Chapter 6-2〜ダイアナ


翌朝、ジャックが望遠鏡で港を見ていると、封鎖艦隊の英国艦の1隻が近づいているのが見えた。シャノン号だ。砲台が警告の砲撃をして、シャノン号は去って行ったが、その前にジャックはマストの上の人影を捉えた。艦長のフィリップ・ブロークに違いない。

その朝、アメリカ艦チェサピーク号ローレンス艦長が見舞いに来た。彼は以前の指揮艦ホーネット号で英国艦ピーコック号に勝利し、負傷して捕虜になった英国士官と仲良くなった。それはジャックの元部下のマウアットだった。マウアットに親切にしてくれた上、彼の挨拶をわざわざ伝えに来てくれたローレンスに、ジャックは好感を持った。

スティーブンが起きて来て、ダイアナに招待されているので、これから午餐会に行くと言った。「剃刀を貸そうか?」「いや、昨日かおととい剃ったばかりだからいいよ。」「シャツに血がついてるぞ。」「これか?上に上着を着るからいい。」「…スティーブン、頼むよ。おれの士官が敵地で食事しようっていうのに、きちんとしてなければおれの気がすまない。」スティーブンは仕方なく、髭を剃って着替えてから出掛けた。


そりゃスティーブンは普段は、気が向いた時しか髭を剃らず、必要を感じた時しか身体を洗わず、キリックやジャックによっぽどうるさく言われないかぎり着替えもしない人ですけど…ダイアナの前に出るときだけはいつもオシャレしていたはず。恋心が消えると、髭も剃らなくなるのか…分かりやすいというか、何というか。

彼はホテルに早く着きすぎた。バルコニーに出ると、部屋からダイアナとジョンソンの言い争う声が聞こえた。

食事にはルイーザとヘラパスが来た。ダイアナとジョンソン、ダイアナとルイーザの間に悪感情がある事は一目瞭然だった。一方、ジョンソンとルイーザはあからさまに親しげにふるまい、テーブルの下で脚をくっつけ合っていた。ダイアナは女主人として、会話が途切れないように気を遣ったが、話題はつまらないものばかりだった。彼女の辛辣なユーモアは、当意即妙の機転はどこへ消えたのだろう?

食後のお茶を飲みながら、スティーブンはダイアナを観察した。前日の不安が確信に変わり、彼の心は痛んだ。彼はもうダイアナを愛していない。彼女は変わってしまった−蓄積された怒りと不満が、彼女の顔から生き生きとした表情を奪っていた。彼の愛した活気と勇気は、もう消えかけている。


「テーブルの下で脚をくっつける」っていうのは、1巻でジャックとモリー・ハートがやってましたね。長いテーブルクロスに隠れているわけですが、表情を見ていれば、勘の鋭い人にはわかるもので。まったく、昼間っから…(ディナーっていうとつい「晩餐」と言ってしまいそうになりますが、当時のディナーって昼間なんですよね。)

客が帰り、ジョンソンが出かけて、彼女とスティーブンは二人きりになった。「こんな退屈なパーティに呼んでごめんなさいね。でも、やっとあなたと話せるわ。」彼女は、今までのことを話しはじめた。

ジョンソンと彼女は、始めから上手くいかなかった。彼の離婚は一向に成立しなかった上、彼はひどい女好きで、暴力的で、残酷な男だった。彼の黒人の扱い方は見るに耐えない。「奴隷女に手をつけて、山ほど混血児を生ませているのよ。そのくせ嫉妬深くて…こんなことをしているのを見られたら、私たち二人とも殺されるわね。」彼女は彼の手を握った。「マチュリン…信用できる人がそばにいるって、ほっとするわ。」

ある時、彼女はジョンソンと大喧嘩し、ロンドンに帰った。ジョンソンは追って来て、今までの事を謝り、離婚はもうすぐ成立すると言いった。彼は素晴らしいダイアモンドのネックレスをくれた。「宝石に釣られたとは言いたくないけど、確かに効果はあったわね。女はダイアモンドが好きなのよ。」

そこで彼女は、ジョンソンが諜報活動に関係していることを知った。ルイーザが逮捕され、彼はダイアナも絞首刑になると脅した。ダイアナは怯え、一緒にアメリカに戻った。「…あれは人生最大の失敗だったわ。」「君はアメリカ市民になったのか?」「ジョンソンが離婚に必要だって言った書類にサインしたわ。でも、あんな書類なんか関係ない。私は英国人よ。ジョンソンは私に活動を手伝わせようとしたけど、自分の国に敵対するなんて!私は軍人の娘で、軍人の妻でもあったのよ。そんなこと、絶対に絶対にするもんですか!ああスティーブン、もう耐えられないわ。私、どうしたらいいの?」


このあたりの経緯は、5巻2章を参照。ダイアナは、意外ですが、けっこう愛国的なのです。イギリス海軍がアメリカに連敗していたことも、ジャックと同じぐらい嘆いていたみたい。偉いぞ!…と言っていいのかどうか。でもダイアモンドには目が眩むのね。ダイアモンドは女のベストフレンド♪…と、ニコール・キッドマンも唄っていたけど。

それにしても、ダイアナといいジャックといい、どうして中身も読まずに書類にサインするんだ…とスティーブンは思っているに違いない。

スティーブンはしばらく考えた後、言った。「ダイアナ、結婚しよう。そうすれば、君は英国国籍を取り戻せる。僕の妻として一緒に英国に帰ればいい。形式だけの結婚だ。君が望むなら、『白い結婚』でもいい。」「ああ、スティーブン!ありがとう!」ダイアナは彼に駆け寄り、抱きしめた。彼は後ろめたさを感じながら、彼女を抱き寄せた。

白い結婚−マリアージュ・ブランとはつまり、性交渉なしの結婚という意味ですね。えーと、昔、大貴族の姫が歳若くして政略結婚させられる時、「白い結婚」をさせたそうなんですね。「白い結婚」なら、カトリックでも離婚を許されたという…ルクレチア・ボルジアが有名ですね。

…てなことは、ともかく。おい、スティーブン、本当にそれでいいのか?

ジョンソンが帰って来て、ダイアナは部屋を出て行った。「オーブリー艦長とお会いしてきたんですよ」ジョンソンは言った。「ドクター、あなたも私も目標は一つ、平和です。相互理解が深い方が、平和は早い。そこでお願いです…ヨーロッパの政治状況に関して、我々の相談役になっていただきたい。」スティーブンは、自分は英国海軍に勤める身だからと言って断ったが、ジョンソンは諦めなかった。

2人のフランス人がジョンソンを訪ねて来た。ポンテ=カネとジャン・デュブルーユだった。2人はジョンソンから封筒を受け取って去った。「小さい方の男を見ましたか?」ジョンソンがスティーブンに言った。「そうは見えませんが、怖ろしい男です。カナダで敵に通じていた人間がいまして…彼がその男に何をしたか、いくらあなたが医者でも申し上げられませんよ。あの死体には、何週間もうなされました。つき合いたくない連中ですが、今の状況ではフランスを邪険にはできなくてね。明日またお会いしましょう−オーブリー艦長の交換について、お役に立てるかもしれません。あなたの気も変わるかもしれませんしね。」


小さい方の男とは、デュブルーユの方です。「あなたが医者でも言えない」って、何をしたんでしょう、ひょええ。ジョンソンはわざわざこんなことを言って、遠回しに脅しているのだと思いますが。