Chapter 5 〜 Nil Desperandum


ナツメグ号、オランダの商船に出逢いコルネリー号の情報を得る

毎日、ナツメグ号は飛ぶように東へ向かっていました。

復帰した士官候補生のひとりミラーくんは(「醜い方」とか書かれてますが)、鋭い目を買われ、見張り役を勤めていました。彼は今やオーブリー艦長を崇拝していたので、是が非でもコルネリー号を見つけて艦長を喜ばせようと必死で、毎日食事もマストの天辺で取り、非番の時もそこで過ごしていました。

ある日、彼は帆影を発見します。彼の「Sail ho!」を聞いて、マストを揺らせて駆け上がってきた艦長は、それがどう見てもコルネリー号ではなく、商船であることにがっかりしますが…気を取り直してその船の船長を呼び出しました。

それはアルクマール号(Alkmaar)号というオランダの商船で、船長はラッフルズ総督からの貿易許可証を見せ、「できれば、水を2〜3樽ゆずっていただければありがたいのですが。海賊に追われた時に捨ててしまって、今はひどく不足なんです。」と言いました。「まったく、この航海はついてなくて…海賊の後は、フランスのフリゲート艦に止められました。この海域にフランス艦なんて、信じられますか?まあまあ紳士的に扱ってくれて、掠奪はありませんでしたが…そのフランス艦も水不足だったのですが、こちらもギリギリ以下なのを見て、水は取らずに行きました。あちらの行く先には、ニル・デスパーランダム島っていう、いい水場がありますし。しかし、火薬は根こそぎとられました。上等なのを、まるまる4樽です。」

ジャックは大急ぎでアルクマール号に水を渡し、さっそく航海長とニル・デスパーランダム島を海図で調べました。「ニル・デスパーランダム(Nil Desperandum)ってどういう意味か知っているか?」彼はニコニコと副長に訊ねました。「Never say die(諦めるな)という意味だ!コルネリー号はきっとここで給水している。給水に時間がかかる水源だそうだから、ここで追いつけるかもしれないぞ。」

とは言え、コルネリー号はキャノン砲32門、ナツメグ号はカロネード砲が20門。砲の数も少なく、射程も短いので、ナツメグがコルネリーに対抗するには、奇襲が必要−いきなりカロネードの射程距離内に現れて一斉射撃し、煙の中で斬り込まなければ勝ち目はありません。(だから最初は、水路の影で待ち伏せるつもりだったのですが…)給水中の敵に近づいて奇襲するため、ジャックはおなじみの「商船に偽装する」という手を使うことにしました。

ナツメグ号、猛スピードでニル・デスパーランダム島へ向かう

それからの数日、ジャックは持てるSeamanshipの限りを尽くし、ナツメグ号は猛スピードで一路ニル・デスパーランダムへ向かいました。ある午後、ジャックとスティーブンがコーヒーを飲んでいると、士官候補生のリードが駆け込んできて「12ノット1出ています!」と、目を輝かせて報告しました。

ダヤクとの戦闘で右腕を失ったリードくんですが、若さとは素晴らしいもので、今ではすっかり元気になって、失われた腕を補うバランス感覚を身につけているようです。以前、映画のブレイクニーは原作10巻のブレイクニーというより、後の巻に出てくる他の士官候補生を思わせる−と書いたことがあったのですが(どこで書いたか忘れてしまったけど)…もうお分かりかと思いますが、それはこのウィリアム・リードくんのことです。そう思う理由は、金髪美少年であること、右腕を失うことの他にもあるのですが、それはまたいつか…

その午後、スティーブンとジャックは久しぶりに合奏しました。二人はあるゲームをやっていて、それは片方が「ある作曲家のスタイル」で即興演奏をし、相手はそれがどの作曲家かを当てて合流する…というのを交代で繰り返すという、ちょっと私には想像がつかないゲームなのですが。キリックにも理解しがたいようで、「またはじまったよ、ギーコギーコと…べろべろに酔っ払ってでもいなきゃ、あんな音楽じゃ歌えもしない」と、映画で言っていたセリフで愚痴っています。(映画では「踊れない」でしたけど。)

でも、よっぽどお互いを理解していて息が合っていないとこういうゲームはできないだろうなと思うと、なんだか微笑ましい。二人はゲームに熱中して夜まで演奏を続けました。夜食の時、ジャックは「いとしいサプライズ号に、また会えますように」と言って乾杯しました。

スティーブン、失った財産のことを考える

その夜、寝台に入ってサプライズ号のことを考えていたスティーブンは、そこから銀行の破算で財産を失ったことを思い出し、いろいろ考え込んでしまいました。

戦争が終わったらサプライズ号で自由に観察旅行に行こうと思っていた夢は不可能になったし、ロンドンのハーフムーン・ストリートに買った家も売らなければならないだろう。しかし、昔のように無一文になったわけではない。ダイアナが買った牧場と馬は売らないでもすむだろうし、海軍の仕事を続ける限り、そこそこの暮らしはできるだろう。

彼が財産を失ったと知っても、ダイアナは気にしないだろう。しかし…彼が恐れているのは、ダイアナがそれを知ったら、ブルー・ピーターを売ってしまうだろうということでした。あのダイヤモンドは彼女の喜びだから、そんなことはさせたくないし、何より、そんなことをされたら、夫婦関係において彼女の方に大きなモラル・アドバンテージ(道徳的優位性)が生まれてしまう。

モラル・アドバンテージは結婚生活の敵だ、と彼は常々思っていました。彼の知り合いのうち、結婚生活がうまくいっている夫婦はごく僅かでしたが、その僅かな夫婦たちはみな、立場が対等だという共通点がある。(ジャックとソフィーはこのうちに入っているのかな?ソフィーの方にモラル・アドバンテージがあるような気がしますが。)

スティーブンが子供の頃、両親が死んだ後、彼はスペインの母の親戚の家を転々とした後、名付け親のドン・ラモーンのところへ落ち着いたそうですが…そのころ知っていた親戚に、生涯かけてモラル・アドバンテージを競い合っているような夫婦がいたそうです。至極信心深い妻と夫で、どちらが相手に優しくするか、どちらが自分を抑えて相手に尽くしているか、どちらが貧しさに耐えて明るく振舞っているか、常に競争していた。最終的には夫の方が「先に死ぬ」という必殺技でこの競争に勝ったのですが、妻はなおも、自分のドレス代にとドン・ラモーンがくれたお金をすべて「夫の魂の平安のために」教会に寄付することで対抗していた…

もちろん、ダイアナは道徳的優位性を利用したりするタイプではないし、そもそも優位性があることにも気づかないだろう。でも、スティーブン自身の方が、根強い劣等感から、彼女の寛大さにプレッシャーを感じてしまうだろう…

そんな憂鬱な考察に陥りながら、いつの間にか眠りに落ちたスティーブン。気がついた時はもう翌朝遅く、水兵がと寝台を揺らしていました。「艦長がおよびです。」

ナツメグ号、オランダ商船に偽装する

スティーブンが艦尾船室に行くと、そこはきれいに片付けられ、テーブルと椅子二つの他は空っぽで、その椅子のひとつでジャックが朝食を取っていました。ジャックは夜明け前から起きていて、スティーブンが寝ているうちにナツメグ号の偽装を着々と進めていました。

「オランダ商船に見せかけて、コルネリー号が給水しているところへ近づく。カロネードの射程距離まで近づいたら、我々の旗を上げて斉射して、煙の中で斬り込むつもりだ。」ジャックは朝食を食べながら、これからの戦略をスティーブンに話しました。「それができたら、勝算はかなりある。給水部隊が上陸しているから、コルネリーに残っている人間は少なくなっているはずだからな。でも、そこまで近づけなかった場合は逃げる。いや、わざと遅く逃げて追いかけさせるんだ。サリバブ水路の方へ逃げて、夜になったら囮のイカダを流す。それを追いかけさせて、水路の影で待ち伏せ、夜明けに奇襲するつもりだ。」

艦の後姿そっくりの筏を流す方法は、1巻と映画で使われていましたね。やはり映画でも使われていた「商船に偽装する」という作戦は、サプライズ号はしょっちゅうやっているような気がしますが…ディアンヌ号→ナツメグ号の乗員にとってははじめてのことでした。清潔整頓至上主義の戦列艦出身者が多いナツメグ号では、最初は艦をわざと汚くすることに大きな心理的抵抗があったようですが、そのうち吹っ切れたのか、逆に面白くなったのか、ノリノリになってきて、汚しすぎを制止しなければならないほどでした。

すっかり汚くなったナツメグの甲板をスティーブンに見せて驚かせようと、ジャックとフィールディング副長は彼を甲板に連れて行きますが、時に無神経なドクターが「いつもと変わらないように見えるが…」と口を滑らせたので、船乗りたちはがっくり。

これに奮起(?)したのか、乗員たちはその後ますますナツメグ号のつらよごしに熱中し、さすがのスティーブンにも違いがわかってきました。

ナツメグ号、夜明けにニル・デスパーランダム島で給水しているコルネリー号を発見する

夜明け、ナツメグ号がニル・デスパーランダム島に近づくと、見張りのミラーが給水中のコルネリー号を発見しました。ナツメグ号は、砲門を描いた布を舷側に降ろして、商船偽装の仕上げをしました。

給水に来たオランダ商船を装いつつ、戦闘準備万端整えたナツメグ号は、珊瑚礁の水路をゆっくりとコルネリー号に近づきました。カロネードの射程距離に近づくまで、偽装を見抜かれないことを祈りながら…

ジャックは警告射撃が来ることを予想していたのですが、警告はなく、コルネリー号はいきなり艦尾迎撃砲を一斉射撃してきました。偽装は見抜かれていたのです。コルネリーの砲撃は正確で、弾はロープや船体に命中し、一発は甲板上を胸の高さで貫き、一度に5人を倒しました。その中には航海長とミラー士官候補生が含まれていました。それでも、ナツメグ号はさらに近づき、カロネードで反撃を開始。

コルネリー号の砲撃は、速くはないものの、とても正確でした。それに、どうやら火薬はアルクマール号から奪った4樽以上にあるようです。スティーブンとマクミラン助手がオーロップで、次々に運び込まれる負傷者の手当てに忙殺されている中、ナツメグは回頭し、来た水路を戻り始めました。逃げるナツメグ号に向かってコルネリー号はもういちど斉射しましたが、運良く、ほとんどの弾は外れました。

離れて行くナツメグ号の艦尾甲板から見ると、コルネリー号は錨を上げるのに手間取っているようでした。多くの乗員が給水のために上陸しているので、キャプスタンを回す人数が足りないのです。陸の水場から引き返しているボートの一艘が、急ぐあまり暗礁に乗り上げ、離礁されようと苦労しているのが見えます。その上で必死で声を張り上げて命令している海尉が、クリスティ=パリエール艦長の甥のピエール(13巻8章参照)であるのを見て、ジャックはほっとしました−できれば彼を殺したくはなく、砲撃で殺してしまうのを怖れていたので。

ここで奇襲できなかった場合はわざと追いかけさせて待ち伏せる計画どおり、ナツメグ号は砲撃で実際よりひどい損傷を受けたふりをしつつ、故意にゆっくりと逃げていました。(ナツメグ号が本気を出すと、すぐにコルネリーを引き離してしまうので。)

ジャックが死傷者を確認するため救護室に行くと、スティーブンは手を血で真っ赤に染めて働いていました。しかし、ほとんどの手当ては終わっているようです。救護室に運ばれてすぐ、あるいは運ばれる前に死んだのは3人。後の負傷者は助かりそうだ。(甲板で即死した人も含めて、死者は8人かな?)

ナツメグ号がニル・デスパーランダム島の湾を離れる時、コルネリー号はまだ抜錨とボートの離礁に手間取っていました。「しかし、あと一時間もすれば動けるようになるだろう。」ジャックは言いました。「一時間なら待てる。」