Chapter 3 〜 ドクター・マチュリンの心配


オークスは南米の港に着いたら艦を降りることになっていますが、降格はされずに士官候補生に留まることに。それまで、二人を敬意をもって扱うように、と艦長は宣言します。

慌しい結婚式の後、ジャックはオークス夫妻をディナーに招待しました。クラリッサは愛想よく、かつ控えめな態度で会話に参加し、海戦の話に知的な興味を示し、乾杯の時は「サプライズ号に乾杯。彼女が英国の敵を驚かせ続けますように」と気の利いた発声をして、あっという間にガンルームのメンバーたちの圧倒的な好感を得ることに成功したようです。

その後、サプライズ号が南太平洋を北北東に向う中、天気のいい日には艦尾甲板の椅子に座り、士官たちと言葉を交わす彼女の姿が見られるようになりました。クラリッサは大人しい、頭の良い、人に好かれたい気持ちの強い、至って普通の女性のように思え、彼女のような人が一体全体どんな罪で流刑になったのか、士官たちの好奇心は大いにそそられているようです。

15巻のタイトルロール(英国版)であるクラリッサ・オークスですが…彼女がどんな女性であるのか、ここまでではイマイチよく分かりません。この時点では猫を(しかも巨大なやつを)かぶっているからなのですが…まだまだ奥のある女性なのですが。

スティーブン、ダイアナからの手紙を読んで心配する

ディナーの後、スティーブンはクラリッサをほとんど忘れていました。と言うより、気にしている余裕がなくなったのです。それは、エクレア号が運んできたダイアナからの手紙のせいでした。

もともと、ダイアナは筆まめな方ではなく、短い手紙しか書いて来ないが、以前は少なくとも、ストレートに事実を書いていた。でも今は、明らかに何かを隠しているようだ。馬の話をだらだらと書き連ね、娘のブリジットについては、お産が「長くて退屈で辛かった」と書いた後は、「どちらかと言えば頭が悪そうだ、あまり期待しないで」とあるだけで、他にはほとんど何も書いていない…(ここで初めて出てきたのですが、スティーブンの娘の名前はブリジットちゃんです。聖ブリジットはアイルランドの守護聖女。)

ダイアナは手紙に番号をふっていないし、日付もないので、手紙の順番がわからない。彼は諜報関係の書類の解読もほったらかして、ダイアナの曖昧な、妙に不吉な手紙をなんとか解読しようと、長い時間を費やしているのでした。

少なくとも分かることは、ダイアナがあまり幸せではないことと、ミセス・ウィリアムズとソフィーが、ダイアナの活発な社交生活を批判して、それでソフィーと喧嘩したらしいこと、それでダイアナはアッシュグローブではなく、バーラム・ダウンズ(彼女が買った牧場)で多くの時間を過ごしていること…

スティーブンは、「子供が生まれたらダイアナは変わるのではないか」と、密かに期待していました。根拠のない期待だったのですが…それでも、この手紙から判断するほど無関心な母親になるとは思っていなかった…

手紙に書いてあること以上に、心配なのは書かれていないことでした。ジャックと彼はいつもならお互いの手紙を読み合うのですが…今回は、ジャックはソフィーの手紙を読んでくれない。部分的には読んでくれるが、隠している部分があるのは、ジャックの態度から明らかで…

ジャック、ソフィーからの手紙を読んで心配する

一方のジャックも、ソフィーの(こちらは番号がふってある)手紙を、順番にじっくり読んでいました。読み進んで行くと、ソフィーは徐々にはっきり書くようになってきて、ダイアナについて言いたい事がわかってきました。

ダイアナの子供が、「たぶん、少し様子がおかしい」こと。それでダイアナが深酒をしていること…でも、これは絶対にスティーブンに言わないように、子供のことは私の勘違いかもしれないし(生まれたばかりの赤ん坊が変に思えても、あとで問題なく可愛く育つことはよくあるし)、ダイアナはスティーブンが帰ってきたら変わるかもしれないし、こんなことを知らせて、可哀相なスティーブンを残りの航海の間中苦しめるのは意味がないから…

ソフィーほど優しくないオブライアンさんは、こんなに気になることを書いておいて、可哀相な読者を残りの航海の間中(何百ページにもわたって)苦しめる…いや、気をもませるのだけど。このへん、ブリジットの「様子がおかしい」ってどういうことよ、と気になってねー。またしても、英国へ戻るまで分からないのですが。

ジャックはこの件をスティーブンに言えないのを気に病んでいるし、モアフ島の任務のこともスティーブンに相談できない(命令書に『ドクター・マチュリンに相談しろ』と書いていないし、彼は植民地政策全般に反対なので)のも悩みの種。スティーブンはジャックに隠し事するのは平気だけど、ジャックはスティーブンに隠し事するのに慣れていないから、落ち着かないのでしょうね。

スティーブン、クラリッサを診察する

散々心配していたスティーブンですが、今ここで気に病んでもしょうがないので、「ソフィーとダイアナは価値観がもともと違うから、気が合わないのも当然」と考え直し、とりあえずダイアナに手紙を書いていした。

「…クラリッサは礼儀正しく感じのいい女性だが、彼女の中には二人の女性がいる。一人は人に好かれたがっている愛想のいい女性だが、もう一人はメディアだ。みんな、クラリッサをレディとして丁寧に扱っているが、彼女が何の罪で流刑になったかについては好奇心で一杯だ。しかし、誰かが遠回しに聞こうとすると、メディアの面が現れ、きっぱりと答を拒否する…」

ある日、艦尾甲板でスティーブンがクラリッサに挨拶すると、彼女は「相談したいことがあるのですが…」と言いました。「海軍の軍医さんは、女は専門外でいらっしゃるかしら?」「私は内科医でもありますから。シックベイよりキャビンの方が明るくて好都合ですが、天窓から甲板に会話が漏れてしまいます。」「では、フランス語で話しましょう。」

というわけで、彼女を診察した後、スティーブンはフランス語で言いました。「あなたは妊娠していません。」「ああ、よかった!私、子供は大嫌いなのです。家に入れるとしたら子供よりヒヒの方がましなくらいです。」

マーティン、艦長に嫌われているのではないかと心配している

彼女と入れ違いにマーティンが入ってきて、「相談したいことがある」と言いました。

ジャックの弁護士から来た手紙によると、彼は3つの教区に牧師を推薦する権限があるそうです。その一つにマーティンを推薦したいので、どの教区がいいか選んでほしいと、マーティンに資料を渡したのでした。

マーティンの相談はそのことだったのですが、実は「艦長が自分を追い出したいために教区を勧めているのか」と、気にしているのでした。「だとしたら、すぐに赴任できる教区にした方がいいだろうか?」

スティーブンは、「そんなことはない」と保証しました。第一、ジャックは英国に戻ったら、戦列艦の指揮を与えられて封鎖か何かの任務につくだろうから、どのみちマーティンと同じ艦に乗ることはない。艦長はマーティンを嫌ってなどいないし、教区を薦めているのに他意はない、と。

ジャックがマーティンを「まったく嫌っていない」かどうかについては疑問の余地があるにしても…ジャックに悪意はないこと、マーティンを追っ払うために策をめぐらしたりはしないとことは、少なくとも確か。

しかし、悪意は艦長室でなく、ガンルームに芽生えているようです。ある日、久しぶりにガンルームで食事をしたスティーブンは、雰囲気がなんとなくおかしいことに気づきました。ウエストとデイビッジが、明らかに喧嘩をしているようです。原因は…まあ、だいたい想像がつくのですが…

スティーブンとクラリッサ、親しくなる

ある夜、不眠症のスティーブンが甲板に出ると、オークスが当直中はいつもそうしているように、クラリッサが艦尾に座っていました。夫婦はドクターを温かく歓迎し、クラリッサとスティーブンは静かに話をしました。

「私、前に『子供が嫌いだ』と申し上げたのですが…サラとエミリーのことを言っていると誤解されていなければいいのですが。二人はとてもよい子たちで、大好きですのよ。」「そんなことは、全然思いませんでした。本当に二人は良い子です。私の娘があんな風に、優しく賢く元気に育ったら、運命に感謝するでしょう。」「きっとそうなりますわ。私が嫌いだと言ったのは、親に甘やかされたり、放任されて、わがまま放題になっているうるさい子供のことです。ニュー・サウス・ウェールズで会った子供はみんなそうでした。」(クラリッサは囚人の時、子供の家庭教師をしていた。)

その時から、スティーブンとクラリッサは、少しずつ話をするようになりました。クラリッサはスティーブンと二人きりの時だけ、いくらか本音を言うようでした。他の士官が一緒の時は、愛想よく当り障りのない態度で、いつも相手に話を合わせていました。

オークスが当直のある夜、スティーブンとクラリッサはまた話しをしていました。何かのきっかけで、スティーブンが「質問と答えというのは、文明的な会話の形式とは言えない」と言うと、クラリッサは熱心に賛成しました。

「囚人は質問に神経質になるものですが、それを別にしても…私は昔から、しつこい質問は本当に嫌なものだと思っていました。不躾な質問に真実で答える必要はないと思って、出まかせを言ったこともあります。でも、首尾一貫した嘘をつき続けるのは、本当に難しいものです。だから今は、『答えたくない』とはっきり言うことにしています。…あの音は何です?こんな夜中にポンプをついているのですか?」「オーブリー艦長が寝ているのです。」「まあ。うつぶせに寝かせることはできないのですか?」「寝台の構造から言って、無理です。前から、もっと大きい寝台に替えろとしつこく言っているのですが…」

二人がオーブリー艦長の「海軍一」のいびきを聞いている時、デイビッジが艦尾甲板に来ました。彼はオークスにリギングを点検するよう命じてトップへ追い払った後、今までに(ドクターに対しては)使ったことのないような喧嘩腰の口調で言いました。「ドクター、まだいらしたのですか。一体全体、いつ眠るのです?」

「失礼ですわ、デイビッジ。」クラリッサが、ぴしゃりと言い返しました。「キャビンに戻ります。ドクター、腕を貸していただけますか?」

ジャック、クラリッサとスティーブンのことを心配している

最近、ジャックはよく寝ていました。(で、スティーブンに「寝すぎと肥満は手をつないで歩く」と注意されたりしている)そして、ミセス・オークスの出てくる気持ちいい夢に悩まされていました。いや、寝ているときだけでなく、起きている時もミセス・オークスの出てくる気持ちいい考えに悩まされていました。もちろん、部下の妻に手を出すなんて論外だと分かっているので…

だから、士官たちがクラリッサと仲良くなるのをよそに、艦長は彼女がいるときは艦尾甲板をなるべく避けていました。

なので、艦長は彼女をめぐる成り行きを、あまり察知していませんでした。女性にはシャイなプリングズ(顔に傷があるため)とウエスト(凍傷で鼻を失ったため)が、それでも彼女とは長い話をするようになっていることも、スティーブンがデイビッジに失礼な言葉をかけられ、翌日彼に説明を求めてデイビッジが謝ったことも、マーティンがクラリッサにビオラを個人教授していることも…知らないか、知っていても意味がわかっていませんでした。

「スティーブン、あれは何の音だ?」ある夕べ、スティーブンと合奏しようとバイオリンと楽譜を用意をしながら、ジャックは訊きました。「マーティンがミセス・オークスにビオラを教えている。」「知っていたのか?どうして言ってくれなかったんだ?」「訊かれなかったから。」「彼女は才能あるのか?」「全然。ジャック、僕のロージンをブリーチのポケットに隠すのはやめてくれ。」

「ミセス・オークスはよく士官たちと話をしている。僕は忙しくてあまり彼女と話している暇はないが…」ソフィーへの手紙に、ジャックは書きました。「まるでサロンみたいだ。プリングズが長々と喋るのを聞いたら、君はびっくりするだろうな。あんなにシャイな彼が…彼女は艦を明るくしている。でも、明るくしすぎているのではないかということが心配なんだ。特に、スティーブンのことが心配だ。いつも彼女と話しているし…『スティーブンは賢いからそんな心配はない』って、君は言うだろう。でも、どんな賢者でもこればっかりは…」