Chapter 3-1〜詩とプディング


スティーブンの怪我は、かすり傷ってわけじゃないのですけど、それほど深刻なものではないのでご安心を。頭に滑車が落ちてきて倒れたところで、両足に破片が刺さったらしい。さっさと救護室に行かないで、最初の怪我人が出るまで甲板で見物したりしているからそういう目に遭うのよね。それで自分が最初の怪我人として運ばれることになったと。…駄目じゃん。

スティーブン、見舞い客にうんざりする

相変わらず、患者の立場になるとひどくワガママなスティーブン。自分に対する自分の治療方針があって、それにちょっとでも合わない薬を薦めようものなら、日頃の平等主義はどこへやらの専制君主ぶりを発揮するので、助手たちは災難です。このあたりからスティーブンはいつものプリマドンナぶりを発揮していて、乗艦した時のしおらしさはどこへやら。やっぱりあれは、遅刻した事で相当罪悪感を感じていたのですね。それとも、無条件降伏している相手(ダイアナ)としばらく生活していたから、下手に出る癖がついていたとか…

でも今回は同情すべき面もあるかも。というのは、何しろウースター号には、他にすることのない牧師が7人も乗っているからです。病人を慰めることを義務と考えている彼らは、とっかえひっかえやって来ては、「苦痛には強いが退屈には弱い」スティーブンに死ぬ思いをさせるのですが、彼もさすがに、ほぼ初対面の善意の聖職者に向って怒鳴ったりモノを投げたりはできないらしく、顔面神経痛になりそうなほど顔に微笑を張り付かせて話を聞いているようで。いやお気の毒。

ちなみに、スティーブンが療養しているのは下層甲板のsick berth(病室)ではなく艦長のダイニング・キャビンです。特別扱いですが、なんかこれが当たり前のような気もしてきたよ(深い意味はないです)

それでも、ウースター号がセント・ビンセント岬沖を通る頃にはスティーブンはかなり良くなり(怪我も、機嫌も)、椅子に乗って甲板に運んでもらって「艦隊司令官ネルソンとオーブリー海尉が参加した」海戦の現場を見せてもらいます。ジャックはナイルだけじゃなく、1797年バレンタインデーのセント・ビンセント岬沖海戦にも参加していたのですね。(こういうの、どの巻のどこに書いてあったかわからなくなって探し回りがちなので、忘れないようにメモメモ。)

スティーブンとDr.グレアム、船乗りについて話す

スティーブンは道徳学者のグレアム博士と親しくなります。彼はくそ真面目でユーモアのかけらもない人ですが、なにしろ博覧強記で、スティーブンにとってはよい話し相手。二人の話は先日の海戦(未遂)のことから、この艦のこと、船乗り一般のことになります。グレアム博士が「『船乗りは帆船を動かす複雑な技術を持っているが、それは本能のようなもので、彼らはあまりに無教養なのでそれを改善することも、言葉で表して次の世代に伝えることもできない』と聞きました」と言い、スティーブンは帆船に関するいろいろな改善の例を上げてそれに反論するのですが…

でもスティーブンのことですから、その改善例の説明はかなり怪しいようです。彼によれば、馬(horses)、イルカ(dolphins)、犬(dog)やネズミ(mice)(動物の名前のものばかり出てくるとこが彼らしい)などの新発明の他に「プディング」という装置もあるそうです。「『プディング』です。右舷のガンブリルと垂直に吊り上げるものです、バイ・アンド・ラージで航行中に。("Puddings. We trice 'em athwart the staroard gumbrils, when sailing by and large.")」

ここ、最初に読んだときはよくわからなかったのですが、単に間違えているのかと思ったら、どうやらわざと変なことを教えてからかっているらしい。船乗りに対するグレアムの言い方がカチンときたからか、今まで自分が(プリングズやマウアットに)散々からかわれた悔しさを発散しているのか…

スティーブンは、自分より帆船に関する知識がない人がいると、大喜びでなけなしの知識をひけらかすのですが、それが微妙に間違っているのがギャグになっているようです。私にはさっぱりわからないのが悔しい。日本語で読んでもわからないし。まあでも、ということは、イギリス人やアメリカ人だって読者の半分はわかっていないに違いない、と自分を慰めてみる。

Dr.グレアム、スティーブンをエージェントにスカウトする。スティーブン、断る

いろいろ話すうち、スティーブンが地中海沿岸に幅広い知人友人がいること、カタロニア語・スペイン語・フランス語に堪能なこと、そして何よりカトリック教徒であることを知ったグレアム博士はとんでもない事を言い出します。「私の従兄弟が政府の諜報関係の仕事をしているのですが、あなたのような立場の方は情報を集めるのに最適です。私自身はその関係のことはよく知らないのですが、あなたのような方が協力して下さるなら、かなり多額の報酬を用意できると従兄弟は言っておりました…」

もちろんスティーブンは「軍医というのは上陸して情報集めをしている時間などありませんから…それより従軍牧師の方がいいのではないですか?」などとごまかして断るのですが…

イギリスでも、政府だの陸軍だの海軍だのがそれぞれ諜報機関を持っていてお互いの動向を知らない、ということがあるようですね。(スティーブンは海軍諜報部。)

ディナー。マウアット、詩を披露する

さて、ジブラルタルで7人の牧師のうち6人がウースターを去ることになったので、送別ディナーが開かれます。

ディナーの席で、マウアットはリクエストに答えていくつか自作の詩を披露します。詩っていうのは、詩語とか韻律を整えるための独特の語順とか、普通の会話や地の文に比べてまた格段と難しくて、残念ながら私にはその良さを味わうところまでゆかないのですが。

彼がソフィー号の士官候補生だった頃に作った詩をスティーブンがちゃんと覚えていて暗誦します。(1巻下158p参照):

Oh were it mine with sacred Maro's art
To wake to sympathy the feeling heart,
Then might I, with unrivalled strains, deplore
Th'impervious horrors of a leeward shore.

マウアットの詩は、艦上生活の細やかなディテイルを題材にしているので、詩に造詣の深い人でなくても船乗りには人気があるようです。この「T'impervious horrors of a leeward shore(風下岸の見えざる恐怖)」というフレーズは、とりわけ船乗りの心の琴線に触れるようです。船乗りなら誰しも、風下岸に吹き寄せられてにっちもさっちもゆかなくなる恐怖を味わったことがあるから。ジャックなど、「これこそが詩だ。恋人だの乙女だの花咲く草原だのを題材にしたものなどつまらん。」と賞賛しています。

Spotted Dogが出る

さて、ディナーは進んでプディング(デザート)の出番。今日のプディングは、ジャックの大好物「スポテッド・ドッグ」。干しブドウやドライフルーツを入れたスエットプディングです。「ぶち犬」とは変な名前ですが、表面に出ているフルーツが犬のぶちみたいに見えるからでしょう。まあ、変な名前ってことじゃ、同じスエットプディングの「Drowned Baby(溺れた赤ん坊)」にはかないませんけど。「ディナーの最後にDrowned Babyが供された」というのを最初に読んだ時はぎょっとしましたよ。

スエット・プディングには「スエット(Suet)」がたっぷりと使われています。以前日記に書いたように、私はこのシリーズのレシピ本を見て「Spotted Dog」を作ってみたことがあるのですが、スエットが手に入らなかったのでラードで代用してしまいました。
スエット:牛・羊の腎臓・腰部の硬い脂肪
ラード:豚の脂肪から精製した半固形の油
…やはりだいぶ違いますね。しかもレシピにかかれている分量のあまりの多さにビビり、半量で作ってしまいましたから、このシーンで書かれているような「てかてか光り、少し透き通っている表面」にはなりませんでした。

ジャックも「スエットなしでは、プディングの芸術も台無しだ」と言ってますし。ちなみに、てかてか光っているスポテッド・ドッグの写真はこちらでご覧になれます。私のニセモノスポテッド・ドッグの写真はこちら(笑)。

いやでも、スエットとラードの違いはありますが、半量でもかなりこってりしていたのですよ。こんなに油でてかてかしている、しかも「逞しい男二人で運び込んでくる戦列艦級のスポテッド・ドッグ」…恐ろしい。ジャックが太るのも無理はないです。

Dr.グレアム、スティーブンにからかわれたことを知って怒る

「プディング」が出たところで、無駄に記憶力のいい(いや、無駄ではないけど)グレアム博士が言い出します。「そういえば、帆船にも『プディング』というものがあるそうですね。バイ・アンド・ラージで航行中に右舷のガンブリルと垂直に吊り上げるもので…」

ジャックをはじめとする船乗りたちは一瞬あっけにとられます。ジャックは「それは誰かにからかわれたのですよ。『プディング』は保護材のことですが、『ガンブリル』なんてものは存在しません」と言ってから、しまった、と思います。スティーブンが「遠くを見るような目」をしているのを見て、彼が犯人だと勘づいてしまったから…

あわててフォローしようとするジャックですが、時すでに遅し。皆が「バイ・アンド・ラージ」の説明を始めてしまったので(Sailing by the windとはクォーター(艦尾から45℃)より前に風が吹いている航行、Sailing largeとはそれより後の追い風での航行、だからby and largeで航行するということはあり得ない)、からかわれたこと気づいたグレアム教授はすっかり機嫌をそこねてしまいます。

Dr.グレアム、メノルカで降りる

からかわれたことで相当プライドを傷つけられたらしく、ポート・マオンで下艦するまでスティーブンとは口もきいてくれない教授。スティーブンは反省しつつも、「あんなに怒らなくてもいいのに」とも思っています。「まあ、これで僕を諜報員にスカウトしようとは思わなくなっただろう…まして、すでに諜報員だとは。」