Chapter 1-3〜遅刻


さて、その頃ジャックは…

ジャック、スティーブンが来るのを苛々しながら待っている。

ポーツマス港。すっかり出航準備を整えたウースター号の艦尾甲板で、ジャックは(いやジャックだけではなく、士官をはじめ乗員全員が)苛々しながらスティーブンを待っています。それは一刻も早く顔が見たいからとかそういう問題ではなく(笑)、スティーブンが遅れているから−それも、めちゃめちゃ遅れているからです。荷物は(チェロも含め)郵便馬車で届いたのに、本人は乗っていない。もうすぐ引き潮が終わりそうで、みんなじりじりしています。

何しろ、海には満ち潮と引き潮というのがあって、帆船というのは、引き潮に乗らなきゃ出航できない。特にこの日は大潮(Spring Tide)なので、風がどうあろうと、満ち潮に逆らって出航するのは不可能。しかも港湾司令官(Port Admiral)が、今にも「ウースター号、さっさと出航しろ」という信号旗を上げそうで、そうなったらウースター号は多くの軍艦が見ている前で恥をかくことになりかねない上、軍医を置いて出航しなければならない…「あんなに優秀な学者なのに、どうして何度説明しても潮の満ち干のことが理解できないんだ?ソフィー、君はすぐにわかってくれたのに」と、妻に愚痴る艦長。

そう、ウースター号にはソフィーと子供たちが見送りに来ています。出航を急かされてる割には呑気だって?いえ、これはむしろ、「家族の顔を少しでも長く見ていたいので」というのを、出航が伸びている言い訳にしているようです。「軍医がまだ来ないので…」なんて言い訳をしたら、「そんなもんさっさと置いてゆけ!」と言われるに決まってますからね。

スティーブン、ダイアナの運転する馬車で現れる。

ついに引き伸ばしも限界に達し、ジャックはソフィーと子供たちに別れを告げて艦から降ろし、スティーブンを置いて出航しようとします。その時、港の広場に、水兵たちや海軍士官たちを蹴散らし、暴走族のようなスピードで、黒髪の女性が運転する4頭立て馬車が駆け込んで来ます。御者台からひらりと飛び降り、走る女性と、大きな荷物を抱えてその後を追う黒服の小柄な男性…それを望遠鏡で見ながら、ジャックが思わずつぶやいた言葉−「スティーブンにもやっと面倒を見てくれる人ができてよかった…たとえそれがダイアナでも。」

蛇足:ところで…馬車って「運転」っていうのかしら?それとも「操縦」?うーん…まあいいや。

ダイアナが20世紀に生まれていたら、やっぱりスポーツカーでかっ飛ばしていたかなあ。ところで、私の愛読書に、クレイグ・ライス著の「マローン弁護士シリーズ」というミステリがあるのですが、それに出てくるヘレン・ジャスタスという1930年代の暴走お嬢様は、ちょっとダイアナを思わせるところがあります。

さて、ここでいよいよ港湾司令官から「ウースター号、さっさと出航しろ」の信号旗が揚がってしまい、ウースター号は「一刻も早く出航しようと全力を尽くしているふりをしながら、実は軍医を乗せたバージ(艦長艇)が追いつけるようにゆっくり進み、しかも下手糞に見えないようにする」という難しい(でもある意味楽しい)演技をすることに。この手のことは副長トム・プリングズ(そう、彼は3巻ぶりに再びジャックの副長になりました!)に任せておけば安心なのですが、水兵たちがそれを楽しむあまり演技過剰に陥ることを心配するジャック。

プリングズ、油を用意する

さて、ダイアナに別れを告げ、彼女のプレゼントを大事に抱えて、ボンデンの操縦するバージに乗ったスティーブンですが、彼を迎えたボンデンのひどく冷たい態度にびびっています。久しぶりに会ったのに笑顔ひとつなく、「もうちょっとで潮を逃すところだったんですよ、それも大潮を」と叱られ、返す言葉のないドクター。

珍しくしゅんとしてバージに座っているドクターを見ながら、プリングズ副長は士官候補生に「スィート・オイル(オリーブ油、菜種油)を1パイント用意しておけ」と命令します。士官候補生はわけがわからず、「は?スィート・オイルですか?」と聞くのですが…

スティーブン、ずぶぬれになる

ウースター号は2層甲板の戦列艦ですから、サプライズ号に比べたら格段にデカいわけですが、それはつまり甲板が高く、登らなければならない距離が長いということでもあります。しかもウースター号の舷側は内側に傾斜している登りやすい部分がなく、垂直に聳え立っています。いつまでたっても舷側を登るのが下手なスティーブンは当然びびるのですが、ボンデンは冷たく「さっさと登って下さい」と言うばかり。意を決してマンロープ(手すりロープ)にしがみつき、よたよたと登り始めたスティーブンですが、途中で艦が大きく傾き、ほとんど全身海水をかぶってしまいます。

マウアットとプリングズ、スティーブンを冷たく迎える。

ずぶ濡れの姿で、よたよたと艦尾甲板に挨拶に来たスティーブンを、副長のプリングズと二等海尉のマウアットが、こちらも笑顔ひとつなく冷たく迎えます。スティーブンは遅れたことを謝ろうと、丁寧に帽子を取って挨拶をするのですが、不幸にして帽子とカツラをピンで留めていたのを忘れていたため、カツラが一緒に取れてしまい、場違いな悪ふざけをしたみたいになってしまいます。うーん…場を和ませるためにギャグをやるなんて、彼のキャラじゃないのにね(笑)。ますます冷たい表情になった海尉二人に、またしても「もう少しで潮を逃すところだったんですよ」と叱られるスティーブン。この二人のことは、まだほとんど子供だった頃から知っているので、普段ならぴしゃっと黙らせることができるのですが、今は遅れた引け目をばりばりに感じているので、何も言えないドクター。

こんなにしゅんとして、おとなしく叱られているスティーブンって本当に珍しい。しかもずぶ濡れで、海水をぽたぽた滴らせながら(笑)。その様子が可愛くて、思わずニヤニヤしながらたっぷり楽しんでしまった私って、やっぱり意地悪?てゆうかサド(笑)?でも、ボンデンもプリングズもマウアットも、ちょっとは同じように感じているに違いない。

プリングズ、ドクターの時計を油につける。

プリングズは意地悪しているだけじゃなくて、ちゃんと「ドクター、時計は濡れませんでしたか?」と気を遣い、案の定海水をかぶっているドクターの懐中時計を、用意しておいた油にぽちゃんと浸けます。豪快な修理方法ですが…ドクターが舷側を登る前に、ちゃんとこれを見越して油を用意しておくプリングズって素敵。

映画を観た後に再読して、一番イメージが変わったキャラがプリングズなんですよね。次がマウアット。変わったというか、この二人は元々視覚的イメージがほとんどなかったのですが、映画のおかげで鮮やかに浮かぶようになりました。私はキャスティングを聞いてからこのシリーズを読み始めたので、ジャックとスティーブンは元々ラッセルとベタニーさんを思い浮かべて読んでいたけど、プリングズ&マウアットを演じた俳優さんたちは知らなかったので。

映画を観てから、この二人についてはいい感じで映画の彼らの顔が浮かぶようになって、キャラクターとしてもますます好きになりました。後は「ソフィー号士官候補生トリオ」のもう一人、バビントン君が映画にいなかったのが残念だわ。…うう続編!続編!(最近こればっか言ってますが)

ちなみに詩人二等海尉の名前ですが…原作版の「マウアット」と映画版の「モゥエット」と、どっちを使ったらいいか迷いました。実は綴り(Mowett)からも発音からも、「モゥエット」の方が違和感ないんだけど、今更変えるのもなあ…てことで、「マウアット」でいきます。

この8巻は、プリングズ&マウアット&バビントンの元ソフィー号お笑い3人組若者トリオが、それぞれ本領発揮で活躍するのでお楽しみに。すでに他の艦の艦長になっているバビントンも後の章で出てきます。

ジャック、スティーブンに怒っている。スティーブン、謝る。

さて、そこでキャビンのドアが開き、艦尾甲板に艦長が現れます。(二層甲板艦なので、艦長室は艦尾甲板の下ではなく横にある…という事で合ってる?)カンカンに怒っているため、いつもより背が高く、おっかなく見えるジャックに、またしても「もう少しで潮を逃すところだったんだぞ、わかってるのか?」と叱られた上に、「君の荷物はもうキャビンに入れてあるぞ、荷物の方が本人より時間の観念があるな」と嫌味を言われてもおとなしく聞いていたスティーブンですが、「ずぶ濡れじゃないか、まさかまた落ちたのか?ただの陸上者(おかもの)みたいに、また落ちたんじゃないだろうな?」とまで言われて、ついに言い返してしまいます−「落ちたんじゃない。海の方が上がったんだ。

でもスティーブンに「ジャック、遅れて本当に悪かった、すまない」と珍しく素直に謝られて、ジャックは怒りを持続することができなくなります。スティーブンの手を握って「おれも言い過ぎたよ」とあっという間に軟化するジャック。

3巻以降、この二人のケンカは長続きしません。それもたいていジャックの方が折れているような。実は映画を見た時、「おお、ジャックが(スティーブンに対して)強気だ。まるで2巻前半までの二人みたい」と思ったのですが…これに関しては、後ほど機会があったらまた語りたいと思います。

どうでもいいことですが…スティーブンの荷物は「艦長室に」運んであるのね。下の軍医の部屋じゃなくて。(なんか、曲解されそうな事ばかり書いてる気もするが…実際そう書いてあるんだからしょうがない。)