Chapter 2-2 〜 人魚と天使


元ディアンヌ号乗員たちは、ダヤク・マレー混成軍の海賊に勝利しましたが、犠牲は大きく、味方の死者は最終的に30人弱になったようです。それに、この島から脱出する唯一の手段であったスクーナーを失ったのが痛い。

でも、ダヤク族の方にしてみれば、三百人全員が死んで船も失ったわけですから、もっと犠牲は大きかったわけです。彼らにとってこの遠征は大失敗だったわけですが…思うに、大工道具とか銀食器とか、ここで掠奪できるものを全部合わせても、スティーブンがケセガランに渡した手形の方がずっと価値が大きかったのではないかと。素直にバタヴィアに行っていればねえ。

スティーブンがバタヴィアでしか換金できない高額の手形を渡したのは、彼らの襲撃を防ぐ意味もあったのでしょうが、手形の価値がわからなかったのでしょうか。でもひょっとしたら、この島を襲って英国人を皆殺しにして装備を全部いただいた後で、知らんぷりをして手形を換金しに行くつもりだったのかも。島で英国人たちが死んでいることは、バタヴィアではわからないものね。たしかに、そうすれば一番儲かるし…

でも…アーメッドがどう話したのかはわからないけど、ダヤクたちは火薬が「全然」残っていないと思って襲ってきたような気がします。何しろ砲があるのだから、これだけでも火薬が残っていると知っていたら、これほど危険な賭けはしなかったのでは。美女ケセガランを喜ばせようとべらべら喋ってしまったツケは、お互いに大きかった。女に油断してはだめってことね…

生き残りたち、死者を葬る。ジャック、ボートを作る計画を乗員に話す

それから数日、ディアンヌの生き残りたちは、死者を葬る憂鬱な仕事に追われていました。何しろ、敵味方合わせると、葬る人より死体の数の方が多いので…加えてこの暑さと、食糧の不足。もうイノシシはほとんどいないし、サルには残り少ない火薬を使う価値はない。

スティーブンとマクミランは、敵味方の負傷者の治療に忙殺されていました。毎日のように重傷者が手当ての甲斐なく亡くなり、一日に何度も葬儀を行うこともありました。敵が見捨てて行った負傷者のうち、最後まで生き残っていた若いダヤクは、スティーブンを心から信頼し、彼の手からでないと何も食べませんでした。度重なる手術の甲斐なく、彼は感染症で死に−負傷者からの死者は、それが最後でした。腕を失ったリード少年をはじめ、他の患者は回復に向かっていました。

その日、ジャックは乗員を集めて話をしました。「ディアンヌ号は『未亡人の呪い』(※)にはかかっていなかった−つまり、今日が『聖飢饉の日』だ。今日がグロッグとタバコの最後の配給になる。明日からは、艦長室とガンルームの私蔵品の酒を集めて、公平に分ける−キリックとガンルームの給仕が見張りだ。これからボートを作り、優秀な船乗りを選抜してバタヴィアに助けを求めに行かせる計画だ−もちろん、私はここに残る。」

艦長の話に、乗員たちのほとんどは賛成の様子でした。「無蓋のボートで200海里行くのは危険だ」という声も上がりましたが、ジャックは「ブライ艦長はもっと小さいボートで4千海里を行った。それに、他に方法があるか?」

乗員たちから「オーブリー艦長の計画に万歳三唱!」の声が起こりました。不屈の船乗りたちが元気良く「ヒップヒップ、フレー」を叫ぶ中、ドクターはライフルを抱えて狩りに出かけました。

※未亡人の呪い(widow's curse) St. Famine's Dayと対になる言葉。この『呪い』にかかっている船の装備は尽きることがなく、『聖飢饉の日』を永遠に迎えることがないという伝説。旧約聖書列王記から。

狩りに出たスティーブン、子供の足跡を見つける

北側の崖の方へ坂を登って行くと、沖に何か動くものが見え、スティーブンは望遠鏡を向けました。それはジュゴンの親子でした。母ジュゴンが短い胸ビレで子供をいつくしみ、顔を洗ってやったりしている様子を眺めながら、スティーブンは「ボートがまだ出来ていなくてよかった、そうでなければ、あのジュゴンを狩らなければならないところだった。ジュゴンはおいしいそうだから…あの哀れなステラーの海牛のように。いや、あのステラーの哀れな海牛のように。」

ステラーカイギュウ(Steller's Sea Cow)は、1741年にドイツ人のステラーさんによって発見された海獣。肉が美味で油も取れる上、おとなしくて簡単に捕まえられたので、その存在が知られるようになるとあっという間に取り尽くされて、発見の27年後には絶滅していたという気の毒な動物です。「海の牛」という名前をつけたことからして、発見時はこの動物が、牛のように末永くたっぷりと資源を提供してくれると思ったのでしょうね…愚かにも。18世紀って、こんな話ばっかりだな。

ジュゴンは狩りたくなくても、バビルーサを狩ることには良心の咎めを感じないスティーブン。今日は久しぶりに大きいのを見つけて一発で撃ち殺しました。獲物を吊り上げた後、雛が巣立った後のアマツバメの巣を見ておこうと思い、例の洞窟に向かいました。巣を取ってもらおうと思っていた士官候補生たちのうち、ハーパーは死に、片腕を失ったリードはもうあの崖を降りて巣を取ることはできない−しかし、若さと体力と明るさは、何と素晴らしい力をもっていることか!あと二週間もすれば、リードは走り回っているだろう。一方で中年の掌帆長は、怪我はずっと軽いのに、治るのにはもっと長くかかるだろう…

なんてことを考えながら歩いていたスティーブン、例の崖の近くの泥に、人間の子供の足跡を発見して首をひねりました。艦の生き残りにはこんな小さい子供はいないし、足跡はどこにも続いていない−天使が降りてきて片足だけついたのか?

彼がいつも寝そべってアマツバメを観察していた断崖のそばに、大きな籠が7つ並んでいるのを見た時謎は解けました。籠は純白の巣で一杯になっていました。沖合いにはジャンク(中国の帆船)が見え、崖の下で子供たちが騒いでいる声が聞こえました。

スティーブン、ツバメの巣を取りに来た中国人の子供たちに会う

スティーブンが崖の下に下りると、中国人の小さな女の子が3人、男の子が1人いました。男の子は脚から血を流していて、わんわん泣いています。女の子たちは、スティーブンを見ると、マレー語で、「カゴをいっぱいにしたら、遊んでいいと言われたの。でも、この子が勝手にてっぺんまでのぼって、落ちてケガをしたのよ。リー=ポーに叱られる。ムチで打たれちゃう。私たち女の子だから…」と言って、しくしくと泣き出しました。

スティーブンはハンカチと裂いたシャツで、てきぱきと男の子の脚を手当てしました。スティーブンはこのあたりの地元民と大差ない格好をしているし、顔も日焼けして麦わら帽子をかぶっているし(カツラでなくてよかった)マレー語も話せるので、子供たちは別に外国人であることを意識せず、「大人のひと」としか思っていないようです。

「大人」が来てくれたことで安心したのか、女の子たちは泣きやみ、代わりにすごい勢いでお喋りを始めました。彼女たちの話によると、一番年上の女の子はマイマイという名前で、男の子は彼女の弟で、二人の父はジャンクの船長リー=ポーであるらしい。ジャンクはバタヴィアからボルネオに鉱石を取りに行く途中で、この季節はいつもそうするように、途中でツバメの巣を取りにこの島に立ち寄った。この崖を登るには狭いところを通らなければいけないので、子供しか登れない。

「マイマイ、ジャンクに戻ってお父さんに何があったか説明してくれないか。弟は野営地に連れて行ってちゃんと手当てする。お父さんに、ジャンクを島の南側に回してくれるように頼んでくれ。他の二人は、マイマイについて行ってもいいし、僕について来てもいい。さあマイマイ、いい子だから急いで行ってくれ。」マイマイはおじぎをすると、素直に走って行きました。

スティーブン、怪我をした男の子を連れて野営地へ戻る。

残りの二人の女の子は、好奇心からスティーブンについて来る方を選びました。男の子を運ぶスティーブンの後ろについてライフルを運びながら、ひっきりなしにいろいろな事を喋っていました。

野営地に戻り、男の子を寝かせてマクミランに任せてから、スティーブンはジャックと話をしました。「ジャック、今日考えたんだが、儒教の教育というのは、なかなかいいものだね。」「そうか?」「ああ。年上の人間への無条件の尊敬がある。女の子に『いい子だから走って行ってくれ』といったら、手を合わせてお辞儀をして、すぐに走って行った。あそこでぐずぐず言われたら、どうしようもなくて、この計画自体がだめになっていたところだった。僕の娘もあんな風に育てるぞ。」「成功するといいな。ははは!」

ジャックはまるで馬鹿にしていますが…私もそう思います。スティーブンには絶対無理。女の子が生まれたら、べたべたに甘い父親になるにきまってる〜

スティーブンはジャックにジャンクのことを話し、手形でお金を払えば、バタヴィアまで乗せていってくれるだろうと言いました。ジャックは喜び、キリックを呼んで、取って置きのワインを開けさせました。「男の子が脚を折った時、君がそこにいてよかった。」「正確に言うと、折ったわけじゃない。」「なら、どうして添え木をしているんだい?」「念のためだよ。」

ワインを飲み終えたスティーブンは男の子の様子を見に行き、マクミランと一緒に応急処置のハンカチとシャツを外して、見るからに立派な添え木を当て、純白の包帯を巻き上げました。リー=ポー船長は息子を迎えに来て、慇懃な態度で「つまらないものですが、偉いお医者様にぜひ受け取っていただきたく」と、贈り物を差し出しました。(その贈り物は、本当につまらないものだったのですが。)

リー=ポーの息子は、役割を完璧に果たしてくれました。いかにも重傷という感じでうめき、震え、痛がり、弱々しい声で父親に甘え…「大丈夫ですよ」偉いお医者様は父親に、心から言いました。「バタヴィアについて包帯を取る頃には、息子さんの脚はすっかり良くなっているでしょう。」