Chapter 8-1 競売


スティーブン、日記を書いている

第8章は、スティーブンが日記を書いているところから始まります。久しぶり…

日記はアヘンと並ぶスティーブンの依存症。日記をつけることは一般には推奨される行為ですが、諜報員である彼にとっては「悪癖」だそうです。

たとえ他人には絶対わからない暗号で書いていても、諜報員が敵の手に入る可能性のある形ある記録を残すのは愚の骨頂だと彼もよくわかっていて、6巻でアメリカ軍の捕虜になり一時的に日記を没収されたのをきっかけに止めていました。

でも、ダイアナに去られたことでアヘン依存症と共に日記依存症もぶり返してしまったようです。今度はさすがに諜報関係の事は書いていないのですが。

ジャックは航海中、日記代わりにソフィーへの手紙を綿々と綴っていますが、スティーブンの場合そういう相手がいないので、代わりに「未来の自分」と文通している。現世には心を包み隠さず打ち明けられる相手はいないので、せめて未来の自分に打ち明けたいってことらしい。

それはあまりにも淋しいので、誰かに手紙を書いてみたら−とも思いますが…10巻のスティーブンは珍しくダイアナに手紙を書いていましたが、話す内容や言葉を選んでいる感じで、率直に心を打ち明けているとはとても言えなかったからな〜。あれでは日記の代わりにならないでしょう。なら、ジャックに出せば……いや、やっぱ無理か。

それはともかく、スティーブンは日記に、自分が「大きなミスを二つ犯した」と書いています。

ひとつは、パルマー探しで、プラットに「金に糸目はつけない」と言ったこと。プラットが大金を使って情報を集めために、そういう事に敏感なロンドンの裏社会に噂が広まり、パルマーの「ボス」がそれを聞きつけて彼の口を封じてしまったこと。

もう一つは、ジャックにこの裁判の困難さを分かってもらおうと、英国法曹界の悪口を言ったこと。ジャックはどんなことでも「外国人」に自国の悪口を言われるのが我慢できない。そういう意味では、結局自分は外国人に過ぎないのだと…(これも淋しい〜)そのために、ジャックをかえって頑なにしてしまったこと。

サプライズ号買収でも、自分がこんなヘマをしないか心配だが、「とびきり優秀でとびきり親切な専門家」がついていてくれるから、大丈夫だろう…と日記を締めくくったスティーブン。昼間からアヘンチンキで一杯やっています。

マイディアドクター、日記はいくらでも書いていいから、アヘンチンキはダメだってばよ〜(泣)

余談:それにしても、彼が南米からサー・ジョセフに送った日記帳(6巻)はどうしたのでしょうね。返してもらった?グレープス亭とともに焼失?まだサーが持っている?

スティーブン、サー・ジョセフと話す

この巻では、スティーブンは今までの巻を全部合わせたよりもたくさんサー・ジョセフと話していますね。そのぶん、ジャックとはあまり話していないし、話してもすれ違っている感じ…でも、サーと話している内容はほとんどジャックの事なんですが。

再びサー・ジョセフとクラブで会ったスティーブン。前回相談したサプライズ号買収の件について、サーは賛成だと言います。競売はジャックの裁判の前に行われるけど、スティーブンは裁判の結果がどうあろうと買うつもり。ジャックが有罪になればもちろん必要だし、無罪になったとしても、ジャックが前から欲しがっていたので、いずれ彼に金ができたら買い取ってもらえばいいし。もし彼に金ができなくても、戦争が終わったら自分の船で世界中へ観察旅行に行くのに憧れているし…

罠の匂いがプンプンするフランス行き任務を断ったスティーブンですが、サーが海軍諜報部のボスとして完全に復権するまでは諜報活動をすることは考えていません。サプライズを私掠船にするとなると、船そのものより装備や乗員に何倍もお金がかかるのですが、スティーブンの現在の財産は「手持ちの現金だけで」戦列艦を完備できるぐらいあるそうです。すごいなあ。

お金はあっても船に関する知識はまるでないスティーブンですが、日記に書いていた通り、頼もしいアドバイザーがついています。その名はトーマス・プリングズ艦長

サー・ジョセフの話では、海尉艦長という身分は現在海軍内でも最も任官が難しく、もともとジャック・オーブリー以外にはまったくコネのないプリングズは、オーブリーが有罪になったら艦をもらえる見込みはまずなく、一生陸上生活になるのは間違いないそうです。だからこそ、スティーブンは彼に遠慮なくアドバイザーを頼めるのですが。

サー・ジョセフ、スティーブンに南米行きの話をもちかける

海軍諜報部からは「干された」状態で、ほとんど登庁せず自宅とクラブとロイヤル・ソサエティに入り浸っているサー・ジョセフですが、政府・軍隊の他の各機関、財界などには個人的なコネを豊富に持っていて、裏ルートでの情報収集には不自由しない身です。

そのサーの勘によれば、どうやら、今回の海軍諜報部乗っ取りの動機は、単なる金目当てではなく、国家への反逆(敵の二重スパイ)がいそうだということです。レイやバローのレベルではなく、もっと地位の高い人物…それが誰かは、まだわからないのですが…

というわけで、本来ボスである海軍諜報部からは手を引き、もっぱら他の諜報機関と連携して裏で活動しているサー・ジョセフ(カッコいい)。そうしたルートから、ひょっとしたらスティーブンとサプライズ号にぴったりの仕事があるかもしれない、という話を仕入れています。

当時、南米のチリとペルーはスペインの植民地になっていて、しかも元からの住民は奴隷になっています。これに反対し、スペインから独立を勝ち取りたいと運動している人々が今ロンドンに来ていて、英国政府に密かに協力を求めているそうです。英国としても、今は中立でも潜在的なライバル国であるスペインの力を減ずるために南米諸国の独立を望んでいるので、支援したいと思っている。でも今は敵国ではないので、大っぴらに支援するのはまずい。で、もしサプライズ号が私掠船になれば、表向きは私的な巡航として工作員(スティーブン)を南米に向かわせるのにもってこいです。

スティーブンはナポレオンだけでなく、あらゆる圧政・独裁政治に反対で、しかも熱烈な奴隷制反対主義者。もちろんチリとペルーの独立を応援したいと思っています。それに博物学者としても、南米への旅は魅力的。でも今はまだ、その話を喜ぶ気にはなれない。(サプライズ号が私掠船になるということは、ジャックが有罪になることを前提にしているので。)

スティーブン、ローレンス弁護士を訪ねる

サプライズの競売のためポーツマスへ行くスティーブンですが、その前にローレンス弁護士を訪ねます…が、相変わらず、状況は芳しくないようです。

ローレンス自身、ひどいインフルエンザにやられて息も絶え絶えな上に、ジャックに手を焼いています。スティーブンの話が裏目に出たようで、ジャックは今度は全ての法律家を−ローレンスも含めて−信用しなくなってしまっていて、彼の言う事なすことに裏があると疑うような態度をとっているそうです。まったく、ジャックってばよ…そうじゃないったら。「私とオーブリー艦長がなんとか友好的に話し合いを終えることができたとすれば、それは一重に、彼にはまったくもったいない、夫よりずっと頭のいい、あの素晴らしい奥方がいらしたお陰ですよ。」(ローレンス氏談)

ジャックは、公判に出て自分で申し開きをしたいと思っていますが、ローレンスはそれは逆効果だと思っています。まあ、実際、そうなのですが。検察側はジャックを逆恨みしているグラント(5巻の副長)を引っ張り出してくるそうで、しかも、サムのことまで引き合いに出してジャックを悪く見せようとしているようで…(サムが私生児であるということよりむしろ、彼がカトリックで、黒人であることが問題のようです。判事のクインボロー卿は極端な反カトリック派で、しかも西インド諸島で黒人奴隷を所有している人なので。)

どう考えても、ジャックの裁判はお先真っ暗なようです。スティーブンは落ち込んだ気分のまま、四頭立ての馬車をチャーターして(速くて高い。彼には珍しい贅沢)、プリングズと共にポーツマスに向うのでした。

スティーブン、ポーツマスでヘニッジ・ダンダスを訪ねる

馬車の中で、スティーブンはプリングズに「海軍軍人にとって、私掠船乗りになるのはどのぐらい不名誉なことなんだろうか」と訊ねます。プリングズの答えは、それは不名誉なことだけど、オーブリー艦長にとっては陸で嘆き暮らすよりはずっといいでしょう…ということでした。「英国の近くを航行している間は、海軍の中の敵(以前から艦長に嫉妬して、嫌っている連中も多いので)に、呼び出されたり、乗員を徴募されたりという嫌がらせを受けるかもしれません。でも、英国を離れればめったに会う事もないから大丈夫でしょう。」

ポーツマスに着いた二人は、港に停泊中のダンダス艦長を訪ねます。サプライズ号を首尾よく買えたら、別の港に運ぶのに人手が要るので、貸してもらうことを頼みに。ダンダス艦長はスティーブンを暖かく歓迎し、水兵を貸すことを快く承諾してくれて、ジャックの裁判について心配を口にした後、いろいろアドバイスをくれます。「船を買うのは、両脚を切り落とすのと同じぐらい専門知識がいることです。ドクターおひとりなら、私がご一緒するところですが、プリングズ艦長がついているなら大丈夫でしょう」…

スティーブンとプリングズ、サプライズ号の競売に臨む

競売の日、二人がサプライズ号が係留されている埠頭に向うと、街や港で働く人たちが「プリングズ艦長、ごきげんよう」と挨拶します。プリングズはこのへんでは「顔」なのですね。スティーブンは、彼が「青年」というより「少年」に近い頃から知っていて、時々「すっかり大人になったなあ」と驚くことがあるようですが、この時も海に近づけば近づくほど、彼が完全な大人に見えてくると感じたりしています。ロンドンとかでは、慣れないので頼りなく見えるのでしょうね。

しかし、港について係留されているサプライズが見えて来た時、彼の少年の顔が一瞬戻ってきます。「ああ、彼女はあそこにいます!あれほど美しいものを他に見たことがありますか?」「まったくだ。」スティーブンのようなシロウトにさえ、彼女は荷馬車馬に混じったサラブレッドのように見えました。

サプライズには、買収希望の商人たちがすでに乗りこんで、あちこち値踏みしていました。値段の談合をしようと話しかけてくる商人たちをプリングズが軽くあしらい、競売が始まります。スティーブンは全てをプリングズに任せ、自分はふところの金にじっと手を添えて、競りが大好きだった女性を思い出していました。競りに興奮した彼女の紅潮した頬と、きらきら輝く瞳。間違えて買ってしまったいろんながらくた。競り落としたときの勝利に輝く顔…気が付くと、競売人のハンマーが打ち下ろされ、プリングズが彼に「おめでとうございます」と言っていました。

「まったくすごいです、ドクター、あなたがサプライズ号の持ち主になったなんて!」「長く持ち主をやっているつもりはないんだ。オーブリーが無罪になったら、彼に買ってもらうつもりだから。しかし、私も彼女を心から愛している。海に浮かぶわが家、避難の箱舟として。」