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一生忘れない・・・

2001年9月のカリフォルニア


これは、旅行中の日記代わり・・・完全に自分勝手な記録です。

RATTは健在です!

Sept. 6, 2001 (Thu)

LAXに到着後、直通電話で教えられた安いシャトルバスでTravelodge Sunset/La Breaに行く。(このモーテルは3年前からチェック済み。Unitedの航空券予約の時に、一緒に予約できました。)部屋は綺麗。冷蔵庫もあるし、コーヒーメーカーもある。テレビのリモコンもあるよ。電話はデータポート付きではないので、ちょっとした工事をする。(いつもやってるんで慣れたものです。) おや、ここはバスタブがないんだね。まあ、いいけど。浴室の窓に網戸がなく、開けたら、裏の空き地にはホームレスが住み着いている気配が・・・。ちょいと不安。シャワーを浴びた後、しばらく経って見たら、蟻がちょろちょろ歩いてた・・・。虫は嫌いなんやけどなあ。

Sunset StripのKey ClubでRATTを見る。張り切って一番前のウォーレンの真ん前、かぶりつきで見てしまった。マイクを通さない生の歌声まで聞こえてしまったし、脇毛も見たぞ。(笑)

Sept. 7, 2001 (Fri)

Yucaipaという場所にあるCrossroadという会場でRATTを見る。ある意味、西武ドームのような、屋内のようで野外のような・・・バーというか、クラブというか・・・何とも表現しづらいところだ。日本人というか東洋人は殆どいない。Chiakiさんはかなりナンパされてましたぞ。

昨日はウォーレンの音とウォーレンの姿しか入ってなかったんで、今日は後ろの方の高くなった場所で見ることに。NaoさんとChiakiさんは今日も前で頑張っている。そのモッシュ状態の中では、何だか時折乱闘が起こっているらしく、SECURITYのシャツを着たごついお兄さん達が、突然人混みの中に入って行き、問題の人物の首を抱えながらどこかへ消えて行くのだった。私はもう、呆然! うわーい、こわーい。Naoさんは途中から私のいる方へ来たけど、Chiakiさんはずっと前で頑張っていたようだ。あんたはエライ!

Sept. 8, 2001 (Sat)

今日はライヴはお休み。でも、午前中にPerformance Guitarさんにお邪魔することになっていたので、いつまでも寝てはいられなかった。午後、Naoさんが朝から何も食べていないというので、とりあえずモーテル隣りのスターバックスで待ち合わせた後、近くの店にいく。この時スターバックスで保温保冷機能付きのマグカップを買った。

Sept. 9, 2001 (Sun)

昨夜は早く眠れたので、まったりした気分で過ごすことができた。洗濯したり、プールサイドでワープロ打ったり。結局、いつも仕事を引きずって来てしまう私。ノートブックPCと電話とインターネットのお陰です。本当は泳ぎたかったんだけど、寒くてとても泳げそうになかった。

夕方の5時頃、地震があった! マグニチュード4.2だそうだが、震源地に近かったからか、上下にすごく揺れて、震度3〜4に感じられた。私がこれだけは絶対に一緒に暮らせないと思うもの3つ。ゴキブリ、タバコの煙、そして地震です。その割には、地震多発地域にばかりいるんだけど。

NaoさんとChiakiさんとゆっくり食事をしていなかったので、3人でご飯を食べてからAnaheimへ行こうということに。Denny'sに行くと、担当のウェイターさんの英語がよくわからん。5秒ぐらいして、あ、この人、文章の最後に日本語の「ね」が付いてる、と気付く。誰だよ、変な日本語教えるヤツはよ〜。ベルギーの入国管理の「どーもー」にも参ったが、これに比べたら、あれはマシだった。

AnaheimのThe Boogieという会場でRATTを見る。ここは何だかキャバレーって感じ。でもDJブースとかもあって、バンドとバンドの間にはTシャツやCDを投げてプレゼントしたりする。この日は最初のバンドが下手で笑った。というか、笑ってないと腹が立つって感じ。次のバンドは演奏はタイトだったけれど、一緒に歌いたい曲じゃなかった。多分METALLICAの影響をかなり受けたバンドなんだと思う。もしかしたらコピー・バンドかも? METALLICAの曲を少ししか知らないから何とも言えませんが。

それにしてもアメリカ人って何を考えてるんだろう。木曜日のショウが始まったのは金曜日に変わってから。金曜日は11時からだったから、まだマシだったが、日曜日も零時近くなってから始まった。終わったら2時ぐらいですよ。近所に住んでいたとしても寝るのは3時でしょう。それで月曜日の朝に7時とか8時とかに起きるという生活、どう思います? 東海岸時間で働いている金融関係の人なんて、死んじゃうよ。

東京にいたら、こんな生活は絶対にしないですね。旅行中で時差ボケしてるから、夜中にモリモリ活動的になれる。だからやれました。そして、Naoさん、Chiakiさん(運転、本当にありがとうございました!)という心強い道連れ(笑)がいたので、出来たことです。

この3日間のRATTのライヴに関しては、THE RATT GANGでNaoさんの詳しいレポートをご堪能ください。私の感想は・・・。

  • ウォーレンはいくつになっても可愛い!(笑)
  • でも、なんか、リーダーの貫禄が出てた。(ボビー・ファンの皆さん、ごめんなさい。いつのまにかリーダーです。)
  • “Over The Edge”の気合いの入り方にはびっくりした〜。
  • Willie NelsonのTシャツは、何枚持ってるんでしょうか? それとも毎晩洗濯してるんでしょうか〜?
以上でございます。すみません、ウォーレンしか見てません。

夜更かし続きの後、サンフランシスコへ移動
Sept. 10, 2001 (Mon)

午前10時半の空港シャトルバスを予約していたので、9時に起きてシャワーを浴びる前に財布を覗いたら現金が全然ない! チップもいるし、空港へ行くシャトルバスの代金とチップも現金だ。ひえ〜。とりあえずシャワーを浴び、ATMカードで買い物をしてついでに現金を出そうと思ったのだが、それが出来るスーパーはかなり遠い。途中で諦めて、手数料2ドル取られるATMマシンで引き出す。遅れるよりはマシだもんね。で、10時20分ぐらいに降りて行ったら、もうバスがいる! 来た時の運転中にタバコを吸ったオヤジ(だと思うんだけどオバチャン?)がいたので、私も乗るよと目で合図して、急いでチェックアウト。ちょっぴり遅れて他の人達を待たせてしまった。東洋人がいたので訊いたら日本人だったんで、日本語で言い訳。(笑) そしてロサンゼルス空港に11時40分ぐらいに到着。

Unitedのターミナルなので、チェックインカウンターが一杯ある。係りの人に場所を訊いて列の後ろにならんだが、立っている看板を見るとどうもE-ticketを持っている人は機械でチェックイン出来るらしい。でも自信がないから職員に質問。そうしたらガラガラのエリアに入れた。

E-ticketのチェックインは速い! 殆ど誰もやっていない上に機械は結構たくさんあって待ち時間ゼロ。荷物を台に載せて、初めてなんだけどというと、一緒にやってあげるから大丈夫と親切に指導(笑)してくれた。クレジットカード(搭乗者の名前と一致するものなら何でもいいらしい。JCBもOKだった。)を差し込んで抜けばいいだけ。行き先の確認、便名の確認、座席の選択(通路側になっていたのは、ホームページのマイレージの登録のところに希望を入れていたからかな?)、そして、知らない誰かに何かを持って行ってくれと頼まれなかったかというのと、荷物は常に自分の目の届くところにあったのかという質問にもタッチスクリーンで答えたら、搭乗券が出てきた! 素晴らしい。

飛行機は多少揺れたけれど、そこそこ快適にサンフランシスコ空港に到着。今回泊まるThe Sheehan HotelはSFO Airporterが前まで行ってくれるホテルなので楽々だ。4年ほど前に一度泊まったことがあって、その時は改装途中という感じだったのだが、今回はものすごく綺麗になっている。部屋も狭いが綺麗。ヘアドライアーもあるし、電話はデータポート&ヴォイスメール付きだ。やっと文明都市に来たよーん。(笑) 近所に小さなデリがいくつかオープンしていて、前より便利になった。

ホテルの予約の時、メールで問い合わせたのとオンライン予約とで、値段がかなり違っていた。安いのはオンライン予約で出てきた89ドルのシングル。もちろん、そっちを予約しました。あ、ちなみに、このホテルには地下にジムとプールがあって、宿泊者は無料で利用できます。これだけの設備でこのお値段はかなりのお得。ちょっと坂がきついけど、バスをうまく利用すれば、バス停もホテルの真ん前です。

本屋に行ったり、OLD NAVYで秋冬物を調達したりした後、こちらで働く知人と合流。夕食は、ロサンゼルスにいる間ずっと食べたいと思っていたペンネのクリームソース和えをおごってもらって(ごちそうさまでした!)、車で送ってもらう。私ってば、住んでる人に道の説明しちゃったりなんかして。ふふふ。夜になると風が冷たくて、コートが大活躍。サンフランシスコだ〜と嬉しくなる。11時35分からきっちりDavid Lettermanの番組をゲラゲラ笑いながら見て就寝。テレビも自動で切れるタイマー付きだから安心だ。もちろん朝も指定した時間に付くよん。これでやっと自宅に限りなく近い環境になった〜。

戦争なのか?

Sept. 11, 2001 (Tue)

久しぶりにいつものペースで12時35分に寝て朝7時に起きてテレビを付けたら、いつも見ている朝の番組をやってない。他のチャンネルも皆同じ光景・・・煙を出しているビルの姿しか映していない。・・・ぱっと目が覚めて事態を把握し、NYにいる知人に電話してみたが話し中で通じない。メッセンジャー・ソフトでメッセージを送っておいて、もしものことがあるといけないので、締切までまだ間があったけど、仕事(またかい!)を片付けて送信。知人から無事だというメッセージが入っていたので安心した。NYでWorld Trade Centerが攻撃を受けたのなら、サンフランシスコで標的としてまず思い浮かぶのはTransAmerica Pyramid。案の定、ビルは閉鎖だそうだ。Bank of Americaのビルも閉鎖だ。金門橋は人が歩ける道だけ閉鎖、ベイブリッジも閉鎖しないそうだが、パトカーがいつも以上に走っているそう。テレビで見ていても、全然混雑していない。とにかく人が集まる場所には行かない方がよさそうだ。

ABC:AMERICA UNDER ATTACK
CBS: ATTACK ON AMERICA
NBC: ATTACK ON AMERICA
WB20: ASSAULT ON AMERICA
FOX NEWS: TERRORISM HITS AMERICA
FOX 2: AMERICA ATTACKED

MTVとVH1は通常の番組を中止してCBSを放送中。のんきに普通通りにやっているところもあるけど、お悔やみのメッセージを映して放送を中止している局もある。私はCBS党なので、殆どのニュースはCBSから仕入れてます。

The second Pearl Harborと繰り返し言っている。Pearl Harborってそれほどインパクトがある事件だったんだねと、改めて、日本にいる日本人の私の認識との違いを思い知らされる。この言葉が使われ続ける限り、“Pearl Harbor”は消えないんだな。若者も子供も、真珠湾で何があったんだろうと興味を持つだろう。

自分も軽いパニックに陥っていることがわかる。無駄な動きが多い。しばらく部屋の中をグルグル歩き回った後、私がパニックに陥っても仕方ないと思い、深呼吸をして、取るべき行動を考えた。

東京で防災訓練にも参加する心配症の私が取った行動。本当は『ROCK STAR』を見たかったのだが、諦めた。そして、Citibankに行ってまとまった現金を引き出し、JCBプラザに行ってUnitedのオフィスと日本領事館の場所を確認。ツアーの添乗員さん達はお客さんに滞在が2、3日延びるのを覚悟してくださいと言っているそうですと聞き、私も覚悟を決める。また、Financial District、Civic Center、人の集まるところはなるべく行かない方がいいでしょうとのこと。Union Squareも危ないんですけどね、とも言っていた。しかし、ロサンゼルスではなく勝手知ったるサンフランシスコで足止めなのは不幸中の幸いだ。スーパーに行き、3日分の水とチョコレート、塩味のスナック、マルチビタミン、小さなラジオ、電池を購入。過剰に反応しているかもしれないけれど、サバイバル・キットです。重い水のパックを持って登る坂道は正直きつかった。通り道にあるレンタカー屋はお客さんでごった返している。すべての飛行機がキャンセルされたので、近場の人は車で帰ろうというのだろう。

テレビを見ていても、特に新しい動きはないようなので、昼御飯を調達に行く。(他にハイジャックされて飛行中の飛行機はないらしい。これがわかるまでは、正直言って、覚悟はしていないといけないと思っていました。・・・しかし、こんな時にも真っ先に食欲の私。情けない。)JACK IN THE BOXのTeriyaki Bowl Combo(照り焼き味の鳥と野菜がご飯に乗っていて、日本のコンビニの丼物に味が似てます。それに春巻き1本付き。結構美味しい。)を買って、部屋に戻るついでに、フロントに、宿泊客で日本語で情報が必要な人がいたら協力するから、と伝えておく。

ずっとテレビを見ていて思ったのは、パニックを起こすのは出来事ではなく、人の声だということ。CBSのキャスター、Dan Ratherの落ち着いた話し方は心を冷静にさせてくれる。一方、視聴者が撮影したというホームビデオに入っている叫び声や悲鳴は不安を煽る。こういう事態が発生した時は、ニュースを伝える人は、必要以上に落ち着いて低い声で喋るべきだと感じた。

テレビで様子を見てショックを受けた人のためのカウンセリング用電話番号まで用意されてる。カウンセラーが家庭ではどう対処するべきかも話してるし。そしてニュースを流しているメジャーな局は、どこも一切CMを入れない。入れた方がイメージが悪いという戦略でもあるのだろうが、日本ではどうなるのだろう。

コーリングカードのトールフリー番号はどれもビジーになってしまったので、直接かけるしかなくなった。LAにいるNaoさんに連絡。空港まで行って戻ってきたそうだ。実家に電話をしたら、向こうは夜の10時ぐらいからずっとこれをやっているとかなり心配そうな声で母親が言っていた。なんだ、電話くれればよかったのに。水商売をやっている親戚からは、仕事を終えたと思われる時間に電話が入ったので、帰国が延びるかもね〜と伝えておいた。

湾岸戦争が始まった時、私はアメリカの銀行の東京支店でアメリカ人に囲まれて仕事をしていた。アメリカ人の反応に驚き、憧れていた国の見たくなかった素顔を見てしまった気がした。映画や小説では知っていたけれど、絨毯爆撃の様子をテレビで見て、歓声を挙げる彼らの姿を目の当たりにして、徹底した反戦教育を受けた私は違和感を覚えたのだ。

しかし、今回は軍人対軍人の戦争ではない。民間機をハイジャックして、民間人で一杯の民間の建物を、仕事が始まって人がいる時間を狙って攻撃するなんて、一体何を考えているんだろうと思う。絶対に許せない。もちろん、やっている方にはそっちの立場の理由があるのだが、それは到底私に理解出来るものではないだろう。特にハイジャックされた飛行機に乗っていた人達の恐怖・・・飛行機に乗っていることだけで、誰でもある程度の不安を感じるはずなのに・・・もしも自分が乗っている飛行機だったらと思うと、気分が悪くなりそうに怖い。

東海岸から西海岸へ行く飛行機ばかりなのは、燃料を沢山積んでいたからだそうで、突撃の威力を増すためということらしい。何て汚いんだ! そして、朝の8時前後のフライトを選んだのは、空港が混雑している時間で、チェックが甘いからということらしい。・・・その知恵をもっと建設的な目的に使えよ!

アフガニスタンのカブールで爆撃があったとCNNが速報し、他のチャンネルも一斉にそれを流している。でも、我がDan(笑)は、正確な情報が入り次第お伝えしますと言って、元の放送にすぐに戻った。好きだ、こういう姿勢。

本当にタリバンなのか?

数日前、日本の米軍基地を攻撃するという脅迫状が来たというニュースを見たが、あれは関連性はないのだろうか?

冷静な感想:アメリカ人は本当にスピーチがうまい。プロのスピーチライターが書いているとは言え、(普段はおもちゃにされている)ジョージ・W・ブッシュさんのPresidential Addressも感動的だ。また、各国の首脳の声明も夜になって次々と流されたが、小泉首相の声明はちょっとしか流れなかったし、他の首脳は皆ちゃんと自分の言葉として話しているという感じがするのに、純一郎さん、原稿を下向いて読むの、感じ良くないぞ!

大統領が献血を呼びかけている。びっくりした。呼びかける前から大勢のNY市民が病院に献血をしに行っているそうだ。私は全く思い付かない行動だったが、こちらでは浸透しているようだ。

相変わらずテレビを見続けている。

CBSによると、空港のセキュリティ・チェックをしている人達は、スターバックスのスタッフよりも訓練されていない、ファーストフード店の従業員より収入が低いんだって。ほんまかいな?!って感じですね。

小さな金属製のナイフやローストビーフをファーストクラスで切り分ける時のナイフも持ち込み禁止とか言っている。肉をナイフとフォークで食べるのとハイジャックされるのとどっちが良いの?って感じ。箸があるじゃん、箸が。あ、箸も凶器にしようと思えば、なるか・・・。

仕事関係の人からも心配のメールをいただく。嬉しかった。気が紛れるのなら仕事をお願いしたいと言ってくださった人もいる。え、いいんですか? こんな状況なのに・・・。本当にありがたいです。もちろんお引き受けしました。

Sept. 12, 2001 (Wed)

まずは仕事。途中、フロントから日本人で困っている人がいるので電話をかわってもいいかと連絡が入ったので、もちろん、と答える。Nさんという人で、飛行機が飛ばないのだが、とにかく何をどうしたらいいのかわからず、困っているという。もちろん飛行機を飛ばすことは私には出来ないので、JCBカードを持っているかと訊くと、持っているということなので、JCBプラザに行って相談するといい、とアドバイス。結局私に出来るのはその程度のこと。仕事をしばらくした後、引きこもってばかりいても仕方がないので、外に出てみることにする。

ついでに、明日の便が飛ぶかどうか確認できるかなとUnitedのオフィスに行ってみたら、すごい人。90番台の整理券を取るが、対応している番号はまだ40番台。皆が片言の英語で情報交換している。

ホテルに戻ってウェブでチェックしたら、JFKからSFOはキャンセルになっていたが、SFOからNRTは on time になっていた。

hate crimeが発生しているとテレビで報道している。自分の痛みを忘れるために人間は怒るのだそうだが、論理的に考えて自分の感情をコントロール出来る大人になりたいと思う。

一応飛びそうということで、出発の準備をする。DVDを3枚とブッシュをおちょくった本を買った後、ずっと混雑して入れなかったCheesecake Factoryがガラガラだったからチーズケーキを1ピースだけ買う。

さらに仕事が入る。嬉しい。インターネット様々だ。

荷造りをしていて気が付いた。私にも守っているジンクスがいくつかあって、飛行機に乗る時は私を元気にしてくれる赤色のものを身に着けることにしているのだが、洗濯済みの赤色の服も靴下もないことに気が付いた。何となく、明日は飛行機は飛ばない気がするな・・・。

私も立ち往生組の仲間入り

Sept. 13, 2001 (Thu)

本当は今日日本に向けて飛び立つはずだった。6時に起きて、Unitedに電話して、8時にホテルを出て、という予定にしていたのだが、朝5時過ぎに昨日電話で話した同じホテルに泊まっているNさんから電話があって(彼女達は朝早くに出る予定だった)、やっぱり空港は閉鎖されたままみたい、と教えられる。5時40分ぐらいにUnitedに電話をしたら、10分前にキャンセルが決まった、一番早いのは17日、サンフランシスコからワシントンDC(!)に行き、ワシントンDCから成田へ飛ぶフライトだという。思わず聞き返す。シアトルのあるワシントン州じゃなくて、DCなの?!って。(苦笑) 直行便で取れる一番早いのは19日発20日着。もちろんそれを頼みました。早く知らせてもらって良かったと思う。・・・でも、昨夜の予感的中だったから、特に驚かなかった。

サンフランシスコに長くいる覚悟はすでに出来ていた。親にお金は大丈夫?と訊かれたが、私はこっちの銀行に口座があり、当面の生活費ぐらいの貯金はある。ホテルに2週間は痛い出費だが、実は、私は来年のサッカー・ワールドカップ開催中に日本を脱出するという計画を密かに立てており、3年3ヶ月前から、軽く1ヶ月は豪華にホテル暮らしが出来るような金額になるよう、地道に積み立てを続けているのだ。それが9ヶ月早くなっただけと思えば、心配ない。やはり何かに導かれているのだなと思わずにはいられない。私が今回ここにいることになった理由も、将来のいつか、明らかになるだろう。

今まで電話でしか話していなかった同じホテルのNさん夫婦と朝食で合流。彼女達はサーフィンをやるのが好きでハワイが本当の目的地だったため、寒いサンフランシスコからは一刻も早く去りたいという。私にはちょっと悲しい言葉だけれど、仕方がない。便利そうな場所を教えてあげて、午前中は一緒に洗濯に行くことにした。コインランドリーは前回泊まったBiltmore Hotelでも利用した場所。洗濯機が回り始めたのを確認して(衣類の入れ方が悪いと、回転してくれないので、回り始めたのは確認しておくべし。経験談。)から、観光案内所へMUNIのパスを買いに行く。Nさんも様子を見たいというので一緒に歩いて、周囲の便利な場所を教えてあげた。

7日パスを買う。まさか、こんなことになるとはね。でもね、長くいられて、反面嬉しくもあるの、実は。(他の皆さん、ごめんなさい。)

郵便局に電話して留め置きの延長、新聞販売所に電話して新聞配達の中止、マンションの管理室に電話をして見回りのお願いをした。皆さん、アメリカにいると言うと、すごく同情してくれた。何も説明しなくても、すぐに事情をわかってくれる。日本の方が情報が詳しかったりする。こっちのテレビはローカル中心だから。しかし、CBSのDan Ratherは毎日長時間勤務だ。余計なお世話だが、かなりのお年だと思うし、彼の体力が心配だ。しかし、私がCBSが好きなのは、Dan Ratherの語り口がとても落ち着いているからなのだ。他のチャンネルでは、彼より若いキャスターが、結構扇情的な口調で喋っていたりするが、Dan Ratherはとても冷静だ。事件が起こった時からCBSで彼の落ち着いた説明を聞いていたお陰で、心の平成が保たれている気もする。もちろん、サンフランシスコにいること、お金の心配がないことなど、他の環境も助けになっているのだが。

仕事もする。主犯はOsama bin Ladenということになったらしい。というのも変な話だが。証拠はあるんかな・・・。

今回のことでアメリカ国民が結束を固めたことは間違いない。ブッシュ大統領も試練の時だが、ある意味、やりやすくなっただろう。また、これが選挙前に起こっていたら、心臓の悪いチェイニーが副大統領になることはなかったのではないだろうか。

崩れたビルの下から消防士が救出された映像を見た。少し希望が沸いた。でも、阪神大震災の経験は私達に悲しい事実も教えてくれている・・・。

私も何かをしたいのだが、献血の基準がわからないし、アメリカで献血したなんて言ったら日本の赤十字では一生献血が出来なくなるかもしれないから、やはり自分に協力出来るのは募金ということになる。今はインターネットから募金が出来るので簡単だ。それから、明日は全国規模でDay of Pray/Day of Remembrance(追悼の日)らしい。集会に参加出来るのなら参加したいと思う。

唯一不便なお湯の調達のため、安い電気湯沸かし器を買うことにした。JapantownのWalgreensで9.99ドルであった。これなら置いて帰ってもいいや。ついでに近くのSafewayに行き、割引料金になるカードを作る。住所は日本だし、電話番号も813-で始まる番号で書いておいたが、ノーチェックですぐにカードをくれた。お湯を入れるだけで作れる食品を少し買い、バスに乗るためにまたJapantownに戻って、日本そのもののスーパーに入って、豆乳と納豆を買う。コレステロール値を下げなくちゃね。

ハリウッドで買ったスターバックスの保温保冷マグカップがものすごく役立っている!!!

Sept. 14, 2001 (Fri)

Interfaith Vigil/All-Faith Service(宗派を超えた追悼集会)が近くのGrace Cathedralで正午からあるそうなので、山登りみたいな坂を登らなくてはいけないのだが、行ってみようと思う。それまでは仕事だ。仕事が入るのは有り難い。朝御飯を食べた後、丁度東海岸で追悼集会が行なわれている時間だったので、テレビで中継を見る。私は運命論者であって、特定の宗教は信じてはいない。むしろ、NYのWTC跡で行方不明者を探しているボランティアの人達の姿が同時に映される度に涙が出てしまう。しかし同時に参列者の様子を観察している冷静な自分もいる。ブッシュ親子が手を握り合う姿、ちょっと怖い・・・。親父の時は湾岸戦争・・・。

大統領と同じ場所にいないためにキャンプ・デイヴィッドにいるチェイニーはワシントンDCでの式に出ていなかったが、なんか、事件があってから、チェイニーの姿をテレビで見てない気がする。心臓、大丈夫なんだろうか?!(後日、ちゃんと元気にテレビに出てましたね。)

大見出しを変更した局がいくつかあった。私が気付いたのは…。

NBC: AMERICA MOURNS
CNN: AMERICA'S NEW WAR
FOX 2: AMERICA UNITED

局のカラーが出ているなと思った。

Grace Cathedralは距離的には近くなのだが、山登りなので30分前にホテルを出る。3ブロックを登らなくてはいけない。最後は特にきつい。だからケーブルカーが走っているわけだが、そこを、1ブロックずつ、信号で止まっては呼吸を整えつつ、何とかカリフォルニア・ストリートまで登った。大勢の人達が教会に入っていく。服装は様々だ。(そう言えば、Dan Ratherおじさまは今日は日本の喪服みたいなのを着ているな。)中に入る前に、星条旗のイラストと“God Bless America”が印刷された小さなステッカーを配っている人がいたので、私も1枚もらっておく。胸に、青と赤と白のリボンを飾っている人も大勢いる。中に入ると式次第が印刷された紙を渡される。椅子は殆ど埋まっているので、前の方に立っている人達のところに行く。待っている内に、床に座る人が多くなったのだが、何回か立たなくてはいけない時があるし、石の床に座ったのでは冷たすぎて具合が悪くなるかもしれないので、私は立ったままでいることにした。日本みたいに皆が同じようにしなくてはいけないということはないのだ。途中、音響の調子が悪くなって、ちょっとどきっとしたりしたが、式は進み、12時半には鐘がなって、全員で2分間黙祷した。(1分かと思っていたのでやけに長く感じられたのだが、こちらでは2分間黙祷するらしい。)説話はそれぞれに素晴らしく、ヒンドゥー教、仏教、イスラム教の信者のことも、ちゃんと兄弟姉妹と呼びかけていた。私は英語の勉強のために聖書を英語で読むレッスンを受けたことがあり、主の祈りは皆で一緒になら何とか言える。何だか、これも大昔から計画されていたんだなあと思ってしまう。少しすると、突然、皆が周りの人と抱き合って、"God Bless You."とか言い始めた。私はそれには何の反応も出来なかったが、周りの人達もやろうとしない人にはやらないという感じだったのでよかった。聖歌を張り切って歌っている人もいる。幼い子供が落ち着かなくなったので途中で出ていった人もいる。携帯のスイッチを切ってなかったヤツもいる。本当に色々だ。その内、カトリックの儀式みたいなの(薄いパンを口に入れてもらうヤツ)が始まり、どうしようと思っていると、後ろの出口から帰り始めた人が大勢いたので、私もそれに加わった。外に出ると、入りきれなくて外のスピーカーで聞いていた人が大勢いた。

自分勝手なけじめなのだが、これでとりあえず遊びに行ってもいいかな、という気がする。月曜日には『ROCK STAR』を見に行こう。キアヌの映画も始まるから、見に行こうと思う。そのためには、週末は働くしかないのだ!

教会を出たら、ちょうどFinancial Districtに向かうケーブルカーが来たので、それに乗り、終点で降りて、6月に強烈な印象を残してくれた吉野家のオバチャンを見に行く。いた、いた。相変わらずの怖さだ。(笑) お持ち帰りの野菜の天ぷら弁当を買い、またケーブルカーに乗って逆方向に戻る。途中で乗ってきた白人のオバチャンが、Parc 55の行き方を運転手に訊いているが、サンフランシスコを全然知らないみたいで、何度も確認していたので、思わずまたお節介をして、一緒の方向だから、と言う。その人と乗換のケーブルカーを待っている間、少し話したのだが、ご主人が会議に出席するために一緒にテキサスから来ていて、昨日はホテルに爆弾予告の電話(いたずらだったらしい)が入ったから、全員避難させられたと言っていた。大きなホテルはそういうことがあるんだな。もう1人、ケーブルカーを待っていた人も加わって、3人で、こうなったらサンフランシスコを楽しむしかない、と意見を一致させる。

ホテルに戻り、仕事。眠気が襲ってきて、ちょっと寝ていたら、メイドさんが来た。この人が英語が全然わからないらしいの。こういう人でもアメリカで働いてるのに、こんなに必死に英語の勉強をしている私がビザを貰えないって、どういうこと?!って思ってしまう。・・・でも、もしかしたら、今回が最後のアメリカ旅行になるかもしれないんだ・・・。親が生きている間は、ダメかもしれない・・・。最後がサンフランシスコで本当に良かった・・・。いやいや、ネガティヴになってはいけないぞ。前向きに考えなくちゃね。

仕事を終え、メールで納品したついでに、情報をチェックしたり、Naoさんとメッセンジャーで会話したりしていると、Nさんが話をしに来た。彼女は関西在住でご主人と一緒に来ているのだが、ご主人は寝てばかりいるらしい。(笑) 奥さんの方が活動的で社交的。面白い人だ。彼女のお陰で、同じホテルの他の日本人とも顔見知りになった。私よりずっと若いのだが、映画の趣味が結構合う。JCBプラザの利用を勧めただけだがすごくお礼を言ってくれる。でも、話し相手が出来て、本当は私の方がとても助けてもらっているのだ。ありがとう。だがしかし、いつも1人で独り言しか言っていない私・・・。3日連続で彼女と話し込んでいるので、ちょっと喉が痛いぞ。(笑) それに教会への山登りで大汗かいた後にひんやりした場所にずっといたので、風邪かもしれない。

今日はすっかり追悼ムードなので、テレビでも亡くなった人の名前や年齢などがずっと流されたりして、どうしても暗い気分になってしまう・・・。悲しい気分で眠りにつく。

Sept. 15, 2001 (Sat)

明け方、日本の友達からメッセージが入り、電話で話す。金融機関で働いているので、決済が混乱して残業続きだそうだ。日本では即開戦という雰囲気の報道だという。こっちにいると、サンフランシスコにいるせいか、そうかなあと思うのだが・・・。攻撃したらやり返すとタリバンは言っているようだし。それこそ最終戦争になってしまうのではないか。まあ、その友人は有事にやけに張り切るタイプなので、話半分に聞いておく方がいいかもしれないけれど。

今日からテレビにCMが入るようになった! 嬉しい。Dan Ratherも今日はお休みらしい。安心した。7時からは子供番組のアニメが始まったので、ABCにしてみると、Peter Jenningsが司会で、ニューヨークの子供達とその親を集めた対話番組みたいなのをやっている。子供達が不安や悲しみなどを話したり質問したり、専門家がそれに答えたり・・・。子供番組でも子供を人間として扱っている。子供達もこれまた話してることが大人なんだよね。

CBSの午前の放送はNYローカルをずっと中継している。タイトルがAMERICA RISINGに変わっているぞ。飛行機は飛んでいるようだが、かなり遅れて出ているそうだ。1人で荷物の番もしなくちゃいけないのに、トイレにも行けないような待ち方をしなくちゃいけないんだったら、もっと遅く帰った方がいいかな・・・と思うわがままな私。

やっぱり風邪気味。でも、ちょっと寝たら気分が良くなって、よし、肉を食うぞ、という気になったので、お昼はステーキ・サンドイッチを食べる。お湯で溶いて飲む風邪薬を買うためにWalgreensに行ったのだが、愛国心と戦意を高揚させるような曲ばかり流れている。怖いなあ。新聞の日曜版も出ていたので買って、長袖の服を仕入れにOLD NAVYに。月曜日に買ったシャツが7.50ドルも値下げになっている。ショック! しかし、レジで、そのことを言ったら、レシートがあったら1週間以内の買い物なら今の値段にしてあげると言う。幸い、手帳に挟んであったで、それを渡したら、きっちりバーゲン価格にしてくれた。ありがとう〜! 大好きだ、OLD NAVY!!(笑) ROSSにもReebokのサイズ6のスニーカーがあり、75ドルのが29.99ドルになっていたので、もちろん買った。それにしても、サイズ6、小さいな。自分が履いているのは横に広がってるから、そんなに小さくも見えないんだけどね。星条旗がショウウインドウに並んでいる。半期を掲げているビルもある。星条旗が売り切れらしいが、ということは、持っていない人も大勢いたということだね。うちの風呂場のカーテンは、大昔にもらった星条旗なのだが・・・。

航空会社が大量のレイオフを発表し始めている。飛行機で旅行する人が減るだろうという理由で、倒産を避けるためだそうだが、クールなものだ。だが、だからこそ、何度も再生出来るのかもしれない。日本の金融機関のように、ぐずぐずしていて不良債権が膨らんで身動き出来なくなるよりもマシかもしれない。

結局CBSはずっとNYローカルを流し続け、CMも入らない状態に戻った。新聞にも出ていたし、メーリング・リストにも出ていたが、アメリカ赤十字を騙って寄付を募る電話やサイトが続出しているそうだ。こんな時に金儲けを考えるヤツらが大勢いるなんて、悲しくなってしまう・・・。

昨日、他の人達のことを考える余裕が出てきて、ネットで知り合ったアメリカ人にメールを出してみた。今日、その内の1人、ウォーレン・ファンの弁護士さんから返事が来ていて、「僕のアメリカの家族は傷付いている。怒りと恐怖を覚えている。時期が来たら、きっと敵を破滅させる」と書いてあった・・・。それに対する返事は・・・まだ書けない。

カリフォルニア州オークランド選出の国会議員で、1人だけ武力行使に反対票を投じた人がいたそうだ。55歳の女性で、これ以上一般市民の被害者を出す行為よりも、国内の建て直しが優先されるべきだと主張している。私もこの人の考えに近い。アメリカ国民が意味する“報復”とは、一体何なのだろうか・・・。この議員に対しては、もちろん責める意見も多いが、賛成する声も届いているという。事件が起こったのがレイダーズの試合中のオークランド・コロシアムだったら、彼女の考えは違っていただろうと言う人もいる。その意見もわかる・・・。

風邪なので薬を飲んで早く寝ようとしたが、やはり夜中に何回も起きてしまった。特に飛行機が近付いて来るような音が聞こえるとドキドキしてしまう。

ちょっとショックなことを発見。留守中のビデオ予約、『仮面ライダー・アギト』と『ナッシュブリッジス』と『ネバーランド』をしてたんだけど、どっちももちろん1回分しか予約してない。何と、録ってない今週のは、『アギト』は重要な秘密が明らかになるというし、『ナッシュ』は最終回になってる! 『ネバーランド』ももちろん最終回さ。はあ・・・。って、平和だね、あんた。

Sept. 16, 2001 (Sun)

サバイバル・キットに懐中電灯を入れるのを忘れていたなと思った。朝だったから、暗くなってからのことを思い付かなかった。

LAに向かったNさんから、無事にLAXに到着したという電話が入った。列もそんなに長くなく、持ち込み荷物も大きいのを持っている人もいたそうだ。同じ便に乗ったのは30人ぐらいだったとのこと。もう移動パニックは収まったのだろうか。Unitedの日本に到着する便も、昨日はキャンセルなしに飛び立ったようだ。私が乗る予定の便も、2時間ぐらい遅れてはいたが、ちゃんと到着していた。良かった。

Dan Ratherはもう仕事をしている。ネクタイは赤いけど・・・。昼に部屋の掃除の間にチャイナタウンに行ってみたら、どうやらお葬式らしき行進が遠くに見えた。吹奏楽団が演奏しながら歩いて行ったのだが、音楽や歩き方から判断して、葬式の後なのかなと思った。違うかもしれないけれど。昨日も今日もあちこちで葬式・追悼式が行われている。

ニュース番組を見ているとどうしても暗い気持ちになるので、もうケーブルの若者向けの番組を見るようにしている。MTVはMのロゴが星条旗になっている。

今日は本当に寒い。風邪のせいなのか? いや、本当に寒いので、珍しく暖房のスイッチを入れてしまう。いつもは逆なのだが。13度ぐらいしかないんだから、寒いのは当然だよね。でも湿度は結構高い。だから喉には楽なのだ。

Sept. 17, 2001 (Mon)

昨夜10時頃に消防車が大挙して近所に集結している音がした。風邪気味だからもう寝ようとしていたので、外まで見には行かなかったが、というより、もともと野次馬的行動は好きじゃないんで普段からやらないんだけど、部屋の前の予備階段をバタンバタンと開け閉めする音がする。ドアの覗き穴から見たら、中年のアジア人男性が数人、階段の方に出ていったかと思うと、また戻ってきたりしている。どうやら日本語を喋っている。ドアの開け閉めぐらい丁寧に出来ないのか!!と頭に来る。しかし、とにかく人間は複数になると自分以外の世界との区別がつきにくくなるようだ。私だって結構遅くまで日本語で話し込んだ時もあったし。でも、常に共同住宅住まいだったから、親に不要な音は立てないように厳しくしつけられていたから、ずっと一軒家で育った人よりは気を遣っているつもり。オヤジ達に怒鳴ってやろうかと思ったが、その後はもう出てこなかったから、寝ることにした。

今朝は6時ぐらいまで何とか眠れた。喉の痛みも取れた。昨夜は体を温めただけで寝たので、朝シャワーを浴び、元気がないのは朝御飯に肉や卵を食べてないせいだと勝手に決めて、洗濯のついでに近くの店でハムと卵をマフィンに挟んだサンドイッチとコーヒーを食す。やっぱり元気が出る気がするなあ、肉を食べると。(笑) このホテルの朝食は、4種類ぐらいのパンをちゃんとオーヴンで温めて出してくれるから、ペストリーとコーヒーだけというホテルよりずっと高級なのだが、どうやら私の体には澱粉だけではエネルギー不足のようだ。困ったもんだ。

エネルギーを補給して、新聞と飲みかけのコーヒーを持って朝のサンフランシスコの高台を歩く私・・・なんか、格好良くないか?!(笑)と思ってしまった。やはり次の居場所はここだな。万が一19日に飛べなかったら、真剣にアパートでも探すかな、なんてふと考えた。いかん、いかん。必死で帰ろうとしている他の人達に悪いじゃないか。

洗濯を終えて、生乾きのものをクロゼットに干してから、仕事をしながらテレビを見る。CMが入るのが本当に嬉しい。個人の電話の盗聴をすると司法長官が言っているし、FBIはhate crimeを許さないと言っている。新聞を読むと、SFベイエリア・ローカルの話だが、軍事行動に反対する集会も開かれているらしい。挙国一致でない雰囲気が出てきたのは良い気がする。株はかなり下がっているが、元々売られ気味だったのだから、仕方ないだろう。日本の株に関しては、そろそろ買い時だと私は思っているのだが・・・こっちに来る直前に口座を開いたばかりでオンラインでオーダーできる状態になっていないので歯がゆい。

フロントにどうやら19日にはチェックアウト出来そうだけどと伝えて、キャンセル・チャージがかかる条件を確認しておく。泊まる前の予約の段階では24時間前にキャンセルしないといけないそうだが、泊まっている場合は、今日チェックアウトしたければ、それでノーチャージで出来るそうだ。ただでさえかなりの出費なのに、この上キャンセル料まで取られてはたまらない。締めるところは締めてかからなければ。

午後からは映画を見ようと思う。『ROCK STAR』とキアヌの『HARDBALL』だが、キアヌの方は体調を考えると諦めた方がいいかもしれない。とりあえず『ROCK STAR』優先だな。

国務長官のコリン・パウエルの記者会見を見ていると、この緊迫した事態でも、パウエルさんと記者達の掛け合いが面白いので感心してしまう。面白いといってはいけないのだろうが、日本の、上から下への通達というやり方とは全く違う。本当に掛け合いなのだ。どの長官クラスの人もそうだし、大統領でもそうだが、主権者は納税者だという意識が非常に強いのだと思う。それに比べて日本の政治家は・・・自分達が日本を動かしていると思っているのが思い違いも甚だしい。そして日本の納税者はもっと自覚するべきだ。しかし友人の1人は日本にいると全然実感ないよ、歌舞伎町の火災の方が現実味があるとかメールで言ってくるし、のんびりしたものだ。石原都知事が過激なこと言ってるんだって? 何を言ったのか知らないが、守るべきは市民、県民、都民、国民であることを自覚してもらいたいものだ。

今日は北カリフォルニアのDay of Remembrance。サンフランシスコでもBill Graham Auditoriumで追悼集会が行なわれるそうだが、もう何回行っても切りがないから、今日は行かない。こっちで買い物や娯楽でお金を使うのもアメリカの役に立つはずだし。その関係なのか、11時から3時まではMUNIも無料だって。ケーブルカーも無料と貼り紙があった。

昼はさらに元気を出すためにMETREON1階のBUCKHORNでローストビーフ・サンドイッチ。サイドサラダ付きだが、これがまた多いのよ。野菜だからいいけどね。サンドイッチも一番小さいヤツを頼んだけど、これで十分。現金を下ろしてバスでホテルに戻る。まだ3時前なのにお金を徴収してたぞ。私はパスだからいいけど。

テレビを付けたら、まだ追悼集会の中継をやっていて、イスラム教徒の女性が涙を誘うスピーチをしていた。その後、国会議員がHate Free Zone宣言をしてる。Hate Crimeは本当に深刻な問題なのだということがわかる。

夕暮れ時割引で4.50ドルで『ROCK STAR』を観る(悪口はこちら)。ぶさいく(失礼)なマーク・ウォールバーグは意外と良かったが、唖然・呆然でした。ちぇっ、こんなことならキアヌの映画の方を見ておけばよかったよ。

ところで、チケットを買う時にIDチェックがあり、上映中もSECURITYが客席をチェックしてた・・・。怖〜。

1つショックなことを思い出した。帰国予定の20日はジュリーの芝居のチケットを買ってあって、それがすごーく良い席なの。はあ。

また仕事をいただく。ホテル代を稼がなくちゃいけないから、本当にありがたい。貯金を崩さずにすむなら、それに越したことはない。

テレビ番組表をくまなく見たら『ナッシュ』の再放送をやっているケーブル局があったんで、見ることにした。でも、かなり古いエピソードだなあ・・・。

明日は早起きしなくちゃいけないので、早めに寝て、11:35に起きて、今日が放送再開初日となる『Late Show with David Letterman』を見ることにする。寝たり起きたりしている内に11:35になり、いつもの賑やかでおちゃらけたDaveとは違うDaveを見た。しかし彼独得の皮肉なユーモアは忘れていない。今日のゲストの1人は何とDan Ratherだ。Danは働き過ぎだ! そしてニュースでの語り口とは違い、涙で声を詰まらせたり、言葉を失ったりしている。益々ファンになってしまう。ありがとう、Dan。あなたのお陰で私は落ち着いた気持ちでいることが出来ました。

Sept. 18, 2001 (Tue)

朝5時前に起きて仕事。すでに旅立った人が置いていってくれたカップラーメンを食べて、また仕事。

ドイツの友人が昨夜の『Late Show』でのDan Ratherに関するロイター伝の日本語の記事を送ってくれた。ドイツでは、ハイジャック犯の1人が暮らしていたらしい家が捜査されたりしているし、もしも爆撃があるとしたら、すごく近いところであるわけなので、考えてみたら、緊迫の度合いは日本よりも、そして西海岸よりも高いのだ。

これが日本で起こっていたら、都庁が爆撃されていたら、どうなっていただろう。都知事や区長はジュリアーニさんのように市民と一体になって活動しただろうか。お付きの人が大勢いすぎて、身動き出来ないんじゃないだろうか。“偉い人”が視察に来るからと前もって掃除をしたり片付けしたりさせられたりするんじゃないだろうか。偉い人って一体何だろう。本当に偉いのは有権者・納税者ではないのだろうか?

テレビの番組がほぼ通常に戻り、トークショーなどで再び事件の様子が流れるので、また感情的になってしまう。トークショー系の報道姿勢は日本のワイドショーに似たものがあるので・・・。もうあのシーンは見たくない・・・。

昼は知人と食事。Union StreetのDoidge'sに行こうと思ったのだが、今日は火曜日で休みだった。曜日の感覚が全然なくなっている。(2001年11月に発見。なんと、Doidge'sは2001年8月に閉店していたのでした・・・。ショック!!) 代わりに前回も行ったLa Cucinaにてまたフレンチ・トーストとベーコンと卵を食べてしまう。身体に悪いものばかりだ。でも、美味しいよ〜!

ずっと悩んでいたのだが決心してJapantownへ行ってビゲンの白髪染めを買い、ホテルに戻って白髪染め。複雑。でもとにかく白髪が気になって仕方がなかった。染めて真っ黒になった髪をみたら元気が出た。もっと早くそうしておけばよかったな。精神的理由で白髪がどっと増えたのかと思っていたけれど、色々な人にその話をしたら、水のせいで白髪染めが日本より早く落ちるのかもと言われ、納得。

仕事を済ませ、ベイブリッジの夜景を目に焼き付けておこうと外に出たら、寒いの何のって! Nラインに乗って球場の前を通ってCaltrain Depotまで行って、また戻ってきた。球場の近くを通った時、丁度試合前のセレモニーの時間で、電車の運転手さんがラジオの中継を車内に流してくれた。“God Bless America”を聞くと未だに涙が出てしまう。それにしても寒い。日本の感覚で言えば冬の寒さ。

電車やバスで夜景を見て回ったが、あまりに寒いので食事はホテルですることにし、Panda Expressで中華のテイクアウト。丁度ケーブルカーが来たので、北風の中、外に座り、とってもセンチメンタルな気分になって街の灯りを眺める・・・。またすぐに来たい。これでもう最後なんて、絶対に嫌だ! 平和的に解決して欲しい!!!・・・降りる時、運転手さんに、心を込めて「ありがとう」と言った。なんか、泣きそうになった。どうしたんだよ、私。

CBSはDan Ratherの司会で特別番組をやっていたが、もう辛いだけなのでおちゃらけ番組を見ながら荷物を詰めてみる。新聞も記録と思って貯めていたが、重いし、もう写真も見たくない。あとで見ようと思えばインターネットで収集すればいいんだから、捨てて帰ることにする。

空港に行くバスはスケジュールが滅茶苦茶。仕方なくシャトルバスを頼んだが、1時間半前に出発しないと保証は出来ないと言われた!! その理由が今は旅行シーズンだから、だけど、おいおい、それはないだろ?! 何で混んでるかは皆知ってるよ。

サンフランシスコから帰る時はいつも、あー、帰りたくないなー、もっといたいなーと思うのだが、今回は特にそう思ってしまう。日本に帰ろうと必死になっている人達には申し訳ないのだが、二度と来られないようなことになったらどうしようと思って悲しくなってしまう。

Sept. 19, 2001 (Wed)

朝起きて、ニュースをつける。SFOは普段の半分だが機能しているそうだし、ウェブでチェックしても、JFKからSFOへはもう飛び立っているし、SFOからNRTもon timeで出発予定になっている。本当に帰国だ。

シャワーを浴び、最終的に荷造りをし、飲まなかったカップスープ2個とちょっと多めのチップを重ねて置く。大量のゴミを出してしまったからね。7時に階下に降りてチェックアウトの手続きをする。もうすっかり顔見知りのフロントのお姉さん、日本語の署名を見て、「一体どうしてこんな字が書けるようになるの?!」と感心してくれた。そりゃ、あんた、子供の頃には何千回も書かされたのよ、なーんてちょっとオーヴァーに説明。「私は26文字で充分だわ」と言うんで、お国はどちらなの?と訊くと、メキシコだということ。ということは、この女性はオーナー、あるいはオーナーの関係者なのかなあ。働いている人達、皆メキシコ系っぽい顔しているし、従業員同士の会話はどうやらスペイン語みたいだから。

手続きが早めに終わったので朝食コーナーでオレンジジュースとコーヒーを飲んでいると、まだ10分前なのに、もうシャトルバスの運転手さんが来た。早いね! まだ時間あるからゆっくり飲んでていいよと言うので、もう少しコーヒーをすするが、寒い外で待たせているのも悪いので急いで出ていく。ホテルを出る時、フロントのお姉さんに、「もっと平和な状態で一日も早く戻ってこられることを祈ってる!」と告げて外に出ると、おっちゃん、タバコ吸ってたわ。なーんだ。まあ、とにかく、7時半に出発! 北の方の高級住宅街でもう1人お客さんを拾って空港に向かう。高層ビルの上の方はすっかり霧に覆われてしまっている。ベイブリッジも霧にかすんでいる。バイバイ、サンフランシスコ。一日も早く戻って来たいよ!!

混雑どころかあっという間に空港に到着。まだ8時じゃないか! アジア向けの出発便が多いので、東洋人がうようよいるが、カウンターはまだ開いていないぞ。前回のLAX-SFOのフライトでMileage PlusのPremierメンバーになっていることが確認出来ていたので、優先チェックインカウンターに並んでいたのだが、カウンターが開く様子がない。私の前に並んでいた日本人数人が、誰かが様子を見に行って、エコノミーのカウンターが開いたと告げに来たので、私もそっちについていった。でも、その列も全然動かない。一緒に並んでいた人達に、プレミア・メンバーなんですよね?と訊いたら、間違って並んでいただけと言うんで、おいおいと思っている内、優先カウンターも開いたようなので、私はそっちに移ることにした。アメリカの空港では別れを惜しんでキスしているカップルをよく見かけるのだが、今回は特に多い。当然だよね。私だって結構悲壮な気分だもん。愛する人と別れて飛行機に乗るなんて、もう耐えられないと思うよ。

しかし悲壮な気分に陥っていても仕方ないので、たっぷりある時間を利用して、まず空港内のバスに乗って、国内線ターミナルに行くことに。売店をブラブラ見ようと思ったのだが、なーんと、国内線ターミナルは物々しい警戒態勢で、搭乗券を持っている人しか売店にも行けなくなっていた。それに比べて国際線ターミナルの何とのどかなことよ。UAの国内線ターミナルは、なんのことはない、国際線ターミナルの隣で、バスに乗る必要のない距離だった。それで国際線ターミナルに戻って、もうセキュリティも通って、ご飯を食べることにした。サラダとクロワッサンをモリモリ食べる。ああ・・・私の食欲って・・・。

予定通りに搭乗開始。予定通りに成田に到着すれば、一風呂浴びてから渋谷にジュリーの芝居を見に行くことも可能なのだ。頑張ってくれい!

そんな時に限って、うまく行かないのよね・・・。機材の調整だとか機長席のスクリーンの調整だとかなんだかんだあって、結局2時間も機内待機。クーラーも切っているので段々温度も上がり、カーディガンを脱ぎ、半袖でも暑いようという感じになる。でも、まあ、焦っても仕方がないので、枕を抱えてちょっと一眠り。窓際席のイギリス人らしきおっちゃんが断りもせずに真ん中の席を自分の領地にしているので、ちょっと意地悪心が出て、この枕使っていい?とさっと取る。<小心者!(笑) でも、ホント、プレミア・メンバーになれていたお陰で前の方のゆったり席に座れたし、真ん中が開いているから、すごく楽です。

そしてやっと離陸したのだった・・・。空港にいたのは午前8時から午後2時まで、6時間よ、6時間!! 誰よ、4時間前に空港に来いとか言ったヤツはよお! そう言う限りは4時間前にはカウンターを開けろっつーの!

Sept. 20, 2001 (Thu)

出発が2時間も遅れたので、飲み物サービスと食事サービスを一緒にしますというアナウンス。いつも思うんだけど、その方がよくないか? 飲み物だけのサービスって無駄な気がするんだよね。

1つ向こうの隣の人は、イギリス人じゃなくてスイス人だった。イギリス人だって言われたのは初めてと言われ、発音から出身地を当てるのがうまいのが密かに自慢だった私のプライドはずたずた!(笑) 最初は変な人だと思っていたけど、単に飛行機にあまり乗り慣れていない日本在住のスイス人さんで、初めて、日本人でもアメリカ人でもない人と今回の件について話をした。

機内食のナイフがプラスティックなのはニュースで聞いてたけど、フォークは金属でいいのか? 「これの方が危険な感じしない?」とスイス人さんと話す。食事は、最初の予約時には低コレステロール食を頼んでいたのだが、今回の変更でそっちは無視されていたみたい。特別食を頼んだ人は名前を呼ばれていたが、私は呼ばれなかった。すぐに健康状態に影響があるわけじゃないので、何も言わずに普通食を食べる。行きの低コレステロール食もとても美味しかったし、普通食ももちろん美味しかった。

映画は3本。『Wedding Planner』はサンフランシスコが舞台で、『Someone Like You』はニューヨークが舞台のロマンチック・コメディで楽しんだ。ただ『Someone Like You』の中で、不動産屋さんが「ここからはワールド・トレード・センターが見えます」と言うシーンがあり、また悲しくなった。おまけの3本目の『Bridget Jones's Diary』はもう見た映画なので、雑誌を読みながら好きなシーンだけ見ていた。台詞だけ聴いていても、やっぱり笑ってしまう面白い映画だ!

着陸態勢に入った時、私の携帯にメールが入った時に鳴るのと同じ音が。振り向くと、斜め後ろの中国系おやじが携帯電話をいじっている! そいつ、出発前も携帯で中国語で喋ってたんだよ! あんた、馬鹿か! 私らを殺す気か! 私が客室乗務員なら絶対に逮捕してるよ! 航空会社も携帯の電波が本当に危険なのなら、もっと厳しく取り締まるべきだ。とにかく中国系は何だか知らないが携帯中毒が多い。出発が遅れるとアナウンスがあった途端、携帯を握りしめてた人が大勢いたもん。飛行機に乗り込む時に携帯電話を預かったらどうですかね、本当に飛行に影響があるんだったら。ないんだったら全面解禁すりゃいいじゃん。もしかしたら、機内電話の会社と結託してるだけ?

結局成田着は午後4時過ぎ。なんやかやで新宿の我が家に辿り着いたのは6時半で、無理して行けば、遅れるけど、ジュリーの芝居に行けない時間ではなかったのだが、風呂にも入りたいし、ご飯も食べたいし、電話をかけなくてはいけないところもあるし、もうやーめた。どうせビデオも発売されるだろうし。

こうして、また日本での生活だ・・・

Sept. 21, 2001 (Fri)

前夜、10時に寝て、2時半に起きて、4時半頃から6時半頃まで寝て、という具合・・・。

スーツケースの宅配を受け取った後、予約しておいた『太陽を盗んだ男』のDVDを買いに新宿HMVへ。11月から12月にかけてどーっと発売されるジュリー主演のドラマや映画のDVDを予約する。大人買いってヤツです。はい。その後、京王プラザに泊まっている元英語の先生のところに行って、食べ放題のランチ。おいおい。イギリス人の先生と話していると、反戦意識を除いては、自分がどっぷりアメリカ人的考え方をしていることがわかる。

それにしても、他の日本人に比べて、私は本当に落ち着いていられたと思う。その理由を考えてみると・・・。

  • 住んでもいいと思っているサンフランシスコにいた。(目的地がここだった。)
    • 実は東京や実家のある松山より詳しかったりする。
    • 転勤族の子供として育った自称精神的ボヘミアンなので、土地に対する執着が全然ない。
    • 残して来ている生き物(笑)がいない&親がこっちが肩すかしと思うほど落ち着いていた。
    • アメリカの食事が好き。日本食も中華もどこへ行けば安く食べられるか知っていたし、元々パンが大好き。
    • ジャンクフード好きに育ててくれた親に感謝。(笑) あと、雑草のような身体に生んでくれて、ありがとう。
  • 電話もインターネットも通じて、普段とほぼ同じ環境で生活していた。
  • 金銭面の心配がなかった。
    • アメリカの銀行口座に貯金があった。日本でも積み立てしていたので、あの貯金を崩せばいいと思えた。
    • 仕事も新たに入り、普段と同じように働けた。
  • 情報が大体理解できた。PCにかなり大きな辞書ソフトを入れてあるので、わからない単語はすぐに調べることができた。
  • 過激な報道をしないCBSと系列のKPIXをいつも見ていたし、殆ど1人で行動していたので、噂話やデマに動揺することがなかった。冷静にじっくり考えることができた。
  • 区の防災講習を受けたり、防災訓練に参加した経験があった。これ、あるのとないのとでは大違いだと思う。それから、会社員生活のお陰で、どういう行動を取ったら無駄がないかを考える習慣ができていた。・・・と思いたい。

でも・・・今、正直言って、「見たくない、聞きたくない、話したくない」症候群に陥っている。テレビを見すぎた後遺症だと思う。今でも“God Bless America”という曲を聞くと涙が出てしまうし、飛行機が近づいてくる音は怖い。いい年した私でもこうなるんだな・・・。

これから、何が起こるのか、世界はどう変わるのか、私にはわからない。裏では数々のシナリオが描かれ、権力や利益を巡って様々な駆け引きが行なわれているはずだ。映画の見過ぎ、小説の読み過ぎと言われるかもしれないけれど、Noam Chomskyが言うように、どこの政府も信じることはできないと思う。今回の出来事も2、3年経ったら忘れ去られると言う人もいるが、私は絶対に忘れない。

とにかく私の願いはただ1つ。世界中の人達がお互いの意思や嗜好を尊重しあい、譲るべきところは譲り、譲れないところは武力ではなく話し合いで解決できる世界になってほしい・・・。


Peace, NOT War!


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