Chapter 1-1〜ハリファクス


ハリファクスの港に、チェサピーク号を曳航したシャノン号が入港した。この戦争で初めての英国勝利の知らせに、街をあげての大歓迎が彼らを待っていた。埠頭から、港に碇泊中のあらゆる船から、歓声がシャノン号を包み込んでいた。

港湾司令官のコルポイズ提督がシャノン号を訪れ、開口一番に叫んだ−「よくやった!」彼を迎えたのは若いウォリス海尉だった。ワット副長は死に、ブローク艦長は生死の境を彷徨っていた。「戦闘の始まりから終わりまで、たった15分でした。…チェサピーク号のローレンス艦長は亡くなりました」ウォリスが報告した。

提督は、勅任艦長の軍服を着た背の高い男に気づいた。「オーブリーじゃないか!腕を怪我しているのか?ボストンにいると聞いていたが、どうしてここに?」「脱出したのです。」「よくやった!この勝利の場に居合わせたのなら、腕の一本や二本惜しくあるまい。しかし、ワットとブロークのことは残念だ。軍医の許可があればブロークと話したいのだが…君の腕は重傷なのか?」「ただのマスケット銃弾です。ジャワ号の戦闘でやられたんです。あ、医者たちが来ましたよ。」


カナダのノバ・スコシア州、ハリファクスは、ボストンから約700キロ。1749年以来の英国領で、1906年まで、北米における英国最大の軍事的拠点でした。ボストン港を封鎖している英国艦隊もここを拠点にしていたので、シャノン号はチェサピーク号との激闘の後、まっすぐここに向ったのですね。

シャノン号対チェサピーク号の海戦は、最初の砲撃から最後の砲撃までたった15分だった、とここで語られています。それでシャノン号は死亡23名、負傷59名(乗員の1/4)、チェサピーク号は死亡60名以上、負傷90名−あっと言う間の大殺戮ですね。ちなみに、ジャワ号対コンスティテューション号は4時間近くかかっています。

軍医のフォックスが、もう1人の医者をつれて歩いて来た。提督はブローク艦長に面会できるかどうか訊いた。医者の1人が苛立った口調で、「薬が効いてくるまで、いかなる面会も許すわけにはいかない。」と言った。オーブリーが彼の肘を捕まえ、耳元で囁いた。「気をつけてくれ、スティーブン。港湾司令官なんだぞ」スティーブンは、何日も徹夜で働き続けているために縁が赤くなった目でジャックを睨んだ。「ジャック、よく聞け。これから肢体切断手術があるんだ。大天使ガブリエルとだってお喋りしている暇はない。その人に、あまり大声を出すなと言ってくれ。」彼はさっさと行ってしまった。

その時、目の覚めるような美女が、洗面器を抱えて艦長室から現れたので、提督は驚いた。ジャックがダイアナに声をかけ、提督に紹介した。「お目にかかれて光栄です。あのような素晴らしい海戦に立ち会われたとは、羨ましい限りです。」提督は言った。「まあ、私は下に押し込まれてましたのよ。男だったらどんなによかったか。一緒に斬り込みたかったわ。」「あなたなら、見事に敵を叩きのめしたでしょうね。…ぜひ私どものところにお泊り下さい。妻が喜びます。」


ダイアナは、ブローク艦長たちを治療しているスティーブンのお手伝いをしていたのですね。なんか、急に天使みたいになっちゃって。でも、ジャックもビビる血みどろの治療現場を、ひるむこともなく手伝っているのだから、偉いかも。 ところで、映画のメイキング本に、スティーブンの「七つ道具」の写真が出ていました。これが使われるところは、あまんまり見たくないなあ…って感じなんですけどね。

ちなみに、気になるフィリップ・ブローク艦長のその後ですが…実在の彼は、この負傷を生き延び、英国に帰ってナイトの称号を授けられてサー・フィリップ・ブロークになりました。後にrear admiral(准将)の地位についています。しかし、頭の傷はかなり重かったらしく、二度と海に出ることはなかったそうです。

数時間後−「ダイアナ、もう上陸するかい?」「スティーブンを待つわ。彼も、もうすぐ行けると思うの。…ねえジャック、教えて。ソフィーは、前の子供を産んだ時ひどく苦しんだのかしら?」「え?ジョージを産んだ時の陣痛?彼女はそんな話は全然しないから…でも、陣痛ってのはひどいこともあるらしいな。」「そうらしいわね」ダイアナは少し黙り込んだ。「スティーブンが来たわ。」

ボートが降ろされ、三人はシャノン号を後にした。ウォリスが吊り腰掛けを用意すると言ったが、ダイアナは断り、少年のように身軽に舷側を駆け下りた。ボートの男たちは、彼女の脚を見ないように沖を見ていた。「トランクは気をつけて運んでね。私の全財産なのよ。」ダイアナは言った。上陸すると、三人は別行動を取った。ダイアナはコルポイズ提督の屋敷へ、ジャックは長官の所へ出頭し、スティーブンは行き先を告げずに去った。

スティーブンは北米の諜報活動責任者、ベック少佐を訪れた。少佐は諜報活動におけるマチュリンの名声を聞き及んでいたので、現れたのが風采の上がらない小男だったのに失望を感じた。「ボストンにいるフランス人について、警告をありがとうございました。」スティーブンは言った。「大丈夫でしたか?デュブルーユは手段を選ばない人間だと聞いています。」「ポンテ=カネの方が厄介でした。しかし、その問題は解決しましたのでご心配なく。」「どうやったんですか?」「咽喉を切ったんです。」ベックは流血沙汰には慣れていたが、その冷静な、事も無げな口調には寒気を覚えた。しかし、マチュリンがジョンソンの部屋から持ち出した書類を見ると、彼は興奮を隠せなかった。「すごい。これほどの情報にはお目にかかったことがない!」「この原本はサー・ジョセフに送りたいので、写しを取って下さい。ところで、お願いしたいことがあるのですが…」彼はダイアナの事を話し、敵国民である彼女の滞在に問題がないよう、証明書を発行してもらった。「もうひとつ…口が堅くて腕っ節の強い男を、二人ほど貸していただけませんか。ここは国境に近いので、ジョンソンのリストの諜報員たちが処理されるまで、一人で歩かない方がいいようです。」


ベックさん、ジェームズ・ボンドみたいな人を期待していたのでしょうか(笑)。諜報員があまり目立っちゃいけないと思うのですが。見かけは冴えないんだけど、実は…って方が、かえってカッコいいわ。

ところで、ジェームス・ボンドと言えば、原作者のイアン・フレミング自身が諜報活動にかかわっていたことは有名ですが、実はパトリック・オブライアンも諜報関係の仕事をしたことがあるようです。どういう仕事をどの程度やっていたのかは、よくわからないのですが。

スティーブンは3人の護衛に囲まれて事務所を出たが、はたと立ち止まった。「…困った。どこに泊まるのかわからない。」「ホテルの名前をお忘れになったのですか?」護衛の1人が聞いた。「…そうだ、海軍士官が手紙を受け取る所へ連れて行ってくれないか。」「それなら急がないと、もうすぐ閉まってしまいます。」スティーブンと護衛たちは走り出した。

事務所に着くと、ジャックの怒鳴り声が聞こえた。「時間外だと?一体どういうことだ、この怠け者の若造め!」「そんなこと言われても…金庫の鍵は局長が持って帰ってしまったんですよ。それに、オーブリー艦長宛の手紙は一通もありませんでしたよ」ジャックに襟首をつかまれた若い事務員は、泣きそうな声を出した。スティーブンは声をかけた。「ジャック、宿の名前を度忘れしてしまったんだ。死ぬほど疲れていてね。すぐベッドに入りたいんだ。」「相当参ってるみたいだな。すぐに連れて行ってやるよ。…おい、明日の朝一番でまた来るからな。」ジャックは事務員に捨て台詞を残して、事務所を後にした。

スティーブンは護衛に礼を言って帰し、ジャックと宿屋に向った。「今日の午後は最低だった。」ジャックは言った。彼は長い間ソフィーの手紙を受け取っていなかったので、ハリファクスにも手紙が来ていなかったことに心底がっかりしたのだ。それに、長官のところで悪いニュースを聞いていた。海軍本部委員会にハート提督が復帰し、アンドリュー・レイが事務次官代理になったのだ。


なぜこの二人が海軍の重要な地位についたらまずいのか、ハート提督については1巻、アンドリュー・レイについては5巻1〜2章を参照。ジャック、けっこう敵作ってるなあ。