Chapter 8-3 〜 ニュー・サウス・ウェールズ


ニュー・サウス・ウェールズの港湾都市シドニーはオーストラリア最初の都市。キャプテン・クックの探検により、オーストラリアが初めてヨーロッパの注目を集めたのは1770年代。ここが流刑地となり、イギリスによる入植がはじまったのは1788年。自由な移民が始まり、本格的な植民地の形を成しはじめたのが1790年代。アメリカ・アジアなどの他の植民地に比べても、歴史はごく浅いものです。

その後、ニュー・サウス・ウェールズは羊毛生産・鉱業などにより、徐々に植民地として発展しました。さらに、1850年ごろにゴールドラッシュが起こり人口が急増。その時点で、人口に占める流刑囚の割合は3パーセント程度だったということなので、やはり「オーストラリア人=流刑囚の子孫」というのは間違いだと言えます。

が、ここでサプライズ号が訪問した時点(1813年)は、まだ発展が本格的になる前。この時の総督マクォーリーがシドニーを都市として整備したそうですが、彼もまだ就任4年目…シドニーはまだ、みすぼらしい建物と、荒涼とした景色と、囚人への虐待があふれた、陰鬱で残酷な土地というイメージです。

余談:ラッセル・クロウはジャック・オーブリーを演じるにあたって原作を読んだと思いますが、愛するホームタウンである(※生まれ故郷ではないけど)シドニーのこういう描写を見てどう感じたかしら?とか思いました。

サプライズ、シドニーのポート・ジャクソンに入港。ジャック下痢をする

シドニーに上陸したスティーブン、ほんの少し歩いただけで、囚人が200回の鞭打ち刑を受けている所を目撃してしまい、いやな気分になっています。

入港前、飲みすぎ・食べすぎで消化不良を起こしたジャック。「上陸したらディナーに招待される、ディナーでもりもり食べて地元当局との友好を取り付けないと艦の整備に差し支えるので、それまでに治しておきたい」とスティーブンに訴え、出してもらった薬を飲むのですが、「一錠では効かないような気がする」と、勝手に2倍量をを飲んでしまい、ひどい下痢を起こして、艦長専用シート・オブ・イース(便器)と「90年の借地契約をしたように(キリック談)」離れられなくなってしまいました。ちょっと情けない…

そんなわけで、総督邸のディナーにはプリングズとスティーブンだけで行くことになりました。二人がボートに乗ろうとしているところへキリックがドクターの金の握りのついた杖(医者のしるし)を持ってくるのですが、スティーブンは「杖だと民間人みたいだから、剣でないといやだ」とだだをこねた言ったので、キリックはしぶしぶ、ジャックの礼装用の剣を貸してくれました。(ドクターの剣はみすぼらしいので…)

スティーブンとプリングズ、ディナーパーティに出席

ディナーの招待客は、陸軍・海軍の士官や、元陸軍の農場主がほとんど。総督のマクォーリーは公用でシドニーを離れてたので、副総督のマクファーソン大佐と総督夫人がディナー客を迎えました。総督夫人は感じのいいレディで、彼女がディナーそのものには出席しない(また男ばっかりのディナーらしい)のを、スティーブンは残念に思いました。サラとエミリーのことを、総督夫人に相談したいと思っていたので…

実はスティーブン、サラ&エミリーをここシドニーに残して行くことを考えていました。二人は熱帯の生まれなので、これから極寒のホーン岬や、やはり気候の悪い英国に連れて行くのが心配だったので…うーん、そうかなあ。連れて行ってあげればいいのに…熱帯生まれって言っても、野生動物じゃないんだから。シドニーなんぞに放り出す方が、よっぽど可愛そうだと思うけど。

「それなら、ミセス・マクォーリーは相談相手にぴったりですよ。」スティーブンの隣に座っていたハムリンという軍医が言いました。「総督夫人は福祉活動に熱心でいらっしゃって、今日も孤児院を訪問なさっていたのですよ。ここでは、見捨てられる私生児が多いので…今日も、私と総督夫人は病院を建設する計画を話していたのです。」

このハムリン軍医は感じのいい人で、スティーブンとの話もはずむのですが…残念ながら、ディナーの他の客は、とても感じがいいとは言えませんでした。

スティーブン、ディナーで不愉快な会話を聞いて怒りを抑えるのに苦労する

彼の正面の、「ラム部隊」のものらしき軍服を着たロウ大尉、その隣のマーズデンという牧師(二人とも多くの羊を所有する農場主でもある)、それに、スティーブンの右隣の流刑地秘書官ファーキンズ。この三人のもっぱらの話題というのが、ここの囚人たちがどれほど更正の余地のないならず者で、どれほど救いようがなく愚かであるかということでした。特に、1798年の反乱以来、たくさん送られて来たアイルランド人の囚人、そこからアイルランド人全体への誹謗中傷、さらにカトリック神父とローマ教皇への罵詈雑言でやたらに盛り上がる三人。

「ある総督の著書に『アイルランド人は人間の呼称に価しない』とありましたが、まったくその通りです。」などと言いやがる牧師。おまけにこのマーズデンという男、牧師のくせに自分の農場に働きにくる囚人を虐待するらしく、まだ少年の囚人を鞭で打った話を自慢げにしていたりします。

もちろん、内心は煮えくりかえっているスティーブンですが、ここで地元有力者とケンカしたらジャックに迷惑がかかることは分かっているので、必死で自分を抑えていました。ホストのマクファーソン大佐の隣(つまり上座)に座っているプリングズの方を見やると、彼は退屈しきった顔に笑顔をはりつけていましたが、時々スティーブンの方を心配そうに見ていました。

ファーキンズ秘書官は、アイルランド人の愚かさと貧しさについてひとしきりまくしたてた後、スティーブンへ話を振ってきました。(スティーブンがアイルランド人であることには気づいていないらしい)「…ここのアボリジニと似たようなものです。アボリジニは、世界で一番役立たずな人種でしてね。羊を与えても、繁殖するのを待たずに食べてしまうのです。」

スティーブンがサー・ジョセフ・バンクスとマッカーサーの話をすると、ロウ大尉が腹を立てる

その後、牧師が仲間とアイルランド・カトリック・ローマ教皇の悪口を延々と喋っている間、スティーブンはなるべく話を聞かないようにしながら、「神よ、私を短気からお守り下さい」と心の中でつぶやいていたので、ハムリン軍医が彼に話し掛けているのにしばらく気づきませんでした。

「すみません、羊毛を集めていました(<「ぼんやりする、空想にふける」という意味。)羊のことを考えていたので…」「奇遇ですね。私も羊のことを話していたのですよ。」「国王の所有するメリノ羊のことを考えていました。」スティーブンは少し大きい声で言いました。

「メリノ羊の話をしているのですか?」向かいに座っている大男のロウ大尉が、興味を引かれたように言いました。「ええ、このドクター・マチュリンは、国王のメリノ羊を見たことがあるそうですよ。」とハムリン。「サー・ジョセフ・バンクスが、親切にも私に見せてくれました。」スティーブンが答えました。

ロウは嫌な顔をしてスティーブンを睨みつけ、「サー・ジョセフ・バンクスなど、くそくらえ…いや、どうでもいい。なぜ彼は、マッカーサー大尉が国王のメリノを取得するのを妨害したんですか?マッカーサーがこの植民地の出身だったからでしょう。」

「それは違います。」スティーブンは答えました。「サー・ジョセフ・バンクスは植民地の利益をとても大事に思っている。この植民地のあるのは、彼のおかげですから。」「それなら、どうしてマッカーサーとの面会を拒否したのですか?」「マッカーサー大尉のような過去のある人は望ましい人物ではないと思われたのでしょう。それにサー・ジョセフは道徳的見地から決闘に反対している。マッカーサー大尉はロンドンで、決闘によって軍法会議にかけられたのですから。」

ロウはそれきり黙ってしまいましたが、どうやら腹を立てたようで、その後ディナーの間中、顔を赤くして「望ましくない人物か」とつぶやいていました。ファーキンズとマースデンは、アイルランド人の囚人についての悪意に満ちた侮辱をまた延々と続け、スティーブンはまた心の中で「神よ、聖母よ、忍耐力をお与え下さい」とつぶやいていましたが、押さえつけた怒りに手が震え、コーヒーをこぼしてしまうほどでした。

それでもなんとか我慢して、二度ほど遠まわしな皮肉を言っただけで、表立った諍いにはせずにディナーをやり過ごすことのできたスティーブンですが…

ロウ大尉、スティーブンのカツラを叩き落す

ディナーの後、プリングズはホストのマクファーソン大佐に呼び止められ、「オーブリー艦長が来られなくて残念です」と、お見舞いの言葉をもらっていました。その間に、スティーブンは預けていた剣を受け取りに。(軍人は正装の時に剣を身に付けて行くのがマナーだけど、帯剣したまま食事するわけじゃなくて入り口で預けるようですね。そりゃそうだ。)

剣をつけたスティーブンが、総督邸前の階段に立ってプリングズを待っていると、さきほどのロウ大尉がいました。大尉は大声で、「ジョー・バンクスなどくそくらえだ、貴様もくそくらえだ、へぼ船医め」と叫んでいます。

スティーブンは彼をじっと見つめ、大尉が怒りまくってはいるが、酔っているわけではないことに気づきました。「どういうことです?お答え願えますか、サー。」「これがおれの答えだ。」ロウはそう言いながらスティーブンに殴りかかり、彼のカツラを叩き落しました。

スティーブンは後へ跳びすさりながら、さっと剣を抜いて、「抜け!抜かなければ貴様を豚のように刺す。(Draw, man, draw, or I shall stick you like a hog.)」

ロウはサーベルを抜きましたが、スティーブンはすばやい動作で腿を切りつけ、肩を刺し貫きました。ロウは後ろ向きに地面に倒れ…気がつくと、スティーブンが彼の胸を踏みつけ、喉元に剣をつきつけていて、上から冷たい声が降ってきました。「私に許しを乞いたまえ。許しを乞わないなら、貴様はここで死ぬ。(Ask my pardon, I say, or you are a dead man, a dead man.)」

「どうかお許し下さい」目を血だらけにして、ロウは言いました。


……
………
スティーブン、何て…カッコいいの(ぽつり)。

でも、この「決闘」は、やっぱり後で多大な迷惑をもたらすことに。スティーブンとしてもそれほど露骨に挑発したわけじゃないのに(バンクスとマッカーサーの話を出したのはわざとっぽいですが)、ロウ大尉の方が一方的に襲ってきたのだから、スティーブンが悪いわけじゃないとは思うのですが…(ちなみに、目が血だらけだったのは、スティーブンが目を斬ったわけじゃなくて、腕の血がたれたのだと思います、多分。)