Chapter 3-1 はじめての拿捕船


嵐は続く

テレサさまのお言葉通り、ワニでもこける嵐はその後勢いを増し、数日間続きました。ジャックは36時間ぶっ続けで艦尾甲板に立った後、寝床につきましたが、コットで熟睡している時にサプライズがものすさまじい縦揺れをしたので、ビームに思い切り頭をぶつけてしまいました。そのまま起きてプリングズが当直をしている船尾甲板に上がったのですが、ビナクル(羅針儀台)を覗き込んだとたんに頭の傷からぼたぼた血が落ちて、プリングズを心配させます。

幸い、それが嵐の最後のひと暴れでした。翌朝には嵐は過ぎ、ジャックは血まみれの包帯が片目をかくし、洗う時間もなかった黄色い髪がところどころ赤黒く固まっているという凄まじい格好で、船の修理を監督していました。船も人間もあちこち傷つきましたが、波にさらわれた者はなく、船匠のベントレーに率いられた乗員の能率的な仕事ぶりを、彼は満足そうに眺めています。「どうしてかな…おれは長年海に出ているが、無能な船大工っていうのには会ったことがない。他の仕事には必ずいるのに…横暴すぎて水夫を萎縮させてしまう掌帆長や、頑固で改善を受け入れない掌砲長はいるけど、船大工というのは、能力が生まれつき備わっているようだ。」と、スティーブンに語るジャック。

ジャックのこういう言葉って、重みがあるなあ。思うに、大工っていうのは、腕の差が誰の目にも(自分の目にも)一目瞭然なので、向いてない人が大工を続けることはないのでしょう。それに比べて他の職種は、仕事の評価に議論の余地があるのかも。映画の船匠ラム親方も、見るからに「寡黙・有能・仕事きっちり」って感じでしたね(笑)。映画のネイグルくんも、生き延びていればああいう有能な船匠になったのだろうか…(泣)

その時、船影が目撃されます。どうやらローフル・プライズ(拿捕可能な敵船)のようなので、サプライズはスピードを上げて追跡を開始しました。

サプライズ、米仏私掠船マーリン号を拿捕する

シェルマーストンを出航して以来初めて、サプライズ号は「本気モード」の走りを見せました。まだ波の荒い海を、10ノットのスピードで颯爽とかき分けてゆく彼女に、砲撃は下手でも帆船のことは知り尽くしているシェルマーストンの新クルーたちが、プロとしての賞賛をこめて歓声を上げています。

サプライズは相手にあっさりと追いつき、敵はあっさり降伏しました。(明らかに戦闘能力の劣る小型のスクーナーだったので)船の名はマーリン号。米仏共同の私掠船で、何と、因縁のスパルタン号(11巻3章参照)の僚船でした。ジャックが驚いたことに、スパルタン号はこの近くでクルーズしていて、短期間に5隻もの貿易船を拿捕したそうです。マーリン号は人質(貿易船の船長やその奥方たち)を、自分たちで身代金の手配をさせるためにフランスへ連れてゆく途中でした。その人質たちの話によると、スパルタン号の拿捕した彼らの商船はアゾレス諸島のファイアル島、オルタ港に停泊しているそうです。

アゾレス諸島とは、リスボンの沖・南米との中間ぐらいにある、9つの島からなるポルトガル領の群島。大西洋の重要な寄港地になっていました。(サプライズ号は現在この島のはるか北方にいます。)

「しかし、そんなに拿捕したのならなぜすぐにフランスへ回航しないのだろう?なぜアゾレス諸島なんかにぐずぐずしているんだ?」ジャックとプリングズは不思議に思うのですが、人質もマリーン号の乗員たちもそれは知らないようです。知っているのは船長だけのようなのですが、彼は口を割りません。

ジャック、マーリン号の船長に頼んでディナーを出してもらう。

さて、ジャックは船長としての礼儀として、貿易船の船長たちと奥方たちを食事に招かなければならないと思うのですが、あいにくサプライズ号にはまともな食べ物が残っていません。船長づきコックもガンルームのコックも乗せていないし、ジャックと他のオフィサーたちは貧乏で個人的食糧を買うことができず、唯一金持ちのスティーブンはといえば、単にうっかり買うのを忘れていたので(笑)。彼らはみんな、水兵と同じビスケット(乾パン)と塩漬け肉暮らし。お客(特にご婦人)にそんなものを出すわけにいかないので、ジャックは致し方なく、マーリン号の船長に相談します。

マーリン号の船長デュポン氏はフランス系アメリカ人。デュポンは一般的私掠船乗りの野蛮さを知っていたので、また血まみれの包帯と赤黄まだらのぼさぼさ髪をしたジャックは見るからに恐ろしげで、私掠船船長のイメージにぴったりだったので、彼が非常に低姿勢に「コックと食糧を貸していただけませんか」と頼んできたのでびっくり。快く(?)貸してくれることになりました。「私のコックは黒人ですが、腕はいいんですよ。すごい食通の男から買ったのでね。」(そう、彼はアメリカ人なんで、コックは黒人奴隷なんですね。)

そのコックがサプライズ号に渡ってくると、キリックが迎え、彼の胸に手を当て、英語があまり話せない人に対するように一語一語区切って「君、もう、自由(フリーマン)。万歳!」と言いました。コックは途惑って、「すんません、あっしはスミスっていうんですけど…」

当時、英国は奴隷制を禁止していて、「どの国の奴隷でも、英国領土内に一歩足を踏み入れた瞬間に自由人になる」という法律がありました。軍艦・民間船問わず、船の上はその船籍の国の領土とみなされるので、コックのスミスさんも、この瞬間からどこへ行ってどこで就職しようが自由になります。彼も後でサプライズのみんなに説明されて理解したらしく、感謝と喜びをこめてとびきり素晴らしい料理を作り、舌の肥えた奥方連中をも含む全員を唸らせました。

このスミスさんのその後はわからないのですが…多分、英国に行って、どこかの船かレストランかお屋敷のコックさんになったのでしょう。

スティーブン、スペイン人の商人から情報を得る

さて、招待客の中にハイメ・ガスマン氏というスペイン人の商人がいました。スティーブンは食事の後、甲板で葉巻を吸いながら彼とスペイン語で会話したのですが…彼は一応英語は話せるのですが、英国人の人質たち、特にご婦人方とひどく気が合わず、長い間誰とも口をきかなかった後に話し相手ができて喜んでいるのか、やけに饒舌でした。彼の話で、スパルタンがなぜアゾレス諸島に留まっているのかが明らかになります。

ガスマン氏は弟と共同で貿易会社を経営しています。彼らは南米のスペイン植民地向けに水銀(金の精製に不可欠で、かなり高価)を輸出しているのですが、海賊や私掠船に船を奪われることが相次ぎました。スペイン海軍が頼りにならないので、彼と弟は私掠船アズル号を私費で雇い、それに大量の水銀を載せてカディスから出航させる予定になっていました。その後、ガスマン氏は別の船に乗っていてスパルタンに拿捕されたのですが、スパルタン号やマーリン号の様子からして、どうやら彼らはアズル号の航海情報をどこかで聞きつけて、狙っているらしい。アズル号は数日後の木曜にアゾレス諸島を通る予定だが、スパルタン号はそこで待ち伏せするつもりらしい…

スパルタンのオフィサーの中に軽率な若者がいて口を滑らせたのだが、アメリカの大型フリゲート艦コンスティテューション号(6巻参照)がもうすぐアゾレス諸島に来る予定らしい。スパルタン号は高価な積荷を載せたアズル号を拿捕し、その後コンスティテューション号の護衛のもと、6隻の拿捕船とともに安全にアメリカへ帰るつもりだ。

スティーブンはもちろん、このことをジャックに報告します。話を聞きながら、ジャックの頭にある計画が形をとるのでした。

サプライズ、アズル号に偽装する

ジャックの計画は、サプライズ号をアズル号に変身させ、スパルタン号をおびき寄せて返り討ちにすること。お得意の囮作戦ですが、これには問題が二つほどありました。

一つはもちろん、本物のアズル号が到着する木曜日より前にサプライズ号がアゾレス諸島へたどり着かなければならないということ。現在の位置と風からすれば、何とかギリギリ間に合いそうですが、これ以上風が落ちたり逆風になったらアウトです。

もう一つは偽装のこと。アズル号の舷側はスカイブルーだそうですが、今回の航海はほんのテストランのつもりだったので、サプライズはあまりペンキを載せていませんでした。サプライズの黒々としたネルソン・チェッカーの上に薄いブルーを塗るとなると、何度も塗り重ねなければならず、青と白のペンキが到底足りません。

しばらくう〜〜むと考えた結果、ジャックはグッドアイデアを思いつきます。黒の上に薄い色を塗るより、白の帆布の上に薄青を塗って、それを舷側に貼りつけたらペンキは少なくて済むのではないか?

サプライズの全員、偽装作業に精を出す。スティーブン邪魔にされる

スティーブンは元々不眠症の気がある人ですが、このごろは特に眠れない夜を送っていました。毎晩寝ようとすると、ダイアナの姿が−特に、馬で高いフェンスを飛び越えているところが−目の前に鮮やかに浮かんでしまうので…いつも夜中の2時3時までなんとか眠ろうと努力し、その後結局アヘンチンキを飲んでしまって、朝はなかなか起きられない、ということを繰り返しています。眠ろうと努力すると、かえって眠れないのですよね。スティーブンは絶対に朝起きなきゃならない仕事でもないんだから、アヘンを飲むぐらいなら、眠れないなら一晩じゅう起きて本でも読んでいればいいのに、と思うのですが…

それはともかく。遅く起きてきて、濃いコーヒーでようやく人心地つき、いつものように船尾甲板に昇ると…そこでは帆布にペンキを塗る作業中でした。ことのほか熱心に作業に取り組んでいる水兵たちは、スティーブンが顔を出したとたん「サー、サー、下がって!降りて下さい!」の大合唱。ドクターをよく知らない新クルーまでもが、「彼は絶対ペンキの缶を蹴飛ばすか転ぶかして、みんなの努力を台無しにするだろう」と言うことは既に確信しているあたり…(当ってますが。)けんもほろろに追い払われ、憮然と船室に戻るスティーブン。

パディーン、ひどい歯痛になる

ところで、前章で手を火傷したパディーンですが…火傷はほぼ治ったのですが、今度は親知らずの虫歯でひどい歯痛を起こしています。生憎、スティーブンもマーティンも歯科は苦手分野。スティーブンが湿布をして、包帯をうさぎ耳に結んで(かわいい)あげるのですが、あまりに痛みがひどいようなのでまたアヘンチンキを処方します。

これが後で、とんでもない不幸に繋がるのですが…

風が落ちる

帆布を使った偽装は見事に成功し、ガスマン氏からも「見分けがつかないほどアズル号そっくり」とお墨付きをもらいます。ところが今度は、もう一つの条件が危なくなってきます。風がどんどん弱くなってきたのです。

ジャックはバックステイを引っかき、口笛を吹いて風を呼び、あるいはじっと甲板に立ったまま、意志と腹筋の力で船を進めようとするのですが…やっと風が吹き出したかと思うと、今度はまったくの逆風。必死で間切ってゆくサプライズ号ですが、木曜までにアゾレス諸島に着けるかどうかは、日に日に絶望的になってくるのでした…