Chapter 1 〜 オーブリー艦長の憂鬱


長らくお待たせいたしました(て、まだ待ってくれている奇特な人がいらっしゃるとして)15巻です。

15巻はイギリスとアメリカで題名が違います。英国Harper Collins版が「Clarissa Oaks」、米国W.W.Norton版が「The Truelove」。

英国版の題名は少々ネタバレになっているし、米国版は(Theがついていることからわかるように)船の名前ですが、当の船「トルゥーラブ号」は、別に話の中心ではないし…ということで、正直、どちらもイマイチな題です。「今回、ぴったりの題が思いつかなくて苦労したんだな〜」ということがわかるわ。

私が題名をつけるとしたら、ずばり「艦長のミッドライフクライシス(中年の危機)」。(<半分冗談、半分本気。)いや、ジャックだけじゃないんですけどね…

※注:いきなりこの章の最後に、ジャックファンの乙女(?)には、ちとキツい(かもしれない)シーンがあります。私も最初読んだ時は「うーむ…」となったのですが、今ではお気に入りのシーンのひとつだったりします。それもどうかと思いますが。

ジャック、機嫌が悪い

さて。いろいろ嫌なことがあった流刑地を後にして、サプライズ号は南太平洋を一路東へ向かっていました。

陸地を離れて、やっと自分の世界に戻ったジャック。総督のおかげで、とりあえず満足に装備できた愛する艦に乗って、前途には、彼の好きなブルー・ウォーター・セーリング(外洋航海)が何千マイルも続いている。おまけに、一時は彼をひどく心配させた親友も、カモノハシの毒からすっかり回復し、青紫に腫れあがっていた顔もいつもの薄黄色(笑)に戻り、今は娘の誕生を祝って自ら作曲したとても陽気な曲を、チェロで奏でているのが聞こえます。

このように、幸せな気分になってもいい理由がたくさんあるのに−「なぜ、おれはこんなに不機嫌なんだ?」彼はつぶやきました。

不機嫌の理由その1は、当の親友のことでした。彼の回復を心から喜びながらも、彼に対しての腹立ちも、完全に収まったわけではないので。そもそも、艦の装備が長いこと上手くゆかなくて苦労したのは、彼の決闘さわぎのせいだし…まあ、相手が侮辱してきた以上、これは仕方なかったかもしれないが…それでも、勝手に囚人の脱走を計画したのはよくない。結局、パディーンは艦に乗っていて、ジャックはどうも操られたような気がして納得が行かないのでした。

ジャック、シドニーで浮気しそこなう

彼が「操られた」のは実はこの時だけではなくて…彼が不機嫌な理由その2(最大の理由)は、その一件なのでした。バタビアを後にしてから、まったく女っ気なしだったジャック。シドニーに着いてからも、当初はそんな精神的・時間的余裕がありませんでした。しかし、総督が帰って来てからは少し事態が改善し、パーティやコンサートに顔を出しているうち、何度も顔を合わせて意気投合した女性がいました。若く、ぽっちゃり型で、見事な胸と、よろしくない噂の主−ミセス・セリーナ・ウェスレー。

シドニー郊外の庭園で開催されたコンサート。休憩時間に、ジャックはセリーナに「一緒に窪地まで散歩しませんか?」と誘われました。たちまち少年のようなエネルギーに満たされ、はりきって彼女に腕を貸した彼ですが…

ところが…二人が暗いシダの林を抜けて、人気のない所まで行くと、突然、木陰から男が現れました。「ケンドリック、そこにいたのね。」とセリーナ。「オーブリー艦長、送ってくださってありがとう。帰り道はおわかりになるわね、船乗りを導く星が出ていますから…ケンドリック、オーブリー艦長がご親切にここまで送って下さったのよ。」

ひゃ〜、この女、極悪(笑)。でも、個人的には、ジャックがまた浮気しないでよかった。というわけで、行き場のない、思春期の少年のようなエネルギーをもてあまししたままのジャック…そりゃ、不機嫌にもなるわな。

サプライズ号の乗員たち、様子がおかしい

他にも、思ったように風が吹かないとか、士官候補生への不満とか(腕を失ったリードが、サプライズの全員に甘やかされて少しうぬぼれているとか、オークスがやけに浮かれていて、士官らしくない様子で歌を歌っているとか)、マーティン牧師が相変わらずスティーブンの時間を取り過ぎるとか、いろいろ些細な理由はあるのですが、それより近頃、特にカンにさわるようになってきたのは、サプライズ乗員たちの妙な態度でした。

理由もなくニヤニヤしたり、突然笑い出したり、艦長を妙な訳知り顔で見たり…「最近お疲れ気味のミスタ・O」について、訳のわからない冗談を飛ばしたり…トム・プリングズさえ、時々彼を、ためらいがちな、何か言いたいような顔で見ていることがある。

このように、不機嫌の理由はいろいろあるにせよ、若い頃は決して、朝っぱらからこんなにしつこく不機嫌になったりしなかった。もっとも、若い頃はあんなふうに女性に馬鹿にされることもなかったが…「スティーブンに青い薬を出してもらおう。長いことヘッドに行っていない…」(<つまり便秘気味ってことですね。これは感覚的によくわかったりする。)

ジャック、スティーブンに相談する

ジャックを診察した後、スティーブンは言いました。「肝臓だな。ずいぶん前から言っているが、飲みすぎ、食べ過ぎ、運動不足だ。どうして最近、水泳をしていないんだ?」「シドニーのミスタ・ハリスが、水泳は毛穴がふさがるからよくないと言った。」「ミスタ・ハリスって誰だ?」「君が観察旅行に行っている時、診てもらった人だ。奇跡的な治療をするとシドニーでは評判の…」「ああ、しかし、もうその魔法使いの境界からは離れたのだから、これからは毎日水泳をしたまえ。それからマスト登りと、早朝のポンプ漕ぎ、控えめな食生活…」スティーブンは彼に瀉血、浣腸、飲み薬を処方しました。

「怒りっぽさについては、薬や医療にあまり期待しないことだ。中年になれば避けられないことだから。」「おれが中年だっていうのか?」「船乗りは普通より寿命が短いから、中年も早く来る。君は過酷な労働条件と怪我にさらされてきた。白髪があるのも無理はない。」「白髪なんてないぞ。おれの髪はきれいなキンポウゲ色だ。」スティーブンは彼の髪をほどいて、彼に見せました。「本当だ!白髪がたくさんあるぞ…」ショックを受けるジャック。

ああ、ゴルディーロックスちゃんにもついに白髪が(泣)。

ジャックとプリングズ、索類保管庫で若い女性を発見する

翌日は日曜日で、恒例の総員点呼が行われました。

一通りの見回りが終わった後、彼は船倉を点検するため、ランタンをもってプリングズと共に艦の最下部に降りてゆきました。「ドクターが何と言おうと、サプライズはナツメグと同じぐらいいい香りになったと思うがなあ。」「ええ。でもまだネズミは多いですね。」プリングズは足元に走ってきた一匹の大胆なネズミを見事に蹴飛ばしました。

ボレー・シュートのように空中を飛んでいったネズミは、コイル状に巻かれたロープとその向こうの仕切りを越えて…甲高い悲鳴が聞こえ、ケーブルの山の向こうから、少年が…少年のような服装をした人物が…ネズミを払いのけながら飛び出して来ました。

「ここで何をしている?君は一体誰だ?ミスタ・プリンクズ、これは一体どういうことだ?」「若い女性かと思われます、サー。」「誰が君を連れてきた?」「私ひとりで来ました。」女は震える声で答えました。

ここで女を問い詰めて、嘘の答えを繰り返し聞かされることを考え、うんざりした気分になったジャック。「見回りを続けるぞ。」「え?彼女はここに置いて行くのですか?」「言った通りだ。ランタンを取りたまえ。今日は礼拝はなしだ。戦時条例を読み上げる。」

そのまま船倉の点検を済ませ、艦尾甲板に戻ったジャックは、整列した乗員たちを前に、いつもよりさらに厳しい声で戦時条例を読み上げました。乗員はそわそわと居心地悪そうで、平日よりちょっとだけ豪華メニューのディナーを食べる時も、いつもの日曜とは違って静かでした。

「ミスタ・Oはお疲れだ」「ミスタ・Oは食事が足りていない」という、前から小耳にはさんでいた噂話の意味が、突然わかったジャック。士官候補生のオークスを艦長室に呼び出しました。

「ミスタ・オークス、何か言う事はあるか?」「何もありません。艦長のお慈悲にすがるのみです…とにかく、彼女をあの酷い場所においては行けないと思いまして…彼女はとても不幸せだったのです。無実の罪で…」「私が囚人を何人も追い返したのは知っているな?」「はい。でも、パディーンは乗艦をお許しになったので…あ…」艦長の逆鱗に触れる失言をひっこめようとするように、口に手をあてるオークスですが、時すでに遅し。「出てゆけ!今日は日曜だから裁定は下さないが、荷物をまとめておけ。」

その後、ジャックはプリングズを呼び出しました。

「ご存知なかったのですか?」「当然だ。君は?」「全員が知っているかと…微妙な問題ですので、シドニーを十分離れるまで、話題にするのを避けていらっしゃるのかと思いまして」「報告するのが副長としての義務じゃないのか?」「そうかもしれません。間違ったことをしたなら、申し訳ありません。海兵隊や衛兵伍長のいる普通の軍艦なら、このことは私の耳に入ったでしょうし、当然、艦長にご報告申し上げたでしょう。しかし、この艦では…私が確認するには、立ち聞きしなければなりません。私にも艦長にも、誰からも報告はなく、引き返すには遅すぎる時期まで艦長はご存知なかったのですから、艦長には何の責任もありません。」「いずれにしても、ケーブル・ティアに置いておくわけにはいかない。どうするか決めるまで、艦首の女の子たちのところへ移そう。」

ジャック、スティーブンに診察を受ける

その夕方、薬と浣腸剤を持ったスティーブンが艦長室に来ると、ジャックはいつにもまして機嫌が悪そうでした。

「どうした?」「どうしたも何も、この艦は売春宿になってしまった!オークスがケーブル・ティアにあばずれ女を隠していたんだ。部下に馬鹿にされた。」「そのことか。馬鹿にしているなんてことはない。愛情のあらわれだ。君がまずい立場にならないように、気を遣ったんだ。」「君も知っていたのか!知っていて教えてくれなかったのか。」「当然だ。私は密告者じゃない。彼女の名前はクラリッサ・ハーヴィル、あばずれ女ではなく、ちゃんとした家庭の教育のある婦人だ。」「そんな女性が流刑になるわけがない。」「なるさ。ルイーザ・ウォーガンを思い出したまえ。」

「売春宿だ!次には艦が娼婦と愛人だらけになるぞ。規律のかけらもない…ソドムとゴモラだ。」「ジャック、その言葉が君の肝臓のせいだと知らなければ、偽善者だと言うところだよ。君がオークスと同じ年頃のとき、まさに同じ場所に女性を隠して降格になったことを知らない者がこの船にいると思うかい?」「君が何と言おうと、二人はノーフォーク島に置いて行くからな。」「さあ、ブリーチを脱いで、ロッカーに腹ばいになりたまえ。」浣腸器の薬剤を開いた艦尾窓から飛ばしながら、スティーブンは言いました。

(…このシーン、しみじみ想像をめぐらすとかなりキツいんで、原文そのままで書いています。まあ、あれなんですけど、治療を施しているだけなんですけどね…)

少し後、大いなる道徳的優位性を与える体勢から、スティーブンは続けました。「君が人の気持ちを読み違えているのには驚いたよ。軍艦と私掠船は違う。君がサプライズ号を指揮しているのは、乗員が君を尊敬しているからだ。命令書は関係ない。君の権威は、ひとえに、乗員の君への尊敬に基づいているんだ。若者と女性をほとんど無人島のような島に置き去りにして、パディーンは乗せたまま航海を続けたら、君はその尊敬を失うことになるぞ。古くからの部下は、『正しくても間違っていても、われらが艦長』と言うだろうが、彼らは数が少ない。ほとんどの乗員は、何が正しく、何が公平か、自分の基準を持っている。ブリーチを履いてよろしい。」

「呪われろ、スティーブン・マチュリン。」「呪われろ、ジャック・オーブリー。それと、就寝三十分前にこの薬を飲みたまえ。」

………

…言葉もありませんが、感想を一つだけ。スティーブン、その体勢で説教するのは、優位すぎて医者の特権の濫用ってもんではないでしょうか。