Chapter 10-1 フランスからの手紙


9章の最後のところ、改めてじっくり読み直してみて泣きそうになりました。初読では泣かなかったのに、おかしいなあ…私、単にニブイのだろうか。(<そうです。)

前述したように、このジャックの冤罪事件は、ジャックのモデルと言われる海軍軍人にして政治家、伯爵でもあるトーマス・コクラン卿の事件を元にしています。(これを解説してしまうと、ジャックがどうなるかネタバレになってしまうので、ここまであまり詳しく書かなかったのですが。)

コクラン卿の有名な戦歴としては、1801年に14門スループ艦の「スピーディ号」を率いて、スペインの32門ゼベック・フリゲート艦「エル・ガモ号」を拿捕したことがあります。(それは、どこかで聞いたような。)他にもいろいろありますが、ここでは省略するとして…

彼は(ジャックとは違って)政治活動にも積極的でした。物事を遠慮なく言う性格だったらしく、議会では海軍の腐敗や政府の戦争のやり方を痛烈に攻撃し、海軍では提督の行動を堂々と批判して軍法会議にかけられたりしました。(こういうところは、どちらかというとオーブリー父に似ているような…)

そういうわけで政府にも海軍上層部にも敵が多かったコクランは、おそらくそのせいで、1814年に証券詐欺で有罪になり、さらし台にかけられています。オブライアンの「Auther's Note」によると、彼が無実であったかどうかは今でも意見が分かれているそうです(下の参考リンクでは、「ほぼ確実に無実であったのに」と書かれていますが)。とにかく、この裁判は一般に不公平きわまるものだ思われていて、英雄をさらし台にかけた政府に対する民衆の不満は大変なものであったようです。

そのためか、この後さらし台が刑罰に使われることはほとんどなくなり、1837年に正式に廃止されました。コクラン卿は英国でさらし台にかけられた最後の有名人だったわけですね。

参考:Wikipedia: Thomas Cochrane, 10th Earl of Dundonald

スティーブンとサー・ジョセフ、外務省・陸軍の代表と南米での独立支援任務について話し合う。

サー・ジョセフ邸。外務省代表ローンズ氏、陸軍代表ウォーレン大佐、海軍裏代表サー・ジョセフ、それにドクター・マチュリンが集まり、サプライズの南米行きについて秘密会合を行っていました。ローンズ氏が延々と話し続けているので、サー・ジョセフはちょっと苛立っているようです。

「…ヴァルパライソとサンチャゴで接触すべき人物のリストは以上です。国防委員会からの助成金の金額と条件については、これでよろしいですね…任務が不調に終わり、現地の政府と衝突した場合、当局は一切関知しませんのでそのつもりで。サー・ジョセフ、何かありますか?」「海軍サイドからは、お渡しする書類が二つあります。一つは、ドクター・マチュリンの船の乗員に対して、海軍からの徴募を一切免除する書類。もう一つは、海軍の全工廠において、あらゆる装備を手形により適正価格で購入する許可状です。」

会議が終わると、サーはそそくさと客を追い出し、さっそくスティーブンと食事にしました。「今日は君たち旧教徒は肉を食べない日だから、牡蠣とロブスターと、とびきりのヒラメを用意してあるんだ。あれが煮えすぎてしまっていたら、外務省を一生許さんぞ。」とサー・ジョセフ。ほんとにグルメだなこの人は。

サー・ジョセフとスティーブン、食事する。

オブライアン氏は絶対グルメだと思うのですが、このシリーズでグルメなキャラは(英国人では)サー・ジョセフだけですね。あとはフランス人のクリスティ=パリエール艦長とか、7巻のデュアメルさんぐらい。ジャックは大食漢だけど、何でも美味しいといって食べるタイプなので、グルメとはとても言えないし。スティーブンが舌は鋭そうだけど、基本的にあまり食事に熱がないし。

なんでも、英国の上流階級には「食事においては、食べられることを感謝すべきで、味がどうのこうの言うのは下品なことだ」という美意識(?)があり、だからグルメではないのだという説があります。まあ、真偽のほどはわからないのですけど。サー・ジョセフは労働者階級出身だから、かえってグルメなのかな?時々、グルメというより、単なる食いしん坊ではないかと思うこともあるのですが(笑)。

先ほど来ていた陸軍の諜報責任者ウォーレン大佐ですが、サー・ジョセフは最近もっぱら彼と一緒に動いているようで、一緒に海軍諜報部の裏切者を調査中。もうすぐシッポが掴めそうだ、ということです。例のダナエ号の紙幣の流れを追跡し、北欧のマーケットでマネーロンダリングされそうになっていたのを突き止めたのですが、敵はヤバいと思ったのか、途中でひっこめてしまったそうです。

サーに言わせると大佐は見かけよりずっと頭のいい人で、宦官(eunuch)だそうです。中国の宮廷じゃあるまいし、英国陸軍の偉い人がまさか故意に去勢されてるってことはないでしょうから、多分「傷病のために男性機能を失った」という意味なんでしょう。俗説では、そうなると精神が安定して頭が良くなるそうですが、そういう意味で言っているのかな…?

ジャックは、すでにシェルマーストン港でサプライズ号の準備にかかっています。名高いキャプテン・オーブリーが指揮すると知って、フリーの水兵はこぞって志願してきて、とびきり腕のいいのをよりどりみどり。皮肉なことに、ずぶ素人の強制徴募兵や士官候補生を押し付けられ、砲一門買うにも工廠と戦わなければならなかった海軍時代より、よっぽど恵まれていてスムースな準備のようです。

ジャックのさらし刑は一般大衆の間に怒りを巻き起こしており、クインボロー卿は街を歩くとブーイングを受けているそうです。「今回のことでは、政府はヘマをやった。人々は詐欺師がさらし刑にかけられるのを喜ぶが、海軍士官がかけられるのは喜ばない。国民感情を完全に読み違えたな。」と、どことなく嬉しそうなサー・ジョセフ。

スティーブンにフランスの博物学者から鳥の骨格標本が届く。伝言が入っている。

さて、食事の終わりにスティーブンはフランスから届いたという鳥の骨の包みを受け取りました。キュビエ(フランスの高名な博物学者、7巻1章参照)→サー・ジョセフ・バンクス(王立科学会会長)→サー・ジョセフ・ブレイン→スティーブンという経路で届いたもので、スティーブンはパリで講演した時のロドリゲスドードーの骨かと思うのですが…クラブに帰って開けてみると、どこにでも売っているようなありふれた鳥の骨格標本でした。

不審に思った彼が念入りに調べてみると、中に手紙が入っています。フランス語で、「『出航旗』(pavillon de partance)に興味のある方は、フリス・ストリートのジュールズに伝言を残されたし」とだけ。

出航旗=ブルー・ピーター。彼らがフランスで捕虜になった時に、ダイアナが賄賂としてフランス政府の高官に渡し、釈放の時に返還を約束されながら置いてきたあのブルー・ダイアモンドです(7巻11章)。スティーブンは、暗殺や拉致の危険があるのを承知で、指定の店に「リージェント・パークで待っている」という伝言を残してみることにしますが…

スティーブン、リージェントパークでデュアメルに会う。

敵の罠である可能性も考え、ピストルで武装して約束の場所に向ったスティーブン。しかし、リージェントパークの人気のない猟場で彼を待っていたのはデュアメルでした。

デュアメルは7巻に登場したフランスの諜報員。ナポレオン政府の一機関の諜報員ではあるのですが、政府を離れて英仏の講和を密かに計っている陰の大物・タレーラン=ペルゴールと繋がりがあり、ジャックとスティーブンがフランスで捕虜になった時、手を回して逃がしてくれた人物です。

英国とフランスは戦争中ですが、ある程度の交流は継続しています。法律上のルイ18世が英国に亡命していて、そこへフランスの王党派が行き来しているのは、フランス政府にも黙認されています。(ナポレオンの政府内にも、万一皇帝が失脚した場合のことを考えている人々がいるので…)実はデュアメルは、その一行に紛れてよく英国に来ているのでした。英国内で彼の正体を知っている人間は、「三人…いや、今は二人しかいない」ということです。

相手がデュアメルとわかってスティーブンは安心し、会えて嬉しいと心から言うのですが、デュアメルは前回会った時に比べて老け込み、疲れた様子をしていました。「こんな方法で連絡してすまなかった。グレープス亭の火事のせいで、誰にも怪しまれずに君に連絡できる方法がなかった。…これが約束の宝石だ。」「ありがとう。恩に着るよ。」「返す約束だったからな。礼なら、これを苦労して取り戻したダングラール(7巻11章)に言え。彼はたしかに同性愛者だが、政治家の中で約束を守る男は彼ぐらいだ。」

デュアメル、亡命を希望する。

デュアメルは、実はここに来たのには他にも理由がある、と言います。彼は自分の仕事に、すっかり嫌気がさしているようです。「…ここはよく、ロンドンの連絡相手と狩をしたところだ。彼は最近、使い捨てられた。私を犠牲にする計画もあった。君もフランスで犠牲にされるはずだった。私にもどうにも出来なかっただろう。女性連絡員の脱税の件を仕掛けたのは、ラカンの組織だからな。しかし君は来なかったから、知っているのだろうと思った。

「私は全てにケリをつけることを考えている。カナダへ亡命したい。カナダへの船便を手配してくれたら、君に重要な情報を渡すと約束する。君の諜報部と、オーブリー艦長に大きく関わる情報だ。」「…わかった。当ってみて、明日結果を知らせる。どこで会える?」「どこでも。」「私のクラブでいいか?ブラックスだが。」「バトンズ(クラブ)の向かいの?それは…ああ、そこでいい。6時でいいか?」「それでは、明日6時に。」