Chapter 1-3〜アドミラルズ・フリップ


海軍事務次官補アンドリュー・レイ、マルタに来る。歓迎パーティが行われる

さて、スティーブンが嘆いていたマルタの諜報活動状況をなんとかするために、海軍省から偉いさんがマルタへ来ています。それがなんと、海軍第二事務次官代理(Acting second secretary)のアンドリュー・レイです。今まではちらちらと噂ばっかり出てきたキャラクターですが、この巻から本格登場となります。

アンドリュー・レイと言えば、かつてポーツマスでトランプのいかさまをしてジャックに非難され(5巻1〜2章)、その後財務省から海軍省に移って幹部になり(7巻1章)、ハート提督の娘婿の座を狙ってバビントンとライバルになった(8巻5章)人物ですが、その後首尾よくファニー・ハートと結婚したようです。完全に財産目当てですがね。(ハート提督は金持ち、ファニーは彼の唯一の相続人。)

ジャックたちが出掛けたパーティは彼の歓迎会です。ジャックとしては、彼に会うのはトランプのイカサマで非難した時以来で、気まずい事おびただしいのですが、彼に挨拶して新艦長のプリングズを紹介しないわけにはゆきません。

レイ、プリングズの昇進を推薦したのは自分で、オーブリー艦長のためだと言う。

ところが、ジャックが自分の元副長を紹介すると、レイはプリングズ艦長をにっこりと祝福した後、意外な事を言います。海軍省ではプリングズの艦長昇進に反対もあったが、私が是非にと推薦したのだと。オーブリー艦長はある折に、私について不当な事をおっしゃったようですね。だからこそ逆に艦長のお力になることで、水兵風に言えば「鼻をあかしてやり」たいと思ったのです。

それを聞いてジャックは、おれはもしかして、この人を誤解していたのかな?と思い始めます。たしかに、海軍省幹部である彼が反対すればプリングズの昇進を阻止することもできたはず。こちらを恨んでいるならそうしたはずだ。ポーツマスのあの夜、彼がイカサマしたのというのは、もしかしておれの勘違いだったか?一緒にプレイしていたのは彼だけではなかったし、おれも酒を飲んでいたし…。プリングズに至っては彼をすっかりいい人だと思い込み、後でジャックに「ミスタ・レイにアドミラルズ・フリップで乾杯しましょう!」とまで言い出す始末。

いやいや、二人とも人が好いから…ちょっといいことをしてくれたからって、こんなに簡単に人を信じてはいけません。

プリングズ、アドミラルズ・フリップで酔っ払う

さて、アドミラルズ・フリップ(Admiral's flip)とは何でしょう。flipとは辞書によると「ビールまたはブランデーに鶏卵・香料・砂糖などを加えて温めたもの」とあります。なんだかこれは病人に飲ませるもののような気がしますが、「提督のフリップ」はさにあらず。シャンペンとブランデーを半々で割ったものです。これは相当、効きそうな代物。

すでにかなり祝杯を重ね、傷がムラサキ色になっているプリングズの顔を見て、ジャックは「こんな時間にアドミラルズ・フリップか?」と心配するのですが、プリングズが「いいじゃないですか、僕がスワブ(モップ=肩章のこと)を濡らすなんてめったにあることじゃないんですから。(Come sir, it's not every day I wet the swab.)」と言うので、ジャックは自分がコマンダーになった時のことを思い出し、とことんつきあうことにします。

「このスワブを濡らす(wet the swab)」という表現、1巻1章でジャックがスティーブンに言ってました。「初めて肩章をつけた時は、濡らすんですよ。つまり、ワインを1本か2本空けるってことですが。(when first we ship it, we wet it: that is to say, we drink a bottle or two of wine.)」(訳は管理人)つまり、艦長昇進を祝ってとことん飲むことを意味するようです。

ちなみに、ジャックがなった頃は海尉艦長の肩章は左肩にひとつでしたが、今(1813年ごろ)は規定が変わって、プリングズくんは両肩に乗せています。だから、プリングズくんの場合なら"ship it"じゃなくて、"ship them"ですね。(shipは船乗り言葉で「部品などを取り付ける」という意味。)

というわけで、提督フリップと、彼の昇進を祝う友人達との乾杯の連続で、もともと酔っ払っていたのがすっかり「海軍基準」を越え、庭の隅のベンチに運ばれたプリングズ。酔いつぶれる寸前で、顔面蒼白ですが、まだニコニコしています。「海尉艦長は月16ギニーも給料をもらえるんですよ。月16ギニー!ミセス・プリングズ、ミセス・キャプテン・プリングズが聞いたら何て言うかな!」

「ミセス・プリングズがその顔を見たら何て言うか、その方が問題だ。」と、ジャックは胸の中でつぶやくのですが、もちろん口には出しません。

プリングズが幸せそうに酔いつぶれてしまったので、ジャックはパーティについてきていたボンデンたち水兵を呼び集め、彼を担架に乗せて、裏口からそっと運び出させるのでした。

ジャック、ローラ・フィールディングの家に行く。

みんなでプリングズを宿まで運び、みんなで寝かしつけた後、ジャックはローラ・フィールディングの家に出掛けます。実はプリングズ艦長と二人で招待されていたのですが、そういうわけでひとりで行くことにします。

着いてみるとローラはまだ帰っていなくて、門が開いています。いなかったら庭で待っていてくれと言われていたジャックが、大きなレモンの木が強い芳香を放っている中庭に入ると、妙な音が聞こえます。さびた旋盤のきしむ音のような、あるいは狂人の叫びのような不気味な音が…

庭の隅に、雨水を溜める大きな貯水槽が埋めてあるのですが、音はそこから聞こえます。ジャックが覗き込むと、ローラのボディガードの巨大なマスチフ犬・ポントが必死で泳ぎながら、いつもの凶暴さはどこへやら、情けない啼き声を上げていました。

ジャック、犬のポントを救出する。

犬がどうして貯水槽に落ちたのかはわかりませんが、あいにく水位が下がっていて、前足を伸ばしてもへりに足が届かず、しかし底には足がつかないようです。犬は長い間泳ぎ続けて、すっかり参っている様子。ジャックは片手をへりにかけて片手を伸ばし、首輪をつかんで引っ張り上げようとするのですが、手をかけたへりが崩れて彼も貯水槽に落ちてしまいます。

水位はジャックの胸ぐらいでしたが、巨大な犬はすっかり怯えて、ジャックの首に必死の形相でしがみついています。ジャックは犬の腹を抱え、彼ならではのばか力を発揮して貯水槽の外に押し上げてやるのでした。

うっかり動物を助けるもんじゃないと、あとでジャックはしみじみ思い知ることになるのですが(笑)。