Chapter 7〜銀のバングルとプロポーズ


ボンベイ。ジャックと乗組員は艦の修理に忙殺され上陸する暇もないが、スティーブンは一人でふらりとボンべイの街へ消えた。聖職者と間違われて油を注がれたり、眠くなったところで適当に寝たりしながら、彼はボンベイを満喫する。彼は水牛の群に迷い込んで踏まれそうになっていたところを助けてくれたディルという名の貧しい少女と仲良くなる。ディルは10歳ぐらいで、男の子のように元気な、しかし早くも母性本能にあふれた少女で、スティーブンの面倒を見ているつもりらしい。彼女と一緒に住んでいる老婆は、彼女を12ルピーで売るといい、処女だと保障した。

ディルちゃん登場。彼女はこの7章にしか出てこないのですが、たった1章にしか出てこなかったとは信じられないほど、存在感のある登場人物です。(や、「面倒を見ているつもり」というより、実際に見ているのかも…)

ジャックは提督に招かれた午餐会で、ボンベイにダイアナが住んでいることを初めて聞いて驚く。ユダヤ人の富豪キャニング(既婚者)とダイアナの関係は、ボンベイのイギリス人社会では格好の噂の種だったが、二人はたまたま旅行に出ていた。ジャックはスティーブンがダイアナやキャニングと顔を合わせて諍いが起こるのを怖れ、二人が帰って来る予定の日までに艦を出航させようと修理を急がせる。

ジャックお父さん(<いつのまにお父さんに?)の心配のタネは尽きません(笑)。

艦に郵便が届く。スティーブン宛のソフィーの手紙には、二人の妹が結婚した事と、ジャックの父のオーブリー将軍が若妻と幼い息子を連れてソフィーの家を訪ねた事が書かれていた。少し酔った将軍は息子の女の趣味を賞賛し、ソフィーもジャックの母親同様、私生児の5、6人は気にしないだろう、オーブリー家の男は金の面で不運なので、結婚の面では幸運でなくては、などと言う。息子の粗野な面だけが強調されたような父親の態度に、ソフィーはショックを受けてしまう。またソフィーは、ジャックがなぜ手紙をくれないのかと嘆いていた。

酔っ払って調子にのり、息子の嫁さん(候補)を思い切り引かせてしまうオーブリー将軍。いつもいつも迷惑をかけることしかしないクソオヤジです。いやほんとに。ついでですが、将軍と若い後妻の息子フィリップくんは2巻の3章で生まれてますので(文に出てくるのは新聞の公示だけですが)、この時は2〜3歳と思われます。フィリップくんはずっと先の巻に、少年に育ってから登場します。

ソフィーの上の妹セシリア、できちゃった結婚。あのお母さんの鼻の下で、やるじゃん。ママの注意がソフィーに向いていた隙に…ってとこかな。下の妹フランシスもちゃっかり玉の輿だし、やっぱりソフィーだけが損している…

ジャックはソフィーの手紙を読み、ジャックがダイアナに会うためにインドに行ったと誤解されていることを知る。スティーブンはジャックに、一刻も早くソフィーに手紙を書けと勧めるが、ジャックはまだ借金を負った身である事を気にして書きたがらない。

ここの二人の会話、とっても好きです。「ソフィーは世界一の美女だ。一方の君は、もういい歳だし太りすぎだし最近ますます太ってきているし立派な肥満体だし傷だらけだし耳はないし、とてもアドニスとは言えない。美貌や富や若さの欠如を埋め合わせるウィットもない」ちょっとスティーブン、そこまで言わんでも。ジャックは一応ハンサムという設定のはず。本人は知らないけど。思わず腹をひっこめたりしているジャックが可笑しい。

スティーブンは、ジャックをダイアナから遠ざけたいと言う利己的な理由でソフィーに手紙を書けと勧めた事に罪悪感を感じる。祭りに出かけたスティーブンはディルと会い、地元の食べ物を食べさせてもらう。そこに、ダイアナが馬車で通りかかる。ダイアナはスティーブンを見て驚くが、喜んで馬車を飛び降り、彼の元へ走ってくる。彼女は家に来て欲しいとスティーブンを招き、ディルに彼を案内してほしいと頼む。ディルは「彼女はあなたを四人目の夫にしたいんだわ」と言う。

ついにダイアナ登場。

このシリーズを読み始めた時はもちろんジャックびいきであった私。それが、いつからスティーブンにより惹かれるようになったのかって言うと、やっぱり2巻でダイアナが登場してからかな。私、こういう絶望的な片想いをしている人に弱いんですわ。そして、こっぴどくフラれても相手を恨んだりしないけなげな人に。

ところで、ここでディルは、スティーブンの食べ方があまりにも下手くそなのを見かねて彼に食べさせてあげます。スティーブンって、男女年齢問わず全ての人の母性本能を刺激するのかなあ(ダイアナは別?)。彼の食べ方は「熊みたい」で、ディルには「どういう育ちをしたの?」みたいに言われますが、手を傷めている上にインド式の食べ方は慣れていないからしょうがないでしょう…と思ったけど、もともとナイフとフォークで食べるのも下手でしたね、彼は。

スティーブンはどうやら方向音痴だと思われているようですね。ダイアナに「(案内なしでは)あなたは迷うわ。」と断言されているし。ダイアナのディルに対する態度はなかなかいい感じ。彼女が、普通のヨーロッパ上流階級の女性とは違うってところを初めて感じさせるシーンです。

スティーブンは、ディルが前から欲しがっていた銀のバングルをプレゼントする。ディルは狂喜する。スティーブンはダイアナを訪ね、二人でインド料理を食べながら語り明かす。ダイアナはスティーブンに、手で料理を食べさせる。彼女はスティーブンの手の傷に気づいて心配するが、彼は「機械にはさまれただけ」と言う。スティーブンはダイアナにディルのことを相談する。買ってヨーロッパに連れてゆくのも、修道院に預けるのも気が進まない、と彼は言うが、彼女のカーストを知らなければ何とも言えない、とダイアナは答える。「…でも、12ルピーっていうのはボラれているのよ、スティーブン。相場は3ルピーってとこね。」

キャニングの商談旅行について行っているはずのダイアナが予定より早く戻っていたのは、途中で退屈して、馬で帰って来たからなんですね。しかし、インドの荒野(たぶん)を一人で何十マイルも馬を飛ばしてくるなんて、かっこいいです。ダイアナ、ここでまた1ポイントアップ。

青のモスリンのパンツスタイルのダイアナがスティーブンの前であぐらをかいて、手でインド料理を食べさせるとこ、さりげに色っぽいシーンです。スティーブンには、けっこう色っぽいシーンがあるのですが、ジャックの方はほとんど皆無。ま、相手がソフィーだからしょうがないか(ソフィーごめん)。ちなみに、手が「機械にはさまれた」って言うのは、字義通りでは嘘ついてないのですよね。さすがスティーブン。

スティーブンはディルのことで悩んでいて、ダイアナに相談。買って引き取ってきれいな服着せてヨーロッパ式の生活をさせて、それで「貧困から救った」って気になったりしないのはスティーブンの良いところではあるんだけど、現実的でないって言えば、その通りかも。(「12ルピーは高い」って言ったダイアナの方が、インドの現実を知っている。善意は感じられないけど。)

ダイアナは大使のスタンホープ氏たちを招待してパーティを催す。大使秘書のアトキンズは酔っ払ってダイアナに馴れ馴れしくからむ。スティーブンはその夜、ダイアナに会いに行くが、彼女は侮辱された気分で落ち込んでいた。彼女は周囲の英国人女性たちからつまはじきにされていること、嫉妬深いキャニングと口喧嘩が耐えないことなど、ボンベイでの生活の窮屈さを愚痴る。スティーブンはひどく緊張しながら、思い切って言う。「僕は結婚を申し込んだ事はない…こういう場合のしきたりを知らないのを許してくれ。でも、もし君が、僕と結婚してくれるなら、この上なく幸せに思う、ダイアナ。」ダイアナは突然のプロポーズに驚き、「あなたは誰よりも大事な友達だけど、私はキャニングと離れられない」と言う。

ばかだなあダイアナは、スティーブンほど夫としてお買い得な人はいないのに…と言う、ちょっと偏った一女性読者の叫びは、もちろんダイアナには届かないのでした(笑)。しかしスティーブン、あまりの緊張ぶりが痛々しい(涙)。

ダイアナは緊張のあまり気分の悪くなったスティーブンを心配し、しばらく休むように言う。二人はしばらく語り合い、ダイアナは彼が所有しているスペインの城の話をして欲しいと言う。「…ロマンティックな廃墟だ−ロマンティックな山に囲まれた−でも、ロマンスで雨は防げない。」

"...but romance does not keep the rain away." これも名ゼリフ。

ちなみに「スペインの城」には空中楼閣とか絵空事、という意味がありますが、なんでスペインなんでしょうね。スティーブンのお城は幻想ではなく、ピレネーにちゃんと存在しますが、屋根のあるところにはメリノ羊が住んでいるそうで。それもいいなぁ。あ、ピレネーの城っていえば、マグリットにそういう絵がありますね。

ダイアナは、プロポーズの返事を「ゆっくり考えたいので、カルカッタでまた会った時に返事をする」と言う。そこにキャニングが帰ってきたので、スティーブンはダイアナの家を辞す。港に帰ると、ボンデンが彼を待っていた。彼の話によると、艦長は乗組員全員に休暇も与えず艦の修理を急がせていて、またドクターがなかなか見つからないので怒りまくっているという。「即座に艦に戻れ」と言うジャックの命令書を無視して、スティーブンはダイアナに手紙を書いてからボンベイの街へ戻って行く。

ジャックの伝言が、普通の手紙じゃなくて完全にオフィシャルな命令書(サインはJackではなくてJno.Aubrey)になっているのが、彼の怒りっぷりを表していてちょっと怖いです。

スティーブンはディルを買う決心を固め、彼女を預かってくれるようダイアナに手紙で頼む。ディルの住むスラム街に行くと、そこでは彼女と住んでいた老婆が薪を買う金を恵んでくれるよう叫んでいて、その前にはディルの亡骸が横たえられていた。銀のバングルを狙った強盗に殺されたのだ。スティーブンは金を出してディルの遺体を引き取り、浜で荼毘に付す。

ここはもう、悲しすぎてあんまり語る気にもなれないんですが、ひとつだけ…

最後にスティーブンがつぶやいている"nunc et hora mortis nostrae"(今も臨終の時も)というラテン語は、カトリックの祈りの一節です。「アヴェ・マリア(天使祝詞)」という、私が幼稚園(カトリック系)で習って意味もわからず唱えていた(もちろん日本語で)お祈りです。

「めでたし、聖寵充ち満てるマリア/主御身と共にまします/御身は女のうちにて祝せられ/御体内の御子イエズスも/祝せられ給う/天主の御母聖マリア/罪人なるわれらのために/今も臨終の時も祈り給え。」