Chapter 10-1 〜 チリの計画


・この章で計画されているチリ海軍への協力は、ジャックのモデルと言われるトマス・コクラン卿の実際のキャリアを元にしたものです(前後の状況は違いますが)。コクラン卿は1814年に株式市場の操作で有罪となり、海軍を除隊になった後、チリ(1817-1822)、ブラジル(1823-1825)、ギリシャ(1826-1828)の海軍に協力し、その後1832年に恩赦を得て英国海軍に復帰しました。

・チリがスペインから独立するのはこの4年後の1818年です。

ブレスト封鎖艦隊は解散になり、ベローナ号は帰国しペイオフされる

終戦の報を受けて、ブレスト封鎖艦隊の各艦は一〜二隻ずつ帰還命令を受けて帰って行ったのですが、ストランラー提督の悪意のせいか、ベローナ号は最後の最後まで残され、一部の強制徴募された元商船員たちの間には不満がくすぶっていました。長い戦争のせいで商船は人手不足で、今すぐ帰れば高額の給与で雇われることができるのに、帰国が遅くなればそのチャンスを逃すかもしれないからです。

不安な士官たちと、一部の不満な水兵たちのおかげで、ベローナ号最後の日々は誰にとってもみじめなものになりましたが、ようやく帰還命令が来て、ベローナはポーツマス港へ帰ってペイオフ(給料を払って解散)されました。

「それでも、ハッピーに終わってよかった。」スティーブンが言いました。「これをハッピーと呼べるならな。」ペイオフの面倒な手続きをようやく終わらせたジャックは、ひどく憂鬱そうでした。たった今、士官たちと「お別れディナー」を行い、将来への不安と憂鬱を無理におさえて陽気にふるまう彼らと別れてきたところだったからです。

ジャックとスティーブン、チリの計画のためにロンドンへ行く

帰国したとはいえ、ジャックとスティーブンはすぐウールコムに帰るわけにはゆきませんでした。これからロンドンに行って、例のチリの計画について詳細をつめなければならないからです。

ロンドンへ向かう馬車の中で、スティーブンがこれからのスケジュールを説明しました。「これから数日間はブラックスに泊まって、二日目にロイヤル・ソサエティーのディナーに出席する以外は何もせずにのんびりする。三日目の金曜日に、グレープス亭の僕の部屋でチリ人に紳士たちと会見する。それがうまくいったら、土日はまたのんびりして、月曜に委員会で計画を説明して承認を受ける。承認されたら、翌日に海軍省へ行って正式な手続きを済ませる。」

「それで、勅任艦長名簿から外されるのだな?」「一時停止と言った方がいいだろう。私有船の船長になるには民間人の身分でないと。」「そうか…それが金曜日でなくてよかった。」「マイディア、君の気が進まないのなら、この計画はなかったことにしよう。」「いや、いや、そんなことはない。許してくれ、スティーブン…ちょっと落ち込んでいるんだ。艦がばらばらになって、士官候補生は一文なしで放り出されて…でも、海軍の半分が撤収されて、ストランラー提督を敵に回して、このままでは黄色提督にならない見込みはかけらもない。それを避けるためならどんな船でも率いて、どこにでも行くよ。まして、サプライズ号でホーン岬へ行くなら…迷信からきたたわごとだった。」

「復帰の約束は忘れていないだろうね?」「もちろん。それが唯一の頼みの綱だ。しかし、約束というのはパイ皮のようにもろいものだ。第一海軍卿が死んだり、代替わりしたら…その点、名簿に印刷された名前と言うのは、はかないこの世の中で、たしかに頼りにできるものなんだ。」

ジャックとスティーブン、遅れを取り戻すために新聞と海軍広報を読みまくる

ロンドンに着いた二人はまずブラックス・クラブへ行き、図書室にこもって、封鎖艦隊でニュースから遮断されていた間の空白を埋めようと、新聞と海軍広報を時系列に並べて、戦争の今までの経緯(主に陸戦)について読みまくりました。

「彼らはボーニイ(ナポレオン)にエルバ島を与えたんだ。」海軍広報を読んでいたジャックが叫びました。「驚くじゃないか。トム・アッシャー艦長のアンダウンテッド号が連れて行った。アッシャーを知っているか?アイルランド人だ。」「アッシャー家の人間なら何人か知っている。ダブリン城では有力な一族で、英国国教会の司教を輩出している。」「名門なんだろうな。この任務を命じられたのも、それで説明がつく。彼は30歳前に勅任艦長になった。彼を悪く言うつもりはない…有能で勇敢な若者だ。しかし、有能で勇敢な若者は他にも山ほどいるが、多くはコネがないために、勅任艦長はおろか、海尉艦長にもなれずに平海尉として死んでゆくんだ。」

中学高校で世界史を習った時、私はなんとなく、ナポレオンはエルバ島に「流刑になった」と思っていたのですが…正確にはそうじゃなくて、連合国は彼にエルバ島の領地を「与えて」、そこの領主にしたのですね。まあ、どっちにしろ強制的に送り届けられたのですが。

ジャックとスティーブン、チリ人独立活動家たちに会う

数日をのんびりと、クラブのメンバーと旧交を温めたり、ロイヤル・ソサエティーに出席したりして過ごしたジャックとスティーブンですが、金曜にはグレープス亭でチリ人独立活動家たちと会って食事をしました。

この会見の目的は、計画を話し合うと言うよりも、ジャックとチリ人たちを引き合わせて相性をみるという意味がつよいものでした。幸い、チリ人たちとジャックは意気投合しました。

同時にスティーブンは、彼らの代表者と計画の詳細をつめ、合意に達しました。

「君は海軍から、現在の階級のまま無期限の休暇を与えられ、海洋測量部に貸し出されることになる。来年の初頭にサプライズ号で出航し、チリの海岸を測量して海図を作る。同時に、チリが小さな海軍を作り上げるのに協力し、彼らを訓練する。そして、もしペルーが独立して攻撃してきたら、防衛する。もしその間に英国が戦争に突入することがあれば、これらの義務はすべて免除され、即座に英国海軍に復帰するという条件だ。

「仕事が完了したら、元の先任順位で勅任艦長名簿に復帰する。他の艦長たちが陸にいるか、平和な地中海で訓練に明け暮れている間、君には名をあげるチャンスがあるというわけだ。」「スティーブン、本当にありがとう。これ以上は望めないよ。委員会の方がうまくゆくといいのだが。」

チリの計画、委員会で承認される

月曜日、ホワイトホールで、海軍省・外務省・財務省などの代表から構成される委員会が開かれました。ジャックはひどく緊張していましたが、スティーブンは「委員のほとんどはジャックに好意的な人々だし、大筋はすでに承知しているから心配ない」と言いました。

その通り、サー・ジョセフ・ブレインと外務省の高官がリードする会議はスムースに進み、計画は全会一致で承認されました。

翌日、海軍省でジャックがサー・ジョセフに面会した時、細かい条件を記した書類はすべて出来上がっていて、ジャックはそれを読んでサインするだけでした。

同時にスティーブンは、自分の所有物であるサプライズ号を海軍海洋測量部に貸す契約を済ませていました。(サプライズ号は、14巻7章でスティーブンがジャックに売る約束をしていたはずだけど…あれから色々忙しくて、ジャックの最近の財政危機もあったりして、まだ売っていなかったようですね。)

翌日、ロンドンでの用事を済ませた二人は、馬車でウールコムへ向かいました。