Chapter 8-1〜ミニー号


タバコと、艦隊中からかき集めたワインを積み込んで、アリエル号は出航した。ジャックは来るときに見かけたデンマーク商船の進路を綿密に予測し、翌朝に追いつく航路を取った。

夜明け、アリエル号は視界内に予想外の船を捉えた。アリエル号の航海長が「あれはミニー号です」と言った。ミニー号はデンマークの輸送船兼私掠船で、許可証は持っていない船だ。ジャックは考えた−いるかどうかわからない商船より、確実に目の前に見えているミニー号を捕らえる方がいいのではないか。それに、ミニー号は快速船だ。足の遅い船を連れてゆくより、早くグリムショルム島へ行ける。


軍艦に公費で備えられている酒はラム酒だけで、水兵たちはこれを水割り(グロッグ)にして飲むわけですが、艦長や士官たちは食事の時に飲むワインを自費でストックしています。島の同郷人を説得しに行くのに手ぶらでは行きたくない(?)スティーブンのために、提督は自ら私物の極上ワインをごっそりと寄付します。それを見て、艦隊中の士官たちも個人貯蔵品を差し出さざるを得なくなったわけです。

アリエル号はミニー号の追跡を始めた。ミニー号は航行性能に優れていたが、アリエル号も負けてはいない。アリエルはじりじりと追い上げた。ミニー号が船を軽くするため、水を捨て、砲を捨てているのが見えた。

ジャックは緊張していた。追跡なら、数え切れないほどやってきた。しかし、これほど心が急いていることは、今までに一度もなかった。彼はグリムショルム島の重要さをよく理解していたし、スティーブンを止められないこと、止めるべきでないことも分かっていた。そして、スティーブンが上陸する前にフランスの将軍が島に着いていたら、彼の命が大きな危険にさらされることも。メルシエ将軍が、あのミニー号のような快速船に乗っていたなら、もうグリムショルムに近づいているはずだ…いや、実際にミニー号に乗っている可能性も高い。

身軽になったミニー号は飛ぶように走り、アリエル号はなかなか追いつけなかった。「いい船だな。通報船にぴったりだ。拿捕したら提督が喜ぶだろう。」ジャックがスティーブンに言った。「拿捕できる自信があるんだな。」「縁起の悪いことを言ってしまったな−獲らぬ熊の皮算用だ。でも、日が暮れるまでに追いつけるといいな。今夜は闇夜なんだ。」


"count chickens before they are hatched" ことわざ:卵からかえらないうちにひなの勘定をする(取らぬ狸の皮算用をする)

これをジャックは、"count the bear's skin before it is hatched"(卵からかえらないうちに熊の皮を勘定する)なんて言っています。ことわざを言い間違えるのはジャックの得意技ですが、これは特にわたしのお気に入り♪

日本人の場合、未来に対して悲観的なことを言ってしまった時に「縁起でもないことを」と言いますが、ジャックたちの場合、楽観的なことを言ってしまった時に「運が悪いことを言ってしまった」とか、「運命をそそのかしてしまった(tempt fate)」と言います。運命の女神を甘く見るようなことを言うと、彼女が怒って意地悪をしに来る…って感じですかね。

そして、縁起の悪いことを言ってしまった時には、すぐに木でできた物を触ると帳消しになる…というおまじないは、現在でも欧米では一般的に行われています。すぐに触れるように、オフィスのデスクにわざわざ木製の物を置いている人もいるそうです。帆船の甲板では、たいていの物は木製ですから、触る物には不自由しませんね。ジャックはよく、こっそりビレイ・ピン(索止め栓)に触ってます。

しかし、夕方になって風が弱くなった。風が弱いほど、船体の軽いミニー号に有利になる。ミニー号はアリエル号を引き離しはじめ、ジャックの心に焦りが沸き上がった。ミニー号は真直ぐグリムショルム島の方向へ向っていた。

風がますます弱くなった。もはや追いつけない…と、ジャックが絶望しかけた瞬間、ミニー号は意外な行動に出た。風に対する最も有利な位置を放棄し、左舷方向に針路を変えたのだ。ミニー号にとって、それは自殺行為に思えた。しかし、その理由はすぐにわかった。ミニー号は、反対方向に別の敵艦を発見したのだ。「右舷前方に船影あり!」アリエル号のマストヘッドから、見張りの声が降ってきた。「英国軍艦か?」「はい。あれは…そのー、ハンバグ号です。」「ハンバグ(ぺてん)?」見張りがふざけているのかと思い、ジャックは眉をしかめたが、ハイド副長が「本当にそういう名前の艦があるのです」と説明した。

2隻の英国軍艦の挟みうちにあって進退きわまったミニー号は、浅瀬に逃げ込んだ。ミニー号はアリエル号より喫水が浅い。その利点を生かして、追ってきたアリエル号を座礁させることに最後の望みをつないだのだ。ジャックは水先案内人の指示を聞きながら、慎重に水路を辿った。やがて、出し抜けにミニー号が止まり、大きく傾くのが見えた。座礁したのだ。自ら仕掛けた罠にはまったミニー号を見て、アリエル号から歓声が上がった。


「ぺてん」なんていう名前の軍艦が、本当にあったのかどうかはわかりませんが…オブライアン氏のことだから、どこかに本当にあったのかな?という気はしますが。「君はどこの艦だ?」と聞かれて、「『ぺてん』号勤務です」と答えなくちゃいけない乗組員のことを考えると、可哀想だと思うけど…

アリエル号のハイド副長のことを、今まで書くのを忘れていました。この人、なぜかとっさに言葉を取り違えたり、右と左を言い間違えたりする癖があります。私にもその傾向があるので(車の助手席で「次、右ね…あ、ごめん左だった」とか、よくやってます)、気持ちはわかるのですけど、船乗りとしては困った癖ですよね。

アリエル号はミニー号に慎重に近づいた。ミニー号の甲板で、人が争っているのが見えた。誰かが誰かをピストルで撃っている。ボートが降ろされ、軍服姿の男たちが乗り込もうとしているのが見える−あれはフランス陸軍の軍服だ。「おい、ボートを降ろすな!砲撃するぞ!」ジャックは怒鳴った。「ミスタ・ヤゲロ、今のをデンマーク語で言ってくれ。」ヤゲロは数ヶ国語で叫んだが、フランス人らしい男たちはかまわずにボートを降ろした。同時に、ミニー号の旗が降伏の印に降ろされた。

フランスの軍服を着た男たちのボートは、陸に向って漕ぎ始めた。ジャックは何度か警告の砲撃をしたが、ボートはスピードを落とそうとしなかった。仕方なく、ジャックは掌砲長に「狙いをつけて撃て」と命令した。砲が発射された瞬間、ボートの中の1人が立ち上がって、ハンカチを振ったように見えた−が、手遅れだった。アリエル号の正確な砲撃は、ボートを一瞬のうちに粉々にした。

ジャックはアリエル号のボートを出し、生存者を救出させたが、助けられたのは若い下士官1人だけだった。彼も昏睡状態に陥っていたので、何も聞くことができなかった。ミニー号の船長はフランス将校によって射殺されていた。他の乗組員は、航海の目的については何も知らされていないようだった。ミニー号に乗っていたのがメルシエ将軍だったかどうかも、もはや確かめようがなかった。

ミニー号の座礁を一瞬でも喜んだのは、大きな間違いだとわかった。ミニーはがっちりと岩礁に食い込んでいて、アリエル号とハンバグ号が協力し、渾身の力で曳航しても、びくとも動かなかったのだ。ジャックは焦っていた。ミニー号を動かすことができなければ、計画はすべて失敗に終わる。ミニー号を離礁させるため、必死の努力が続けらるうち、貴重な時間が刻一刻と過ぎて行った。


ミニー号(Minnie)っていう船名、ついネズミ(あの世界一有名なネズミのガールフレンド)を連想してしまいます。「アリエル」は、「リトル・マーメイド」のヒロインを真っ先に思い出したし。けっこうディズニー好きのわたくし。