Chapter 3-2〜紳士と鳥類学者


スティーブン、マーティン牧師と知り合う

機嫌を損ねたままウースター号を去ってゆくグレアム教授を乗せたピナス(大きめの艦載艇)を、スティーブンが複雑な気持ちで見送っていると、「あっ、アジサシだ!あれはアジサシじゃないですか?!」という興奮した大声が聞こえます。声の主は7人の牧師のうち、封鎖艦隊の牧師になる予定でひとりだけウースター号に残った人、一番みすぼらしい格好で、一番栄養状態の悪そうな人でした。

彼はナサニエル・マーティン牧師、挫折した物書きであり、教区を持っていない(つまり失業中?)牧師であると同時に熱心な鳥類学者。今までイギリス中を歩き回り、野っ原、干草の山、掘っ立て小屋、牢獄(密猟者と間違えられた時は)などで夜を明かしながらバード・ウォッチングにいそしんできた人で、これからは今までに見る機会のなかった地中海の鳥が見られると張り切っています。

当然、スティーブンとはたちまち意気投合し、二人が今までに目撃したさまざまな鳥のことで大盛り上がりに盛り上がり、気がつくとスティーブンはアルバトロス(オオアホウドリ)のことをむちゃくちゃ熱く語ってしまうのですが…しかし、彼はスティーブンが寝込んでいた時にかわるがわるお見舞いに来ていた牧師さんたちには入っていなかったのかな?マーティンが来ていればスティーブンもあんなに退屈しなかったでしょうに。病人を見舞わないで甲板で鳥を見てたとか?

このマーティン牧師という人、動物全般が大好きで、特に鳥が大好きなところはスティーブンと同じですが、スティーブンと違って、動物に好かれる天賦の才(あるいはフェロモン?)には恵まれていないようです。そのため、しょっちゅう動物につつかれたり引っ掻かれたり噛まれたりしています。彼の片目も、卵を抱えたフクロウにうっかり近づきすぎて、つつき潰されてしまったもの。しかし、それでも彼は動物を嫌いになったりしません。片目がないことも、「望遠鏡を構える時に便利なんですよ。片目をつぶらなくてもよくて」と言ってのける人。…だねぇ。(あ、いや、なんとなく)

ソマーズ海尉、ボートの扱いが下手で艦長に叱責される

さて、ウースター号には漢でないヒトがひとり。

スティーブンとマーティンが夢中で鳥の話をしているうちに、グレアム教授を送ったピナスが帰ってくるのですが、ピナスの操縦が何かまずかったらしく(二人にはわからないのですが)、艦長はじめ艦尾甲板の全員が一斉に渋い顔で首を振っています。「ミスタ・プリングズ、ミスタ・ソマーズに後で艦長室に来るように言え」と艦長。

ピナスを指揮していたのはソマーズ三等海尉。どっかの御曹司で、家柄にも金にもコネにも恵まれ、部下にすれば有力者とつながりができて、艦長にとってはお得な若者…であるにもかかわらず、ジャックは「こいつだけは乗せたくない」と他の人を希望していたのですが…

どうしてジャックが彼を嫌っているかというと、「He's no seaman.(彼は船乗りではない)」という一言に尽きるようです。つまり帆船の事をわかっていない、その操縦技術に長けていないという事ですが、ジャックにとってこれは決定的なことです。つまり、海尉であるならば。

新米水兵や士官候補生ならこれから鍛えればいいし、軍医や主計長とかならいつまで経っても海の素人でかまわないのですが(<スティーブンはその典型)、海尉が無能であることは乗員の命をもてあそぶことだ、とジャックは考えています。

他にもソマーズには、酒癖に問題があるとか、都合よくサボる奴だとか(プリマスにはずっと前からいたのに、プリングズたちが苦労して出航準備を整え終わった頃合を見計らって出頭してきたことはジャックにもバレバレ)、いろいろ問題があるのですが。こういう人が海尉になれたのは、やはりコネのおかげか…

ソマーズ、酔っ払う

ピナスの操縦のことで艦長に叱責されたソマーズは、その日の夕食の席で酒をがばがば飲み、艦長の資質についての自説をぶって顰蹙を買います。彼によると、艦長には「掌帆長的艦長(bosun-captain)」と「紳士の艦長(gentleman-captain)」 がいて、平水兵の仕事である細かい操船なんかをいちいち気にかける掌帆長的艦長と違って、紳士の艦長はそういう事は下の者に任せて、もっと大局に目を向けるものだ。紳士の艦長たちこそ海軍の誇りであり、水兵は彼を崇拝してついてくる、と…そりゃ、ジャックが掌帆長的艦長だと言いたいのかね。

まあ要するに、酔った上での負け惜しみなのですが、あいにくウースターのワードルームはオーブリー艦長に心酔している人が圧倒的に多いので、彼は思い切り冷たい目で見られているのですが、ソマーズは酔っ払っているので…「海軍の基準に照らしてさえ」酔っ払っているので、気づかないのですが。

さて、この「海軍の基準」ですが…一般の基準よりはだいぶん緩いみたい。「ふらふらしている」ぐらいでは酔っ払っているうちに入らず、「海軍の基準ですら酔っ払っている」というのは、「完全に歩けない」ことを指すようです。何しろまっ昼間から酒が出る仕事ですから…「戦争をやっているのに、いつ敵が襲ってくるかわからないのに、そんなことでいいのか?」と思うけど、軍艦というのは敵を視認してから戦闘になるまでに数時間かかるので、その間に酔いを覚ませばいいということらしいです。…いいのかな?

マーティン、海軍を絶賛。スティーブンとマーティン、掃除の邪魔にされる

翌日。スティーブンとマーティンさんは艦尾楼で鳥を観察しています。マーティンさんは海軍の生活を絶賛します。みんな親切でいい人だし、割り当てられた部屋もいいし、食事も最高、おまけにあちこちで珍しい鳥が見られる。私にとっては理想の生活です。まあ、人々と鳥はともかく、ウースターの部屋と食事がいいと思えるのは、マーティンさんが今まで相当な貧乏生活をしてきたからこそなのですが。

さて、いよいよ封鎖艦隊とのランデブーが近づいているので、提督の前に出る日に備え、ウースター号の面々はプリングズの指揮のもと、艦をぴっかぴかに磨き上げる作業に精を出しています。いや、普段からぴっかぴかなのですが、それをさらに磨き上げようと言うのですからみんな必死で、鳥を観察している二人は邪魔にされ、艦尾楼を追い出され、艦尾甲板を追い出され、「そろそろ下に行かれたら…?」と言われつつ、鳥を見たいがために艦首楼で頑張っています。

人が掃除したところを汚すことにかけては類まれなる才能を発揮するスティーブンは、プリングズに「ドクター、何も触らないで下さいよ?」と何度も何度も念を押されていますが…

スティーブン、砲から足を下ろせなくなる

座ってマーティンと話し込みながら、無意識に砲に足を乗せていたスティーブン。そこへ士官候補生がやってきて、「ミスタ・プリングズからご挨拶です、サー、ドクター・マチュリンにおかれましては、ペンキ塗りたてのところから足を下ろしていただけないかと…」彼が磨いてあるだけだと思っていたピカピカの砲は、実はペンキ塗りたてだったのです。スティーブンはしばらく考えた後、「ミスタ・プリングズにご挨拶申し上げて、お暇な時で結構ですので、ここの甲板と私がこれから歩いてゆく所をことごとく汚さずに足を下ろす方法を教えていただけませんでしょうか、この包帯は簡単には外せないので、とお伝えしてくれ。」と答えるのですが…

しかし、こういう会話をする時でも「Mr Pullings' compliments, sir...」とか、「beg Dr Maturin will...」「at his leisure...」とか、丁寧な言葉遣いで伝言ゲームしているのが何とも笑えます。

結局、スティーブンがどうやって足を下ろしたのかは…謎。

ジャック、ソーントン提督のところへ出頭、パグ犬に足をかまれる。奥さんの手紙を渡す

さて、ウースター号は艦隊と合流し、ジャックは旗艦オーシャン号のサー・ジョン・ソーントン提督のもとに出頭します。このソーントン提督がどのような人物かというと:

1) 優秀な船乗り、大海戦を指揮したことこそないが名高い戦士、しかし組織の運営においてはさらに優秀
2) 海軍の利益のためなら、ためらわず個人を犠牲にする厳しい人
3) 規律に厳しいが鞭打ち刑は嫌い、それより宗教的指導によるモラル向上を重んじる
4) 愛妻家だがほとんど家に帰れない
5) タビサという名前の老犬のパグを飼っている

もちろんジャックは昔から彼を知っていて尊敬しているのですが、久しぶりに会った提督の衰えぶりにショックを受けます。いや、頭脳と精神は衰えていないのですが、「地中海へようこそ、オーブリー、本部が今度はちゃんとしたSeamanを送ってきてくれて嬉しい」(<お世辞を言うような人じゃないから、これは単なる事実)と言いながらも、椅子から立ち上がらずに座ったまま握手をするぐらい、身体は弱っています。何しろ、13ヶ月もの間一度も錨を下ろしたことがない過酷な封鎖任務。乏しい食事、運動不足、途方もないストレス…もうとっくに体力の限界に達しているのに、あまりにも有能なので代わりがいなくて辞められない。ジャックが渡した奥方の手紙に顔を輝かせながらも、仕事の書類を優先させる提督、なんだか気の毒です。

彼の愛犬、タビサちゃんもお散歩もできなくてストレスを感じているせいか、ウーっと唸ったかと思うとジャックの脛にかぶりつきます。まあ、ほとんど歯がないので大した被害はないのですが…「狂犬病ではないから心配ない。狂犬病だったら、この艦隊には将官がいなくなっとるはずだ。この子はハート(提督)もミッチェル(提督)も、艦隊艦長も噛んだ。特にハートは何度も。(言い忘れていましたが、この封鎖艦隊の副官(second-in-command)は例のハート提督です。)しかし、まだ誰も死んではおらんようだからな。」と提督。

…こういう事もなげな言い方は、ちょっとスティーブンに似ている気がする。