映画感想 (6)



ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ☆☆☆☆☆

心配していた通り、ルーピン先生の出番はきわめて少なかったのですが…そんなことはまったく問題にもならない素晴らしさ。(先生ごめん。)

ハリポタは巻を追うごとに映画化が難しくなってきていると思いますが、なぜか本数を追うごとに映画の出来が良くなっている。今回はもう、テーマの絞り方、話の切り方、見せ方、完璧。脱帽。

<以下ネタバレ気味>

ハリーがチョウとキスしたことを、ロンとハーマイオニーに話して、いろいろ茶々を入れあいながら笑っているシーンが好きだ。

特に可笑しなことを言っているわけではないのに…学校の中も外も嫌なこと、怖ろしいことばかりなのに、三人でいるとなんとなく楽しくておかしくて、笑ってしまう…この宝物のような貴重なひととき。

(そんなのよくあることじゃん、どこが貴重なの?と思った若いアナタ…アナタは今、二度と戻れない美しい日々にいるのよ。まあそんなん、その只中にいる人が意識することじゃないけどね。)

そして、それが…そういったことこそが、クライマックスの戦いでハリーがヴォルデモートに勝利する本物の強さになるのだ。

今までのハリーは、本人も言っているように、「向こう見ずの勇気」プラス「幸運」でヴォルデモートに勝ってきた。今回はシリーズ中初めて、自分の内からくる本物の強さで勝利していると言える。

その強さが、誰かに鍛えてもらうとか孤独に修行するとかじゃなくて、むしろ友達に教えること、友達を信頼して支えてもらうことからきているというのが…

ハリー、成長したなあ。(2007/7/20)


レミーのおいしいレストラン ☆☆☆

良く出来たアニメーションなのだけど、ひとつ問題が…

要は、その…「最高に美味しそうなフランス料理があって、でも皿のすぐ横にはネズミがいるとします。あなたは食べたいと思いますか?」…ということなのですが。

もちろん、ちゃんと洗ったから衛生的には問題ないということになっているのでしょうけど。サルモネラ菌もボツリヌス菌もペスト菌もついていない…と思う、多分。それでも、食欲がわくかっていうと、ちょっとねえ。私はダメでした。

「誰でも夢を叶えられる」というテーマからして、ひょっとして、ネズミは貧しい出身の人とか移民とかの象徴で、だとしたらこういうことは言っちゃいけないのかもしれないけど…でも、象徴にしては毛並みがリアルすぎるのよねえ。

ミッキーマウスぐらいネズミ離れしたヴィジュアルなら、気にならないのだろうけど。あいにくピクサーの最高技術のCGなので、顔は擬人化されていても、全体的にはかなりネズミらしいネズミなのよ。「動物のお医者さん」の二階堂君なら悲鳴をあげて逃げ出すぐらい。

私はネズミ恐怖症というわけじゃないので、一匹ならまあ「アレは特別なネズミなのだ」と思い込んで許せるけど、厨房にゾロゾロと何十匹も出て来られちゃうと…ネタバレ→【ストーリー的には、結局「グストーの店」の名誉は余計に傷ついたままで終わったようなのも、ちょっと気になりました。

ちなみに、同時上映の短編「LIFTED」は☆☆☆☆☆級の面白さでした。(2007/8/2)



プロヴァンスの贈りもの ☆☆☆☆

笑える、泣けない、考えさせない、と三拍子揃った(?)、暑いときにはぴったりの映画でした。

実を言うと、観る前、ちょっとだけ心配だったのですよね。この映画を気に入らなかったらどうしようか…つまり、感想をどう書こうかと。「イマイチ」程度なら、何とでも書きようがあるのですが、もう決定的に嫌い!だったら困るなあと。この映画を好きな人が読むことは分かっているし、好きな人に向かって悪口を書くのはなるべく避けたいし、これだけ期待表明してしまった以上「観なかったフリ」で何も書かないという手もきかないし…

軽くてあまり意味のないラブコメディはむしろ大好きなので、そういう心配はしていなかったのですが…私は「都会の仕事中毒人間が、田舎の素朴な人情に触れて心を入れ替えるor子供の頃の純粋さを思い出す」みたいな話は大キライなので、心配なのはその点でした。

「プラダを着た悪魔」や「サンキュー・スモーキング」の時も思ったけれど、得意なことを仕事にして、嬉々として全力を尽くしている人というのは、見ていて気持ちのよいものです。職業が何であれ。(違法なことや反社会的なことは別ですが…と、一応言っておく。)予告編で「今日もがっぽり儲けるぞ!」と嬉しそうにやっているマックス(ラッセル・クロウ)にも同じようなものを感じて、こういう人が意味もなく「報い」を受けたり、反省させられる話だったらいやだなあ、と…

でも、そういう心配はありませんでした。ロンドンでもプロヴァンスでもマックスは結構楽しそうにやってるし、彼の性格ってば、子供の頃からラストまでけっこう一貫してるし(笑)。

まあもちろん、マックスは最後に多少ライフスタイルを軌道修正するのだけど…あれは「好きなように生きるための別のやり方」を見出したってだけで、別に反省したわけでも、性格が変わったわけでもないと思う。

<以下ネタバレ気味>

だいたい、「共同経営者になって給料は破格、でも休暇なしの超多忙生活」と、「がっぽり退職金もらって南仏でのんびり(それに飽きたら事業でも始めるか、元手もあるし)」との比較で、前者を選んだら馬鹿でしょう。「使う暇がないんじゃ、いくら稼いだって意味ないし」という当たり前のことに気づくのに、それほど深い思索や反省が必要とも思えない。

それに…マックスの才覚があれば多分、金なんぞいつでもどっからでも稼げるけど、いい女は(男も)チャンスがあれば絶対押さえておかなければならない限りある資源…これもまた、人生のシビアな真実だ。

でもマックスは、おじさんみたいに完全引退状態になるにはまだまだエネルギーが有り余っていそうだから、少しのんびりした後はまた事業に乗り出しそうだな。退職金でシャトーの権利買って経営手腕を発揮したり、レストランを開業したり…そもそも、インターネットと携帯電話があれば、南仏からでもトレーダーの仕事はできるだろうしね。(ロンドンの最前線でバリバリやるほどには稼げないかもしれないけど。)

それから、登場する南仏の人々(プラス、ナパ・バレーから来たアメリカ娘)が素朴で純粋とか思ったら大間違い。みんな絶対に我を曲げないし、自らの目的のためには手段を選ばず、ウソだってつきまくる。だからマックスとも意外と気が合ったりする(笑)。でも、それはお互い様って感じで、誰かが犠牲になるわけでもないし、みんなのびのびと楽しそうにワガママを通しているので憎めないのだ。

考えてみればこの映画、映画の最初と最後を比べて、登場人物の誰ひとりとしてあんまり変わってない。それぞれ好きなように生きてきた人々が、特に反省もせず苦難にも遭わず、マイペースを貫いたまんまでみんな望みのものを手に入れました、めでたしめでたし、って話。そこが不満な人もいるだろうけど、そこがいい、と私は思う。

まあ確かに、恵まれた人々の贅沢な選択の話って言えばそれまでで、特に深い意味や教訓があるわけじゃない。この手の映画が特に好みじゃなくて、ワインにも南仏にもラッセルにも他の俳優にも特に興味がなければ、楽しく見たとしても5分後には忘れてしまえる映画かもしれない。

でもそれでいいのだ。これは「休暇の映画」なのだから。

ここんとこ、思い入れが強すぎて感情的に負担の大きいフィクションにちょっと疲れ気味で、「涙腺超弱の私でも絶対に泣けない映画を求む!」という気分だった私の注文にハマったのも、タイミングが良かった。あまり深刻な映画は観たくないこの暑さもあるし、タイミングのせいで評価が多少良くなっていることは否めませんが…

でもいいよね。コメディとビジネスに大事なのはタイミングだということだし。(2007/8/13)


トランスフォーマー ☆☆☆☆

これを観に行ったのは、夏休み前のほんの暇つぶしと、ラッセル・クロウの若い頃にそっくりだという(ホントですね!)主役のシャイア・ラブーフくんの顔を拝むという目的のためだけで、本当にたいした期待はしていなかったのですよ。ところが…

なんだ、どうして誰も私に教えてくれなかったの?(<誰に言ってるんだか)めちゃめちゃ面白いじゃないですか、これ!

ええ、認めますよ、私は12歳の男の子をワクワクさせるように計算されて作られたシーンにワクワクできる感性の持ち主です。(でも、30歳以上の女をワクワクさせるよう計算されたシーンにもちゃんとワクワクするよ。つまり、幸せ者ってことよね。)

いやもう、この脚本書いた人は、観客へのサービスってことを分かってる。たとえばステーキハウスなら、「ウチはこだわりの極上ステーキを出す店なんだから、他のものが欲しいならヨソへ行きな!」という店じゃなく、「当店へいらっしゃった以上は、たとえあなたが菜食主義者でも満足させずには帰しませんよ!」という店なのだ。

<以下ネタバレ気味>

まあ、たしかに完璧ってわけじゃない。ヒーローはサム君とロボットたちだけに絞った方がいいのに、あの若い軍人を準ヒーローとして無理やり活躍シーンを突っ込んでいるために、クライマックスでちょっと焦点がバラけてしまったのは惜しいと思う。(軍の協力を得るための条件だったりして?とかちょっと邪推。)

それにしても、このトランスフォーマーたち、地球文化に毒されすぎ(笑)。特にハリウッド映画に。ひょっとして、車に身をやつしてドライブインシアターに通ってたりした?

でも、オプティマスたちはともかく、19世紀から眠っていたはずのメガトロンまで、一昔前のハリウッド映画の悪役みたいな英語を喋るのはなぜだろう(笑)?

ま、いいや細かいことは。これだけ楽しませてくれれば。とにかく前半、笑いっぱなしでしたよ。バンブルビーくんの音楽センスがナイスでした。「彼」はかわいいなあ。トランスフォーマーはなぜか全員、自己の性別認識は男のようですが、「ボロ車」と言われたとたんプンプン怒って(多分)すぐにキレイに変身してくるあたり、バンブルビーくんはひょっとして女の子っぽい?「クリスティーン」(スティーブン・キング)より性格良さそうだけど。

とにかく…男でも、女でも、ロボットでも、CGバリバリのSF大作映画でも、「愛嬌」がなくっちゃね!…という映画でした。(無理やりなまとめ方。)(2007/8/15)


南極物語 ☆☆☆

とにかく暑いので、涼しそうな映画を見てみました。

私は特に犬好きじゃないんですが(飼ったことないし)、とにかくこの映画のハスキーとマラミュートはかわいい!名演技!毛皮がもこもこ!

それにしても、南極で外で寝ているほど寒冷地向きの犬種なのに、こんなに暑い日本で飼うのって可哀相だなあ。そういえば、「動物のお医者さん」でもハスキー犬の毛を刈っちゃう話があったっけ…(2007/8/28)


ウェディング・クラッシャーズ ☆☆☆

えーと、この映画自体は、そんなに悪くないのです。ヴィンス・ボーンと、終盤で出てくるアノ人(「ああ、コイツだったのか!」ってカンジ)には笑わせてもらったし。基本的に、プレイボーイが悔い改める話なんですが、こういうのはえてして悔い改める前の方が面白いのよね。

…でもね、これも含めて、この手のラブコメで、ときたまどうしても、すごくひっかかることがあるのですよ。今回はそれについて書きたくなりました。

この映画の他に例を挙げると、「星に想いを」とか「ウェディング・シンガー」とかなのですが…つまりね、ヒロインが元々つきあっている彼氏(主人公のライバルになる男)があまりに徹底的にイヤなヤツで、そもそもどうしてこんなやつとつきあっているわけ?ということなんですが。まあ、主人公を引き立てるためとか、主人公が非常識な行動をして奪っても観客が納得するように、なのかもしれないけど…

でも私は、そもそもそんなヤツと付き合っているヒロインの知性を疑ってしまうのよね。(で、そんなヒロインに恋する主人公も、外見だけに惹かれているように見える。)

しかも、ラスト近くになって主人公が万難を乗り越えて助けに来なければ、その男と結婚してしまうつもりだったりする。…あのさ、こんだけあからさまに最低なヤツなんだから、そこまでゆく前に自分で気づいて自分でフレよ!

なんかね、「女性は自らの愚かな決断から男に救ってもらわなければならない」と言っているようで、どうしてもひっかかるのです。

その点、ノーラ・エフロンなんかはさすがによく分かってて、「めぐり逢えたら」のビル・プルマンとか、「ユー・ガット・メール」のグレッグ・キニアとかは、メグ・ライアンが付き合っている理由はわかるだけのまともな男だし、その一方で、今一歩物足りないところもちゃんと描かれていて、メグがトム・ハンクスに引かれてしまうのも分かるようになっているし…

なんか、どっちも話それまくりで全然映画の感想になってないですね(笑)。いつもですが。(2007/8/28)


シッコ ☆☆☆☆

マイケル・ムーアの映画の感想が書きにくいのはたぶん、映画自身が十分に言いたいことを言い尽くしているので、他に付け加えることがないからだろう。とにかく、見て下さい、としか言えない。

しかしまあ、それだけではなんなので、感想をひとことで言えば…「話には聞いていたけど、これほどヒドイとは。

ちょっと、マイケル・ムーア自身もそう思っているんじゃないか、という気もしました。「アメリカの医療制度のヒドさ」をテーマに映画を撮ろうとしたけれど、調べてみたら思った以上にヒドかった、と。いつもの鋭い皮肉や毒っ気が影を潜めているように見えるのも、そのせいかもしれない。

病人をわざわざキューバに連れて行ったのも、はじめは「あんたらが常々ヒドイ国だと言っているキューバの方が、医療に関してはマシじゃないか」という、ムーア一流の強烈な皮肉のつもりだったのでは。ところが、行ってみたら本当にキューバの方がずっとずっと良くて、患者が「こんなにちゃんと診察してもらったのは初めてだ、ありがとう」と涙を流す事態になり、皮肉や毒を通り越して大マジになってしまった。あれ、ムーア自身もちょっと予想外だったのかも。

この映画を見て非常に強く感じたのは、医療の問題というのは、世の中の全てのことの基盤になっているということだ。人間、何をするにしても、健康な体あってこそだものね。

そのせいかもしれないけど…この映画を見て、今までに見てきたアメリカ映画・ドラマの中のもろもろの事が、改めて実感として納得できたりしました。

「インサイダー」で、喘息の娘がいるワイガンド博士が、タバコ会社からの医療費支給を打ち切られるのを怖れて会社を告発するのをためらっていたこととか。「恋愛小説家」で、リッチな売れっ子画家だったグレッグ・キニアが、強盗に襲われて入院したとたんに破産して、人生すべてガタガタになってしまったこととか。

テレビの「ER」で、「緊急」救命室のはずなのに、どう見ても慢性疾患の人々がいつも待合室でうろうろしている理由とか。「デッド・ゾーン」第4シーズンの「ダブル・ヴィジョン」で、息子が脳死状態になってしまった父親が、保険会社の担当者と医者を狙撃しようとした訳とか。それから、「MR.インクレディブル」で、ミスター・インクレディブルことボブ・パーの「転職後」の職業が保険会社の審査員であった意味とか。

切実に保険金を必要としている人…それも、イザという時には保険金がおりると信じてせっせと掛け金を払ってきた人々に、いろいろ理由をつけて「あんたにはわが社の金はやらねえよ」と突っぱねる仕事。スーパーヒーローとしての活動を禁止されたボブが、嫌々やらされている仕事がこれだったのは、これがヒーローとして人を助けることとは対極にある仕事だからなのかも。困っている人を見捨てれば見捨てるほど、「コストを削減した有能な社員」として評価されるなんて…世の中に、こんなみじめな仕事はない。

最初の方に出てきた元保険会社の相談員の女性が、かつて突っぱねた人々を思い出しながらはらはらと涙を流しているのを見て、思わずもらい泣きしてしまいました。ええもちろん、彼女よりも突っぱねられた病人のために泣くべきなんですけど…なんか、彼女の痛みもわかっちゃって。

マイケル・ムーアはこの映画の中で、「国民皆保険は『社会主義的』だと言うが、米国だって『社会主義的』制度は持っている。消防署は火事が出れば無料で火を消すじゃないか。」と言っているけど…「自立自助」がモットーのアメリカでも消防車はタダなのは、「この家の人は料金が払えないから」と言って火事を放っておいたりしたら、火が燃え広がって、町中が大変なことになるからだろう。

でも本当は、病気や貧困ってのも火事とおんなじで、他人の事だと思って放っておいていると、どんどん延焼して社会全体に被害が広がるんじゃないか…と思った。

日本にとっては、これは「対岸の火事」ではなくて「他山の石」とすべき事例なのでしょうね。

もうひとつ、忘れないうちに…字幕で、金額の話が出るたびに日本円に換算した数字を併記しているのはグッドジョブ!でした。「ひええ、XXXドル(XX円)もかかるのか!」「いいなあ、XXポンド(XX円)しかかからないのね!」というのがカンジンな映画なのだから、高さ・安さの感覚がぱっと分かった方がいいものね。日本に住んでいる身には、「アメリカでは100ドルもする薬が、ここでは5セントなんて…」より、「アメリカでは12000円もする薬が、ここでは6円なんて、なぜなの、馬鹿にしてるわ!」と言って流す涙の方が、よりダイレクトに心に響くのだ。(2007/9/3)


パンズ・ラビリンス ☆☆☆☆

1944年スペイン、スペイン内戦後の、ファシズム政権による弾圧の時代。残酷さと恐怖が支配する世界。

内戦で父を失い、母が再婚した怖ろしい悪魔(ゲリラを弾圧するフランコ軍の大尉)の手に囚われた少女オフェリアのもとに、ある日パン(牧神)が現れ、彼女はいにしえの昔に行方不明になった地底世界の王女だと告げる。王国に戻るためには、少女は三つの試練に挑まなければならない…

おとぎ話の世界が、辛い現実からの「逃避」であるという言い方は、ここではふさわしくない。なぜなら、ファンタジーの世界も、現実と同じぐらいに厳しく恐ろしく残酷なところだから。

でも、ひとつだけ違うのは、ファンタジーの世界では、子供は運命に流されるだけの取るに足らない無力な存在ではないということだ。彼らは生まれつき特別な存在であり、重大な使命を負っていて、勇敢に闘って運命を切り開かなければならない。

そういう点では、(ギレルモ・デル・トロが監督を断ったという)ハリー・ポッターも同じなのだけど…違うのは、こちらは本当の子供は見られない映画であるということと(※)…それから、ファンタジーに影を落とす「現実」のあまりの重さだ。

※暴力描写に甘い日本ではPG−12指定ですが、これはちょっとどうかと思う。他の国では最低でもR15、成人指定の国もあるのに。

以下ネタバレ【三つの試練に立ち向かう少女を、思わず応援してしまうのだけど…最後になって、何を応援していたかに気づいて、うわーっとなってしまった。そうよね、「試練を果たせなければ、あなたの魂は人間界に残る」ってことは、果たせた時には…

スペインの暗い時代(独裁政権)が、この後30年以上も続いたことを考えると、この物語がどうやっても(現世的な意味では)ハッピーエンドに辿り着くはずのないことは、最初からわかっていたのだけど。

まあ私、ほんとは嫌いなんですけどね、最後に子供が死ぬ映画って。でも、このラストは、「汚れなき悪戯」とか「フランダースの犬」みたいな、「無垢なまま天に召される魂」というのとは違う気がしました。

むしろ、ラストに咲く花が、肉体は死んでも滅びない精神、長い絶望の時代を生きぬく不屈の勇気の象徴のように感じました。(と、こういう風にはっきり書いてしまうと、ちょっと野暮かもですが。)


とにかく、とことん暗いのにネガティブではなく、無茶苦茶グロいのになぜか美しく、わけのわからんパワーを感じた作品。

私は「童心に帰る」っていう言葉がなんとなく嫌いで、常々、ファンタジーだからって「童心に帰って」見なければいけないことはない、むしろ大人の知識と理解力がないと分からない部分もあるだろう、とか考えていたのですが…これなんかは完全に、大人にしか分からないファンタジーだと思いました。(2007/10/11)


ヘアスプレー☆☆☆☆1/2

お待たせしました、公開日まであと5日ということで、「ヘアスプレー」の感想を。

いろいろ、とりとめのない感想なので(まかたい)、「曲別」にまとめることにしました。長いので4回シリーズ(ぐらい)に分けますね。

"GOOD MORNING BALTIMORE" おはようボルチモア

♪Oh,oh,oh, 今日も目覚めて、いつものように、食べ物じゃないものに飢えている気分…(トレーシー)

やっぱりミュージカルというのは、最初のカマシが大事だと思う。

これがどういう作品であるのか、主人公はどういうヤツであるのか、高らかに宣言するのが最初の歌なんだな。(余談:それを考えると、「プロデューサーズ」の映画版が「キング・オブ・ブロードウェイ」をカットしてしまったのは、やっぱり大きな間違いだったと改めて思ったり。)

また「ヘアスプレー」の場合、その成否はかなりの部分「トレーシーのキャスティング」にかかっていると言っても過言ではないのだけど…「さあ、これが映画版のトレーシーですよ!」とファンファーレつきでintroduceするのが、この歌なのだ。

いや、ニッキー・ブロンスキーちゃんは素晴らしい!「1000人の中から選ばれた」そうだけど、1000人って、オーディションの数としてはそんなに多くはない。でも、何人だろうと関係ない。他には考えられないほどぴったりなのだもの。ほんと、よくこんな娘を見つけてくるもんだ。アメリカって、層が厚いっていうか、どんな役でも、ちゃんと注文通りの人が見つかるんだなあ。来日した時の「素」のビデオなどを見ても、元気いっぱいで性格良さそうで、まさに地のままでトレーシーそのものという感じです。

追記:ここでは、オリジナル映画のジョン・ウォータース監督がカメオ出演しているのでお見逃しなく!(ハマリ役。)

"THE NICEST KIDS IN TOWN" 街一番のよい子たち

♪読み書きなんてできなくたって、歌って踊れりゃいいさ(コーニー・コリンズ)

考えてみれば、午後四時から始まるティーンの人気番組って、子供たちを学校から真直ぐ家に帰らせるという意味で教育的効果抜群ですね。「寝不足になっても授業中居眠りすればいいさ」とか歌ってるけど、午後四時スタートの番組で寝不足にはならないと思う(笑)。

"(THE LEGEND OF) MISS BALTIMORE CRABS" 「ミス・ボルチモアの蟹」の伝説

♪他の娘たちはブラにパッドを入れたけど、私は審査員と寝たのよ!(ヴェルマ)

この映画版のキャストはみんなイイのだけど、一番うれしい驚きだったのは、実はミシェル・ファイファーです。こんなに歌える人だったんだ!いや、「恋のゆくえ〜ファビラス・ベイカー・ボーイズ」で、歌えるのは知っていたはずだけど…なんだかあの時は、「この映画のためにトレーニングしました」みたいな感じだったので、あまり「プロ」という認識はなかったのです。でも、なんのなんの、これだけ歌えれば十分立派に「ミュージカル・スター」ですわ。

この歌、字幕では単に「ミス・ボルチモア」となっていたけど、正確には「ミス・ボルチモアの蟹」。カニ料理はボルチモアの名物…でしたね、たしか。(「恋愛小説家」という映画に出てきた。そういえば、ボルチモアが保守的な土地柄だというのもあの映画で描かれていたような…いや話がそれました。)

舞台ではダンスにカニっぽいアクションが入っていて、よりユーモラスな感じでしたが…映画はわりとカッコ良く決めていて、CG処理で若返ったミシェルが華麗にバトンを回しています。

この映画の字幕(戸田さん)は、微妙に古い言葉遣いが時代背景に合っていてナイスなのだけど、若い方々には「シネスコ」は分からなかったのではないかな(笑)。

"I CAN HEAR THE BELLS" ベルが聞こえる

ベルと言っても学校の始業ベルでも非常ベルでもなく、ウェディング・ベルのことね。

好きな男の子とちょっと肩が触れただけで一瞬で結婚式まで妄想してしまう(ちょっと怖い)乙女心の歌。いや、トレーシーの場合、結婚式どころか、「長い幸せな結婚生活のあと天に召されて、天国から一緒にこの世を見下ろしながら恋に落ちた今日を思い出している」ところまでいっちゃってますから…

舞台ではハンドベルを巧みに使っていて、それも笑えたのですが…映画では場所を学校に移し、廊下・女子トイレ・男子トイレ・体育館・保健室・教室と背景を生かした映画ならではの演出で、抱腹絶倒のナンバーを繰り広げています。

"LADIES' CHOICE" レディのお気に入り

リンク役ザック・エフロンのファンのためにサービスしたと思しき、映画オリジナルのロックン・ロール・ソング。なかなか良い曲です。ザックくん、エルビス・プレスリーを参考にした(と、「めざましテレビ」で言っていた)動きでカッコよく歌っています。

"THE NEW GIRL IN TOWN" 新入りのあの娘

これも映画オリジナルの曲。というか、舞台で没っていた曲を復活させたようですね。これの代わりに、舞台では最後の方でアンバーが歌う「Cooties」という歌がエンドロール回しになっているのですが…こっち("The New Girl in Town")の方がいい歌だなあ。

「コーニー・コリンズ・ショー」レギュラーのアンバーたち「白人組」が歌っているのに続いて、月に一度しかない「ニグロ・デー」で同じ歌を歌っているシーンにつながるのですが…こうやって比べると、明らかに黒人組の方が実力が上なのが分かる。アンバーの歌もそれなりに上手いのだけど、ニグロデーの人たちに比べると、「プロ」と「上手な素人」の違いという感じ。トレーシーが「ニグロデー大好き!毎日がニグロデーだったらいいのに」というのも分かる。彼女は音楽の趣味がいいのね。

この曲のシーンが、後半のニグロデーの中止やデモにうまく繋がってくるのです。

"WELCOME TO THE 60's" 60年代ヘようこそ

私はサイズ10だった時以来、外に出たことがないのよ。(エドナ)
ママ、外の世界は変わってきているのよ。きっと気に入るわ。人と違う人たちの時代が来ようとしているのよ!(People who are different, their time is coming!)(トレーシー)


シュープリームズ風の三人娘がポスターから歌いかけ、ジョン・トラボルタ演じるトレーシーの母エドナが華麗に大変身するとびきりキュートなナンバー。

人と違う人たちの時代。そはれもちろん、太っている人のことだけを言っているのではなく、人種の話だけでもなく…あらゆる意味で、世間の基準から外れてしまっている人たちが、自分が自分であることを恥じないでいられる時代ということ。もちろん、ゲイの人たちも含めて。このミュージカルでママ・エドナを必ず男性が演じるのも、ちゃんと意味があることなのだ。

このミュージカルが「60年代にようこそ」という時、それは今も続いている、これからも続く変革の始まりの時代として見ているのであって、どっかの「昭和三十年代ブーム」みたいに、単に「昔はよかった」というノスタルジアに浸っているだけじゃないのよ。

なんか、ハッピーなナンバーにあんまりふさわしくないカタいことを書いてしまいましたが、こういうテーマをシリアスタッチではなく、元気爆発、キラキラど派手なナンバーに乗せて送るのが「ヘアスプレー」流。

"RUN AND TELL THAT" それが真実さ

♪ベリーは黒いほどその果汁は甘い チョコレートは色が濃いほど味わいは深い(シーウィード)

トレーシーの「居残り友達」の黒人青年シーウィードが歌う「ブラック・パワー」な一曲。

えーと、「そんなこと知っとるわい!」と言われるかもしれないけど、ここでひとつ講釈を…

「ニグロ(Negro)」は今では差別表現と言われているのに、これに出てくるテレビ番組の月一度の「黒人バージョン」放送がわざわざ「ニグロ・デー」と呼ばれていることに疑問を持った方もいらっしゃるかもしれません。実は、1960年代に「ブラック・パワー」「ブラック・イズ・ビューティフル」というムーブメントが起こるまでは、「ブラック」の方が差別的…というか「失礼な」呼び方で、人種を表す「ネグロイド」という用語から来ている「ニグロ」の方が、よりニュートラルな「普通の」用語だったのです。

しかし1960年代になって、公民権運動の広がりと共に、今までネガティブにとらえられてきた「ブラック」という言葉を見直す動きが広まりました。なんで白人たちは、おれたちの肌が黒いことをわざわざ遠回しに表現するんだ?なぜ黒という言葉を避ける?黒は恥ずかしいことじゃないぞ。黒は美しいじゃないか。黒は力強いじゃないか。…というわけで、「ブラック」を避けるために使っていた「ニグロ」という言葉が逆に差別的ととらえられるようになったのでした。(「有色(colored)」もほぼ同様。)…以上、簡単にまとめすぎですけどね。

この映画の日本語字幕で、「ニグロ・デー」が全部「ブラック・デー」と言い換えられているのを見て…そういう歴史を無視して「言葉ごとなかったことにしてしまう」という日本の差別用語に対する対処方法というのも、どうだかなー、と思いました。まあ、いちいちこういう解説をつけるわけにもいかんし、誤解を避けるためにはしょうがないのかもしれないけどね。

野暮な解説はこのぐらいにして。この曲も、映画ならではの場面移動を駆使して躍動感のあるナンバーに仕上がっています。シーウィード役のイライジャ・ケリー、ばっちりです。

"BIG, BLONDE & BEAUTIFUL" ビッグ、ブロンド&ビューティフル

♪木がまるごと手に入るのに、小枝を欲しがるやつがいるかい?(モーターマウス・メイベル)

このナンバー、大好きなんですけどね。…映画に関して、はじめてちょっとだけネガティブ意見を書きます。

モーターマウス・メイベルにクイーン・ラティファっていうのは、もちろん他には考えられないずばりの適役であり、歌唱力といいスターバリューといい、申し分ないのです。しかし…私はなぜか、「ハマりすぎて物足りない」という贅沢な不満を持ってしまったのですよね。

クイーン・ラティファは、太めとはいえスタイルは洗練されていて、歌声も美しく、金髪も実際に似合っているのです。これは、トラボルタのエドナが「案外、可愛らしい」っていうのにも共通する複雑な気持ちなんですけど…

舞台のエドナは「これを女と言い張るか??」というほどのごっついダミ声のおっさんであり、メイベルは死ぬほど似合わないキョーレツな金髪をふりたてた丸々太ったおばはんであり、だからこそこのナンバーには、こちらの偏狭な美醜の基準を根こそぎ吹っ飛ばしてくれるような、強烈な爽快さがあったのです。まあ、映画ではそれは難しいのかなあ…

"I KNOW WHERE I'VE BEEN" 来た道を知っている

♪私たちの歩んで来た道 途中で多くを失ったけれど 得られる宝は きっと犠牲に値するはず(メイベル)

デモのシーンでメイベルが歌う、このミュージカル唯一のスローバラード。こっちは、クイーン・ラティファがさすがの貫禄で見事に歌い上げています。

なんのかんの言って、このシーンでは泣いてしまった私…「どんな映画でも必ず一度は泣く」という連続記録をまた始めてしまいそうですわ。

"(YOU'RE) TIMELESS TO ME" 君は永遠のひと

エドナと夫のウィルバー(クリストファー・ウォーケン)が愛を確かめ合うナンバー。お二人の年代に合わせてか、40年代の全盛期ミュージカル映画のテイストで歌い踊っています。「フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース(X約3人分)」という感じ。

ウォーケンが「もとは舞台ミュージカル出身」というのは、噂では聞いたことがあったのですが…映画では歌もダンスも一度も見たことがなかったので、なんだか「都市伝説」みたいな感じがしてました(なんじゃそりゃ)。「ディア・ハンター」で初めて彼を見て以来約30年、ようやく彼の歌を聴きましたよ。

いやその、特に上手いってことはないのですがね(ごめん)。…もう「聴けた」ってだけで貴重なのです。

"WITHOUT LOVE" 愛がなければ

♪愛のない人生なんて まるで踊れないビート 愛のない人生なんて まるでドリス・デイ出演のアポロ劇場…(シーウィード&ペニー)

このミュージカルで二番目に好きな曲。

このあたり、映画と舞台とは微妙にストーリーが違っています。舞台ではトレーシーとリンクはこの曲を鉄格子ごしにデュエットするのだけど、映画のストーリーではこの時点の二人は離れ離れで、デュエットできないはずなんですが…なんと、映画ならではの実にラブリーな方法でデュエットしてくれます。あーもう、かわいい。二人とも超カワイイよ(笑)。

ペニー&シーウィードの「チェッカーボード」カップルもかわいいなあ。ペニーはもともと、ロリポップなめてたキャンディボイスのお嬢ちゃんが「禁断の恋」に落ちたとたんに色っぽい女に変身するという、うっかりするとトレーシーを食ってしまうほどの美味しい役柄なんですが(だからこそ、トレーシーにはとびきりの娘をキャストしないといけないのだ)…アマンダ・バインズもばっちりハマっています。さすが、若手では唯一ポスターの名前が大人組と並んでいるほどのキャリアの持ち主。

この映画、スター揃いの大人組キャストもいいのだけど、実はもっと素晴らしいのが若手組キャスト(ニッキー、ザック、イライジャ、アマンダ、ブリタニー・スノウ)なのです。

もっとも、撮影を始める前に二ヵ月半に渡って徹底的にトレーニングしたそうですが。まあ、そうでしょうね。

4回シリーズにしようと思っていたけど、次が長くなりそうなので5回にします。

長々と書いてきましたが、これでラストです。

"YOU CAN'T STOP THE BEAT" ビートは止まらない

♪シーウィード、誰かが私たちを止めようとしたら、NAACP(全米有色人地位向上協会)に言いつけるわ!(ペニー)

♪全速力でやってくる「今日」を誰にも止められない 昨日はもう過去のこと 二度と戻っては来ない 明日は新しい日 白も黒も区別がなくなるよ(メイベル)

<以下ちょいネタバレ>

先にネガティブ意見を片付けてしまいますね。えーと、まず、舞台の「客席で立ち上がって一緒に踊る」というテに対抗するだけものを映画というメディアで打ち出すのは、どうやってもやっぱり難しいのかな、と思いました。

あと、舞台ではヴェルマとアンバーの親子が、みんなに「さあ、あんたたちも一緒に踊んな!」と言われて、最初は「ダメ、ムリ」と拒否するけど、そのうちヤケクソのように♪私ら親子はぁ、今まではずっと誰かに媚びて生きてきたけど〜、これからは自分たちで楽しむもんね〜♪と踊り出す…というところが特に好きだったのですが、映画にはこれがなかったのが残念でした。

全体に、とにかく最後はぱーっと行こうぜ、という「踊るアホウに見るアホウ」状態(笑)の舞台と比べて、映画はやや理屈よりというか、「人種統合」という点をより強調したストーリー重視のつくりになっていると思います。(たとえば【ミス・ヘアスプレーの勝者が、舞台とは違っている】点とか。)私としては、ストーリーの結末なんかより、とにかくダンスを見せてほしかったのですが、まあそれは無理というものかな。映画ですしね。

まあ、舞台と比べてどうのこうの言うのはいいかげんこのぐらいにして…(もう十分言ってますが)

さて、このミュージカル(舞台も映画も)を見ると、なぜこれほど元気が出るのか。それは単に、楽しい歌やダンスがいやというほど詰まっているからだけではなく(それもあるけど)、登場人物がみんなそろって超ポジティブで超エネルギッシュだからでもなく(それもあるけど)…最後のこの歌のおかげが大きいのかも。

私が脳天気なハリウッド映画をこよなく愛する、ハッピーエンド大好きのごくごく単純な人間なのは、今までに何度も書いた通りですが…この歌って、ある意味、究極のハッピーエンドなんですよね。

なんたって、ビートは止まらないのですから。

これが普通の(非ミュージカル)映画だったら、どんな完璧なハッピーエンドでも、それはそのストーリーがよい結末を迎えた(この映画の場合、【TV番組が人種差別撤廃した&ヒロインたちの恋が実った】)というだけで、いい気分にはなっても、よっぽどのことじゃないとその場だけで終わってしまうのですが…ミュージカルの場合、それが音楽というものの凄いところで、なんというか、それが広がり、かつ持続するのです。

「RENT」を見た後で「No day but today」というフレーズがなかなか頭を去らず、わけもわからず「ああ、生きてるんだから今日を大事にしなきゃな」という気分になったように(ほんと、単純なんです)…「プロデューサーズ」を見た後しばらく「Keep it gay! Keep it gay! Keep it gay!」が頭の中をぐるぐる回って毎日をちょっぴり明るくしてくれたように…「ヘアスプレー」を見た後は、You can't stop the beat! You can't stop the beat!と呪文のように回っています。しかも、No Day But Today や Keep it Gayより強力なのは、この曲はもれなくダンスがついてくるってことですね。(あ、いや、脳内ダンスですよ。所かまわず踊ったりはしてませんよ。)

とりわけ、この「You can't stop the beat」というのは、これでもかってぐらいの、究極の楽天主義の歌ですものね。世の中のもろもろのことが、なかなか変わってゆかないように思えて絶望的な気分になったとしても、一時的なバックラッシュで後退を余儀なくされても、一度始まったビートは止まらないのだ、という…

しかも、「ビート」には人種問題だけじゃなくて、それぞれ好きなように何でもあてはめて考えられるってところが究極なのです(笑)。

また映画では、世の中放っておいても「自然に」そうなってゆくわけじゃない、ってところもちゃんと描いているのがいいと思います。

以下、またしても話がカタくなりますが…

私は甘かったわ…世の中、自然に公平になってゆくと思っていたなんて。そうはならないのね。私みたいな人間は、父親の保護の元を飛び出して、戦わなければならないのよ。(トレーシー)(I think I've kind of been in a bubble... thinking that fairness was gonna just happen. It's not. People like me are gonna have to get up off their fathers' laps and go out and fight for it. )

この映画を「天真爛漫な女の子のシンデレラストーリー」として売っているのは、まあ宣伝の方向としては間違ってはいないと思うけど(宣伝では、ひたすら明るく楽しい映画で押したほうがいいとは思うし。実際、楽しい映画なんだし)、本当のことを言えば、トレーシーは全然、シンデレラなんかじゃないですよね。明るく元気で性格良くて前向きなら、幸せはきっとやってくる、という話じゃないのです。

私は普段、あんまりこういうことは考えない方なんですが…この映画が若い女の子たちに人気があるようなのは、素直に嬉しいと思えます。

最近はやりの言葉で、「空気が読める」とか「読めない」とか言いますが、私あれが大嫌いでね。ちゃんと説明しなくても「空気」で分かり合えるっていうのは、みんなが同じ感覚・同じ価値観を共有している(そしてそれに外れている人を排除する)という前提があるわけです。そして「ヘアスプレー」とトレーシーは、そういう精神とは対極にあるのだと思います。

トレーシーはオーディションでヴェルマに「あなた、人種統合プールで泳ぐ?」と質問されて、「ええ、もちろん。私は人種統合には大賛成です。」答えていましたが、あれなんか「空気読めない」返答の最たるものですよね。それがよいのです。

あ、それから、映画のラストで、トレーシーの影響を受けたリンクが最後にとる行動は「女が男をリードして変える」という点も強調していますね。

ニッキー・ブロンスキーちゃんのお人柄(?)もあってか、ジョン・ウォーターズのオリジナル映画はもちろん、舞台に比べてもトレーシーのキャラはだいぶん毒っ気が少なくて、より多くの人が「かわいい」と言うような女の子になっておりますが…みんながそれにダマされて(?)、彼女の変わりもんで頑固で我が道を行くところにも伝染してしまってほしいと思います。

"COME SO FAR (GOT SO FAR TO GO)" 遠い道を来た(まだ先は長い)

そして、エンドロールに流れる映画オリジナルソングがこれ。

♪昔からの友達と肩を並べて、一年ごとに進んできた 曲がりくねった道だったけど ここまで来られたのはこの道を来たから 悪い時はやりすごし でも記憶が薄れる前に 許そう、でも忘れない そして過ちから学んでゆこう だって、年を重ねるごとに 私たちは強くなっている だからあきらめずに また出発しよう 長い道を来たけれど まだまだ先は長いから(トレーシー、リンク、メイベル、シーウィード)

この歌の歌詞、字幕が出たかどうかよく覚えていないのですが、どうも出てなかったような気がするので、長めに引用してみました。

なんか、その後の登場人物たちが、ずっと未来になって、1962年から現在までの人生を振り返って歌っているみたいな歌詞ですね。(比喩でも「歩んできた」じゃなくて、車に乗ってるあたりがアメリカですけど)

前に進み続けよう 自分のペースで 必要なコンパスは自分のハートだけ この道を進み続けよう バックミラーに見えるのは過去だけだから だって、はっきり分かる 年を重ねるごとに 私たちは強くなっている だからライトを照らし 手を取り合って 明日へダンスしてゆこう 長い道のりを来たけれど ベイビー、まだまだ先は長いのだから。

おまけ:ニューヨークはロックフェラーセンターから生中継のNBCの映画宣伝番組。これ、チョサクケン的に問題あるのは分かっているし、画像もひどいもんですが、ニッキーとザックのパフォーマンスがあんまり素晴らしいんで…

Cast of Hairspray on NBC Today Show

pt2の方も見てね。

やっぱりあれよね、映画と舞台は違うとはいえ、映画は1回しか作れないのだから、その日からでもブロードウェイの舞台に立てるぐらいの人をキャストしないとだめよね。

"Ladie's Choice"か"Come So Far (Got So Far To Go)"がアカデミー賞のオリジナル歌曲賞にノミネートされて、キャストが授賞式でパフォーマンスしてくれたら嬉しいなあ。(2007/10/14〜19)


ディスタービア ☆☆☆1/2

前回シャイア・ラブーフ君目当てで行った映画(トランスフォーマー)が当たりだったので、今回も期待して行ったら、また当たりでした。

話の大筋は、言われているようにヒッチコックの名作「裏窓」とほとんど同じなのですが…当時と現代とで違うのは、プロのカメラマンじゃないそこらのガキでも、デジタルビデオカメラだのコンピュータの画像処理ソフトだの暗視双眼鏡だの普通に持っていることですね。(…いや、暗視双眼鏡は持ってないだろ普通。)それと、ジェームズ・スチュアートがグレース・ケリーを恋人にしているほどの大人のいい男だったのにひきかえ、こっちの主人公はモテない17歳だということ。

17歳で男なんで、当然、かなり馬鹿です。しかし、馬鹿なわりには目ざとくていろんなことに気づくし、アイデア豊富でいろいろ変なこと思いつくし、おまけにしつこい。危険な組み合わせの性格だわ。でも、馬鹿なわりにはそれほどにはイライラさせられないのは、やっぱり若くてかわいいからでしょうかね(<オバサン発言)。

根はいい子なんだけどいろいろあって屈折している主人公、お調子者でお人よしの親友(名前はロニー君。いい味出してます)、頭が良くて冒険好きの女の子という「ハリポタ布陣」の3人が覗く…いや張り込みする相手は、ほどよく不気味な隣人のデビッド・モース。

以下ネタバレ【この隣人が連続殺人犯か、それともただのキモいおじさんか…まあもちろん、前者でなければ話にならないんですが。

うまいと思ったのは、スレッカラシ観客をハラハラさせるために、危険な目に遭わせる人の「人選」がいいことです。思わず、乗せられてドキドキしました。
】(2007/11/24)


ボーン・アルティメイタム ☆☆☆1/2

マット・デイモンが「世界で最もセクシーな男」(ピープル誌選出)と言われたら、悪いけど「そうかなあ?」と思ってしまうけど…ジェイソン・ボーンがここ1〜2年の映画で「最もセクシーなキャラクター」だと言われたら、納得するかも。

この役を演じていなければ、マットが選ばれることはなかったと思うけど…それはかえって、誇っていいことだと思う。俳優としては、「もともと立ってるだけでセクシー」より、「地は別にセクシーじゃないのに、セクシーなキャラクターを作り上げた」という方がずっと凄いことなのだから。

「アイデンティティ」の時はさほどにも思わなかったけれど、「スプレマシー」「アルティメイタム」と、あくまでストーリーを通じて、行動を通じてちょっとずつ積み上げられてきた「(原作とは違う)映画版の、マット・デイモンのジェイソン・ボーン」がここへきて花開いた感じ。「はじめにキャラ設定ありき」という感じの最近のヒット映画(海賊のアレとか)とは対照的です。

激しい格闘シーンやカーチェイスの真っ最中にも、つい頭の中でキャラの過去とかぼんやり考察してしまって細かい動きを見逃してしまう私は、アクション・シーンを語るには著しく不適任だと自覚しているのですが…

この映画のアクション、主人公が強すぎて現実離れしている度合いは「007」や「ダイ・ハード4.0」とそう変わらないのに、それに比べるとなんとなく現実感や痛みが感じられるのは…やっぱり編集や演出の腕なんでしょうか。(2007/11/25)


ウェイトレス〜おいしい人生のつくりかた ☆☆☆1/2

「おいしい人生のつくりかた」と言うより、「ほろ苦い人生の生きかた」という映画でした。

このヒロインを、何のかんの批判することはできるだろうけど…いや、私だって特に褒めようとは思わないけど…なんかね、何をどう気をつけていようと、どんなに正しい選択をしようと心がけていても、うっかりこういう人生にハマってしまう可能性は、ホント、女性なら誰にでもあるんじゃないかと思ってしまうのよね。間違いのモトは、選択肢の少なさにあるんだよな多分。

で、大事なのは、ハマってしまった後にどうリカバーするか、ということなので。ハタから見てるとこのヒロイン、「お金が貯まったら」とか「パイ・コンテストで優勝したら」とか言ってないで、とにかくまず夫と別れることが先決だろうと思うのだけど…

でも彼女は、実際には怯え切ってて身動きが取れない状態なのよね。恐怖に足がすくんで動けない人に向かって「怖いのなら早く逃げればいいのに、ばかじゃないの」と言っても始まらないわけで。でも、彼女は自分が怯えていることを、心の中でも完全には認めていない。それが問題なのかも。

実際には、それほどには(警察や病院に行くほどには)殴られていなくても、「逆らったら殴られるかもしれない」「離婚するなんて言い出したら殺されるかもしれない」と常に感じているだけで、怯えてしまうには十分だと思う。またそれが、それほど突飛な想像というわけじゃないしあの夫は。

ヒロインが妊娠して、幸せ気分になったり、お腹の子に無条件の愛情を感じたりしないのも当然のことで、危機的状況で妊娠したら、野生動物だって警戒レベルが上がるだけで、幸せを感じたりしないと思う。これも一種の生存本能なのね。

本能の話をするならば…警戒レベルが上がるとなぜか性欲がわくっていうの、女でもそうなのね。まあ、ジェナの場合は妊娠のせいかもしれないけど。

しかし、女性向きのラブコメディ(一応)だというのに、こんなにミもフタもない語り方をしていいんだろうか(笑)。

以下ネタバレ【ジェナは多分、産婦人科医のことを特に愛していたわけじゃないんだろうね。でも、動けなくなっていたところへ勢いをつけるために、あの不倫は必要だったのかも。だから最後に「ありがとう」って言ったのかな。

脚本・監督のエイドリアン・シェリー(ヒロインのウェイトレス仲間のドーンを演じている女優でもある)が、この映画の完成直後に事件に巻き込まれて殺されてしまったのはほんとうに悲しいです。この映画が認められて、ようやく映画作家として第一歩を踏み出すはずだったのに…(ちょっと「Rent」のジョナサン・ラーソンみたい。)このことを、映画を観る前に知らなければよかったなあ、とちょっと思いました。彼女が演じるドーンを見るたびに、なんだか悲しくて…それが、この映画を観る目にちょっと影響を与えちゃったみたいです。

うーん、やっぱり人間、何をどう気をつけていたって突然死んでしまうこともあるのだから、やりたい事&やらなきゃならない事は、さっさとやっとかなきゃなのね…(どういう結論やねん)
】 (2007/11/26)


Amazing Grace ☆☆☆☆

面白かったです。普通に映画としてよく出来ているというのと、「オーブリー&マチュリン」や「ホーンブロワー」との関連する部分が満載というのと、ダブルで楽しめました。

話としてあまりに端正にまとまっているので、かなり事実を変えている部分があるんだろうなと思っていたのですが...ウィルバーフォースの生涯について読んでみると、ほとんどこの映画そのまんまなんですね。ごく些細な改変(従兄のヘンリー夫妻がバーバラと縁結びしたという事実はないとか、フォックス議員は1807年の法案成立時にはもう亡くなっていたとか)はあるようですが。

ウィルバーフォースとジョン・ニュートン(Amazing Graceの作詞者)の関係なんか、あんまり出来すぎていててっきり映画の創作かと思ったのですが、まぎれもない事実のようです。

事実がここまで伝記映画的だと、かえって伝記映画が作りにくかったんじゃないか、なんて余計なお世話な想像もしてしまいます(笑)。

前にラッフルズのことを調べた時も思ったのですが...この時代の英国人って、とてつもない人が多いですね。ジャックやスティーブンのとてつもないキャラづけも、あながち現実離れしてるわけじゃないんじゃないか、と思えてくるほどに。

一見、ただのいい人のようにも思えるウィルバーフォースの、どこがとてつもないかと言えば、ここまで徹底した理想主義者でありながら、あくまで当時のシステムの中の政治家であり続け、しかも、当初の理想をいささかも揺るがすことがなかったということです。つまり「革命だ!」と叫んでフランスに渡ったりもせず、かといって、否決され続ける奴隷制廃止法案を諦めて「現実的」な方向に走って普通の政治家になったりすることもなかったという…

政治において理想を持ち続けることも大切なら、理想を実践するにあたって政治的であることも大事ということですね。

ヨアン・グリフィズがまた、こういう理想主義的若者の役に合っているのですよね。ストレス性腸炎もちで繊細そうなところ、繊細で神経質でありながら妙に大胆で変人なところも、ホーンブロワーと共通するところを感じます。

ウィルバーフォース氏は船酔い体質だったに違いない。(いや、なんとなく)

と、ここまでが普通の(?)映画感想。次回は「オーブリー&マチュリン」とのカラミについて。



映画「Amazing Grace」と、パトリック・オブライアンの「オーブリー−マチュリン」シリーズに共通するあれこれ。

1) Prince Billy

「オーブリー・マチュリン」でおなじみの登場人物としては、当時の国王の三男、ウィリアム王子ことクラレンス公爵が登場します。残念ながら、奴隷制擁護派の親玉...つまりこの映画では、もっとも強力な「敵役」として。

ウィリアム王子の描き方は、この映画についての、私のほとんど唯一の不満なのでした。

実は最初、彼が画面に登場したとき、私はしばらく彼をプリンス・ウィリアムと認識できませんでした...だって、公爵なのに下院(庶民院)に座っているのだもの。当時、貴族でも称号を継承して上院(貴族院)のメンバーになる前なら、腐敗選挙区の議席を「買って」下院議員になることはできたそうなんですけど。それにしても、彼はもう「公爵」と呼ばれているのだから、どちらにしても下院にいるのはおかしいわけです。やっぱり、ウィルバーフォースと同じ議場に座っていてくれないと、映画的にはやりにくかったのでしょうかね。

それもあったのですが、あと、外見的にあまりにイメージが違ったのですよね...白粉をつけた、小柄でひねこびた感じの貴族で、とても海軍の艦長を勤めていた、しかも優秀な海軍軍人として高く評価されていた(<ま、王子様なのだから多少色をつけた評価にせよ)人には見えなかったのです。(ついでに言えば、女優の愛人との間に私生児が十人いる人にもみえなかった。笑)

まあ、オブライアンの中でも、彼は別に知的で人格高潔な人物として描かれているってわけじゃないのですけどね。どちらかというとジャック・オーブリー的な、体がデカくて豪放磊落で感情豊かで、ただそれに王族らしいワガママさが加わっているという感じ...いずれにせよ、この映画のイメージは違うなあ。肖像画とも全然違うし。

ウィリアム王子は、たしかに奴隷制擁護派だったので、その点ではこの映画の通りなのですが...後にLord High Admiralという海軍トップの地位についた時には(反乱罪以外での)鞭打ち刑を廃止したり、上院議員としてはカトリック教徒の公民権復活を支持したり(スティーブンが喜んだだろう)、国王在位時には腐敗選挙区廃止改革でグレイ首相に協力したりと、良いこともしているのですよ...と、いちおう弁護しておきます。私にとっては王子は「スティーブンの患者」であり、「ジャックを非常に高く評価してくれている王族」なので、なんとなく義理を感じて(笑)。

2) Henry Dundas

もうひとり、オーブリー・マチュリンと共通の登場人物としては、後の第一海軍卿メルヴィル卿ことヘンリー・ダンダスが、奴隷制擁護の方に「日和る」議員として登場します。つまりこっちも残念ながら敵役。当時の海軍関係者には、奴隷制擁護派が多かったのかしらね。

彼は3巻(1805年)当時の第一海軍卿、ジャックの親友ヘニッジ・ダンダスのお父さん。(7巻以降の第一海軍卿メルヴィル卿は彼の息子、ヘニッジの兄。)

3) Bath & Laudanum

映画の冒頭で、病気の悪化したウィルバーフォースが静養に訪れるバースは、もちろんスティーブンが3巻でフランス軍の拷問を受けた後に静養に訪れたところ。温泉水を飲むサロン「パンプ・ルーム」も登場します。ほとんど同時代(映画では1797年)のバースが「見られる」だけでうれしい私。

しかも、病に苦しむウィルバーフォースさんは痛みを抑えるためにアヘンチンキを飲んだりもしています。ヨアンの顔が、だんだんスティーブンに見えてきたりして…いや、やっぱりホーンブロワーでした。

4) Brooks's Club

映画の中で、ウィルバーフォースと親友である若き首相のピットが語り合うクラブは「Brooks's」。これは、11巻以降に登場する、ジャックとスティーブンとサー・ジョセフが所属するクラブ「Black's」のモデルです。(名前は変えてあるが、場所の設定は同じ。)

「おお、ここが、サー・ジョセフが好物の『鶏のオイスターソース』を食べた後にスティーブンと密談した図書室なのね」と、またわけのわからんことで喜ぶ私。(2007/12/25、28)


その名にちなんで ☆☆1/2

インドからアメリカに移民した家族の30年の物語。...なのだけどこの家族、夫婦は円満、経済的にも順調、子供たちは優秀で、特にドラマチックな展開はないのよね。節目節目でありがちな小さな問題は生じるけど、それもちょっと無理に入れた感があって...まあ、NHKの「朝の連続テレビ小説」の総集編を見ているような感じ。

これが日本、または映画などで馴染みのある文化の話なら、ひたすら退屈だっただろうけど、目新しくエキゾチックなインドの伝統行事や風物・文化がそこここにちりばめられていて、それを眺めているだけで、なんとか退屈しないですみました。(2008/1/7)


マリー・アントワネット ☆☆1/2

「神はどうして、私という平凡な女にふさわしい平凡な運命を与えて下さらなかったのか...」と、名作「ベルサイユのばら」のマリー・アントワネットは嘆いていたけど、この映画の彼女は、まさに平凡そのものに見える。

実力もないのに重要な役職に抜擢され、責任ある仕事を任されたはいいけど、「ちゃんとできていない」と叱られるばかりで、具体的に何をどうすればいいのかは誰も教えてくれないの途方に暮れている、普通の女の子。

その気のない夫をその気にさせてぼこぼこ子供をこしらえろだの、権謀術数渦巻く宮廷をうまく泳ぎ回って有力な人物を味方につけろだの、そんな難しいことを14歳のフツーの小娘にやらせるつもりなら、具体的にどうすればいいか、もっと手取り足取り教えておくべきだったと思う。マリア・テレジアは自分が天才なもんだから、「私の娘ならできる」と思っちゃったのかしら。

とまあ、そういう点では面白かったのですが...映画全体の印象は、一言「頭がボーっとしてくるほど退屈」。もちろん、ストーリーよりドレスや靴や調度品やスイーツが見たくてこの映画をレンタルしたのだし、そういうものは期待通りとても可愛く美しかったのですが...やっぱり、それだけじゃすぐ飽きてしまうのよね。

でも、この「頭がボーっとするほど退屈」というのは、ひょっとしてマリー・アントワネット自身の感覚だったのかもしれない、とも思いました。「ベルサイユのばら」はドラマチックで面白いけれど、あれは池田理代子のストーリーテリングが優れているから面白いのであって、王妃自身の人生は、最後の最後の波乱までは、この映画のような豪華できらびやかで空虚な退屈が二十数年間延々と...もう退屈で、退屈で、あ〜あ(欠伸)

たかだか二時間退屈なぐらいで文句いっちゃいけないのかもね(笑)。

蛇足:朝のセレモニーの繰り返しにかぶせてヴィヴァルディを使うのは、「オール・ザット・ジャズ」の真似ですね。"It's showtime, folks!" (2008/1/7)


Once ダブリンの街角から ☆☆☆

「ダブリンの街角から」と副題をつけたのはナイスだと思います。アイルランドの話、というだけでとりあえず見に行ってしまう人はけっこういると思いますから。かくいう私もその一人。

ミュージシャンを目指すアイルランドの若者の話ということで、「ザ・コミットメンツ」を思い出しました。音楽のジャンルは違いますけど。「ザ・コミットメンツ」を観た頃は、アイルランド訛りの英語がまるっきり聞き取れなかったものですが、今回はほとんど聞き取れたのがちょっと嬉しかった。こっちの映画の方が訛りがマイルドだったのかもしれないけど。

正直に言うと、はじめの方で主人公がシャウトしている歌が、どうも好きになれない感じで...しかもカメラワークなんかも学生の自主映画みたいで、どうなることかと思っていたのですが...主人公がチェコの女性と出会って、二人でピアノ弾いてデュエットするあたりから、音楽も演出もだんだんいい感じになってきました。

恋人に逃げられてトゲトゲしていた主人公が、女性との出会いによってだんだん前向きになってゆくのが、音楽がいい感じになってくるのとシンクロしているのです。(それでも、観た後まで印象に残るほどパワーのあるメロディがなかったのは残念。好みの問題かもしれませんが。)

「佳作」まではゆかないけど、愛すべき小品、という感じ。(2008/1/10)


俺たちフィギュアスケーター ☆☆☆

この手のコメディって、日本ではマニア向けみたいな感じで公開されちゃうから、つい誤解してしまうのですが、アメリカではこれ、メジャー中のメジャー、メインストリームど真ん中なんですよね。それをつい、忘れてしまうわ。

その、何が言いたいかというとですね…

「男子&男子のフィギュアスケートペア」の話、と聞いて、もっともっとホモネタを期待してしまった私が間違っていました。

二人のライバルになる双子の兄妹ペアに、当然のように近親××ネタを期待してしまったのも…ほぼ間違っていました(笑)。

もっと健全(?)なHネタ、下品ネタは満載なんですけどね。

「ラブソングができるまで」の時に(「プラダを着た悪魔」も意識して)「80年代ポップスをおちょくろうと思ったら、本物の80年代ポップスに負けない曲を作らなくてはならない、ファッション業界を皮肉ろうと思ったら本物の一流ブランドの最新モードを出さなければならない」と書いたのですが…これなんかまさにそれですね。「フィギュアスケートをおちょくった映画を作ろうと思ったら、思わず見惚れるようなフィギュアスケートを見せなくてはならない。」その点では、この映画は残念ながら…イマイチ、かな。

せっかく男子ペアなのだから、サイドバイサイドの4回転はやって欲しかった。(「銀のロマンティック…わはは」知ってる?)スロージャンプは4回転半…いや5回転だ!(もちろんCG使いまくりでよろしい。)

普通のおばかコメディ、スポ根コメディとしては笑えるし、十分楽しめるのですが、「フィギュア好きなら余計に楽しめる」という部分がないのは残念かなあ。一般アメリカ人は、そんなにフィギュアスケート好きじゃないのかな、やっぱり。(2008/1/21)


スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 ☆☆☆☆

個性の強い原作(この場合は舞台のこと)に、自分の色を強く出す監督は合わないと思ってましたが、認識を新たにしました。

うまくかみ合えば、個性を潰しあうのではなく、相乗効果でパワー倍増できるのですね。(まあ、私は舞台を見ていないので、半分想像で書いているんですけど)

また、私はミュージカルはなんといってもソング&ダンスが肝心で、他の要素はおまけだと思っていました。(それはまあ、基本的にはそうなんですけど)ミュージカル映画でも、ビジュアルでここまでできるのですね。

ジョニー・デップの歌は、まああんまり上手いとは思わないのだけど…それでも「声に色気がある」とか「この役には合っている」とか思ってしまうのは…やっぱり、ビジュアルがあまりにもハマっているから、声もよく感じられるのでしょう。つまり総体的なパフォーマンスとしては優れているっていうことだから、いいよね。

ヘレナ・ボナム・カーターもハマりすぎ。この二人、生身の人間なのに、「コープス・ブライド」の人形と比べても、背景へのハマリかたは遜色ない(笑)。もともとこの世界から出現したようだ。

ティム・バートンって、自分のヴィジョンから抜け出してきたような男と女を使って映画を撮り、しかも女の方は私生活でもヨメにしているわけですね。なんか、スゴいなあそれ(笑)。

映像についてばっかり書きましたが、音楽については…ま、私などが今更申し上げるまでもなく、素晴らしいの一言。(と言うか、もうちょっと聴きこんでから語りたいな。)



スティーブン・マチュリン サヴォイ地区の悪魔の外科医

(この題名に意味はありません。ごめんねドクター)

「スウィーニー・トッド」は19世紀前半を舞台にしているそうですが、前半って言っても、正確にはいつ?何年なの?

…と、こだわってしまうのはもちろん、オブライアンの「オーブリー&マチュリン」のためです。男性の服装とかから見て、ジャックやスティーブンの時代よりはちょっと後のような感じがしますが、何年ぐらい違うのでしょう?このロンドンを、スティーブンやサー・ジョセフが歩いていたロンドンと、どのぐらい重ねていいんでしょうか?

というわけで調べてみました。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sweeney_Todd

これによると、「スウィーニー・トッド」伝説が確認できる最も古い出版物は、1846年の"Penny Dreadful"(19世紀に流行った安いホラー小説誌)だそうですが、それ以前から似たような話はあちこちにあったそうです。英国版の伝説では、スウィーニーは1802年に処刑されたことになっていますが、実際にはそのような記録はないそうで、まあ、「マク○ナルドのXX肉バーガー」というのと同じ、いわゆる都市伝説ですね。いつごろから語られていたのかは正確にはわからないそうですが、とにかく、19世紀半ば頃には猛威をふるっていたようです。

19世紀前半と一口に言っても、1802年(オーブリー&マチュリンでは2巻の年)と1846年(20巻より20年以上も後)では、私の気持ち的にはずいぶん違うんですが(笑)…この映画が正確にはいつごろを舞台にしているのかは分かりませんでした。まあ、背景にナポレオン戦争があるような気がしないとか、カツラかぶって歩いてる紳士が見当たらないとか、何となく1800年よりは1840年代に近いような気がするのですけど…はっきり言えるほどの知識は、私にはない。

このことを調べていて、国会議事堂の時計塔(1858年完成)が窓の外に見える図柄のこの映画のポスターが「時代考証ミス」として回収された、というニュース読んだので、1858年以前が舞台であることは間違いないようですが・・・

…いや、待て。この映画の最初に、タワーブリッジが堂々と登場してなかった?タワー・ブリッジって、(今調べたら)1894年完成なんだけど?

あ〜あ、なんか一気にめんどくさくなった(笑)。

これは「時空を超えたティム・バートン製ロンドン」ということで。スティーブンやジャックやサー・ジョセフのロンドンとは、重ねても重ねなくてもご自由に、ってことで(笑)。(いやそもそも、こんなこと考えるのは私だけかも。)

この映画である意味一番ショックだったというか、オブライアン世界に一番重ねたくないのは、ミセス・ラベットの店の衛生状態(映画の最初のほうの。X肉パイが出てくる前の。)なのですが…

スティーブンが下宿していたサヴォイの「グレープス亭」は清潔そうで食事もおいしそうで、まさかミセス・ラベットの店のようなこと(XXパイのことだけじゃなくて)はないと思うけど…

戸棚から解剖用に買った孤児の死体が転がり出たりするドクター・マチュリンの部屋は、十分ホラーな世界かもしれない(笑)。

そういえば、当時、解剖用の死体っていうのはいい値段で売れたので、田舎の宿屋でベッドに(この映画のような)仕掛けをして、宿泊客を殺して解剖用に売っていた、という話は聞いたことがあります。それこそ都市伝説かもしれないけど、なんか、床屋&パイの話よりは現実感があるなあ。ぶるぶる。

<追記>
例によって某動画サイトを漁ってたら、舞台中継の映像(?)らしきものがあったのですが、それには「London 1846」と出ていました。



大きな声では言えないのですが(笑)、例によって例の画像サイトで舞台版の映像を漁っています。

まあ、ちゃんと舞台を見たわけじゃなくて、ネット上で断片的に見ただけで、映画と舞台をくらべてどうこう言ったりはできないんですけどね。でもまあ…言っちゃいます(笑)。

以下、ややネタバレ…のような。

まず、舞台の"A Little Priest"(アンジェラ・ランズベリー版パティ・ルポーン版)を見ると、これってすごい笑える歌なんですよね。映画のヘレナ・ボナム・カーターのパフォーマンスだと、あまりユーモアが感じられないのが残念でした。歌自体もずっと短くなっていたし。フルバージョンだともっといっぱい職業を列挙して、ダジャレ合戦や、シモネタも入っていたりして。

「海兵隊が気に入らないのなら、提督はどう?」
「塩辛すぎる。将軍の方がいい。」
「With or without his privates?」(privateには「二等兵」という意味と、「身体のプライベートな部分」という意味をかけてある)

…とかね(笑)。

それでいてブラックな味も映画以上で…トッドが「判事が入ったらまた来るよ」と言ったら、ラベットが「判事はまだないけど、もっといいものがあるわよ。(彼にナタを渡し、自分は麺棒を持って)死刑執行人!」と言って、あとは二人で「どんなお客でも大歓迎!」と、実に楽しそうに歌い上げるのだ。

そして「死刑執行人がメニューに載る」というということは…殺す者が、いずれは殺される者と同じ運命をたどることを暗示してもいる。

これ、明らかにこのミュージカルで一番いい曲なのに、なんで短くしちゃったのかなあ。昔の恐怖映画風の映画のトーンに合わなかったのかしら。

まあ、その代わり「By the Sea」は、映像の助けもあってとても可笑しく仕上がっているけど。



…というわけで、例のサイトをうろうろするうちに、私は思ったのです。このミュージカルのイメージを決める最重要キャラは、実はスウィーニー・トッドじゃなくて、ミセス・ラベットなのではないかと。

小太りでエプロンした(一見)普通のオバサンが、「(死体の)肉がもったいないからパイにしよう」なんて平気で言うところが、この話の可笑しさであり怖さであるのですが、ヘレナ・ボナム・カーターは最初からフランケンシュタインの花嫁みたいなスタイルなので、そういう味は薄くなってしまっています。

でも、逆に「By the Sea」のシーンでは、怪奇スタイルの二人が絵に書いたような海辺の光景の中でショザイナゲにしているのが、なんとも可笑しいのです。これも捨てがたいしなー。

要は、「ちょっとイメージ違うけど、映画には映画の良さがある」というありきたりの結論になってしまうのですけど。

あと、歌声だけ比べても文句なく舞台よりいい!と思ったキャストが一人だけいて、それがジョアンナ役のジェイン・ワイズナーです。彼女の「Green Finch and Linnet Bird」という歌、舞台ではオペラのアリア風に朗々と歌い上げているけど、映画のささやくような歌い方の方が、この曲の繊細なメロディラインに合っているような気がしました。(オペラもろくに聴いたことないのに、生意気言う言う、私(笑))

ジョアンナ役の娘、メイクのせいか「スリーピー・ホロウ」のときのクリスティーナ・リッチに似ていて、バートンの好みって分かりやすいなあ、とちょっと思ったのでした。(2008/1/24〜28)


テラビシアにかける橋 ☆☆☆1/2

現実とファンタジーの世界が境目なく錯綜する、ということで去年の「パンズ・ラビリンス」を思い出しました。

「パンズ…」の方が映像とか美術はすごいんですが、こっちの「現実」の方が普通で身近である分、いろいろ共感できるところが多いです。

そうそう、学校の人間関係って大変だよね。つくづく、大人の方がずっと楽。特に、小学校高学年〜中学生ぐらいって、大変な人にとってはほんっとう〜に大変。そこを過ぎると楽しいんだけどね。

小学校高学年ぐらいの少年少女が主人公で、少女の方を演じていたアナソフィア・ロブちゃんが魅力的。あと、意外な面を見せるいじめっ子の上級生の女の子(中学生ぐらい)や、少年のお父さんや、厳しい女の先生や、登場人物の誰一人として類型的な描写で終わっていないのは素晴らしいと思いました。

ただ…

以下ネタバレ【実は観る前から、「誰か」が死ぬ話だというのは知っていました。で、それを知っていて見ていると、誰がいつどのようにして死ぬのか、わりと早いうちにだいたいピンときちゃうんですよね。

知らないで見たらもっとダメージ大きかったと思うので、ネタバレしていたのはある意味よかったとも思うのですが…やっぱりどうも、いずれ悲劇が来ると思うと、どんなシーンも完全には楽しめないというか…どっちがよかったのか、悩ましいところです。はあ。
】(2008/1/31)


アメリカン・ギャングスター ☆☆☆☆1/2

朝、出がけに眼鏡を落として割ってしまうというアクシデントにもめげず、見てきましたよ「アメリカン・ギャングスター」。いや素晴らしい。面白い。実によかったです。

ラッセル・クロウは、もちろん俳優として好きなわけですが、嬉しいのはその上に、彼とは「映画の趣味が合う」ことですね。

過去には、俳優としては好きなのに、残念なことに映画の趣味が合わない(つまり、私が見たいと思えない映画にばかり出る)ためにファンになりそこねた、ということもあったわけで…まあ何本かは「純粋にXXを見るため」で映画館に足を運んだりするのですが、やっぱりそれって、なんか面倒になってくるんですよね。

嬉しいことにラッセルにはそれがない。彼の映画は何度もリピートすることが多いのですが、それは彼の演技を見るためだけじゃなく、映画全体が面白いから…というか、同じ映画で両方の目的を果たせてしまうところがお得なのです。



新聞で読んだこの映画の批評に、「娯楽映画としてはよく出来ているものの、『ゴッドファーザー』のような重厚な運命劇を期待していると肩透かし」みたいなことが書いてあって、私は「もう、また意味のないこと書いてるなあ」と反発を感じたのですが…考えてみればそれ、ひとつ当っていますね。つまりこれは「運命劇」じゃない、ということ。

フランク(デンゼル演じる麻薬王)も、リッチー(ラッセル演じる刑事)も、運命に流されているわけじゃない。生まれ育った環境も血のしがらみも関係なく、自分の道を、冷静な頭でよく考えて選んだ道を貫いているのだ。そして、ぐちゃぐちゃ言い訳はしない。(まわりの言い訳も聞かない。)私にはそこが、爽快に思えました。

以下ネタバレ気味

フランクは貧しい家庭の育ちで、彼がギャングのボスの運転手になったのは、もちろんその環境と無関係ではないだろうけど、ボスが死んだ時点で足を洗うこともできた。そして、あれだけのビジネスセンスがあれば、カタギの道でも成功できたはず。(もちろん人種差別には直面しただろうけど、時は50年代ならぬ70年代、逆手にとればかえって有利な面もあったはず。だいいち、この映画を見る限り、裏社会だって人種差別的だしね。)

ただ、まともな仕事では、これほど短期間でこれほど巨額な金を稼ぐのは不可能だったことはたしかで…少なくとも、2年もしないうちに、母親にあんな宮殿みたいな家を買ってあげることはできなかっただろう。たぶん、彼はそのあたり、リスクと費用対効果を冷静に計算してこっちの道を選んでいる。だから同情の余地はないのだけど、だからこそ逆に、思わず応援したくなったりもする(笑)。頭の良い人が巧みで大胆な戦略を使ってみるみる成功するところって、見ていて面白いのよね。たとえモラルに反することでも。

一方のリッチーは、「正義を貫く刑事」と宣伝文句にはある。それは確かにその通りなのだけど、その言葉のイメージと違うのは、「正義」なのにちっとも青臭くないことなのよね。それに「熱血」でもない。

思い出したのは、「クラッシュ」という映画で、マット・ディロンが演じた悪徳警官。後輩の新米警官に人種差別的な態度をなじられて、「お前も警察に5〜6年もいれば分かるようになるさ」と答えていましたが…なんか、リッチーも若い頃にはそんな風に言われたんじゃないかなあ、とか想像してしまいました。

そして、リッチーは5〜6年よりも長く警察で勤めて…現実は分かった、でも納得はしなかった。どうすればそれを変えられるか、ずっと考えていた。夜学で司法試験の勉強をしているのだって、せっかく悪党を捕まえても弁護士がうまくやって釈放されてしまうので、本当に悪党を刑務所に送るのなら法律の勉強もしないとだめだ、と考えてのことなんでしょう。(<このへんは、原作のルポルタージュを読んでないので分からないけど。)

NYの悪徳警官に「フランクを逮捕するつもりか?正気とは思えない」と言われて、「知らないのか?ニュージャージーではみんな狂ってるんだ。こっちでは、警官は悪党を逮捕するんだ。」…こういう台詞を、熱くではなく、何気なくさらっと言えるところが、カッコいいんだなあ。ホント、惚れ惚れしました。

私はこういうキャラが大好きなんですよ。ラッセルが演じているからじゃなくて。(信じてもらえないかもしれないけどこれは本当に。笑)こういう、しぶとい善良さというか。冷静で頭の良い「いい人」ぶりというか。やや草臥れ気味の正義というか。

いろんな意味で対照的なフランクとリッチーですが、ひとつ共通点があって、それは「秩序の破壊者」だということ。全然逆のことをやっているはずの二人なのに、フランクはイタリアンマフィアから、リッチーは仲間の警察官から、「お前のようなやり方をしていると、秩序が壊れる、この世界は無茶苦茶になる」と、同じように批判されているところが面白かった。

無茶苦茶にしてしまえばいいのだ、どうせロクでもない秩序なのだから。

まったくの余談:先日、TVの食品偽装問題の特集番組で、偽装をしている会社内部からの告発が相次いでいる現状をさして、あるタレントが「日本が告発社会になってしまったら、日本は滅びる」とのたまわっているのを聞いて、呆れてしまったのですが…なんとなく、それを思い出しました。

フランクが逮捕されて二人が顔を合わせてから、まったく正反対のはずのフランクとリッチーが、皮肉にもこの点で互いの中に「Kindred Spirit(相通じる魂)」を見出してしまうのが、実に面白かったのです。

思えば、「ゴッドファーザー」のコルレオーネ家は、裏社会なりの「秩序」を守る側であったわけですね。

そりゃ、「ゴッドファーザー」は、映画史に二つとないモノスゴイ傑作ですけどね、私だって、あえてどっちか選べと問われれば「ゴッドファーザー」を取りますけどね。でも、「ゴッドファーザー」と違うから、という理由でこの映画をけなしたりする人は、わかってないなー、と思うわけです。



また、この映画で感じたのは、1968年〜1974年という時代を、すごく「濃く」描いているな、ということでした。当時、遠く離れた日本で幼い子供をやっていた私でさえそう思うのだから、この時代のアメリカを生きてた人たちには、またレベルの違う実感があるのだろうな、とか想像してます。

昨日「ゴッドファーザー」の話を出しましたが、考えてみれば「ゴッドファーザー」は1972年公開。この映画の登場人物たちも観ていたかもしれないね、とか思うと面白いです。

以下ちょいネタバレ

目立つ行動・目立つ服装を控えていたフランクが、つい派手なコートを着てしまって、リッチーに目をつけられることになるのが、1971年の「モハメド・アリ対ジョージ・フォアマン戦」…詳しくは知らなかったけれど、これはベトナム戦争の徴兵を拒否したためにチャンピオンの資格を剥奪されていたモハメド・アリの復活戦だったのですね。「世紀の一戦」と呼ばれたこの試合、特に黒人にとっては、特別な思い入れのあるイベントだったのだろうなあ。特別な日を寿いで、らしくもなく派手な行動をしてしまい、結果としてはそれが彼の転落のきっかけになったわけで…

「運命劇」じゃない、と書いたけど、そういうところには時代の波というか、運命を感じますね。よくできているなあ。(2008/2/2〜4)


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