Chapter 4〜ラ・レユニオン島とロドリゲス島


美しいサファイア色のインド洋を、艦隊はモーリシャス群島に向って進んでいた。ジャックが移動した旗艦レゾナブル号、代りにエリオットが艦長になったボーディシア号、シリウス号、ネレイド号、オッター号。快適な航海だったが、各艦の乗員にとっては緊張の連続だった。砲撃には熱心な艦隊司令官が、各艦を競争させて毎日砲撃訓練を行ったからだ。ジャックが既に鍛えたボーディシア号は余裕だが、シリウスとネレイドとオッターは、お互いに恥をかくまいと必死だった。

「スティーブン、おれは君の『仕事』、正直言って気に入らない」ジャックが言った。スティーブンはこれから単身ラ・レユニオン島に潜入し、反ナポレオン派の住民と接触するのだ。「それは何度も聞いたよ。何度も言ってるが、危険は殆どないんだ。決められた場所に行って、決められた人間に会って、情報を受け取るだけ−絶対に欠かせない情報なんだ。約束する、用が済んだらさっさと戻るよ。ラ・レユニオン島は、自然学者にとっては非常に興味深い島なんだけどね。」ジャックはレゾナブル号の広い艦長室をうろうろと歩き回っていた。スティーブンの言う事は筋が通っている。しかし…数年前、メノルカ島から瀕死のスティーブンを救い出した時の事を、ジャックは忘れられなかった。彼は秘密任務の途中で捕らえられ、異端審問さながらの残虐な拷問を受けて、あとほんの少し遅ければ死んでいた−「メノルカとは全然違う。あれは地元だったから嗅ぎつけられたんだ。ここではその可能性はない」「それだけじゃない。あの島の沿岸は浅瀬だらけで、波が高くて、すごく危険なんだ。それに、もし何かあっても、救出部隊を送り込む訳にいかないんだ。」「そんな事をするのは狂気の沙汰だろうな」スティーブンは事も無げに言った。「だったらせめて…ボンデンをついて行かせる」「ありがとう。そうしてくれ」


「スティーブンを心配するジャック」と言うのは、全シリーズを通じてメインテーマのようなものかも。そして、ジャックに「ドクターに足を濡らさせるんじゃないぞ」なんて言われて、スティーブンについてゆくボンデン。ボンデンって、スティーブンがマストを登っていて危なっかしい時も、どこからともなくさっと現れてヘルプしてくれたり、ナイトか守護天使って感じ。

スティーブンを乗せた船を見送ると、ジャックはひどく落ち着かず、珍しく食欲もなく、一晩中船尾楼を行ったり来たりしていた。マストに登って見張りたい衝動にかられたが、艦隊司令官がそんな事をする訳にもいかず、目の鋭い水兵を見張りにつけただけで我慢した。夜明けと共に、予定通りの位置に船が現れ、その甲板にスティーブンがいるのを望遠鏡で確認したジャックはほっと息をつき、やっと寝台に横になった。

「おはようスティーブン。ずいぶん上機嫌だな。上手く行ったんだな?」「ああ、実り多い旅だった。ほら!」彼は両手で大切に持っていた大きな卵を見せた。「船長がくれたアルバトロスの卵だ。それからこっちは西アフリカ種のオウム−情報提供者が飼ってたんだが、飼主と違って口が軽くて…」オウムは「クタバレ、ボナパルト!クタバレ!」と叫んだ。「あー…鳥の採集に行ってた訳じゃないだろう?他には?」「ああ、それか。決まりきった単純な仕事だが、成果はあった。まず、この艦隊の到着はまだ敵に知られていない。次に、拿捕された東インド船とフランス艦はセント・ポール港にいる。島の兵力は約三千だが、島中に散らばっていて、港の付近は手薄だ。港は砲台に守られている−これが砲台の位置と砲の数だ。ジャック、ここを攻撃するなら急いだ方がいい。君がよく言うように、『一秒も無駄にするな』だ。」「すごいじゃないか!」ジャックはスティーブンの資料と海図を見比べた。「まず砲台を占拠する必要があるな。海兵隊と水兵だけじゃ無理だが、ロドリゲス島の陸軍がいれば…」ジャックはまさに一秒も無駄にせず、艦長室を駆け出して行ったかと思うと、数分後には艦隊はロドリゲス島に向って、全速力で進み始めた。

ロドリゲス島には、インドから来た陸軍の先遣隊四百名が駐屯していた。陸軍が協力してくれるかどうか、ジャックは心配だった。司令官のキーティング中佐よりジャックの方が上官だが、陸軍に命令する権限はないので、全ては中佐の決断にかかっている。一方スティーブンにとっては、ここは別の意味でも興味深い島だった−1791年に絶滅した鳥、ロドリゲスドードーの生息地だったからだ。この鳥はまだほとんど研究されていない−骨か羽根のかけらでも採集できれば…しかし、鳥にはまるで興味のないジャックに−世の中には「食べられる鳥」と「食べられない鳥」の2種類しかいないと思っている彼に、「骨を探しに行っていいか」なんて、どう言い出したものか…「なあジャック、もし…兵の積込みに時間が掛かるようなら…その間に…」スティーブンは言いかけたが、これからの事で頭が一杯のジャックがまるで聞いていないのを見て諦めた。

キーティング中佐は、インド洋でのジャックの活躍を知っていて、一目置いていたので、即座にジャックの作戦に同意した。問題は、波の高い遠浅の浜にどうやって大勢の兵を上陸させるか−ジャックは島に詳しいコーベットとクロンファートを呼んで意見を求める。二人は、適切な上陸地点さえ選べば難しくない、と請け負ったが、最良の地点がどこかで意見が分かれ、元々ひどく仲の悪い二人は罵り合いを始めた。とうとう、ジャックが声を荒げて諌めなくてはならなかった。後でジャックはクロンファートを呼んで叱責した−公式の場で敵意を顕にするとは−しかも、陸軍の前で!コーベットは君より上官だという事を忘れるな。この様な事は二度と許さない…


しかしスティーブン、スパイ活動のついでに趣味にいそしんでいるのか、それとも趣味のついでにスパイ活動をしているのか…

陸軍と海軍って仲悪いのね。ライバル意識か?なんとなく想像がつくけど…でも、ジャックの父親は陸軍のはず。ジャックはなぜ陸軍でなく海軍に入ったのかな?父親みたいになりたくないと思ったとか?無理もないけど。

艦尾窓から物欲しそうに島を眺めているスティーブンに、ジャックが言った−「キーティングはいい奴だ!陸軍とは思えないよ。余計な事は一言も言わず、あっと言う間にキャンプを撤収して『何時でも出発できます』だよ。おれ好みの奴だ。」「それは良かった。僕も嬉しいよ。でも…皆に少しは陸で楽しむ時間を与えてもいいんじゃないか?ボートを出してくれって頼んだら、艦隊司令官の許可がないと駄目だと言われた。」「そんなに虫を集めたいんなら、行っていいよ。但し、2時間半だけだぞ。」スティーブンが喜び勇んでボートに降りたその時、オッター号の使いが来て、彼にどうしても来て欲しいと言う。彼はため息をついた−思えば陸でも、極上の演奏会や芝居やディナーを前にした時に限って、わざわざその時を選んで怪我をしたり発作を起こす馬鹿共に邪魔されてばかりいたものだ…

オッター号の艦長室に、寝台で苦しげに体を折るクロンファート卿と、珍しく素面のマカダムがいた。「来てくれて助かった−お手上げなんだ。」スティーブンが診察し薬を処方すると、症状はとりあえず治まった。「上陸して散歩しながら話さないか?僕は歩きながらの方が頭が働くんだ。」二人はロドリゲス島を歩きながら話し合い、患者の病因は精神的なものだと意見が一致した。スティーブンの目は珍しい亀やコウモリや植物を追っていたが、耳はマカダムの話をちゃんと聴いていた。「…私は彼の父親の代から診ているんだ。今度の発作の直接原因は、オーブリーに叱られた事だな。彼は随分前からオーブリーを気にしている。彼の記事を見たり噂を聞く度に、誉めたり貶したり自分と比べたり…放っておけばいいのに、傷をいじくりまわして悪化させるみたいに拘っている…」

艦隊は兵を積み終わり、ラ・レユニオン島に向う。艦長たちを集めた作戦会議にはスティーブンも出席し、ジャックは彼を「総督の政治顧問」と紹介した。会議の最後に、彼は言った−「一つだけ−街を占拠した際には、住民は丁重に扱う様に気をつけて下さい。略奪、強姦、その他の無法な行いは、今後の政治的目的に非常な悪影響を残す惧れがあります。」艦長たちは同意し、ジャックは会議を散会した。

翌未明、ジャックは艦隊を離れるネレイド号を見送った。ネレイドが港から7マイルの地点に兵を上陸させ、そこから行軍して夜明けに砲台を乗っ取り、その直後に艦隊の残り4隻が港に突入し、フランス艦を攻撃して街を占拠する−という計画だ。朝食をとりに艦長室に戻ると、スティーブンが座っていた。「どうした兄弟、今朝は変な顔をしているな。」「変な気分なんだ。あと1時間もすればドンパチが始まるのに、おれはここで命令するだけで、あとは他の奴らが仕事をするのを待っているんだ。こんなのは初めてだ−落ち着かない。でも、ソフィーはこの方が喜ぶだろうな。」「ソフィーがここにいたらこう言うさ−『冷めないうちにコーヒーを飲んでね。』」

夜明け−艦隊は港に近づき、陸軍と海兵隊の列が砲台に向かうのが見え…やがて3つの砲台に次々と英国旗が上がった。同時に港に突入した艦隊は、フランス艦カロリン号に奇襲をかける。レゾナブル号は後方に留まり(旗艦とは言え斉射をすれば崩壊しかねない骨董品なので)、代わってボーディシア号が中心になり、オッター号とシリウス号が援護する形で攻撃した。カロリン号と港内の他の艦船が砲撃を返したが、ボーディシアの見事な砲撃と、乗っ取られた味方の砲台からの十字砲火を受け、やがて降伏した。

上陸したジャックとスティーブンを上機嫌のキーティング中佐が迎え、陸海軍の司令官はお互いの健闘を称え合う。「ドクター、安心して下さい。兵隊はみんな羊みたいにいい子にしてましたよ!」キーティングが言った。その後、ジャックは軍事施設の押収と艦の修理の手配、スティーブンは街の民間人との話し合いで、目の回るような忙しい一日を過ごした。

セント・ポール港の占領が完了すると、ジャックはこの作戦で活躍したコーベットとクロンファートを呼ぶ。コーベットはカロリン号の艦長に就任し、この勝利の報告を持って喜望峰へ向う事。代わってクロンファートが勅任艦長としてネレイド号の指揮を執る事。二人にとっては昇進を意味する命令で、コーベットの顔には珍しく笑顔が浮かぶが、クロンファートの笑顔には複雑な影があった。帰り際に、彼は言った−「我々が同じ海尉だった頃には、思ってもみませんでした−私を勅任艦長に昇進させるのがあなたになるとは。

その夜スティーブンと合奏しながら、ジャックが言った−「クロンファートは妙な奴だ−まるで昇進じゃなく降格されたみたいな顔だった」「彼は勅任艦長に相応しいと思うかい?」「まあ、不毛の選択だが…どちらかを外す必要があった。彼はコーベットよりはいい艦長だ。部下に好かれている。オッターの乗員をネレイドに移し、ネレイドの乗員は艦隊中に分散する。あの艦は不健康だ。」「これからどこへ向うんだい?」「まず陸軍を降ろしにロドリゲスに行くから、君の亀や吸血コウモリと遊んでくるといい。それから、レゾナブルとボーディシアはケープへ、あとの3隻でモーリシャスを封鎖する。おれたちはボーディシアで戻って、残りのフランス艦を何とかする。楽観する訳じゃないが…数週間前に訊かれた時は五対三でフランス有利と言ったが、今なら五分五分だな。あるいは、こっちが少し有利かもしれない。」


スティーブンには医者と諜報員と博物学者という三つの仕事があるけど、医者の仕事は常に最優先なのね。あとの二つのどちらが優先かはよくわからないけど。