Chapter 1 〜 ワイン色の海


さて、16巻です。

前巻とは対照的に、シリーズ中でも一、二を争う素敵なタイトルです。Wine-Dark Sea…もし私がレストランを持つとしたら、こんな店名にしたい…なんてね。

ちなみに、これと一、二を争っているもう一つの素敵なタイトルは"The Surgeon's Mate"です。(<独断)

この言葉はホメロスの「オデッセイ」の言葉(正確には、その英語訳)に由来しているそうです。元のギリシア語はわかりませんが…"wine-colour" でも "wine-red" でもなく "wine-dark" というところがいいな。

1章早々に出てくるその「海」は、どうやら言葉の響きほど素敵な海じゃないようですが…

それから、えーと…この巻のメインテーマは、一言で言うと、「ジャックはいいやつだ。ジャックはかわいい。」ということに尽きるのではないかと思います。…しつこくてすみません。(<あらかじめ謝っておく)

サプライズ号、前巻に引き続きフランクリン号を追跡中。海は不思議な色に染まっている

紫色の海。

スティーブンが「ある種の新しいワインに似た色」と言った、珍しい色の海の上を、二隻の船だけが全速力で南東へ走っていました。追っているのは我らがサプライズ号、追われているのは、フランス人ジャン・デュトゥール率いるアメリカ船籍の私掠船、フランクリン号。

フランクリン号は水を捨て、砲を捨ててまで必死で逃げていましたが、航行性能と、何より艦長の腕が優るサプライズ号は、じわじわと敵を追い詰めていました。

射程距離まで追い詰めたサプライズ号は追撃砲を命中させますが、アメリカ船の迎撃砲もサプライズの支索に命中しました。フォアトゲルンマストとその付属物がまとめて落ちてきて、帆が追撃砲とその砲手たち、指揮をとっていた艦長と副長、ビークヘッドで見物していた船医とその助手を、もろとも覆ってしまいました。

そしてその時、「Man overboard!(人が落ちたぞ!)」の声が…

リード、海に落ちる。ジャックが助ける

「どこだ?!」「左舷後方です、ミスタ・リードです!」ジャックはシャツを脱ぎ捨て、飛び込みました。時々、「アザラシのように」海面から頭を出して方向を確認しながら、力強い泳ぎでリード少年のところへ向かいました。ほとんど泳げないリードは、水兵が投げてくれた鶏カゴに片腕でつかまって、何とか浮いていました。

「すみません、サー、追跡を遅らせたのでなければいいのですが…」「怪我は?」「ありません。すみません、サー…」「私の髪をつかんで、肩につかまれ。聞こえるか?」

なおも謝り続けているリードを助けて、力強い泳ぎで艦に戻るジャック。

サプライズ号、追跡を続ける。ジャック、ウエストに報告書で推薦したことを告げる

リードを引っ張り上げ、倒れたトゲンマストを立て直し(波の高い海上では大変な作業)、それでも正午前には、サプライズ号は元の追跡コースに戻りました。午前の回診を終えて艦尾甲板に出たスティーブンに、ジャックが声をかけました。

「こんな色の海は見たことがない。」艦長は言いました。「しかし、もっと気になるのは、うねりとはまるで違う方向に、海が震えていることだ。ハエにたかられた馬の皮膚みたいに、ピクっとするんだ。」空には、妙な、オレンジ色の靄がかかり、その下の海は、さっきより濃いワイン色になっています。

「原因はわかるのか?」「いや。こんなのは見たことも聞いたこともない。…話は変わるが、今朝、モアフの報告書の草案を書いた。戦闘になる前に、目を通して直してくれないか?間違いと教養のない言葉を外して、スタイルのある表現を入れて欲しい。」「わかった。ディナーが終わったらすぐに行く。」

その日のガンルームのディナーは、モアフで戦死したデイビッジに変わってオフィサーに抜擢されたグレンジャーの歓迎会だったので、普段はジャックと食べているスティーブンも出席することにしていました。ディナーの前に、艦長はウエストを艦長室に呼びました。

「もっと前に言うつもりだったのだが、書類仕事に紛れていて…つまり、君のモアフでの働きにはたいへん満足している。士官らしい仕事だった。報告書にも触れておいた。これで負傷していれば、君の海軍復帰は確実だったのだが…まあ、次の時はもっとうまくやれるだろう。」

決闘の罪で軍法会議にかけられ、除隊になって以来、海軍への復帰を何よりも望んでいるウエスト。復帰への唯一の頼みの綱であるオーブリー艦長に、クラリッサの一件で叱責されて以来、彼に見捨てられたのではないかと死ぬほど気を揉んでいたので、この言葉を聞いて喜びを爆発させました。「はい、次の時は全力を尽くします。腕でも、脚でも、どこでも…報告書に書いてくださって、誠にありがとうございます。」

サプライズ号、追跡を続ける。空と海の様子はますます変になる

新しくガンルームのメンバーになり、急に「ミスタ」つきで呼ばれることになったベテラン水兵のグレンジャーは緊張していましたが、プリングズとアダムスの親切さとスティーブンの気遣いに、だんだん気持ちがほぐれてきたようです。身分柄には敏感で、平水兵をガンルームに入れることに反対だったウエストも、海軍復帰の望みができたことで有頂天、ニコニコと彼を歓迎しました。ディナーは陽気に、大成功に終わり、スティーブンは艦長のキャビンに行ってコーヒーを飲みながら、報告書に目を通しました。

「カロネードのスライドのあたりの表現は、あまりエレガントじゃないけど…」「まあ、これはまだ草案だから…文法が間違っていたり、気に入らないところは、どうか遠慮なく消してくれ…」スティーブンが報告書を読む間、いろいろ言い訳するジャック。邪魔されながらも、スティーブンはてきぱきと報告書の修正を済ませ、二人は艦尾甲板に昇りました。

普通は白いはずの砕け波は不気味な緑色に染まり、空はオレンジというより琥珀色になり、海はもっと変な動きをしていました。一生を海で過ごしていると言っていいジャックやボンデンでさえ、「見たことも聞いたことも、読んだこともない」海で、水兵たちも三々五々集まって、不安そうに囁き合っています。

「前に危うく我々を沈めかけた台風の時(10巻)に似ているが、根本的な違いがある。気圧計は安定しているんだ。でも、念のためにトゲンマストを降ろそう。」「フランクリンを逃がしてしまわないか?」「いや。あの量の真水を捨てたからには、遠くへは行けない。夜の間に方向転換して、我々をすり抜けてモアフへ戻るつもりだろう。しばらく漂泊して、南へ向かう。夜明けには視界内に現れるだろう。」

ジャックとスティーブン、合奏する。夜遅く、嵐になる

その夜、ジャックとスティーブンは久しぶりに演奏を楽しみました。

しかし、気まぐれな波は、夜に入ってますますひどくなり、スティーブンは固定した椅子に身体をくくりつけ、ジャックでさえ、立って弾くのを諦めてロッカーに座らなければならないほどでした。

激しい雨が降り出し、甲板に様子を見に行って帰ってきたジャックに、スティーブンは「『上階』はひどい天気かい?」と訊きました。「ひどいというより、妙なんだ。波が、三つのばらばらな方向から来ている。理屈に合わない。雷が光ると、空が赤いし…でも、もっと妙なことがあって…何かとはっきり言えないんだが…」

二人はそれでも、根性で演奏を続けましたが、満足のゆかない演奏を終えて、ジャックがワインを注いだ瞬間、船は穴に落ちたようなひどい縦揺れをして、グラスから飛び上がったワインの固まりが一瞬、宙に浮きました。(<瞬間無重力状態?)「今のは一体なんだ?」

その時、ノートン士官候補生(オークスの代りの新任)が報告に来ました。「ミスタ・ウエストの報告です。砲撃されています!臼砲のようです。

「戦闘配置!」甲板に駆け上がりながら、ジャックは叫びました。「ミスタ・ウエスト−」当直士官のウエストは、頭から血を流し、うつぶせに倒れていました。

サプライズ号、「砲撃」を受けて負傷者が続出する

「冠状頭蓋陥没骨折、」下に運ばれてきたウエストを診て、ドクターは言いました。「昏睡状態。うつぶせにそっと寝かせろ。次。」骨折や打撲、裂傷−いつもの海戦の時のような負傷者たちを、次々に治療するスティーブンたち。治療を待つ患者たちの間では、敵の正体について、低い声で議論が交わされていました。ぶどう弾のようだった。軍艦の砲のようには思えなかった、おそらく砲台だ…いや、砲艦だ。巨大な臼砲だ。

その夜ずっと、負傷者は次々と運び込まれ、スティーブンが「コカの葉があったらなあ。」と考えているところへ(こらこら)、リードと、フタをしたコーヒーのマグを持ったキリックが降りて来ました。

「艦長から伝言です。最悪のところは終わったようです。南南西に星が見えるし、うねりも収まってきました。」「ありがとう、ミスタ・リード、キリック。ポンプを漕いでいるようだが、船体に穴があいたのか?」「いいえ、マストとメイントップは損傷しましたけど、たいして浸水はしていません。ミスタ・ウエストの容態は?」「まだ意識がない。夜が明けたら開頭手術をしなければならないだろう。」「夜明けはもうすぐです。」

なぜ、こんなところでいきなり砲撃を受けるのか…その答えは、実は、ジェフ・ハントの表紙絵を見ればネタバレしているのですが。(にやり)