Chapter 2-2 ジョイント・ベンチャー


ジャック、サプライズの砲について考え、スティーブンに相談する

そういうわけで、以前の元気をかなり取り戻したジャックですが、そうすると今度は、細かい悩みや心配事が心にかかってきます。

とりあえず彼が悩んでいるのは、サプライズ号の砲撃のことです。今のサプライズ号は、ジャックの鍛えた旧クルー(砲撃が得意)と根っからの私掠船乗りが多い新クルー(砲撃は下手)の混成軍。以前のような正確で速い砲撃ができるようになるには、かなりの訓練が必要です。

それならいっそのこと、サプライズの砲を全部カロネード砲に替えてしまったらどうだろうか−と彼は考えます。カロネード砲なら、現在のキャノン砲よりずっと強力な重砲弾を撃てるし、砲自体は軽くて初心者でも扱いやすい。一方で射程距離は短く、命中精度は低い。今のように、遠くから敵のマストや索具を狙い撃つ戦略は取れず、敵艦に近づくまでは無防備になってしまう…しかし、強力で砲撃の正確なフランスやアメリカの軍艦を相手にしていた今までとは違い、これからの狙いは主に商船や私掠船になるだろう。それなら、カロネード砲でも十分ではないだろうか?…海軍時代、彼は艦のことを誰かに相談したりすることは一切なかったのですが、今は船のオーナーにだけは相談する必要を感じ…

「僕は海戦については、ほとんど知識がない。僕の意見など、言う価値もないけどね…しかし、この際、一挙両得を狙ったらいいじゃないか。毎日砲撃訓練をして、それでも技術が向上しなかったらカロネードに替えたらいい。」「しかし、砲撃訓練には金がかかる。火薬は高価だから…」「ジャック、僕たちのジョイント・ベンチャーにおいて、君が経費節減を心がけてくれるのは有難いと思っている。しかし、その節約が、事業のそもそもの目的に反するのでは本末転倒だ。今のままでは、旧クルーと新クルーの間に溝が出来てしまうと君も言っていたじゃないか。1日12樽の火薬で君の心が決まるのなら、どうかどんどん使ってくれ。」

よっ、マチュリン社長!経営者の鑑!痩せてても太っ腹!(笑)

パディーン、砲撃訓練で火傷する

そういうわけで、毎日どころか、一日何度も砲撃訓練に精を出すようになったサプライズ号。キャプテン自らあっちの砲、こっちの砲と飛び回っては、手取り足取り指導しています。「士官候補生がいないから、おれが自分で飛び回ってくたくただ。今まで思ってもみなかったが、あのガキどもも少しは役に立っていたんだな」と愚痴りながらも、実に楽しそうなジャックを見て、スティーブンもにっこりするのでした。

しかし、砲撃訓練には、特に今のように慣れていない人が多いと、事故がつきもの。救護室で待機するスティーブンとマーティンのところには毎日怪我人が来るのですが、ある日、パディーンが怪我をしてしまいました。撃ちまくり過ぎたせいか、砲のひとつの固定ロープが外れて暴走し、危ないところをパディーンが止めたのです。熱い砲を素手で止めたため両手にひどい火傷を負ったパディーンは、ボンデンに連れられて子供のようにおいおい泣きながら救護室に降りてきました。ボンデンが「よしよし、偉かったな、ドクターが治してくれるから」と優しくなぐさめ、「伸び上がって」涙を拭いてあげているのが可愛い。ボンデンは原作ではごついボクシングチャンピオンで、それほど小さくはないはずですが…がっちりしているけど背は高くないのかな。それにしてもパディーンって、映画同様、相当な巨人なんですね。

火傷はかなり重傷で、痛みがひどいらしいので、スティーブンはアヘンチンキを処方します。体の大きさに合わせてかなり多量に処方したので、マーティンさんは心配するのですが…スティーブンは例によって「アヘンチンキは現在使用されている薬の中で最も万能薬に近いもので、習慣性は酒や煙草と大差ない。不眠症や気鬱にも効果抜群で、自分もよく使っているが何の害もない」とか言って…

スティーブンは2巻から(いや多分1巻以前から)アヘン中毒の縁ギリギリをさまよっているのですが…前巻でダイアナに逃げられて以来、まただいぶんジャンキーに近づいているようです。多少知識のあるマーティンさんは、彼の使用量の多さにぎょっとするのですが、医学に関しては自分よりプロであるドクター・マチュリンに異を唱えることも出来ず。あ゛〜

海軍のスループ艦が現れる

翌日、サプライズ号はまた海軍の船を視界に捕らえます。スティーブンは「気づかないフリをして逃げたらどうか」と言うのですが、ジャックは「いや、向こうはこちらの正体に気づいているので、逃げたら後でまずいことになる。サプライズはメインマストに特徴があるので遠くからでもわかる」と言います。

ここで、ジャックは、サプライズは「a bear with a sore thumb(親指のすりむけた熊)」のように目立つ、と言ってます。例によって「like a bear with a sore head」(頭痛のする熊みたいに:ひどく機嫌が悪い)と「stick out like a sore thumb」(すりむけた親指のように突き出ている:一目瞭然)をごっちゃにしているようです。こういうのをAubreyisms(おおぶり語)と呼ぶのですけど…とにかく、クマが好きですよね(笑)。

ともかく、そのスループはバビントンのタルタロス号だということがわかって一安心。バビは信号旗でジャック・スティーブン・プリングズを食事に招き、礼儀正しくボートを迎えによこすのですが…

ジャック・スティーブン・プリングズ、バビントンの艦に招かれる

バビントンはもちろんジャックを尊敬する艦長として変わらぬ態度で迎えるのですが…軍艦である以上、守らねばならない決まりもあります。例えば、軍艦に乗艦する時は、海軍での階級順で乗らなければなりません。なのでこの場合、プリングズ(海尉艦長)−スティーブン(軍医)−ジャック(民間人)の順になります。ジャックはちょっときまり悪さを感じるのですが、幸い前を行くスティーブンが、彼にだけボーソンズ・チェア(吊り椅子)が降ろされたのにむかっ腹を立てて「僕もベテラン船乗りなのに、どうして差別するんだ?」と騒ぎ始めたので、すぐに忘れることができました。

乗艦すると、甲板にモゥエットが立っていたので3人はびっくり。彼は地中海艦隊の戦列艦イラストゥリアス号の副長として赴任するため、バビントンにジブラルタルまで送ってもらっている途中なのでした。思わぬところで同窓会となり、喜ぶ「元ソフィー号」の5人。

余談:この時点でのこの5人を階級順に並べると、プリングズ−バビントン−モゥエット−スティーブン−ジャックの順になります。プリングズとバビの階級は同じ海尉艦長(コマンダー)。バビの方が海尉艦長になったのは早かったし、今もバビが艦を持っているのに対してプリンは一度も持ったことのない「名ばかり艦長」ですが、この場合の「先任順位」はあくまで海尉任官の日付順。従って、プリングズが先任ということになります。モゥエットは海尉としてはバビより先任ですが、彼はまだコマンダーではないので階級は下。

しかし、海軍で重要なのは勅任艦長(ポスト・キャプテン)になれるかどうか、そしてその任官日付です。それが一生の「先任順位」となりますので、この3人の階級が最終的にどういう順になるかは、まだ決定していないわけです。(でもこのままゆくと、確実にバビが一番になりますが。)

ジャックが海軍に復活できるとしても、「除隊時の先任順位のままで」戻れるかどうかが重要なのはそのためです。またポストキャプテンリストの一番下からやり直しでは、キャリアが台無しですからね。

まあ、階級順がどう変わろうと、この5人の上下関係(ジャック>>>プリングズ>モゥエット>バビントン 別格:スティーブン)は昔から変わらないのですけど。

バビントンの艦で食事。ミセス・レイ(ファニー)が乗っている

タルタロス号にはモゥエットの他にもう一人、意外な人物が乗っていました。(まあ、あまり意外でもないのかもしれないけど…)アンドリュー・レイ夫人のファニーです。暴力夫がトンズラして解放された喜びからか、恋人と一緒に海にいる興奮からか、頬が紅潮してぐっと美しくなっていました。

気心の知れた友人5人(+ファニー)は、モゥエットの新作詩披露などもまじえつつ、楽しく食卓を囲むのでした。

ジャックとスティーブン、合奏する。嵐になる

バビントンは出航前にソフィーのところへ寄り、手紙を預かってきてくれていました。

ソフィーによると、姑のミセス・ウィリアムズはオーブリー氏に心から同情し、この裁判の不当さに怒っているそうです。しかし彼女の場合、ジャックが無実だと信じているわけではなくその反対。「まともな頭を持っている人間なら、機会があれば市場の操作ぐらいやって金を増やすのは当然。それが自分の財産に対する責任ある態度だ。私が同じ立場でも、同じ事をしただろう」という理由。まことに彼女らしいですね。

サプライズ号に帰ったジャックとスティーブンは、久しぶりに合奏を楽しみます。モーツァルトの即興演奏のやりとりを楽しんでいた二人ですが、だんだん海が荒れてきて、スティーブンがチェロごと椅子から放り出されそうになるほどの揺れになりました。スティーブンは立ち上がったとたんに、サプライズ号の不規則な揺れに対応できずにまた転びかけてジャックに支えられ−「スティーブン、君のシー・レッグ(船内歩行能力)はどこへ行ったんだ?」「シー・レッグの問題じゃない、この船の揺れが変なんだ。これじゃ、羽でも生えてなきゃワニだって転ぶ。

「『嵐か戦闘があれば乗員が一体になるんだが』なんて言ったのがまずかったかなあ。とんでもない大嵐を望んでいるように聞こえたかな」「僕の名付け親の曾曾祖母がアヴィラの館に住んでいて(戦争が終わったら、あの館を君とソフィーに見せたいなあ)、聖テレサ(※)と知り合いだったそうだ。聖女様が彼女に語った言葉によると、『拒否された祈りに流された涙より、叶えられた祈りに流された涙のほうが多い』そうだ。」

アヴィラの聖テレサ(1515-82):カルメル会の尼僧、神学者。ベルニーニの傑作彫刻「聖テレサの法悦」でも有名。Wikipedia: Teresa of Avila