Chapter 2〜ラ・フレシェ号


ラ・フレシェ号のヨーク艦長がレパード号を訪れた。彼は英国を出る際にアッシュグローブ・コテージを訪ね、ソフィーの手紙を預かっていた。「ありがとう、ヨーク。こんなに嬉しい贈り物はないよ。妻は元気だったか?」「とても元気だったんで驚いたよ。グラントのボートの話が英国に届いてたんで、悲しんでいるかと思って行ったんだが−奥さんは、君が無事だという証拠の手紙を受け取ったと言って、笑っていた。もちろん、その手紙がなくても無事だと信じていたそうだけどね。」

ラ・フレシェ号は錨を上げた。英国に帰るレパード号の生き残りたち−ジャックとスティーブン、海尉たち、士官候補生たち、キリックとボンデン−は、もう少しで彼らの柩になるところだったぼろぼろの艦に別れを告げた。輸送艦になったレパード号に残る水兵たちが、別れの歓声を送った。

スティーブンは長い航海で集めた膨大なコレクション(剥製になったり、アルコール漬けになったり、生きて走り回ってたりしている動物たち)を収納するため、ラ・フレシェ号の艦首艙を貸してもらった。が、積み込みを手伝った水兵たちが保存用のアルコールに手を出し、大騒ぎを始めたので、彼はコレクションを守るために奮闘するはめになった。そこへラ・フレシェの副長が来て、艦長が食事に招待したい旨を伝えた。彼は断り、不満顔の副長を追い返した。しばらくして、ジャックが来た。「スティーブン、海軍では、艦長の招待というのは絶対に断れないんだ。」「断れないなら、招待とは言えないじゃないか。強制されて行くのなら、客じゃなく囚人だ。」「ヨークは親切で言ってるんだ。頼むよ、おれのためだと思って。この荷物なら、ボンデンとキリックが何とかしてくれる。」「…わかった。だが、これは君のためだぞ。権力に屈したわけじゃない。」

スティーブンは嫌々艦長室の食事に赴いたが、ヨーク艦長は親切だった。彼は音楽と読書が好きな教養人で、艦長室にはピアノフォルテと立派な本棚があった。食事では小説の話に花が咲いた。


このシーンの小説の話は、オブライアン自身の小説論としてとることもできて、ちょっと興味深いものがあります。戦争を描く小説について、スティーブンが「戦闘ではあまりに多くの事が一度に起こるので、どんな名手でも筋道立った描写をするのは難しい」という意味のことを言うのですが…これって、ちょっとだけ作者の本音?

恋愛小説の話をしている時に、ジャックは家で、ソフィーが編み物をする時に恋愛小説を読んであげていることが判明。想像すると微笑ましい。

ヨークが席を外した時、堅パンのかけらからコクゾウムシが二匹這い出した。「スティーブン、君はどっちのコクゾウムシを選ぶ?」ジャックが言った。「どっちも同じじゃないか」「あえて選ぶとしたら?」「右の方かな。そっちの方が大きい。」「ははは、君の負けだ」ジャックは嬉しそうに笑った。「海軍ではな、昔から『より小さいほうのコクゾウムシを選ぶ』ことに決まっているんだ。

"choose the lesser of two weevils"「小さい方のコクゾウムシを選べ」というのは、"choose the lesser of two evils"「(どちらかを選ばねばならぬのなら)ましな方の悪を選べ」という警句にひっかけたダジャレです。

コクゾウムシと言えば…カナダの自然博物館では、寄付によって正式な学名がついていない生物の学名をつけさせてくれる制度があるそうで、オブライアンのファンサイト、The Gunroomの寄付により、新種のコクゾウムシがパトリック・オブライアン氏にちなんで名づけられたそうです。その名もDaisya obriani。(<コクゾウくんのドアップ写真あり。虫に弱い人は注意。)

3巻のオーブリー亀のところで、自分にちなんだ学名をつけられる名誉について書きましたが、名前がコクゾウムシに捧げられるって言うのも…いや、とても名誉なことです。

「ヨーク艦長はいい人だな」スティーブンが言った。「だろう?英国を出る前に、わざわざおれの家に行ってくれたんだ。そうしたら…ソフィーはおれが無事だって知ってたんだ!何故かと言うと…」ジャックは少しためらった。「…ダイアナが知らせてくれたんだ。ミセス・ウォーガンと彼女は知り合いだったらしい。それで、レパード号の経緯とか、別れた時の状態とか、全部ダイアナに話したそうだ。ダイアナはソフィーが心配しているだろうと思って、即座に手紙を書いてくれた。本当に感謝しているよ。ソフィーはもう二度とダイアナの悪口は言わないと…いや、つまり…彼女も感謝している。」

ジャックはソフィーに手紙を書いた−手紙より先に自分が英国に到着するのはわかっていたが、それでも書かずにいられなかった。「ソフィー、君の手紙を受け取った。…すぐに手紙を書いてくれるなんて、ダイアナは何て思いやりがあるんだ。今まで彼女を誤解していた。スティーブンに話したら、彼女らしい行動だと言っていた。彼はダイアナのことを少しも悪く思っていないみたいだ。スティーブンはとても元気だよ。彼の従僕がボートで行ってしまったので、キリックが彼の面倒を見ていて、色々うるさく言っているよ。艦は順調に進んでいる。もうすぐ君の元に帰るよ…」


ジャックの手紙の中で、スティーブンがダイアナのことを「Gentlemanlike Creature(紳士的な人)」だと言っていた、とありますが、女性に対してもGentlemanlikeって、普通に言うのかしら?それとも最近の言葉でいう「男気のある女性」とか「男前の女性」とかって感じに取ってしまっていいのかな?たしかに、Ladylikeでは意味合いがちょっと違うしね。

スティーブンはラ・フレシェの士官たちと食事をし、軍医のマクリーンに紹介された。彼はスコットランド人で、ひどく内気そうに見えた。彼はほとんど聞き取れないようなスコットランド訛りで、あなたの本を持っています、と言った。彼も博物学者だった。2人はラテン語で会話を交わした。スティーブンは「後で僕のコレクションをお見せしましょう」と言うと、彼は勢い込んで、すぐに見たいと言った。

このマクリーンさんというのが、物凄いスコットランド訛り…というか、スコットランド語を交えて話すんで、聞き取るのに、いや読み取るのに、かなり苦労します。ところで、軍医ってスコットランド人が多い気がするのですが…スティーブンの助手たちってたいてい名前にMac(Mc)がついているし、4巻に登場したマカダムさんも。誰か理由を知っています?

航海は平穏そのもの、乗員は健康そのもので、2人の軍医はほとんど仕事がなかった。2人は艦首艙にこもり、スティーブンのコレクションを解剖し、分類し、記述して過ごした。2人とも喫煙者だった。艦では厨房以外での喫煙は禁じられていたが、マクリーンは副長の目の届かないところでいつもパイプをくわえていた。彼は熱心な博物学者で、優秀な共同研究者だったが、普通の意味では良い話し相手とは言えなかった。彼は不精者で、ひっきりなしにパイプをふかし、イングランド人の悪口ばかり言い散らしていた。

それでも、スティーブンにとってはめったにないほど楽しい航海だった。彼は夕方には、ジャックとヨーク艦長と共に音楽を楽しみ、昼と夜はマクリーンとコレクションに没頭した。

ラ・フレシェ号は風に恵まれ続け、1日200海里のペースで飛ぶように喜望峰へ向っていた。艦上の誰にとっても快適な航海だったが、例外は元レパード号の士官候補生たちだった。航海中は暇なジャックが、今まであまりかまってやる暇のなかった彼らの教育に全力を傾注していたからである。彼は航海学、天文学、数学をはじめ、礼儀作法や聖書に至るまでを教え込もうと努力し、毎日宿題を出した。残念なことに、教え子の出来はあまり良いとは言えなかった。「ミスタ・ピーターズ、アブラハムって誰か知っているか?」「えーと、すごくいい人です。多分、穀物商人です…だって、『アブラハムの種は永遠に』って言うでしょう?」


まったく、ジャックの下につく士官候補生って、どうしてこう例外なく面白いのでしょう(笑)。ピーターズくん、「アブラハムの種」は「サカタのタネ」とは違うのよ。

マクリーンさんて、今で言う「オタク」ですね。まあ、スティーブンもかなりオタクっぽいけど…

ラ・フレシェ号は喜望峰に寄港した。スティーブンは生きている有袋類をサイモンズ・タウンの知り合いの家に引き取ってもらった。

喜望峰で彼らは、アメリカがついに英国に宣戦布告したというニュースを聞いた。この戦争に、水兵たちの反応は様々だった。拿捕賞金のチャンスを喜ぶ者もいたが、アメリカ人の友人がいる者も少なくなかったのだ。しかし、士官の間でも水兵の間でも、陸はともかく、海でアメリカが英国に敵うわけがない、という点で意見が一致していた。アメリカ海軍には、フリゲート艦が8隻しかないのだ。

艦は急いで喜望峰を出航し、大西洋を北へ向った。スティーブンは士官次室でも艦長室でもアメリカ海軍の話ばかり続くのにうんざりしていた。それより、彼は今や敵国となったアメリカにいるダイアナが心配でならなかった。


ウォンバットちゃんやカンガルーちゃんたちを引き取ってくれたのは、4巻の、スティーブンがスケッチしたツチブタを飼っている人です。しかし、こうしてスティーブンがあちこちから連れて来る動物を引き取っていたら、家が動物園になってしまいますね。

その夜、スティーブンは艦首艙にいた。彼とマクリーンの熱意のおかげで、コレクションの整理はほとんど終わっていた。パイプをくわえて精力的に解剖をこなしているマクリーンを残し、スティーブンは甲板に上がった。星空の下、艦尾甲板では、ジャックが士官候補生に天体観測を教えていた。スティーブンはジャックやボンデンに見つからないように、こっそりバウスプリットに登り、そこで考えに沈んだ。彼はダイアナのこと、故郷のカタロニアのことを想った。その後、スティーブンは部屋に戻って寝台に横になった。隣室の士官候補生たちがうるさかったので、彼は蝋で耳栓をして、眠り込んだ…

…目覚めた時、彼は何が起こっているのか分からなかった。ジャックが彼を揺さぶり、吊り寝台から引っ張り出して怒鳴った。「火事だ!甲板に出ろ!」煙が充満している。スティーブンは書類鞄をつかんで走り出した。

甲板は大騒ぎだったが、ヨーク艦長と副長がきびきびと命令を下し、混乱を抑えていた。「右舷当直、避難!レパード号、カッターへ!左舷当直、避難!」スティーブンは誰かに倒され、踏まれたが、ボンデンとバビントンが彼を助けてボートに導いた。既に艦全体が火に包まれていた。全員を避難させた後、最後にヨーク艦長がボートに乗り込み、艦を離れるよう命令した。

半時間ほど経って、艦は爆発した。空を覆うほどの巨大な火柱が上がり、消えた。真の闇に包まれた海に、破片が落ちる音が聞こえた。


…船火事は怖いのですね。タバコの火の不始末には、くれぐれも注意を…