Chapter 9-1 〜 父と子の再会


ペルー独立に関するスティーブンの任務は、思わぬことから失敗に終わったわけですが…

実は私、最初に読んだ時、どうして失敗したのか、よく分かっていなかったようです。いえ、こうして再読しても、分かっているかどうか心許ないのですが。デュトゥールは「マチュリンは英国のエージェントだ」と騒ぎ立てましたが、リマの誰一人として彼を信用したわけではないので、最初にスティーブンが思っていた通り、それだけでは任務に影響しなかったはず。

問題は、カストロという植民地政府の高官(直接は登場しない)が、デュトゥールの騒ぎに便乗して「異教徒の外国の金で買収された勢力が、我々の政府を転覆させようとしている」とアジテーションしたことにあったようです。ことが独立運動であっても、外国に動かされて何かするのは嫌だというのは、変わらぬ国民感情なのでしょう。特にこの場合、ペルー人はほとんどが敬虔なカトリックであるので、英国もフランスも異教徒(非カトリック)の国であるというところが反発が大きいようです。(フランスはカトリック国だけど、革命政府/ナポレオン政府はカトリック教会と対立している。)

カストロは重要人物だったのですが、信念というものがなく、植民地政府も独立派も、どちらも敵に回さずにおいて、結果として勝った方とうまくやりたい、という人でした。しかし、独立派は曖昧に打診してきただけで、結局自分を仲間に入れる気はないようだし、独立派が権力を握ったら自分は糾弾されるかもしれない…それなら、とりあえずは植民地政府の安泰を図り、ついでに総督に自分をアピールしておいた方が得だ−と考えたようです。

「信用できない人物だから」ということでカストロを仲間に入れなかったのが、結局は失敗に繋がったとも言えるのですが…カストロのような男の場合、仲間に入れたら入れたでいつ寝返るかわからず、そうなれば独立派に参加していた人の名前がすべて敵に知られてしまうという最悪の事態になったかもしれない。どっちがよかったかは何とも言えず…まあ結局、タイミングが悪かったとしか言いようがないのかもしれません。

プリングズ艦長、トドに吠えられる

さて、同じ頃、カヤオ港沖合いの小島、サン・ロレンツォ島では…

プリングズ艦長が望遠鏡で、熱心に水平線を見ていました。フランクリン号らしき帆が、かすかに見えたような気がしたので。その朝、彼は「ドクターのスキフ」と呼ばれている緑色の小さなボートで、一人でこの島に来ていました。

大型船に乗せられている「艦載艇」には、大きいもの小さいものいろいろあるのですが、たいてい「ランチ(大艇)」が一番大きいようです。「スキフ」は最小のものの一つで、我々が「ボート」と聞いて真っ先に連想するような、オールが2本ついていて一人で漕ぐやつです。

スキフを漕いで港に戻るプリングズ。辺りの海には、みすぼらしい、簡単な構造の、汚く小さい漁船がうようよしていて、怪しげな英語や、プリングズにはさっぱり分からない外国語で、声をかけたり、怒鳴ったりしてきます。

まったく取り合わずにボートを進める彼ですが…一艘、とりわけ汚い、とりわけしつこいボートが、こちらへ向かってアザラシかトドのように吠えつづけていました。無視してひたすらオールを動かすプリングズ。何と言っても、彼は栄光ある英国海軍のコマンダー(海尉艦長)なのだ。トドなんぞに吠えられるいわれはない。

彼がスキフのスピードを上げると、トドたちは必死の度合いを高め、声をそろえて叫び始めました。ひどいしわがれ声の合唱は、何を言っているのかさっぱり聞き取れなかったのですが…その後、一瞬静かになった時、海風に乗って聞こえてきたのは、明らかに英語の、しかも彼が子供のことから馴染んでいる船乗り言葉の、「くそ、馬鹿野郎め(Oh fucking sod)」というつぶやきでした。

振り返った彼は、恐怖と喜びの入り混じった気持ちとともに、よく見るとアラスター号のランチのなれの果てであるボートの、折れたマストの根元につかまっている人物が、彼の艦長であることに気づきました。

リード士官候補生、マストに登っていてヨレヨレのボートを発見する

余計な質問で時間を無駄にはせず、艦長に水筒を渡し、ロープを渡してランチを曳きはじめたプリングズですが…いくら彼の漕ぎ方が力強いとはいえ、小さなスキフで何倍も大きいランチを曳くのは無理があり、ほとんど進みません。

プリングズは、目に包帯をしたオーブリー艦長のひどい様子を見て心配していました。艦長とジョンソンとボンデンは3本しか残っていないオールを漕ぎ、キリックは水をかい出し、プライスとベンは倒れています。このままでは、すぐに引き潮が始まって、一緒に沖へ流されてしまう…

しかし幸いなことに、サプライズ号の最新三馬鹿トリオ(士官候補生のリード・ノートン・ウェデル)は、「知性に欠けている分、肉体的活動で補って」いました。(<ひどい言われよう…て、三馬鹿トリオの方がひどいか。)

片腕を失ったリードくんは、マストになど登れないかと思いきや、ノートンとウェデルの助けを借りて、サプライズ号の高みを(ほぼ)自由自在に動き回れるようになっていて、毎日3人でスカイラーキング(若い船乗りがマストの高いところで遊びまわること)にいそしんでいました。若さのパワーと友情ってすばらしい。

その時も、スキフがランチを曳いているという珍妙な光景に最初に気づいたのは、マストの上にいたリードでした。「ノートン、望遠鏡を持ってきてくれないか?…甲板!ミスタ・グレンジャー、艦首方向にボートです!プリングズ艦長がアラスターのランチを曳いています。」

と、いうわけで、無事サプライズ号に救出されたランチ。ヨレヨレの4人と、完全にダウンしている2人は、助けを借りてなんとか乗船しました。「ドクターはどこだ?」「陸です。もう5〜6日行ったきりです。山で標本採集しています。」

それを聞いて、なんだかがっくりきたジャックですが、今は頭もぼんやりしていて、どうすればいいか考えをまとめることもできず…キャビンで水を4パイント飲み、身体を洗い、卵を6個とパンとスイカをまるまる1個(すごい)食べて、寝台に横たわると同時に眠りに落ちたのでした。

サム・パンダ神父、オーブリー艦長を訪問する

夕方頃に目覚めると、船は墓場のように静かでした。生きて帰ったことがなんだか信じられない気持ちで、ジャックはキャビンに来たグリンブル(キリックの助手)に「どうしてこんなに静かなんだ?誰か死んだのか?」と訊きました。「プリングズ艦長が、艦長を起こした奴は誰でも鞭打ち百回だとおっしゃったんで。」

その後、パディーンとフェビアンとヨレヨレのキリックが来て、パディーンがやさしく目の包帯を変え、ヒゲを剃ってくれました。ようやく人心地ついたところに、心配顔のプリングズが来ました。

「ご気分はいかがですか?」「よくなった、ありがとう。デュトゥールのことは何か聞いているか?」「デュトゥールですか?いいえ。」「逃げたんだ。ドクターが彼を上陸させないように言っていた。」「どうしますか?」「それが問題だ…でも、今夜にもドクターが戻ってくるかもしれないし、朝になったらよい知恵が浮かぶかもしれない。それにしても、思ったより早く修理が済んだな…」二人がサプライズ号のことを話していると、ボートが来たと報告がありました。

「きっとパンダ神父です。毎日この時間に、艦長の消息を訊ねにいらっしゃるのです。」「本当か?すぐ通してくれ。」

「サム、また会えて嬉しいよ。」サムの顔には微笑みが浮かびましたが、艦長の包帯と疲れた様子を見て、たちまち心配そうな顔になりました。「怪我をしていらっしゃるのですね…ご病気で…どうかお座り下さい。」「そんなに心配しなくても、目は大丈夫だ。ランチでえらい目に遭って疲れているだけだ。何しろ、生のトドしか食べるものがなかったから…嵐で、風下岸に吹き寄せられて…4日も続いた。でも、何とか帰って来たし、もう終わったことだ。」

サムの顔を涙が流れているのを見てジャックは焦り、あわてて話題を変えました。「ドクターに会ったかい?船にいればいいと思っていたんだが、まだ戻っていないようだ。」

「はい、たしかにお会いしました。山へ行かれたので、お別れしてきたところです。」「元気なのか?よかった。心配していたんだ。と言うのは、拿捕した私掠船からの捕虜にデュトゥールという男がいて…」

サム・パンダ神父、オーブリー艦長に今までのことを説明する

港近くに停泊している船ならではの、豪華な夕食を食べながら、ジャックはサムにデュトゥールのことを(何度も脱線しながら)説明しました。

「つまり、レター・オブ・マークに名前がない以上、法的には英国へ連れて帰って、海賊として絞首刑にしなければならない。しかし…彼のことは大嫌いだったが、長所はあった…勇敢だし、仲間には親切だ。海賊行為のことは、考えてみればまあ、法律屋の屁理屈みたいなことだから、捕虜宣誓の上、カヤオに解放しようと思った。でも、そこでドクターが、『それは政治的に好ましくないかもしれない』と言ったんだ。

「実は、ドクターが上陸する時、それは植物採集のためだけじゃなくて、政治的な活動をする時もある。つまり、例えば…彼は奴隷制に反対していて、同じ意見の人を集めて活動するかもしれない…良い事だが、奴隷国の政府にはいい顔をされないだろう。だから、ドクターが『政治的に好ましくない』と言うってことは、デュトゥールが密告者になるかもしれないということだ。」(「密告」どころか、公共の場で騒ぎまくってましたが…)

「とにかく、結論を言えば…まわりくどくてすまない、サム、今日は頭がぼんやりしていて…デュトゥールは上陸してしまったんだ。ドクターに害が及ぶのではないかと心配なんだ。奴を船に戻すためなら、何でもするつもりだ。サム、助けてくれないか。」

「何なりとお申し付け下さい、艦長…ドクターと私は、彼の任務のことについては、よく理解しあっています。私も奴隷制とフランス支配に反対ですから。あのデュトゥールについては、今は我々の手の届かないところにいます。異端審問所が連れて行ってしまいましたから。しかし、その前に、及ぼせるだけの害は及ぼしてしまいました。」サムはデュトゥールが現れてからの経緯を説明しました。

「今、ドクターは山にいらっしゃいます。経験豊富なガイドと一緒にチリへ向かっています。」


ひとこと−サムはいい子だなあ。性格はあまりジャックに似ていない気もしますが、それは職業柄で、本当は似ているのかも。ジャックよりさらに背が高く、さらに肩幅が広く、大きいわりに動きのスムースなところも似ているそうで…おまけに頭もいいし、カッコいいわ。(神父様なので、あまりカッコいいとか言っちゃいけませんが。)