Chapter 3-2 奇襲


順風が吹きはじめる。鯨の群れが通りかかる

というわけで、時間までにアゾレス諸島に着く事を一時は諦めかけたサプライズ号ですが…ある夜、風は順風に転じました。朝、「キャプテンがお呼びです」と呼びに来た上機嫌のキリックに揺り起こされたスティーブンは、甲板でこれまた上機嫌のジャックに迎えられました。「おはようドクター。これを見せたかったんだ。」

見回すと、サプライズ号はクジラの群れの中にいました。マッコウクジラの群れと、反対側に向うセミクジラの群れがすれ違うところで、海は何十頭ものクジラに、文字通り、埋め尽くされていました。「すごい、すごい。何という自然の驚異だ。」「間に合ってよかった。あと5分したら手遅れになるところだった。」

マッコウクジラは体長10〜20m、セミクジラは14〜17m。(ちなみに、サプライズ号の体長全長は約38m)15〜20頭の群れで行動するそうなので、二つの群れなら30〜40頭ですね。究極のホエール・ウォッチングだ。いいな〜。

ちなみに私は二度、ホエール・ウォッチングをした…いや、しそこねたことがあります。一度はカリフォルニアで、ホエールウォッチング船に乗ったのに、たまたま日が悪くて鯨は一頭も見えず。レインチェック(日を改めて来ればタダで乗れる券)をもらいましたが、再び行く時間はありませんでした。二度目はボストンで…出航時間を間違えて乗船できず。それほどこだわっているわけではないのですが…いつか見てみたいなあ。

パディーンの歯痛悪化する

さて、パディーンの歯痛は悪化の一方を辿っています。原語ではface-ache(顔面神経痛?)と書いてあるのですが、症状から見てやっぱり歯痛だと思う。スティーブンもマーティンも原因がわからないようですが、多分、親知らずが虫歯になって奥で神経が炎症を起こしているのでしょう…これは痛いよね。名医マチュリン先生も歯科だけは苦手だし、そうでなくても当時の技術ではこれはなかなか治しにくい…

スティーブンがアヘンチンキを処方したのは最初だけなのですが、「この薬を飲めば痛みがおさまる」と憶えてしまったパディーンは、自分でアヘンチンキを飲みだしてしまいます。ロブロリー・ボーイ(看護士)としてドクターの手伝いをしている彼は薬の保管場所を知っているし、戸棚には鍵が掛けてあるけど、力の強い彼は蝶番から扉ごと外してしまうことができたので。

映画DVDの未公開シーンで、パディーンが何かを盗み飲みしているところがありましたよね。あれ、ここを読んでいなければ何のことか分からなかったと思いますが…映画にこのエピソードを入れる計画があったのでしょうか。うーん、どう考えても、うまく入らないと思うけど。

パディーンは少し考えて、マーティンの部屋からブランデーを取ってきて、飲んだ分を補充します。アヘンチンキは元々高級ブランデーで薄めてあるので、こうすれば色も香りも味も変わらないのです。ブランデーの減った分は水で薄めます。このブランデーはプリングズがマーリン号からもらってきてガンルームのみんなに配ったものですが、あまり酒を飲まないマーティンは薄められても気づかないだろうし。パディーンはマーティンの世話もしているので、部屋に出入りしても疑われないし。

これら全ては、パディーンが考えぬいた結果と言うより、ほとんど偶然なのですが…この偶然のため、彼がアヘンチンキを飲んでいることにも、日に日に量が増え中毒になってゆくことにも、ずっと後まで誰も気づかないのでした…

サプライズ、アゾレス諸島のセント・マイケルズ(サンミゲル)島に到着。

サプライズ号は快調に南下し、アゾレス諸島セント・マイケルズ島に到着。木曜日は過ぎていましたが、まだスパルタン号が待っている可能性はある−とジャックは言います。「目的地についたのに、あまり浮かない顔だな、ジャック。」「第一段階をクリアしただけで、これからやることは山ほどあるからな。」ジャックはスティーブンに、最近彼の心に浮かんでいる疑問を打ち明けようかと思いました。つまり…

「スティーブン、こういう風に感じたことはあるかい?自分のやっていることが、実は本当のことじゃなく、役を演じているだけで、何の意味もないって?これはよくあることなのか?それとも、頭がおかしくなる前兆なのかな?」…でも、頭の中で言葉にしてみると、まるで文句を言っているように聞こえたので、言わずにおくことにしました。

元気が出たように見えても、どんなに張り切ってやっているように見えても、ジャックにとってはやっぱり海軍じゃなきゃ意味がないのかな…

サプライズ、漁船に話を聞く。アズル号らしき船が既に通り過ぎた

ジャックは、通りがかった地元の漁船から情報を得ることにします。しかし、スティーブンがポルトガル語で聞き出したところ、それは悪い知らせでした。アズル号らしき船が、すでに前日に通り過ぎて行ったしまったそうです。「まあいい、元から望みは少なかったからな。でも、万が一ってことがある。明日は予定通り偽装して、セント・マイケルズ島とセント・メアリー(サンタマリア)島の間を往復してみよう。」

水兵たちの中には、いくらかポルトガル語が分かるものがいたので、アズルがもう行ってしまったことを全員が知っていました。それでも乗員たちは、サプライズの艤装を変え、頻繁に操帆しながら行ったり来たりする大変な作業を、文句一つ言わずに黙々とこなしました。それだけオーブリー船長を尊敬しているのか。それとも、たとえ僅かな可能性でも、拿捕賞金のためなら骨惜しみしないのか…

ジャック、夜に遠くで撃ち合っている2隻の船を目撃する

その夜、ジャックはすっかり諦めてソフィーへの手紙を書いていました。「…明日には英国に向う。この航海は思ったようには行かなかったけど、少なくとも乗員の絆を深めることはできたし、マーリン号は拿捕できたから…」その時、遠くで砲声が聞こえ、ジャックはペンを置きました。

甲板に出てみると、遠くに二隻の船が見えます。一隻の船がもう一隻を追っていて、追撃砲と迎撃砲で撃ち合っているところでした。砲撃の光に浮かんだ船は、たしかにアズル号です。追っているのはスパルタン号。サプライズが少しずつ二隻に近づく間、ジャックはトップに登り、激しい追撃戦を望遠鏡で見つめていました。やがて、アズル号の動きがおかしくなり、ぴたりと止まってしまいました。「何てこった。アズル号が座礁した。」

スパルタン号はアズル号の、サプライズからみて向こう側にぴたりと横付けし、斬り込みに入っているようです。どちらの船のものともつかない、凄まじい片舷斉射の轟音が3度、響き渡りました。アズル号の(スパルタンから死角になっている)こちら側の舷から2隻のボートが降ろされ、乗員が逃げて行くのが見えます。

「武器収納箱を用意しろ。ボートで斬り込む。」甲板に降りたジャックは命令しました。「アズル号から斬り込んで、甲板を伝ってスパルタンへ行く…『ネルソンの橋』だ。アズル号に乗り込むまでは、声も物音も立てるな。斬り込んだ後は、合言葉は『サプライズ』だ。ミスタ・ウエストはサプライズに残り、合図があったら船を半マイルまで近づけろ。」

「ネルソンの橋」とは、1797年のセント・ビンセント岬の海戦で、ネルソンがスペインのサン・ニコラス号に斬り込んで拿捕した後、その艦を「橋」にしてさらに戦列艦サン・ホセ号にも斬り込んで拿捕したとことにちなんで、「敵艦を伝って行ってさらに他の敵艦を拿捕する」ことを指しています。8巻のラストでも、モゥエットくんが"You have come it the Nelson's bridge at last."(ついにネルソンの橋をやりましたね。)と言っていました。(私の感想ではちゃんと訳していなかったですけど…)

サプライズ、スパルタン号に斬り込む

サプライズ号は6艘のボートに分乗し、アズル号へ向いました。各ボートはアズル号の船首と船尾から『サプライズ!サプライズ!』と叫びながら一斉に斬り込みますが…アズルの甲板には誰もいませんでした。下部甲板にいた数人は、彼らを見ると驚いて逃げて行きました。 彼らは続いてスパルタン号に斬り込みますが…ここは例によって、少しだけそのまま引用します。

「攻撃はまったくの不意打ちだった。25人から30人のスパルタン号乗員が船尾甲板に固まり、手近にあった武器で抵抗した。マスケット銃弾がジャックの手から剣を叩き落した。槍が彼の首の横をかすめ、背の低いがっちりした男が、彼の顎に頭突きをくわせて、彼は死体の上にあお向けに倒れた。彼は横に転がり、その男をピストルで撃ち、6フィート長の重い折れた手摺りを拾い上げ、敵の一群に向って、恐ろしい力で体ごと振りつけた。彼らは後ろに倒れ、お互いにぶつかり合った。彼は手摺りを鎌のように振るい、一度に3人を倒した。彼はバックハンドでもう一度攻撃しようとしたが、その時デイビッジが彼の腕をつかみ、『船長、船長、彼らは降伏しました』と叫んだ。」ジャック、豪快な戦い方だなあ…

スパルタン号の船長はすでに死んでいて、残っているオフィサーは若者が一人だけでした。サプライズは死者ゼロ、負傷者2名。たいした被害はなかったのですが…アズル対スパルタンの砲撃戦の被害は凄まじいものがありました。両船のガンデッキは文字通り「血の海」。スパルタンのオフィサーによると、アズルに斬り込んだ時すでに誰もいなかった−動ける者は二十人ぐらいで、全員ボートで逃げた後だったそうです。アズルは座礁した時の損傷がひどく、既に沈みかけで、スパルタン号は水銀を運び出そうとしていただけ。サプライズの存在にはまったく気づいてなくて、ほとんど武器を取る暇もなかった…

因縁のスパルタン号にリベンジ成功のサプライズ号。能率的な攻撃で、怪我人が少なかったのはよかったけど…ちょっと「漁夫の利」という言葉が浮かばないでもない。

サプライズ、ファイアル島へ向う

「あれほど見事な奇襲はなかった。君がいなかったのは残念だよ、トム。」マーリン号を指揮して後から来たトム・プリングズに、ジャックは言いました。(マーリン号はサプライズより足が遅いので、アゾレス諸島目指して必死で南下している時に、ランデブー地点を決めて置いてきていたのです。)「でも、お怪我をなさったのが残念です…見かけほど重傷でなければいいのですが。」「なに、かすり傷だよ。ドクター自身がかすり傷だと言っていたから、大丈夫だ。」

この後サプライズ号は、スパルタン号が今までに拿捕した貿易船5隻が停泊しているファイアル島のオルタ港へ行きます。アメリカの軍艦コンスティテューション号が来るまでに行き、そこでマーリン号が出発の合図をして5隻を誘い出し、まとめて奪い返す…という作戦。

例によって、この後の詳細は語られてはいません。ので、ここは端的に締めくくると…「作戦は成功し、私設戦闘船サプライズ号の初巡航は大成功。オーブリー船長は、スパルタン号、マーリン号、5隻の奪還貿易船を合わせて合計7隻の拿捕船と、その高価な積荷、莫大な価値のあるアズル号の水銀を手土産に、意気揚揚と英国へ帰りました。めでたしめでたし。」

いえ、もちろんまだ12巻は終わりじゃないです。ここまででは、ジャックとスティーブンにとっては、まだ全然めでたしじゃないんですけどね。でも、少なくとも経済的には、大満足の初航海となりました。