Chapter 5 〜 リード士官候補生の負傷


リード、負傷する

東からの風が強くなり、サプライズ号は寄航予定のフレンドリー諸島へ向かって詰め開きで急いでいました。ジャックは士官たちをできる限り忙しくさせて、妙な雰囲気を忘れさせようと努力していました。

強風とともに、いつものように怪我人も多くなり、スティーブンとマーティンとパディーンも忙しくしていました。サラとエミリーは優秀な看護婦として大いに役立つようになり、スティーブンは助かっていました。

血まみれのリード士官候補生が、痛みで気絶しそうになりながらボンデンに抱えられて運び降ろされて来たのも、そんな荒天の日でした。落ちてきた滑車が頭に当って倒れ、手に持っていたマリーン・スパイクが肋骨の間に刺さったのです。

「これは、ひどく痛むだろう」ロッカーの上に横たえられたリードの傷を調べて、ドクターはマーティンにラテン語で言いました。「ケシ(アヘン)を取ってくる。」アヘンを飲ませるところをパディーンが見ないように、スティーブンは彼に道具を取ってくるように命じてから、ぽろぽろ涙をこぼしているリードを抱き上げ、口にアヘンチンキを流し込み、心配して様子を見に来た艦長に、「半時間後にまた来てくれ」と言いました。

半時間後、激痛を伴う手術の後、ドクターは神経を圧迫していた肋骨の破片を何とか取り除きました。「さあ、マイディア、いちばん酷いところは終わったよ。」ぐったりと横たわる蒼白なリードに、スティーブンは優しくささやきました。「これほど勇敢な患者は初めてだ。(I have not seen a braver patient.)」

このドクターのセリフ、どこかで聞いたことがありますよね。前にも書いたけど、映画のブレイクニー卿は、原作10巻のブレイクニー自身よりも、このリード君をモデルにしているところが多いような気がします。

リード、うわごとでミセス・オークスのことを言う

リードの苦痛はひどかったものの、アヘンの効果でようやく眠りにつき、艦長が様子を見に来ました。「ミセス・オークスがリードの看病を申し出ているが、どうする?」「もう少し様子を見てからにする。」

スティーブンがリードの側に座っている間に、風は弱まり、艦の動きはおだやかになりました。「8ノットも出ていない…」リードがつぶやく声が聞こえ、目が覚めたのかと思ったスティーブンは声をかけました。「マイディア、ミセス・オークスに君を看病してもらってもいいかい?」「ああ、彼女…」本当はまだ眠っているリードは、寝言でつぶやきました−「みんながドアを出たり入ったりする…売春宿みたいに。…ここから見える。」

後でジャックが様子を見に来た時、スティーブンは「まだ医者がついていた方がいいから」と言ってミセス・オークスの看病を断り、後でマーティンと交替するまで、寝台のそばに座っていました。

リード君の部屋はオークス夫妻の部屋の隣なので、夜間の様子がつぶさにわかるのですね…はじめは素直に彼女に憧れていたリード君の、彼女に対する態度がおかしくなったのは、これが理由のようです。

サプライズ号、フレンドリー諸島のアナムーカ島に着く

翌朝は、前日までの荒天がうそのように晴れ渡り、ジャックの航路が正確だったことを証明して、補給に寄る予定のフレンドリー諸島はアナムーカ島が視界に入って来ました。島には商船か捕鯨船のような船が停泊しているのが見えたので、乗員たちは「またラッキー・ジャックが(彼の秘密の情報源から)拿捕対象がここにいることを知っていた」と勘違いして、いつにも増して張り切って、望遠鏡で島を熱心に眺めていました。

しかし、そこでぴたりと風が止んでしまい、サプライズ号は島になかなか近づけませんでした。

スティーブンはマーティンと一緒に島を望遠鏡で眺めながら、アナムーカ島の植物相、動物相、標本収集の可能性について、熱心に語り合っていました。最近、スティーブンはマーティンが変わってしまったように感じていましたが、久しぶりに彼と博物学の話をして、前の友情が戻ってきたように感じていました。

「気持ちのいい天気だ。ミセス・オークスが甲板に出て来られればいいのに。強風の時に転んで頭をぶつけたらしい。診察しようかとオークスに申し出たのだが、『あざと震えだけだから大丈夫』と断られた。」スティーブンが言うと、マーティンは急に表情を変え、低い声で言いました−「あの犬め。彼女を殴っているんだ。

ミセス・オークス、目の周りにアザをこしらえている

ミセス・オークスが久しぶりに甲板に出てきた時、彼女の目のまわりには黒いあざができていました。「大したことはないのですけど、こんなみっともない、女拳闘士みたいな顔では出て来れないと思いまして。これでも、いくらか薄くなったのです。」ウエストとマーティンとプリングズが来て、彼女と話をしましたが…スティーブンが見たところ、士官たちの間の敵意は募っているのに、彼女への好意の熱心さは薄れているように思えました。

それはこの3人だけではなく、他の士官も水兵たちも同じで、彼女を見る目が、いくぶん冷たくなっているように思えます。一方で、オークスに対して冷たい視線を注いでいる者も多く…士官たちの仲がぎくしゃくするにつれ、それは乗員全体に伝染し、上官へのあからさまな反抗まで散発していて、艦長のイライラは募るばかり。

アナムーカ島の停泊している捕鯨船の船長ウェインライトが来る

ようやく風が吹き、サプライズ号が島に近づき始めた頃には、ジャックの努力にもかかわらず、一度改善しかけたサプライズ号の悪い雰囲気は元に戻っていました。(特に、島に停泊している船がサプライズ号を見ても一向に逃げる様子がないので、どうやら拿捕対象ではなさそうだと分かってきたこともあって…)

サプライズが接近すると、島からパヒが来ました。パヒには島の若い酋長と、魚や果物の土産を持った島民たちと、白人が一人乗っていました。

白人は島に停泊している船(英国捕鯨船デイジー号)の船長で、ウエインライトと名乗りました。彼はジャックと酋長の間を通訳してくれて、挨拶と贈り物の交換が済んで、島民たちが帰った後、島への水先案内をするためにサプライズ号に残り、オーブリー艦長に状況を説明しました。

捕鯨船デイジー号のウェインライト船長、モアフ島の状況を説明する

「サプライズ号を見た時、『これで助かった!』と思いましたよ。私は元海軍で、サプライズ号はよく知っているのです。あの高いメインマストは間違えようがない。

「状況というのは、サンドイッチ諸島南方のモアフ島のことなのです。われわれの僚船のトゥルーラブ号(※)とその乗員20名が拘留されているのです。

「我々は、太平洋で操業する捕鯨船兼毛皮取引船なのですが、モアフ島を補給とランデブーの地点にしていました。モアフ島とは、南北に8の字型(ひょうたん型)をした島で、南半分は女王のプオラニ、北半分は酋長のカラフアが支配しています。以前は島全体がプオラニ女王のものだったのですが、酋長たちが反乱を起こして…カラフアが他の酋長たちを殺して、北半分を占領しました。

「カラフアは島全体の支配を狙っていて、現在、北と南は戦争状態です。我々の船団は、風向きの都合によって北の港も南の港も使わなければならないので、両方と友好関係を保ってきました。本当はプオラニに味方したいのですがね、彼女は約束を守るし、親切な女王だし、何と言ってもか弱い女性ですから。一方のカラフアはひどい男ですし…

「ところが、今回我々デイジー号が、島で待っているはずのトゥルーラブ号とハーツイース号(※)と合流しようと来てみると、状況がまったく変わっていたのです。北の港に近づいた時、昔馴染みの酋長がパヒで知らせに来てくれました。カラフアの味方に、ヨーロッパ人がついたのです。フランス人です。

「カラフアはトゥルーラブ号の乗員を、いろいろ理由をつけて20人ほど拘留しています。そして、私掠船フランクリン号が加勢に来るのを待っているのです。フランクリン号はアメリカ船籍ですが、乗員はカナダやルイジアナから来たフランス人たちです。

「しかし、彼らには別の目的があるようです。ハワイで人を集めていた彼らの船主が、フランスと混血の女性相手に喋っていたという噂なのですが…フランクリン号のフランス人たちは、島の北と南が十分にお互いを叩き合って消耗したら、カラフアを殺し、フランクリン号の砲撃でプオラニの戦闘カヌー(女王の最大の武器です)を全滅させ、島をフランス領と宣言し、そこに植民して彼らの『理想郷』を築くつもりのようです。全員が平等な共同体を作り、すべての財産を共有して、何でも話し合って決める民主的な社会を島に建設するつもりだそうです。(「原始共産制」みたいなものかな?)

「デイジー号とハーツイース号は、後から来るカウスリップ号(※)に島に近づかないように信号し、フランクリン号が来る前に島を離れようとしました。しかしトゥルーラブ号は、不運にも傾船修理中だったので置いて来ざるを得ませんでした。

「そして、我々はフランクリン号と遭遇してしまいました。ハーツイース号は逃れて、シドニーに知らせに向かったのですが、デイジー号は砲撃を受けてしまいました。敵のフォアマストが落ちるという幸運がなければ、逃げられなかったところです。

「喫水線下に穴があいてしまったデイジー号は、ポンプを漕ぎながら何とかこのアナムーカ島までたどり着きましたが、船匠とその助手が砲撃で死んでしまったので、修理ができなくてここで立ち往生しているのです。ハーツイース号が何とかシドニーにたどり着いてくれていたらいいのですが…」

「たどり着きましたよ。彼らの報告で、我々が事態の収拾に向かっているところです。」「そうだったのですか!それはよかった。モアフ島に残してきたトゥルーラブ号と乗員たちが心配で…デイジー号も一緒に行っていいですか?」「残念ですが、我々は全速力で島へ行かなければなりません。デイジー号はサプライズのスピードにはついてこれないでしょう。」

※:トゥルーラブ(truelove)=真実の愛=ヨツバツクバネ、ハーツイース(heatsease)=心の平安=スミレ、カウスリップ(cowslip)=牛の唇=キバナノクリンザクラ。デイジー(daisy)とあわせて、みんな小さな草花の名前です。かわいらしい名前の船団だ。