Chapter 10-1〜パッシング・フォー・ア・ジェントルマン


ジャックはイズメイル、ムスターファ、サイアハン・ベイのうち、誰に砲を渡して味方につけるべきか判断するため、3人に順番に面会することになります。なんか、「地元のビジネスパートナーを選ぶため僻地に派遣された多国籍企業のビジネスマン」って感じですが、これが10章の「本筋」です。

しかしこの辺り、あらすじだけ書くと非常に短いのですが、本筋とは関係ないエピソードが合間合間に編み込まれていて、まとめるのが難しいのです。こういう枝葉のエピソードの方が、むしろ本筋よりこのシリーズのエッセンスを表していたりするので。でもそれを全部解説していたらいつまでたっても終わらないので、少しにしておきますが。

ただ、ここでジャックが「judge the pudding by its fruit.(プディングはその果実で判断しろ)」と、お得意の可愛いオリジナル諺を披露してくれて、それにスティーブンが「You mean, prove the tree by its eating.(それを言うなら『木は食べてみなけりゃわからない』だろう)と素敵なツッコミを返す、という、省略するにはあまりに惜しい会話を紹介するにとどめておきます。

やっぱりこの二人は最高の漫才コンビです。しかも、両方ボケ…というか、状況に応じてボケとツッコミが交替するところがたまらない(笑)。

ジャック・スティーブン・グレアム、イズメイルを訪問する。ジャック、イズメイルは信用できないと思う。

さて、ジャックはまずイズメイルに会いに行き、招待されて食事を共にします。で、まあいろいろあるのですが結論として、ジャックはイズメイルには砲を渡したくないと思います。

ジャックが彼の居城のある港に到着した時、使者が挨拶に来るまでひどく待たせたこと(時間にルーズな感じ。ジャックにとっては大きなマイナスポイント)、クタリやマルガのはっきりした攻撃計画を持っていないこと(軍人としてダメ)、グレアム教授にワイロを持ちかけたこと(信用できない)…などがその理由。

次に彼はムスターファに会いに行くのですが…その前に、枝葉だけど重要なエピソードを二つ紹介しておきます。

ジャック、デイビスを軍規違反で訴えた士官候補生を呼び出す。士官候補生、デイビスを弁護する

さて、サプライズ号にはエルフィンストンという士官候補生がいるのですが、彼にはどうも、水兵たちに対して必要以上にいばりちらす悪い癖があるらしい。根は悪い子ではないのでしょうが、威張ることが規律を保つことだと勘違いしている節があります。

サプライズ号は水曜に軍規違反の処罰(defaulters)を行うのですが、それは士官・士官候補生が提出した軍規違反者名簿(defaulters list)に基づいて行われます。このリストに、エルフィンストンがデイビス(あの不器用デイビス)を載せていて、それも「上官(エルフィンストン士官候補生)の命令に反抗し、失礼な言葉で言い返した」という罪。グロッグを薄めたり余計な仕事をさせたりという罰では済まず、有罪なら鞭打ち刑は避けられない重罪です。

ジャックはエルフィンストンを艦長室に呼び出します。「私は鞭打ちが嫌いだ。君だって好きではないだろう。規律のためなら必要だと思うかもしれないが、何年も鞭打ち刑をせずに規律を保っている艦もあるんだ。デイビスは水兵としては不器用かもしれないが、君は見たことがないだろうが、斬りこみの時は素晴らしい戦力になる。彼は君が生まれるずっと前から海に出ているんだぞ。」ジャックはこう言っただけで、「だからどうしろ」とは、ひとことも言わないのですが…

そして艦長は、処罰を言い渡す際、デイビスに「上官に反抗するのは、戦時条例では死刑に値する罪だぞ」とよく諭した後、「誰かデイビスを弁護する者はいないか?」と訊きます。するとその時、エルフィンストンが声を上げます。「デイビスは私の班ですが、普段は真面目で優秀な水兵です。」デイビスの友達が嘲笑の声を上げたのにもめげず、顔を赤くしながら、「今回は口が滑っただけでしょう。鞭打ち刑は勘弁してやって頂けないでしょうか?」

もちろんジャックは内心喜び、ひとしきりお説教した後で、デイビスを放免します(「グロッグ抜き・便所掃除」ぐらいの罰はあったかもしれませんが)。あえて自分が悪役になり、エルフィンストン候補生に「水兵の味方」役をやらせた形で丸く収めたジャック。やっぱり艦長としての彼はさすがだなあ、天然なだけじゃないなあ、と思わせるのですが…

さて、このエピソードをなぜ書いておきたかったかというと、映画とからんでいるからです。(注:以下、DVD特典未公開シーンのネタバレを含みます。)

ご存知のように映画では、ネイグルがホロム士官候補生にわざとぶつかって鞭打ち刑になります。映画本編では、このシーンの冒頭ですでに刑は宣告されていて、いきなり鞭打ちのところから始まっています。しかしDVD特典の「未公開シーン」には、この前の「艦長が刑を宣告する場面」が含まれていました。

そこでは艦長が、ちょうど8巻のこのシーンと同じように、「ネイグルを弁護する者は?」と訊いて、その時ちらりとホロムを見るのです。このカットシーンを見た時私は「あれ?もしかしてジャックは8巻のエルフィンストンみたいに、ホロムにネイグルを弁護させたかったのかな?」と思いました。

映画を観た時は、ジャックがネイグルを鞭打ち刑にしたのは、それが必要だからと確信しての断固たる処置だったように思っていたのですが、この「未公開シーン」を見て、ちょっとわからなくなりました。…どうなんでしょう?みなさんはどう解釈されましたでしょうか。

まあ、前後のシーンと矛盾気味で、ジャックの意図がよくわからないシーンだからこそカットされたのかもしれませんけど。

スティーブン、ジャックに"Passing for a gentleman"とは何かと訊く。プリングズ、「バルコニー」の発音ができなくて任官を断られていた

さて、もうひとつのはエピソードというより、単なるジャックとスティーブンの会話なんですが、後に繋がってくる話なので解説しておきます。スティーブンが海兵隊員との会話で「passing for a gentleman」という言葉を聞きつけ、これはどういう意味かとジャックに訊きます。

士官候補生としての6年間の軍艦勤務の後、海尉任官試験に合格することを「passing for a lieutenant」と言います。さて、これまで何度も出てきたように、当時の英国海軍には艦長・海尉が有り余っています。それで、海尉試験に合格しても、影響力のある良家の出身でない海尉たちは乗る艦がなく、陸上で半給生活を強いられていることが多い。それを、「passed for a lieutenant but not for a gentleman(海尉としては合格だが紳士として不合格)」と言うらしい。

そのいい例が、もちろん、われらがプリングズくんです。彼は中ぐらいの自営農家の息子。正確には労働者階級ではないのですが、かといって紳士とも認めてもらえない微妙な出自ゆえ、優秀なのに任官もままならない状態が長く続いています。

もちろんジャックは、優秀な彼をなんとか出世させたいと、あちこちに推薦状を書いたり友達の艦長に紹介したりしているのですが、海軍内のジャック自身の立場が(主に父親のせいで)悪くなっていることもあり、なかなかうまくゆきません。彼の推薦状は「しつこすぎる」とメルヴィル卿(第一海軍卿、ヘニッジ・ダンダスの兄)を怒らせ、ジャックがプリングズを紹介したある艦長などは、「balconyを『バルコーニー』でなく『ルコニー』と発音する士官は、私の艦尾甲板に乗せたくない」と言われて断られる始末。

えー、"balcony"って、私の辞書ではちゃんと「バ」にアクセントがあるって書いてあるけどなあ。当時の上流階級の発音では、「コ」にアクセントがあるらしい。プリングズくんはちゃんと「H」を発音していると思うけど、それだけじゃだめなのかな。

そういうわけで、「軍艦で『バルコニー』の話をする機会なんかあんまりないと思うけどなあ。」というジャックのボヤキにもかかわらず、プリングズくんは今まであまり艦に乗れず、従って出世もできていないのでした。「だから、フランス艦隊に逃げられて一番残念だったのはトムのことなんだ。海戦に勝利すれば、参加した艦の副長は必ず昇進できるからなあ。でも今回の任務でマルガからフランスを追い出せば、かなり望みがある。そのためにも、これから会う二人が、イズメイルよりマシな軍人だといいなあ。」とジャック。

ジャックって、本当にプリングズに目をかけているんだなあ。バビントンにも目をかけているけど、彼はええとこボンだから昇進に関しては心配ないし。でも、モゥエットは?まあ彼のことは、プリングズが何とかなったらそれから、と思っているのかな。(まさか、「詩人として身を立てればいい」と思っているわけじゃないわよね。)

ムスターファの軍艦、トーグッド号(Torgud)とその僚艦キタビ号(Kitabi)が現れる。

さて、本筋に戻って。

サプライズはムスターファに会うため、彼が支配する都市へ向かっていたのですが、その前に海上ででくわします。トーグット号の操船ぶりを見る限りではなかなか優秀な船乗りらしいムスターファは、イズメイルと違って時間を無駄にせず、さっそくサプライズ号に挨拶に(というか、自分に砲をくれと売り込みに)やって来るのでした。

彼がどんな男であるかは…次回。