Chapter 3 〜 1789年の思い出


サプライズ号、拿捕したフランクリン号と自船の修理に忙しい

フランクリン号は火山の被害でマストを全部失って沈没寸前。サプライズ号はそれほどではないとはいえ、やはり被害を受けていました。艦長はフランクリン号をトム・プリングズに指揮させ、「コンソート(僚船)」として一緒に航海したいと考えているので、早く彼女をまともな姿に戻そうと、しゃかりきで修理を指揮していました。

「フランクリン号にロイヤルマスト(下から4番目、トガンマストの上のマスト)を立てるまでは、バイオリンに手を触れない」と、ジャックは誓っていました。「彼女がロイヤルスルをつけたら、その後にコンサートをしよう、スティーブン。歌を歌ってもいい!」

フランクリン号、サプライズ号に様々な影響をもたらす。リードに友だちができる

さて、フランクリン号拿捕がサプライズ号にもたらしたのは、結構な額の拿捕賞金だけではありませんでした。

とりあえず深刻な影響としては、真水のストックが非常に厳しくなったこと。フランクリン号はサプライズ号から逃げている時に真水を全部捨ててしまったし、サプライズ号もモアフで十分には補給できなかったし(フランクリン号を追って急いで出航したため)、人数は増えたし。

飲み水以外には一切真水を使えず、その飲み水も少なめに制限され、洗濯はもちろん、身体や顔を洗うのも全部海水ですることになりました。皮膚の弱い私など、考えただけで肌がちくちくする…

一方、良い影響としては、リード君に久しぶりに同年代の友だちができたこと。そういえば、ツバメの巣の島でハーパー君が死んでしまってから(14巻2章)、同じ年頃の仲間がいなくて淋しかっただろうな。オークスは少し年上だし、結婚していたし…

フランクリン号には、以前に拿捕した民間船からの人質が何人か乗っていたのですが、その中にウェデル君という、リードと同年輩の少年がいて、身分柄から慣習に従って士官候補生室で寝起きするようになりました。それより前から、オークスの代わりにノートンという若者が平水兵から昇進して士官候補生になっていたのですが、ノートンは元の身分差から遠慮がちで、あまりリードと馴染んでいませんでした。しかし、ウェデルが加わったことでノートンの遠慮も消え、三人は一気に仲良くなりました。

そうなると、そこは何しろ14〜15歳の少年三人。三人で三十人分ぐらいの騒音を立て、ハンモックを片付けた下部甲板でクリケットはするわ、空き部屋でフットボールはするわ、マストではしゃぎまわるわで…ふざけすぎた挙句、ウェデルが艦尾甲板の天窓から艦長の頭の上に落ちてくるという事故(幸い、怪我はなかったのですが)があり、艦長はとうとうクリケットとフットボールを禁じて、彼らを厳しく鍛え直すことにしました。

友だちができてはしゃいでいるリード君が可愛いので、せっかくだから思い切り遊ばせてあげたら…とも思いますが、船の上じゃそうもいかないか。

デュトゥール、サプライズ内に支持者を獲得する

しかし、おそらく一番大きかったのは、デュトゥールが来たことによる影響でした。

「理想郷」の建築に失敗し、船をはじめほとんどの財産を失ったというのに、デュトゥールの自由・平等の思想はいささかも揺らぐことはなかったようです。生まれつきの雄弁家である彼は、ガンルームでの食事の席で、あるいは自分の部屋で非番の水兵たちを相手に、自由・平等・完全な民主主義と財産共有を実現した理想社会、人間性善説、あるいは信教の自由などについて、熱弁を振るっていました。

さて、ここで説明しておかなければならないのは、サプライズ号には様々な宗教セクトのメンバーが乗っているということです。(宗教セクトと言っても、現代の新興宗教教団のようなものではなく、むしろ親族・村単位のコミュニティに近いもののようですが。)

元々、英国には昔から、非カトリック・非英国国教(あるいは反英国国教)のキリスト教系小宗教セクトが山ほどあるらしいのですが…「私掠船」サプライズ号の母港であるシェルマーストンという港町は、密輸船や私掠船の「たまり場」であると同時に、これらの小宗教セクトの「避難所」のような町でもあったからです。

どれも聖書を基本にしているとはいえ、それぞれのセクトの教えや生活習慣には微妙な違いがあるのですが…それでも、船に乗っている間は、シップメイトとして宗教的違いは棚上げし、食事の席で宗教と政治の話はしないという伝統を守り、礼拝では一緒に賛美歌を歌い、おおむね上手くやっていました。

さて、その一つに「ニッパードーリング(Knipperdolling)」というセクトがあり、新オフィサーのヴィダルが船内でのリーダー格でした。ニッパードーリング教徒は、元々、平等主義者の政治セクトが宗教セクトに変化したという歴史があり、今でも自由・平等の思想を非常に重んじるグループでした。

そういうわけで、ニッパードーリング教徒のグループは、ジャン・デュトゥールの思想にすっかり共鳴するようになりました。自由で平等な理想社会に関する論議は、大昔から語り尽くされているとはいえ、デュトゥールは教養高い紳士であり、雄弁で、説得力にあふれ、何より、その理想を心から信じて語っていたので…

ニッパードーリング教徒だけでなく、他の小宗教セクトのメンバーにも、デュトゥールに共感する者は多くいました。一方で、ボンデンやキリックのような根っからの船乗りたちは、彼に本能的に胡散臭さを感じ、「ムッシュー・タード(糞)」と呼んで馬鹿にしています。デュトゥールに対する船乗りたちの態度は、二つに分かれているようでした。

スティーブンはデュトゥールのことを、「フランス革命以来、これだけ色々あった後でも、理想をそのまま持ちつづけているのはある意味すごい」と考えているようですが…でも、「性善説と理想主義を保ちつづけている」は、裏を返せば「都合の悪いことには目をつぶる術に長けている」ということでもあるのよね…などと思う私でした。

フランクリン号の修理が完了する。ジャックとスティーブンは合奏し、夜食を食べる

ようやく、フランクリン号に3枚のロイヤルスルが翻り、2隻の船が(弱い風の割には)順調なペースで動き出した日の夜、ジャックとスティーブンは待望の「コンサート」をしました。

「ジャック、特に何かやりたい曲はあるかい?」「昔からのお気に入りでいこう。ソフィー号にいた頃、君はスペインに『新しいことが何も起こりませんように』という言葉があると言っていたね。その時、『海軍にぴったりの諺だ』と思った。考えてみれば、音楽にもあてはまるかもしれない。」

チェロの下の甲板が揺れなかったために、またバイオリンの弾き手の心がはずんでいたために、二人は昔馴染みのお気に入りを、驚くほど上手に演奏しました。

そこへいつものように、キリックが夜食の「トーステッド・チーズ」を持ってきました。と言っても、今はパンもまともなチーズも品切れているので、代用として、砕いたシップビスケットと山羊ミルクと少量の粉チーズで作ったお粥なのですが。でも食器だけは、いつもの「トーステッド・チーズ用の皿」を使っていました。

この「トーステッドチーズ用皿」とは、スティーブンが出航前にダブリンで特注したもので、「極めて豪華なアイルランドの銀細工で、銀の蓋がついた皿は6枚のトーストが乗るようになっていて、アルコールランプで保温できるようになっている」とあります。…そう、映画に出てきたアレですね。

あの「トーステッド・チーズ・メーカー」を映画で見た時、掲示板で「6枚焼けるようだけど、ジャックとスティーブンの取り分は何枚づつだろう?4:2?それとも5:1?」と話していたのを思い出しました。

実は、掲示板であの話をした時、私はここの記述をすっかり忘れていて、「最初は4:2に分けるが、あとでスティーブンが食べ残した1枚をジャックが取ってしまう」という結論に達していたような気がしますが(笑)…

答えはちゃんとここに書いてありました。曰く、「ジャック・オーブリーの体重は16〜17ストーン(102-108kg)、スティーブンは9ストーン(57kg)足らずなので、遠慮しあったり、後でぶつぶつ言ったりすることを避けるため、体重の割合で(4枚−2枚に)分けることでずっと前に合意していた」だそうです(笑)。

ジャックとスティーブン、1789年産のワインを飲む。ジャック、1789年の思い出を語る

ジャックはキリックに、ポートワインを持ってくるように命じました。「もう在庫が少なくなっています。とって置きの89年ものを出すか、グロッグで我慢するかです。」「89年を開けろ、キリック。生きているうちに楽しまないと。クラリッサ・オークスがそう言っていたな、スティーブン…素敵な女性だった。恥知らずにも、彼女に惹かれていたよ…でも、もちろん、自分の船の上ではどうにもならない。マーティンも、気の毒にすっかり夢中だったな。オークスと幸せにやっていればいいな。オークスは彼女とは釣り合わないが、まあまあの船乗りだ。」

「ポートワインについてはよく知らないが、89年というのはいい年なのか?」話題を変えたかったのか、スティーブンがそう聞きました。「かなり良い年だ。でも、おれが89年を好きなのは、『スペイン騒乱』を思い出すからだ。」「スペイン騒乱って何だ?」

「知らないのかい?君に教えられることがあるとは嬉しいね。ヌートカ湾(カナダ南西岸)で起こったことだ。クック艦長がそこを発見して以来、英国はずっとそこで貿易をしていたのだが、1789年にスペインが突然、そこはカリフォルニアの一部でスペイン領だと主張して、軍艦を送り込んで英国船を拿捕し始めたんだ。政府は急いで軍艦を装備しはじめた。我々は大喜びさ。アメリカとの(独立)戦争が散々な結果に終わって以来、半給もない航海士として陸で腐っていたのが、突然にクイーン号に任官して、海尉の制服を着ることができたのだから!幸運な年だった、おれにも、国にも…いや、つまり、そのお陰で、何年か後にフランスと戦争することになった時、準備が整っていたからね。スペイン騒乱万歳だ。」

どうやらジャックは、同じ1789年に起こった、遥かに重要な事件のことはまるで頭にないようです。われわれ日本人が、世界史の勉強で「火縄くすぶる(1789)バスティーユ」なんていう語呂合わせで憶えるアレですが。

「君の海尉任官は92年じゃなかったか?」「スペイン騒乱が始まったのが89年、海軍の再装備が整ったのが92年だ。でも、おれにとっては89年が幸運の年なんだ。ニュースが本国に届いた時、胸に希望が湧いてきたものだ。なあ、スティーブン、君は89年には何をしていた?

医学の勉強をしていた。」スティーブンはそれだけ言って、ワイングラスを置き、席を立ちました。

医学の勉強をしていたのは本当でした。パリで。しかし、それと同時に彼は、熱に浮かされたようにパリの街を走り回っていた。革命の夜明けに興奮し、素晴らしい自由の概念に酔い、新たな、より良い時代の到来を確信して…

ジャック、スティーブンに気を遣う

外国人の医学生であったスティーブンが、フランス革命に具体的にどう関わっていたのかは、はっきりとは書いてありません。でも、19か20歳の若者で、革命の理想を熱狂的に支持していたのなら、何かの形で協力していたことでしょう。

しかしその後、革命政府自体が(やたらに人をギロチンにかけるような)暴力的なものに変貌し、そしてナポレオンの登場、「革命の守護者」を標榜するナポレオン軍の、スペイン・カタロニアでの残虐行為、そしてフランス革命に影響を受けた1798年のアイルランド蜂起の壊滅的な失敗…

そのほぼ全部を、間近で見るか個人的に深く関わってきたスティーブンにとって、1789年の思い出はとても苦いものになってしまったのでしょうね。若い頃の理想を、「あの頃は青かったな〜」なんて、懐かしく思い出せる人は幸いかもしれない。

スティーブンが戻ってきた時、ジャックは落ち着かない様子で楽譜を整えていました。

大男がしばしばそうであるように、ジャックは時として、猫のように繊細だった。彼は痛いところに触れてしまったことに気づいていた。そうでなくても、スティーブンは質問が嫌いなのに。彼は細やかな気遣いで楽譜を整え、ワインを注いだ。演奏が始まると、バイオリンはチェロの脇役に回り、彼らの音楽を熟知している人にしかわからない、さりげないやり方で、チェロを引き立てていた。

ジャックはかわいい。…もう言ったっけ?