Chapter 9-1〜クタリの熊


サプライズ号、アドリア海へ護送任務。ジャック、ブラックウォーター号が別の人のものになったことを知る。

さて、その数日後、サプライズ号は輸送船団と陸軍の部隊をアドリア海へ護送する任務を受け、出航します。

サプライズの乗客になった陸軍大佐とディナーを共にしたジャックは、彼からショックなことを聞くことに。(といっても、スティーブンと読者はとっくに知っていたことですが…)ジャックの指揮艦になることを固く約束されていたブラックウォーター号、この地中海での「合間仕事」が終わったら、指揮して北米基地に行くはずだった重量級フリゲート艦が、別の艦長のものになり、その艦長の指揮の元、既に出航したというのです。(大佐はその艦の海尉である弟から手紙をもらったのでした。)

これからのキャリアプランが根底から覆され、この仕事が終わったら陸上半給生活が濃厚になったジャックは大ショック。キャリア的にももちろん打撃なのですが、それに加え、彼は今のサプライズの仲間をブラックウォーター号に連れて行くことをアテにしていたので、それがダメになったのも痛い。「最高のshipmates」はいよいよ解散に追い込まれるのか…

ジャック、独りで食事し、艦尾窓から航跡を眺める

ジャックはこの頃、独りで食事することが多くなっています。それは、士官や士官候補生を招待するお金があまりないこともありますが、なにより、何も知らず陽気な彼らを悲しませまいと、サプライズ号の運命を黙っているのが辛いからです。

今日、彼はいつものダイニング・キャビンではなく、艦尾窓の際に座り、海を見ながら食事しています。眼下には、どこまでも続くグリーンの海と、ゆったりと伸びる純白の航跡。それは、陸の上のどんな窓からも決して見ることのできない、いつも彼の心を動かす光景でした。

「もし残りの人生を、陸に半給で放り出されて債務者監獄で過ごすことになっても、この光景を見られたのが何よりの報酬だ」と、彼は思うのでした。

サプライズ、クタリに寄港、大歓迎される。

サプライズ号は近くを通るついでに、懐かしいクタリ(8巻)に寄港し、住民たちの大歓迎を受けます。錨も下ろさぬうちに、サイアハン・ベイとアンドロス神父をはじめ、様々な人々がボートに贈り物を積んでわらわらと集まって来るほど。何しろ、オーブリー艦長は二人の暴君を撃退し、クタリの民の(事実上の)独立を守った恩人ですから。もちろん住民への好意からではなく、イギリスの利益のためにやったことですが、結果は同じなので、人々の感謝の気持ちは変わらないのでした。

アンドロス神父がサプライズのメンバーに懐かしい顔が欠けているのに気づき、「プリングズさんは?」と訊きました。あいにく通訳がいなかったので、ジャックは指を上に向けて「昇進した」という意味らしきことを怪しいギリシア語で言おうとするのですが…神父とベイはそれを「昇天した」と勘違いしてショックを受けてしまいます。「違う違う、えー、彼はカピテーノで、グラードがエレベートで…おーい、ドクターを呼べ!」

スティーブン、マストから降りられなくなる。

その時ドクターは…クロスツリー(マストの天辺近く)にいました。

何でそんなところにいたかというと、もちろん、鳥の観察をしていたからです。この辺りに生息する珍種の鷲、スポテッド・イーグルを見るためにトップでがんばっていて、嬉しいことに二羽も見ることができたのですが、トップからだと帆が邪魔でよく見えない。鳥に夢中のスティーブンは、上ばかり見ていたせいか、いつのまにか、一人では登ったこともない高みまでずんずん登ってしまいました。ところが、鷲たちが上空に消えてしまった後、あらめて見下ろすと…どうやってこんな高いところまで登れたのか自分でもわからない(笑)。いったん下を見てしまうと、どうにも恐ろしくて降りられず…

クタリの少女から大きな薔薇の花束を贈呈されたジャックは、視線の端にドクターの姿を捉えました。艦長はボンデンを呼んで花束を渡しながらこっそりと…「この花束をマストの上にくくりつけて、ついでにドクターを安全に降ろすんだ。」

ああ、思い切りつっこみたい…あんたは猫か!

ジャックとスティーブン、サイアハン・ベイと熊狩りをする

さて、その頃ちょうど、クタリ近くの山で巨大な熊が目撃されていたということで、サイアハンはジャックたちを熊狩りに招待します。(共食い…いや、共狩り?)

一行は首尾よく熊を追いつめ、後は撃つだけ…というところまでゆくのですが、そこでスティーブンが「こんな立派な動物を銃で撃つなんてもったいない、敬意を払って槍で一突きに殺すべきだ」と言い出します。なるほどと思ったジャックとサイアハンが「どうやるのか手本を見せて欲しい」と言うと、彼は「熊を殺す栄誉は、戦士のものになるべきだ、私は戦士ではないから」と断ります。ジャックとサイアハンが、どちらがその栄誉を受ける戦士になるか譲り合っている間に、熊は逃げ出してしまいました。

なんだかんだ、要は熊を逃がしたかったのね。…熊が好きなのね。なんとなく昔話みたいな話だなあ。あとで熊がスティーブンのところへ恩返しに来たりしそうだ。そういえば、あのフローラの毛皮はどうなったんだろう…(ふと)

サプライズ号、艦隊と合流。スティーブン、ニンフ号へ手術の執刀に呼ばれる。

クタリを後にしたサプライズ号は、船団を連れてトリエステ(アドリア海の奥 ベネチア湾)沖に到着し、艦隊に合流しました。艦隊の一隻、ニンフ号で難しい手術を必要とする患者がいるということで、スティーブンが呼ばれ、艦隊の軍医たちが見学する中、見事なメスさばきを披露します。

手術の後、ニンフ号の軍医ミスタ・トーマスは、自分がこれからやる予定の手術にスティーブンを誘います。「簡単な弾丸摘出手術で、ドクターに手伝っていただくこともないのですが、その患者にはちょっとロマンティックな事情があるのですよ。お話しましょうか?」それを聞いて他の軍医たちはそそくさと逃げ出します。なぜならこのトーマスさん、とにかく話が長くて超回りくどいので有名な人だったのです。彼がスティーブン相手に語った長〜いをごく簡潔にまとめると、以下のようになります。(あー、面倒だったらとばしていいです。)

「あれは早朝、まだ非直員が呼ばれる前でした。ところで非直員といえば、軍医や主計長をそう呼ぶのは正確ではありませんねぇ。つまり…(以下延々と続く)…とにかく、朝のことでした。あの辺りは、朝にうまい魚が釣れるんですよ。その魚は…(以下延々)…そこでノートンが、ノートンというのは〇〇の親戚ですが…(以下延々)…とにかく彼が、『マスケット銃の音が聞こえる』と言って、いや正確な言葉はそうじゃなかったな…(以下延々)…我々は敵船がいるのではないかと思って…(以下延々)…夜が明けると、そこにフランス艦がいたのです。追跡を開始したのですが、風の方向が…(以下延々)…そもそも、こちら艤装は敵の艤装と比較して…(以下延々)…つまり、ごくかいつまんで言いますと、あと1ケーブルに迫ったところで、敵は真直ぐ風上に向かい…(以下延々)…そこで、敵の甲板で暴れている男が見えましたが…敵艦の降伏する瞬間は見ることができませんでした。というのは、その時艦長が私にとても失礼な言葉で怒鳴ったのです。翌日艦長の薬に下剤を混ぜてやりましたが、ははは!…(以下延々)…」

こんな調子だったので、スティーブンは例によって途中で心がさまよいだし、トーマスがやっと話し終わった頃には、ほとんど聞いていませんでした。「…というわけで彼は、満面の笑みを浮かべ、友人たちの歓声に迎えられて乗艦したのです。」「彼とは誰ですか?」「もちろん、暴れていた男ですよ。彼はフランスで捕虜になっていた英国海尉で、脱走してきたのですが、なんと捕まる前はこのニンフ号の海尉だったのです!敵の手を逃れて、かつての自分の艦に救われるなんてロマンティックでしょう?つまり、それが私の患者なのです。その時は、身体は弱っていても意気揚揚としていましたが、残念なことに、この艦の誰かが余計な噂話を耳に入れたようで…今はすっかり落ち込んでしまっています。」

その時、海兵隊員がトーマスに伝言をもって来ます。「すみません、ミスタ・フィールディングが、いつになったら手術を始めるのかと訊いていらっしゃいますが…」この言葉に、スティーブンはびっくり。「フィールディングですって?あなたの話していた患者とは、チャールズ・フィールディングのことだったのですか!?」「はあ?私、ちゃんとそう申し上げたはずですが…お忘れですか?」

つづく。