Chapter 2-2〜亀と男たち


あやしい題名…(でも、そのまんまなんですよ。)

ジャック、ハートレー提督の家に向かう途中で亀の交尾を見る。その後、聖セバスティアヌスの聖堂を見る。

ハートレー提督邸に続く、人通りの少ない乾いた道で、ジャックは道端で二匹の亀が追いかけっこをしていて、その後交尾するのを目撃します。例によって「スティーブンがここにいたらなあ」と思うジャック。そしてその後通りかかった小さな聖堂に、ペンキを塗りなおされたばかりで血の色も鮮やかな聖セバスティアヌスの彫像を見ます。

オブライアンには、動物を使った「象徴」がよく出てきます。登場するさまざまな動物を、ジャックやスティーブンに起きる出来事と関連付けて解釈するのも楽しいのですが…ここの場合、解釈する必要もないほどそのまんまですな。陽射しの照りつける乾いた大地に、亀の交尾と、血塗れの殉教者。…つまり、セックス。そして、死。

ハートレー提督の家は寂れている。提督、弱って気難しくなっている。

提督はここで半給をもらいながら独り暮らし(召使はいる)をしているのですが、家はなんだか荒んだ感じ。久々に会った本人も、悲惨なほどの変わりようです。

ジャックが久しぶりに会った元上官というのは、みんな「ショックを受けるほど衰えている」ことが多いようなのですが、そういう年頃なのでしょうか。でも、ハートレー提督の場合、ソーントン提督のように「仕事のストレスと過労で体が衰えている」のとは違うようです。むしろ逆で、長年仕事もなく陸上生活をしてきた結果、元々の性格の悪さをいくらかはカバーしていた戦士としての鋭さや迫力が消えて、ただの強欲スケベじじいに成り果てているというか…

客の前でもかまわず、ワインを運んできた女の召使(兼愛人?)の胸をなでたりしているハートレー提督。ただのセクハラじいさんという姿ですが…でも、その様子を見て、ジャックはあることがピンときます。「自分の目は特に鋭くないが、ハートレーが不運なことになった(had fallen unlucky)のは明らかだ」。

"fall unlucky"とは、はじめ何のことかわからなかったのですが…前後を考え合わせてみると、「胸を触る以上のことは、したくてもできない状態」という意味らしいです。

「オーブリー、バレッタに行った時、お前の噂を聞いたぞ。相変わらず、ブリーチをちゃんと履いていられない奴だな。いいことだ。できるうちに男を演じておくことだ。わしのように、逃したチャンスをあとで死ぬほど悔やむはめになるな。去勢馬の生活なら、墓に入ってからいくらでもできる。墓に入る前にそうなる奴もいる。」と、ほとんど泣き笑いのような声で言う提督。

この訪問によって、ひどく悲しい気分になってしまったジャック。提督がどうのというわけではなくて、時の流れの残酷さ、避けがたい衰えをまざまざと見せつけられたから…

この世で一番恐ろしいのは死ではなく、止められない時の流れそのものだという実感は、この頃のジャックと同年代(多分)の私にはよくわかるのですが…でもこの場合、「男性機能の衰え」ということが、恐怖の大きな部分を占めているらしい。このへんの「重圧感」というのは、私は生まれた時から女なので(あたりまえだ)、イマイチよくわかってないのかもしれませんが。

帰り道に、突然上空からジャックの目の前に石のようなものが落ちてきて、岩に当たってぱっかりと割れます。それはよく見ると亀(たぶんさっき交尾していたやつ)でした。鳥がくわえていたのを落としたのです。またしてもわかりやすい象徴…でも、あまりに鮮やかで、ちょっと忘れられない。仏教徒なら「色即是空」とかつぶやいて悟りでも開きたくなるところですが、ジャックにはまた別種類の感慨を起こさせたようで…

「スティーブンがここにいたらなあ」とジャックはまたつぶやき、空きっ腹を抱えて(提督は食事を出してくれなかったので)、どっぷり落ち込んだ気分で、とぼとぼと帰り道をたどるのでした。

このあたり、まとめ方も感想も少々お下品ですみません。ハートレー提督のせいです。でも、彼によって引き起こされたジャックの「そこはかとなくもの悲しいキモチ」は、後の章にもつながってくるので…

スティーブン、食事をぬいて教会へ。

さて、その頃スティーブンは…やはり食事抜きで教会に来ています。彼が食事抜きなのは、ローラ・フィールディングに欲望を抱いたことに対する"penance"(罪滅ぼしの苦行)のつもりもあり、また食事を抜くことで少しでも欲望が落ち着けばという意図もあり…

うわー、スティーブンたら、なんて真面目なの。えらい…と言っていいものかどうか。なまじローラが好みのタイプだけに、彼も辛いものがあるのでしょう。気の毒に…

ともあれ、教会の美しいプレインシャント(無伴奏の聖歌)にすっかり癒されたスティーブン。音楽、博物学…多方面に楽しみがあるのは、いろいろと良いことですね(笑)。スティーブンみたいな人は、歳をとることに比較的恐怖を感じにくいタイプなんだろうな、とか思ったり。

スティーブン、教会でアンドリュー・レイに会う。

スティーブンは教会で、意外な人を見かけます。それは例の(シャレに非ず)アンドリュー・レイでした。彼はカトリック教徒というわけではなく、純粋に音楽を楽しみに来ていたというのですが。レイはスティーブンに挨拶し、「ロンドンを発つ直前に、パーティで奥様にお目にかかりました。お元気そうでしたよ」などと、しばらく世間話をして別れるのでした。ところが…

レイ、ルシュールと会っている。

ここでアンドリュー・レイ氏に関する衝撃の事実(その1)が明らかになります。(<つまり、その2もあるのですが。)彼が教会に来ていたのは、後で目立たないようにルシュール(フランスのエージェント)と会うため。つまり、彼はフランスのスパイ、内通者、裏切り者だったのです。自分では「理想のために」やっていると称していますが、報酬はちゃんともらっているらしく、ギャンブルのツケを必要経費に認めるかどうかでルシュールともめています。こんなに地位の高い人が敵に通じているのでは、秘密がだだ漏れなのも納得なのですが。

ここで注目すべきことは、読者がスティーブンやサー・ジョセフより先にレイの正体を知ることです。オブライアンが、こういう重要なことを「読者だけが知っている」というパターンを使うことは珍しいのですが…

「さっき君はドクター・マチュリンと話していたが、彼が海軍のエージェントなのは知っているのか?」「いや。ただのアドバイザーだと…報酬支払名簿には彼の名はなかったぞ。」「彼は理想主義者だ。だからこそ危険なんだ。彼のことを知らされていなかったのなら、ブレインは君を信用していないか、ネズミの匂いを嗅ぎつけているかだ。マチュリンは厄介な、しぶとい奴だ(difficult, coriaceous animal)。彼は別のエージェントに対応させているが、そのエージェントが失敗したら、別の方法で排除しなければならないだろう。」「それなら、一石二鳥の手がある。マスカラの太守(Dey of Mascara)に始末させよう。」

マスカラの太守とは何ぞや?ということはまた後で。ともかく…サー・ジョセフ・ブレインの名前が出てきて何となく嬉しかったのと、"coriaceous animal"(※)という言い方があまりにスティーブンにぴったりで、印象に残っていたことだけ書いておきます。

coriaceous:■adj. 皮革の;皮のような;強靱な.