Chapter 8-2 〜 サラとエミリー


スウィーティングズ島で仕入れた果物で壊血病も治ったサプライズ号は、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズはシドニー湾へ向かって、ゆっくり進んでいました。

スティーブン、女の子たちを「サラ」と「エミリー」と名づける。

乗員からはThursday(ロビンソン・クルーソーのフライデーか?)とかBehemothとか、変わった名前の提案があったけど、スティーブンが断固として却下したそうです。二人を最初に見つけたのはスティーブンなので(マーティンもだけど)、みんなも彼に「持ち主」権利があると考えて、彼のつけた名前が採用されました。スティーブンは自分の娘の名前はもうばっちり選んであるでしょうから、それ以外でつけたのでしょう。SarahとEmily…至って普通の名前ですね。

世界の反対側でもう生まれているはずの実の娘(<息子であるという可能性は無視されている)にもまだ会えぬうちに、名づけ子が二人もできてしまったスティーブン。二人の面倒は、ジェミー・ダックスはじめ乗員全員でみているようですが、やっぱり最終責任者はドクターと思われているようで…というか、水兵たちが「母」でスティーブンが「父」という感じ…

「スティーブン+小さい女の子」という組み合せは、やっぱりどうしても3巻のディルを思い出してしまうので…わけもなくハラハラする私でありました。

サラとエミリー、急速に船上生活に慣れる

最初に乗船した時こそ怯えていた二人ですが、小さい子供特有の適応力で、すごいスピードで英語を覚え、軍艦生活を覚え、帆布で作ったシンプルな服を着て、元気に歌いながら艦首を走り回っています。

あっという間に、彼女たちにとってはサプライズ号が世界のすべてになりました。島にいた頃のことは、ぼんやりとした夢のようにしか覚えていないらしく、そのことを訊かれると戸惑った顔をするのでした。8歳ぐらいになっていれば別だと思うけど、このぐらいの小さい子って、急激に環境が変わるとそうなりますよね。(それとも、村の全員がバタバタ死んだのがショックで忘れてしまったのかな?)

サプライズが補給のためにソロモン諸島に立ち寄った時、言葉がわかるかと思って二人が連れてこられたのですが、二人はカヌーに乗っている住民を見て、「黒いブギー(おばけ)」だとひどく怯え、泣いてしまいました。…誰だ、ブギーマンの話なんか教えたのは。早くも、二人にとってサプライズの船乗り以外の存在が、見慣れない、オバケのように怖いものになってしまったようです。サプライズの黒人水兵にはなついているのだけどね。

「自分たちの言葉を忘れてしまったようだな。二人の間でも、英語で話している。」とジャック。「習った言葉ならともかく、母国語を忘れてしまうなどという事があるでしょうか?」とプリングズ。

その言葉で、スティーブンは自分がまさに母国語(アイルランド語)を一度は忘れていたことを思い出しました。最初に話した言語であったのに。(彼はカタロニアの母方の親戚のところで育ち、最初に話した言語はカタロニア語だと思っていましたが…ここには「クレア郡で養育された」と書いてある…名付け親のラモーンのところへ行く前、ごく幼い時にはアイルランドにいたのかな?)

ここ数年、英語のほとんど話せないパディーンと話しているうちにかなり思い出してきたが、まだ意味の思い出せない単語がある…スティーブンはパディーンのことを考え、ニュー・サウス・ウェールズの流刑地に着いたら、会ってできるだけのことをしてやりたいと思いました。

そうだ、パディーンが流されているところに向かっているというのに、スティーブンたら、カモノハシの話はしても彼のことは今まで一言も言っていませんでしたね。…いや、口に出さないだけで、ずっと考えていたとは思うのですが。

すこし寂しいジャック、マーティンに嫉妬する

ところで、スティーブンとマーティンは再会して以来、一日のほとんどを一緒に過ごしていました。仕事も一緒だし、仕事以外の時間はミズントップで話すか、ガンルームで標本の整理をしていました。何しろ、お互いの地球半周分の旅を、観察した動物のひとつひとつ、植物のひとつひとつを微に入り細に入り描写するので、毎日毎日一日中語っても、マーティンの南米の話は終わらず、スティーブンのアジアの話も、まだやっと「千階段」にさしかかった所でした。

「君が人の悪口が嫌いなのは知っているが…」ミズントップから聞こえてくるマーティンの声を聞きながら、ジャックはソフィーに手紙を書いていました。「時々、ミスター・マーティンなどいなくなればいいのにと思う時がある。いや、彼は立派な紳士だが、スティーブンの時間を取り過ぎるんだ。一緒に演奏したい曲があるのに、二人でミズントップにこもりっぱなしで、ほとんどスティーブンに会えない。艦長というのは孤独であるのが当たり前なんだが、僕は艦の上に親友がいるという贅沢に慣れすぎてしまったようだ…」

実はこれまでにも、スティーブンがマーティンを艦長室の夕食に招待しようとすると、マーティンがいつも何だかんだ理由をつけて断るので、スティーブンがジャックに「マーティンとケンカしているのか?」と聞いたことがありました。その時のジャックは「全然そんなことないよ、でもなんだか彼とは話しにくいんだよなあ、やっぱり牧師だからかなあ、冷たくしていると誤解されたかもしれないなあ〜」とか答えていましたが…実はその冷たい態度には、嫉妬心が隠されていたのかな?(笑)

それにしてもジャックったら、ソフィーの手紙にはほんとになんでも包み隠さず書いちゃうのね。(かわいい…)

サプライズのネズミ、コカイン中毒になる

さて、その頃「サプライズのネズミの様子がおかしい」というのが、船内でもっぱらの噂になっていました。いつになく大胆になり、普段は近づかないところにまで来て、艦長の貯蔵食料をすべて食い荒らしてしまう。性質が妙におだやかになり、怖れ知らずに水兵の前を堂々と歩いているかと思えば、やがて一転して凶暴になり、殺しあうまでケンカをしたりしている…

スティーブンは自分のコカの葉の備蓄を調べ、それが全部ネズミに食べられてしまっていたことを発見。実は、彼が前に船艙の床に落としたのをネズミが食べて、それで味をしめて、木の箱をかじって侵入して全部食べてしまったようなのです。ネズミが凶暴になったのは、コカの葉が切れたための禁断症状とか…コワっ!

スティーブンもネズミ同様、少し禁断症状を感じてきていて、シドニーでコカの葉を補給できればいい、とか思っています。おいおい、ネズミから学べよ!せっかくアヘン中毒を脱したかと思えば、今度はコカインか。ああ…

ジャック、前回ニュー・サウス・ウェールズに来た時の印象を話す

あと数日でニュー・サウス・ウェールズに到着するというある日、艦長はガンルームのディナーに招待されました。レパード号で来たことのある(5巻と6巻の間)ジャックとスティーブン以外は、みんなこの流刑地を訪れるのは初めてのようです。(5巻のプリングズは病気で途中脱落したものね。)

「前回はあまり時間がなかったので、装備だけ積んで急いで出航したが、それでもとても酷いところだという印象を受けた」と、ジャックはみんなに話しました。「あの土地は陸軍が牛耳っている。彼らは良い土地を手に入れ、流刑囚をただで働かせて、農業も貿易もほとんど独占して利益を貪っている。

「それよりもひどいのは、彼らの囚人に対する扱いだ。『海の上の地獄』のような軍艦はいくつも見てきたが、それでもあの植民地で行われているほどひどい虐待は見た事がなかった。500回の鞭打ち刑がざらにある。私が滞在したほんの短い期間にも、二人の男が鞭打ちで死んだ。警告しておきたいのは、海軍軍人が好きな陸軍軍人はいないということだ。彼らはよそ者に批判されることに敏感で、ちょっとしたことで侮辱を感じやすい。決闘を申し込まれる可能性が高い。あまり近づかないのが一番だ。ならず者と争っても何も得る事はない。ならず者でも、銃の腕は立派な人間以上だということがあるからな。マッカーサーと言う陸軍将校がいるが、彼はパターソン大佐と決闘して肩を撃った。パターソンは立派な軍人で、マッカーサーはやくざ者なのに。」

「マッカーサーにロンドンで会ったことがある。」とスティーブン。「軍法会議のために来ていた…無罪になったが。ロイヤル・ソサエティのメンバーに招待されてディナーに来たが、威圧的で下品な、嫌な男だった。サー・ジョセフ・バンクスの管理していた国王のメリノ羊を購入しようとしていたのだが、サー・ジョセフ(<ブレインではなくバンクス)は彼の悪い噂をいろいろ聞いて面会を断った。マッカーサーは『ラム部隊』と呼ばれる部隊を率いている…彼らの貿易、富、権力、利権、贈収賄の基本がラム酒だからだ。総督がマクォーリーになってからはいくらか変わっただろうが、残念ながら『ラム部隊』はまだ植民地を牛耳っているようだ。」

オーストラリア南東岸、ニュー・サウス・ウェールズ。今でこそ素敵な観光地、新婚旅行の人気エリアだったりしますが、200年前はひどい所だったようです。囚人にとってはこの世の地獄、それ以外の人にとっては陰鬱で荒涼とした場所…

よく、オーストラリア人の悪口を言う時に「流刑囚の子孫じゃん!」と言う人がいますね。でも、そうとは限らないのですよ。流刑地が囚人だけでやっていけるわけでもないので、彼らを管理する政府もあるし、兵隊も数がいないと囚人に反乱起こされてしまうし、彼らを労働力として使う入植者(農場主)とかもいるわけだし。

でも…この巻の最後の方を読むと、先祖が植民地の権力者であるよりは、流刑囚であった方がずっといいかも…と思えてきます。