Chapter 4〜帰還


その後の航海は順調に進み、デリジェンス号は驚異的なスピードでポーツマスに入港した。彼らは本国でも大歓迎を受けたが、ハリファクスの時と違い、ジャックにとっては歓迎も質問もわずらわしかった。彼は一刻も早く家に帰りたかったのだ。

彼は馬を借り、一路わが家へ向った。彼の心は少年のように高鳴っていた。彼は裏からアッシュグローブ・コテージに近づいた。出航した時には作りかけだった厩が、立派に完成している。植えたばかりだった植物も、すっかり大きくなっている。見慣れたわが家の光景。しかし、あたりは妙に静まり返っていた。動くものの気配が何もなく、まるで夢の中の一場面のようだ。「おおい!」彼の声は丘にこだました。この世界か、彼自身か、どちらかが幻想であるかのような妙な気分がした。彼の喜びと興奮が、だんだんにしぼんできた。

その時、二人の可愛らしい少女と、小さな太った男の子が、一列になって歩いて来た。


5巻3章で出航して以来、ついに、ようやく、やっと家に帰ってきたジャック。だいたい、2年半ぐらい経っているでしょうか。(前にも書いたように、このシリーズはタイムラインをあまり深く考えてはいけないんですが…)

ジャックが久しぶりに帰って来ると、家が妙にしーんとしているというこの場面、大好きなんですよね。なんだか読んでいてどきどきしました。(こうやって短くしてしまうと台無しなんですが…すみません。)2巻13章の、スティーブンがダイアナのいなくなった屋敷を歩き回る、不思議に美しいシーンを思い出します。もちろん、状況は全然違うんですけど。

子供たちは行進しながら、「ウィルクスとじゆう、ばんざい!ばんざい!」と合唱していた。ジャックが声をかけると、先頭の女の子が彼を見上げて言った。「明日にして。今日は、みんなでかけているの。」見違えるように大きくなっているが、これはシャーロットだ。

ジャックは馬を厩に入れ、台所から家に入った。そこも静かだった−時計の音すらしない。彼が天体観測に使っていた時計は止まっていた。彼は静まり返った明るい家を歩き回り、彼の部屋でソフィーを見つけた。彼女は疲れた顔をしていて、前より痩せていたが、彼に気づいて喜びを爆発させた。二人はキスを交わしながら、途切れ途切れに話した。「ああジャック、帰ってくれてどんなに嬉しいか…シャノン号が勝ったって本当なの?」「ああ。スティーブンとダイアナとおれはシャノン号に乗っていたんだ。」「スティーブン!彼は元気なの?」「ああ。ダイアナと彼はとうとう結婚するんだ。」「結婚?!」「おれも最初は驚いた。でも、多分いいことなんだろう。彼はずっとそれを熱望していたんだし…」「そうね。二人には幸せになって欲しいわ。」

そこへ、子供たちが「ウィルクスとじゆう!」と叫びながら帰ってきた。「あれは何をしているんだ?」「『選挙ごっこ』よ。オーブリー将軍が教えたの。お父様は立候補しているの…その、急進派の候補として。」「何だって?」ジャックは驚いた。彼の父親は、政治家としては前からおよそ節操がなかったが、なぜまた急進派に転向したのだろう?


「ウィルクスと自由」と言うのは、急進派のスローガンのようです。ウィルクスとは、18世紀の政治家でジャーナリストのジョン・ウィルクス(1727〜1797)のこと。下院議員だったのですが、自分の新聞で当時の国王ジョージ三世を激しく批判するなど、過激な言動で知られていました。議会では攻撃されて、追放されたり逮捕されたりしましたが、民衆の間には人気が高く、何度も再選され、最終的にはロンドン市長にまでなりました。「ウィルクスと自由を!」は、彼が逮捕された時に支持者が叫んだスローガンです。

当時の政治状況において、急進派(radical)がどのような意味を持っていたのかは、よくわからないのですが…(これをちゃんと理解するには、本を3冊ぐらいは読まないとだめでしょうね。今は時間がないので、ご勘弁ということで。)確かなのは、オーブリー将軍がしっかりしたイデオロギーに基づいて急進派を支持していたわけではないだろうと言うことです。とにかく、昔から節操なく、自分の得になる方につく人ですから…トーリー党にもホイッグ党にも相手にされなくなったから、仕方なく…ということかもしれない。

ソフィーは子供たちを家に呼び入れ、「お父様に『おかえりなさい』の挨拶をなさい。」と言った。子供たちはきょとんとして、部屋を見回した。一瞬、ジャックの胸はひどく痛んだが、双子はお辞儀をして、「おかえりなさいませ」と言った。ジョージはためらったが、母に促され、勇気を振りしぼって父親に歩み寄った。「おかえりなさい」と彼は言った。

そこへ、ボンデンとキリックが帰ってきた。二人はアッシュグローブ・コテージに住んでいて、今日はシャノン号勝利の噂を確かめに、ポーツマスの港まで行っていたのだ。二人は艦長に挨拶し、艦長は二人にシャノン号の戦闘を詳しく話して聞かせた。

ジャックはヴァイオリンを取り、弾きはじめた。久しぶりだったし、腕も完全には治っていなかったが、ソフィーにとっては演奏の巧拙は関係なかった。この家は生き返った。やっと家族がそろったのだ。


えーと、ごくごく私的な喩えですみませんが…この場面では、私の訳していた「グラディエーター」のファン・フィクション、「プレクエル(Maximus' Story)」の50章を思い出しました。どちらも、「子供に忘れられちゃうなんて、単身赴任パパは辛いわ〜」というシーンなんですけど…状況はそっくりなのに、全然テイストが違うシーンになっているのは、ジャックとマキシマスのキャラクターの違いね。

しかし、英国でジャックを待っていたのは幸福だけというわけではなかった。心配していた通り、キンバーと仲間たちは、「銀鉱の設備資金」と称して彼の金を引き出していた。幸い、ある時点からはソフィーが頑として金を渡さなかったので、財産は底をついてはいなかったが、それでもかなり使い込まれていた。スティーブンは彼に、有能な法律家を雇うことをすすめた。

スティーブンはロンドンへ行き、サー・ジョセフの私邸を訪ねた。「マチュリン、お帰り!よく来てくれた。火を起こしておいたよ。君はいつも寒そうにしているからね。」サー・ジョセフは彼を暖かく歓迎した。スティーブンはジョンソンの部屋から持ち出した書類を渡した。サー・ジョセフは急いで読み、読み終わるとため息をついた。「マチュリン…言葉もないよ。レパード号の件で、君への賞賛の言葉は使い果たしてしまったから、それを繰り返すしかない。すばらしい、すばらしい成果だ。しかし、これを手に入れるために君が冒した危険を思うと…」「ただの幸運です。しかし…最後の仕事で成功を収めることができて、嬉しく思います。」「最後だって?マチュリン、弱気な事を言わないでくれ。」サー・ジョセフは驚き、熱心に言った。「君はヨーロッパを離れていたから、英国の勝利が近いという新聞報道を信じているのかもしれない。しかし、実態はまるで逆だ。シティの相場がいい証拠だよ。国債や貿易会社の株は下がる一方だ。英国海軍は危機に瀕している。ウェリントン将軍はよくやっているが、海からの補給路が断たれたら、陸軍もお手上げだ。ボーニィ(ナポレオン)を追い落とすまで、我々の仕事はまだまだあるぞ。」サー・ジョセフは極上のポートワインを出し、二人は乾杯した。「ボーニィに混乱を。」

「ついこの間、私と第一海軍卿は君の不在を嘆いていたんだよ。君にうってつけの仕事があったんだ。バルト海に敵の強固な要塞島があって、我々の補給路を妨害している。この島はフランス軍のカタロニア人部隊によって守られている。ナポレオン軍は彼らに、この活動がカタロニアの独立に不可欠だと思い込ませているらしい。もちろん大嘘だが…部隊は島に孤立していて、フランス軍が唯一の情報源だからな。この場合、彼らを説得できる人間を送り込めさえすれば、大艦隊を送り込むより効果的なんだ。もちろん、誰にでもできることではない。彼らが信用する人間でなければ。君なら完璧だったんだが、あいにく遠くにいたから、ポンシク氏に頼んだんだ。」「ポンシク?彼なら私より適任だ。カタロニアの偉大な文学者で、国中の尊敬を集めている愛国者ですから。」「君がそう言うなら安心だ。」


ジャックは家族の元へ戻り、スティーブンはサー・ジョセフの元へ…やっぱりお父さんのような存在なのかしら。(全然違うような気もするけど)

サー・ジョセフも謎の人だなあ。独身で、ロンドンの贅沢な屋敷に独りで(召使はいるけど)、昆虫の標本に囲まれて住んでいて…。歳もはっきりとはわからないのですが、この場面で、飲んでいるポートワインのことを「私と同じ年に生まれた」と言う台詞があって、そのことから推測すると50歳ぐらいだそうです。…うむ、思っていたより若い…というか、それだとスティーブンと、親子ほどには離れていませんね。スティーブンは多分、この時点で40越えてますから。

彼は海軍諜報部のボスとしての地位を3巻で引退したはずなのに、実際には隠然たる力を発揮し続けていたらしく、今は前より強大な力を持って復活しています。

スティーブンは、フランス学士院に招かれていることを話した。「それは素晴らしい。しかし…危険はないのかね?」「現在の危険は無視できる程度でしょう。私の顔をはっきり知っているのはデュブルーユとポンテ=カネだけでしたし、他の人間はまだヨーロッパに戻っていないはずです。それに、私に疑いが掛けられているとすれば、あえて敵地に行くことで晴らすことができると思います。」「その通りだな。すぐに戦時通行証を手配しよう。」「ありがとうございます。それと、あと二つほどお願いがあるのですが…」

スティーブンは、敵国民としてポーツマスに留め置かれているダイアナの釈放を頼んだ。「…その書類を手に入れられたのは、彼女の力も大きいのです。」「もちろんいいとも。レパード号とボストンでの殊勲を考えると、君には大きな借りができたからな。私が直接手を回そう。それで、もう一つの頼みというのは?」「実は、有能な弁護士を紹介していただきたいのです。友人が詐欺師に騙されて、面倒なことになっていまして…どうも、読まずにサインした書類があるようなのです。」「読まずにサインしたって?どうしてまた…しかし、驚くことではないかもしれない。陸に上がった船乗りの人の好さといったら、信じられないものがあるからな。」「隠しても無駄なようなので申し上げますが、その友人はジャック・オーブリーです。彼には恩義があるのです。マオンでフランスに捕らえられた時、危険を冒して救い出してくれたのですから。」「ああ。私も彼には感謝している。」サー・ジョセフは少し考えてから、スキナーという弁護士の名前をあげた。「ロンドンで一番鋭い弁護士だ。」「サー・ジョセフ、ありがとうございます。」


スティーブンの「危険は無視できる程度」はあてにならないからなあ。たしか、3巻でメノルカ島に行く前もそう言ってたし。