに撃ち込んだ。オランダ艦がボートの生存者を回収している隙に、レパード号は風下(南)へ逃走した。


「ワークザームハイド号」と言うのは、英語圏の人にも印象的な名前らしく、掲示板で検索してみたらこの艦名がよく話題になってました。このシリーズに出てくる艦は実在のモデルがあることが多いのですが、この艦はほぼ架空のようです。Waakzaamheidは、文字通りの意味では"Wakefulness"だそうです。起きている−眠れない−寝ずの番?

ヘラパスの告白の後、スティーブンはある仕事に取り掛かっていた。ある書類の捏造である。それは英国のフランスにおける諜報活動の詳細と、フランス諜報部内の二重スパイの名前をすべて記した秘密書類−もちろん、偽情報である。彼はそれを、死んだ士官の部屋から発見されたとしてヘラパスに見せるつもりだった。もちろん、彼はミセス・ウォーガンに話すだろう−もし彼女がフランスとのコネクションを持っているなら、この書類はパリに届けられ、フランスの諜報活動に壊滅的な打撃を与えるだろう。

相変わらず常に何か企んでいるドクター。諜報活動では、「敵に間違った情報を信じさせる」ことが出来れば、「敵の情報を得る」「情報を渡さない」ことよりも遥かに大きなダメージを与えられるのですね。こんな大海に浮かぶ船の上で、スパイ活動ができるなんて…

士官集会室で事件が起こった。アルコール中毒のラーキン航海長が、錯乱してハワード少尉を殺したのである。ラーキンは拘束される。スティーブンは思った−本当に、この艦には悪運がついているのかもしれない。

ラーキン航海長のことは、今まで全然書いていなかったので唐突に感じると思います。でも…原文でもこれまでほとんど出てきてないんですよ。「呪われた艦」ということを強調する以外に、この事件がどういう意味があるのか…わたしが読み損なっているのかもしれませんが。動機はハワード少尉のフルートの音みたいです。ハワード少尉のフルートは、スティーブンは上手だと言っていたのですが…航海長には癇に障る音だったのでしょうか。同じ音でも、出しているのが気に入らない人だとうるさく感じることはありますね。

数日後、レパード号は再び喜望峰を目指して北へ転針した。スティーブンは偽書類を完成させ、写しをとるのをヘラパスに手伝わせていた。ミセス・ウォーガンはヘラパスを使って、喜望峰のアメリカ領事館から書類を送らせるだろう、とスティーブンはふんでいた。

「オランダ艦を撒いたと思うか?」スティーブンはジャックに訊いた。「ああ。向こうがおれの考えを読めるんじゃなければな。」ジャックは答えた。実際今までは、そうとしか思えないほど、レパード号の行く先々にワークザームハイド号が現れた。水兵たちは、レパード号に乗っている魔女(ミセス・ボズウェルのこと)が敵の艦と魔法で交信しているのだと噂していた。

そんなある日、レパード号は味方の捕鯨船に出合う。捕鯨船は、ここから喜望峰までの間にオランダ艦らしい船影は一切見なかった、と言った。捕鯨船は鯨を見つけるために、四六時中軍艦よりもずっと目の鋭い見張りをつけている。捕鯨船が見つけられなかったのなら、いないのは間違いないだろう…ジャックはほっとして、船長に酒を奢って別れた。


この頃は捕鯨が盛んだったのね。でも、捕鯨をする目的は鯨油で、肉は食べなかったようです−もったいない。鯨捕りは、遠くの鯨の潮吹きで鯨を見つけるので、特に目が鋭い見張りが必要だったみたいです。捕鯨船についている見張り台のことはCrowe's Nest…いや違った、Crow's nests(カラスの巣)と言うそうです。

ジャックはいつものように艦尾甲板を行ったり来たりしながら、ラーキン航海長とグラント副長のことで憂鬱な考えに沈んでいた。そこへ、見張りからせっぱつまった声が降ってきた。「甲板、甲板!船影を発見!」西北西の方向に、またしてもワークザームハイド号がいた。

レパードはくるりと方向転換し、張れるだけの帆を張って、まっすぐ風下へ向った。ジャックが望遠鏡で敵艦を見ると、艦長の姿が目に入った。青の軍服ではなく、黒い服を着ている。レパード号のボートへの砲撃で、彼の親戚が死んだのだろうか?ひょっとしたら、息子が?

2隻の軍艦は南緯40度台に入っていた。1分ごとに風が強く、波は高くなっていた。レパード号は12ノットで飛ぶように走っていたにもかかわらず、オランダ艦はじりじりと間をつめていた。波が高くなるほど、安定性の高い大きな船の方が有利になるのだ。ジャックは錨索を繰り出して後支索を補強し、張れるだけの帆を張ったが、ワークザームハイド号はもはや千ヤード以内に迫っていた。

この非常事態に拍車をかけるように、ミセス・ボズウェルが陣痛に入り、スティーブンは彼女についていた。波はすでに山のように高く、波と波の間の谷底に無風地帯ができていた。「ドクターから知らせは?」ジャックはコーヒーとサンドイッチを持ってきたキリックに訊いた。「まだです。叫び声が聞こえるだけです。」

オランダ艦の艦首に閃光が見えた。この荒海では、艦を拿捕することは不可能だ。それでも撃ってくるということは、敵の目的は一つ−レパード号を沈め、乗っている人間全員を殺すことだ。


この辺りの海域は、何しろせき止める陸地が全然ないんで、風は吹き放題海は荒れ放題だそうです。普通ならもちろん帆を最低限にして慎重に行くところなんですが、レパードとワークザームハイドは命がけで逃げている/追っているので、双方とも一杯一杯に帆を張っていて、ぎりぎりの状態です。

ワークザームハイドは半マイルに迫っていた。このままでは、艦を軽くするために真水を捨てなくてはならない。ジャックは艦長室の迎撃砲を用意した。この風なら、相手の帆に命中させることができれば、たちまち裂けるだろう。敵の砲撃で、塞いであった艦尾窓が破れ、海水が吹き込んでいた。ジャックたちはずぶ濡れになりながら、火縄の代わりに葉巻の火を使って砲撃を続けた。オランダ艦は目に見えて追いついて来ている。2隻は巨大な波の山を越え続けた。

「ミズン・トップマストがやられました!」バビントンが飛び込んできて報告した。ジャックは水を捨て始めるよう命令した。水を捨てても引き離せないようなら、砲を捨てるしかないだろう。ますます間が狭まり、2隻はもう、同じ波の斜面にいた。敵の弾が3発、レパードの船体に命中した−1発は舵板に近かった。ジャックは砲身ぞいに敵を見つめた。敵の追撃砲が光るのが見え−次の瞬間、凄まじい轟音が響いた。

目を覚ました時、彼はどのぐらいの時間が経ったのかも、何があったのかも分からなかった。彼は艦長室の甲板に横たわり、スティーブンが彼の頭を縫合していた。「じっとしてろ」スティーブンが言った。頭に破片を受けたようだ。「ぼくの声が聞こえるか?」スティーブンが訊き、彼はうなずいた。

ジャックは立ちあがり、よろけた。キリックが支えようとしたが、彼は振り払い、再び砲についた。砲が発射すると、彼は反動で後退する砲をよけそこね、甲板に手をついた。歓声が艦長室を満たしたが、ジャックは一瞬、何が起こったのかわからなかった。レパードの砲弾がワークザームハイドのフォアマストに命中したのだ。敵艦は大きく揺らいだ。2隻は波の山の頂点にさしかかっていた。額から落ちかかる血の霞の向こうに、彼は見た−巨大な艦が横倒しになり、波に呑み込まれるのを。

「おお、神よ」彼はつぶやいた。「600人の人間が。」


レパード号とワークザームハイド号の追跡劇は、全巻を通じても最も印象的なエピソードの一つです。

ワークザームハイド号はなぜ、レパード号がどこへ逃げても現れたのか?なぜ、危険を冒してまで執念の追跡を続けたのか?ジャックの考えた通り、レパード号が艦長の家族を殺したのか?ワークザームハイド号は600人の乗員と共に海に沈み、すべては謎のままで終わってしまうのですが、その謎めいたところが余計に印象深いのです。

このシリーズに出てくる他の敵艦は、艦長の名前とか、ある程度書かれていることが多いのですが、ワークザームハイド号の場合、艦長の姿が望遠鏡越しにちらりと見える以外、乗っている人間のことは、名前をはじめ最後まで一切わかりません。それが、艦自体が生き物であるかのような不気味さを醸し出していて…「激突!」(<スピルバーグの映画)のタンクローリーみたいです。