Chapter 10-2〜ムスターファ、クタリ


ムスターファ、サプライズに乗艦する。

さて、ムスターファはどんな男か。あの海賊船を始末したやり方から、いささか野蛮な、容赦ない男であること、一方トーグッド号の操船ぶりを見ると、なかなか優秀な船乗りであることはわかるのですが、本人に会うのは初めてです。

で、本人はというと…まず外見から言うと、とにかくデカい。背はジャックよりは低いけれど、横幅ははるかに大きくて、彼が舷側を上がってくるとサプライズ号がそっちに傾いたほど。…って、そりゃ相当な重量ですな。しかも鮮やかなムラサキの服、長いあごひげは赤く染めてあり、目はオレンジ色。うーん、すごい色彩だ。

そして性格は…ひとことで言えばエネルギッシュ。イスラム教徒なのに酒はがばがば飲み、大きな声で、時々笑い声を上げ、こちらの目をしっかり見て話す。陰気で目をそらして話すイズメイルに不信を感じていたジャックは、その点では好感を持ちます。

また彼はイズメイルと違って、クタリとマルガの攻撃計画をしっかり持っていて、それを熱心に語り、マルガからフランスを追い出すことが出来るのは私だけだ、と自信満々。どうやらイズメイルとは何か確執があるらしく、彼の悪口を言うときは拳がぶるぶる震えるほどの激情を示しています。

ジャック、ムスターファのトーグッド号を視察する

サプライズの艦長室で酒を飲みながらしばらく話した後、ジャックはムスターファの艦を案内されます。

トーグッド号は正確にはトルコ海軍の軍艦なのですが、ムスターファが全ての装備と人員を自腹で揃えて、その代わり好きなように使っているので、実質は彼がオーナー兼船長をつとめる私掠船のようなものです。乗員は見るからに彼らの艦長を恐れていて、彼の前に出ると目に見えて震えるほど。

「家は住む人に似る」なんて言いますが、艦にもそれが当てはまるのか、ひとことで言うと「汚いが強そう」。砲の間に人間の排泄物が落ちていたりして(げー)、英国海軍の清潔整頓が身についている船乗りには我慢のできる代物ではないのですが、砲だけはきちんと手入れされています。ムスターファは砲撃にはことのほか熱心なのです。ジャックと同じく(…と書くのはなんとなく抵抗がありますが)。

ひときわ凄いのが、トーグッド号の両舷に1門づつ備えられている巨大な輝く36ポンド砲。1等級の戦列艦ですら32ポンド砲までしか搭載していないのが普通なのに、フリゲート艦に36ポンド砲が乗っているなんて異例中の異例ですが、ムスターファは破壊力抜群のこの砲をたいそう自慢にしているようです。

ところで、ボンデンの昔のシップメイト(脱走兵)が偶然この艦に乗っていて、彼らは砲門越しにちょっと話をします。その時ボンデンは、例の36ポンド砲がフランス軍から贈られたものであることを聞き出し、後で艦長に報告します。

ムスターファはたしかにイズメイルよりずっと優れた軍人で、頼りになる味方だが、フランス軍にそんな恩義があるのなら、クタリを占領した時点で英国を裏切って手を引いてしまう可能性もある、と懸念するジャック。

サプライズ号、クタリに到着する。サイアハンの使者としてアンドロス神父が来る。

ムスターファのトーグッド号と別れたサプライズ号は、いよいよクタリに向かいます。3人目の候補者で、現在クタリを支配しているサイアハン・ベイと面会するためです。

このクタリというのは架空の都市ですが、現在のギリシア西岸、アルバニアとの国境に程近いところという設定のようです。海から背後の山脈に向かって聳える城塞都市です。静かな湾にその姿を映すロマンチックな美しい都市なのですが、ジャックは海軍軍人としての目でシビアにチェック。補給拠点としては絶好の港だが、低い部分の守りが弱く、ガンボートで攻撃されたらひとたまりもない。が、街を見下ろす位置に聳える要塞(citadel)が、近づいてくる敵の船を全て沈めることができるのだから、他の守りは必要ないともいえる。しかし…

サイアハン・ベイからの使者は、今度はすぐに現れるのですが、それがアンドロス神父というギリシア正教の司祭だったのでジャックたちは驚きます。彼はサイアハンの政治的アドバイザーのひとりだと言うのですが…彼をよこしたのはつまり、キリスト教徒と友好的な関係であるということを強調したかったのでしょう。

ちょっと脱線:ここで、「キリックもアンドロス神父を気に入ったらしい、とっておきのいいワインが出てきたから」という意味の文があるのですが…ちょっと待て。サプライズ号への訪問者がいい酒を飲めるかどうかは、ひとえにキリックに気に入られるかどうかにかかっているのか?提督だろうと貴族だろうと、キリックが気に入らないお客はみんなマズイお酒を出されていたりして。

アンドロス神父、ジャックたちにクタリの街を案内する。要塞の砲はニセモノだった。

ジャック・スティーブン・グレアムの3人は、アンドロス神父と一緒にクタリに上陸します。神父は急坂ばっかりの街をすたすたと登ってゆくので、長らく数時間以上上陸したことのないジャックはすぐに息を切らしてしまいます。「若い頃の彼なら爆発するまで歩き続けただろうが」今のジャックはしばらく我慢した後、ギブアップして休ませてほしいと泣きを入れます。この頃のジャックって40歳ぐらい?気持ちはよくわかるわ。

クタリにはトルコ人とギリシア人の他にも、アルバニア人、アルメニア人、ユダヤ人、ブラック人などの様々な民族・宗教の人々がひしめき合って暮らしています。街の下の方がイスラム教徒の居住区、真ん中が共同の商業地区、上の方がキリスト教徒居住区になっています。アンドロス神父は、要塞を使うにはキリスト教徒たちの協力が不可欠、彼らはガチガチのイスラム教徒であるイズメイルとムスターファを恐れ忌み嫌っているので、協力を得られるのはサイアハンだけだと説明します。一行をうさんくさい目で見ていたカトリック教徒の一団が、スティーブンがカトリックの司教に挨拶してその指輪にキスをすると、一気に好意的になるあたりが興味深かった。

何とか街のてっぺんにある要塞まで登った一行ですが、そこで神父はためらいがちに言います−「ベイからは、全てを包み隠さずお見せしろと言われています。」下から見たときは頼もしく見えた要塞の砲は、3つを除いて、全て木にペンキを塗ったニセモノでした。しかも3つの本物の砲も壊れていて、礼砲用には使えるけれど、狙いをつけて撃つことはできない代物。「このことが敵に知られたら、クタリはひとたまりもなく打ち破られるでしょう。英国海軍の助けがぜひ必要なのはそういうわけなのです。」

ジャック、サイアハンと食事。彼に砲を渡す決意をする。

マルガへ続く水道を見学した後、一行はサイアハン・ベイに招かれて食事を共にします。サイアハンは灰色の髭の小柄な老人ですが、戦士の面影を残す威厳のある人物で、英国海軍のサー・シドニー・スミスと協力してナポレオンを打ち破ったこともある歴戦の勇者でした。彼の人柄に好感を持ったジャックは、いろいろ考え合わせて、砲を渡す相手は彼しかいないと決意します。

決意したのはよかったのですが…ジャックはジャックなので、その場でストレートに「あなたに砲を渡します」と条件もつけずに約束してしまい、後でカンカンのグレアム教授にこっぴどく怒られることになるのですが。