祇園祭 北観音山  作事方「六角会」  2000年 

【そもそも 事の起こり】

 京都・祇園祭。ほぼ一ヶ月に渉って繰り広げられる、この祭の名を知らない人はほとんど居ないと思います。
もともと、日本史が好きで、その中でも特に「民俗学」に関心のあった僕にとって、「祇園祭」は可燃性の高い
言葉でした。京都だけでなく、博多においても、かつて「御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれたその起源の頃から、
いわゆる「町衆(まちしゅう:もっとも、この言葉は室町期のものでしょうが)」の影響力が強かったのはなぜか?

 ・・・・・・まぁ、小難しい話は抜きにして。要するに「牛に曳かれて」じゃないんですが、曳っぱってみたかった
んです。あれを!鉾を!!

【アプローチ開始】

 聞き込んだ情報によると、「曳き方」は、最近の山鉾町の居住人口の減少により(町屋に人が住まなくなっている
状態。バブル以降特に顕著だそうです)各町会だけでは確保が難しく、一般公募を行っている、との事でした。
と、言うことは・・・ひょっとしたらWEBで募集しているところもあるんじゃぁなかろうか?そう考えた僕は(会社に
居るときでしたが)、ただちに検索を開始しました。「祇園祭」「鉾」「曳き方」いろいろキーワードをとっかえ
ひっかえしましたが、なかなかそう言う「募集」のページには行き当たりません。(ちなみに99年の6月の話です)
「やっぱり、淡交会とか、そういう機関を通さないとあかんのかなぁ・・・」と、諦めかけたその時でした。
「六角会-北観音山と六角娘」と言うHPが、yahooのサーチでHITしてきました。

 「北観音山って、どこに居てる山かなぁ?」というのが第一印象でした。祇園祭の山車(だし)には2種類あって、
肩に担ぐ形のものを「山」、車輪が付いて綱で引っ張る形のものを「鉾」と言います。と言うことは「掻き山」かな?
昨年の写真が載っています。どれどれ・・・びぃるうまそうに飲んでるなぁ・・・あれ?車輪付いてるぞ?
場所は新町通り上がって行ったところか・・・・・あ”!「作事方(さくじかた)若干名募集」って書いてある!でも、
作事方って何するんやろ?
 HPを見ていくうち、どうやら組み立てから巡行、解体、片づけまでを、この「作事方」が担当するようだ、と解って
きました。これはもう、申し込みするしかないなぁ〜♪ 早速メールを送ってみました。

 が、しかし・・・

 数日後、返信されてきたメールには「今年は申込期限を過ぎており、定員となりましたので締め切らせて頂き
ました」と書かれていました。ショック・・・。   でも、そのメールには続けて「今年の宵山には来られますか?
お出でになるのでしたら、是非町会所にもお立ち寄り下さい」とのお誘いが・・・。今年は駄目でも来年がある。
そう考え、お言葉に甘えて、宵山(99年7月16日)の昼過ぎに、お邪魔してみることにしました。

 同じ宵山の日でも、四条通でホコテンの始まる午後6時以降とその前とでは、山鉾町の表情も違います。
猛暑前の7月中旬とはいえ、京都の暑さはやはりちょっと堪えるのでしょうか。観光客も、まだ多くは近くのお店に
避難している午後3時、四条通を曲がって新町通を北に、放下鉾、南観音山の横をすり抜けて北観音山へ・・・。
 大きな鉾、山が細い道幅一杯に立ち上がり、鉾の聳える(まさしくそんな感じ)真横の家(町会所)からは、
鉾に廊下が渡されています。そして、地元の人や、まだ少ないとはいえ観光客などで結構な混雑。拝観が出来る
鉾の上には既に多くの人があがったり、町屋で写真を撮ったりしています。北観音山はもうすぐそこ。
 「六角会」ってTシャツ着たおにいちゃん、おっちゃんがたむろしてます。誰に声かけようかな?なんせ、僕が
知ってるのは、メールくれた人(有川さん)だけやからなぁ・・・。

【そして今年のアプローチ】

 昨年、「スタッフの募集は5月中旬で終わる」と教えて貰った訳ですから、今年(2000年)の応募に同じ轍を
踏むわけにはいかない・・・、連休前にメールを打ちました。「今年こそ、参加よろしくお願いします」、と。

 ちょうど一年経った2000年7月16日、僕は「いっぺん上がってみぃへん?」と、六角会の親方(以前からのメンバー
は「笠原おやぶん」と呼んでいました)に言われ、六角会の法被を羽織って、山の二階に上がらせて貰いました。
囃子方でひしめく山の上も、誰も居ない時には風が通り、道路の真ん中にいる事もあって見晴らし(南北方向)も
良く、なかなか快適です。その場で話をしているうちに、一瞬どきっとするようなことを、おやぶんから聞かれました。
 「なんで、北観音山やったん?」

 きっかけは確かに、「WEBで見たのがここだけ。」この一点だったのですが、一年前、「今年は無理だけど、遊びに
おいで」と言われたこと、そしてそんな闖入者に対して、その時居合わせた人達がいろいろと気を遣ってくれた事、
そういう「気楽さ」を感じたことなど、僕はおやぶんに喋ったでしょうか?黙って聞いていたおやぶんはこう言いました。
「ここの町内会には、家が六軒しかあらへん。今、六角会のメンバー、どこから来てる思います?地元の京都が
確かに多いけど、半分以上は遠方、東京や、広島あたりからも来てる。そういう人が、この山を支えてます。
地の縁より、人の縁です。現にこうして、あなたにも来てもらえたことやしね。」  
 ここは、そう言う人達の集まりでした。
       【曳き初めの日】

 7月13日。北観音山の組み立て第2日目。昨日(御山胴立・御松立がありました)は仕事でどうしても行けなかった
のですが、今日は朝から屋根つけと飾りつけ、昼からは「曳き初め」があります。何よりも、僕にとっては「六角会」
への「初参加日」、この日のために地下足袋を買い、ニッカボッカも買い、年休も取って準備万端(?)。・・・と、そこへ、
会社の上司から電話が。「ニュース見た?某大手百貨店が民事再生法を申請した。とりあえず会社に来てね♪」

結局、京都六角町に着いたのは、午後1時半でした。既に山は飾り付けを全て終わり、既に近所のあちこちから、
曳き初めの為に人が集まり始めていました。「六角会」と染め抜いた法被とTシャツを頂戴し、ニッカボッカに履き替え、
地下足袋(実は始めて穿きました)で足元を固めると、見かけだけは「スタッフ」状態。でも、悲しいかな、何をして
良いのか悪いのか、全くわかりません。そうこうするうちに曳き初めの時間がやってきました。山を曳く綱の長いこと!
直径5cmくらいの、50mはある綱が、新町通の北へと伸ばされて行きます。今日の曳き方は、近所の小中学生や
事務所の人達。巡行では牽けない山を曳き、祭に参加する気分が盛り上がるのでしょう。みんな嬉しそうです。
「祇園囃子に合わせ、北観音山は「そろりそろり」と動き始めました・・・。」と、書きたいところですが、実際には
結構大きな音を立てて、山は進みます。(巡行の日、そのことを更に実感しました。)この日は、新町通りを南北に
500m程動いたでしょうか?北観音山の町会所前まで戻ってきた山は、据え付けの位置を大梃子で調整し、提灯を
取り付け、周りに囲いをして宵山の日を迎えます。巡行まではあと3日です。


【今夜は宵山】

 祇園祭の「それらしい気分」があるとすれば、それが一番盛り上がるのは、実は巡行の日(17日)ではなくて、この
宵山の3日間でしょう。夕暮れ時になると、各山鉾の駒形提灯に灯がともり、祇園囃子の聞こえるなかをそぞろ歩く
気分は、やはり他の祭とは違ったものがあります。特に、北観音山の居る新町通は道幅も狭く、そこに3基の山鉾が
並んで居ることもあって、お囃子が遠くで聞こえるのを聞きながらびぃるを飲む。この気分は、ほぼ、「最高の舞台装置」
とでも言いましょうか?。ましてや、今年は(なんも分かってませんが)法被を着ている身、とあっては・・・。
 今夜午後10時、明日の巡行の平穏を祈る「日和神楽」(ひよりかぐら)が、北観音山から出ます。山の上のお囃子も
最後の一曲、それまでの威勢のいい音とは違った、哀愁すら感じるような演目をゆっくりと奏でています。そして、
今夜は・・・皆既月食の夜なのでした。少しずつ光を取り戻しつつある月が、日和神楽の出立を祝うかのようです。
 日頃、いや、祭の期間中、山鉾の上に陣取り、祇園囃子を奏でる「囃子方」の人達が、この日和神楽の時だけは
山鉾を降り、小さな山車を先頭にして、いささか誇らしげに御旅所(おたびしょ)までの「巡行」を行います。


【え”? ほんまですかぁ?】

 翌、7月17日。朝5時半に起床して、宿泊した「北山ユースホステル」を出発。ちゃりんこをぎこぎこならしながら、
近くのコンビニでおむすびを買い込んで、一路六角町まで・・・いい天気、今日も暑くなりそうです。

 6時過ぎには、六角会のメンバーも集合を終わりました。去年、僕の相手をしてくれた有川さんも、昨日までの
仕事に片を付けて、今日は朝から参加しています。少しすると、巡行で綱を引く「曳き方」の人達が、引率の人に
連れられて、北観音山にもやってきました。僕も「今日は気合い入れて引っ張るでぇぇ」 と、思っていたその時。
 笠原おやぶんが、巡行用の麻の法被を持ってきて、僕に手渡しながら一言。「左の前輪についててぇな。
あと、始まったら、いちいち教えてられへんから、廻りの人の動き見て、憶えていってな。」
正直、「嘘でしょ〜〜?」って、一瞬頭の中真っ白になってしまいました。昨日来たばっかりの人間が・・・足手まとい
以外のなにものでもないのに、車輪の横ですかぁ?

 そんな僕の考えたことよりも、熟練の六角会のメンバーが考えた「配置」の方が、当然正しいに決まっています。
ここはひとつ、大人しく「樫棒」握って、見かけだけ「それ」らしくなって、山に、そして「人」に、ついていくしかありません。
覚悟は(やや大げさですけど、ホントにそう思いました)決まりました・・・。


【巡行スタート】

 30人前後の「曳き方」は、町会所の隣(高島屋別館)でのミーティングも終わり、既にやる気満々。僕も山建ての日に
見れなかった、綱の捌きを見せて貰って、やる気満々。いよいよ(何が起こるのか分かってないんですが)、巡行の
始まりです。音頭方の「よろしかなぁぁぁぁぁ」の声が通りに響き、扇一閃、山は動き始めます。自分の真横に「あの」
車輪があり、動き始めの時に「樫棒」をそこに突っ込んで動きやすくする。これがまず第一のお役目です。
 山には、「転舵装置(つまりハンドルですね)」と言うようなものは、一切ついていません。タダの輪っかが4個、並んで
いるだけです。そのまま引っ張っていくと、100mも行かないうちに、どこかの町屋の軒先に突っ込んでしまうのは
間違い有りません。そうならないように、車方の人達が車輪の下にカブラを食いこませて、山の進路の微調整を
していきます。それにしても、道の左側の道路標識と、右側の看板の間を、それぞれ50cmづつのすきまをあけて、
山が動いていくのは殆ど奇跡のような気がしなくもありません。見事なチームワークとでも言うのでしょうか?
 新町通から四条通に出る交差点は、道の幅も狭くなり、山が通るのがやっとです。その先の交差点では、一回目の
「辻廻し」をしないといけません。手慣れたメンバーが、止め木やら、割竹やらを担いで、山の前に走っていきます。


【辻廻し】

 山鉾巡行は、各山鉾町から、四条烏丸をスタート地点として、→四条河原町→河原町御池→新町御池→山鉾町までを
時計回りに一周するルートをとります。そしてその間に、最初に四条通に出る時を含めて4回、辻廻しが行われます。

 辻回しの舞台となる交差点には、既に割竹が「扇形」に敷き詰められ、そこに水がたっぷり撒かれます。山の前輪が
この割竹の上に載るようにして山をとめ、今まで前で山を曳っぱっていた曳き方は山の左側へ。正面から伸ばされていた
引き綱を、前輪に巻き付けたあと、山の左側に持っていきます。総重量10トンの山の、方向転換が始まります。
それまで2人だった音頭方もこの辻廻しの時は4人。緊張が張りつめる一瞬・・・  音頭方の「よぉいやさ!」の声と共に
曳き方は全力で綱を引き、作事方は車輪と言わず車体と言わず、とにかく山に取りついて押す!押す!押す!
「ガガーーーー」と言う音と共に、山は30度くらい、左に向きを変えます。これを3回繰り返すと、元来た方向から見て
90度、直角に曲がって、巡行が進んでいきます。この方向転換の時間がいかに短く、手際よいか。これで、沿道で
見守る観客の拍手の大きさが決まると言っても良いでしょう。一回目の辻廻しは見事、三度の曳きで廻しきり、観客
人からは「やんや」の歓声を浴びる事が出来ました。

 なんとか無事(ホントにほっとしました)一回目の辻廻しが終わり、汗を拭っていると、背後からおまわりさんに声を
かけられました。「交差点の中だし、左折禁止違反かな?」とか思いつつ(嘘です)振り返ると、おまわりさんが「これ、
落としましたよ」と言いながら、僕が腰にたばさんでいたちまきを差し出してくれていました。いつ落としたのか、全く
憶えがなかったのですが・・・。


【四条通にて】

 四条通に出て、最初の辻廻しが無事済むと、次の四条河原町の交差点までは約1.2km。前後を行く十数基の山鉾の
列を見る余裕が、やっと出来ました。こうして眺めてみると(しかも道路の上から)、それぞれの山鉾の「意匠」の独自性に
目を瞠る思いがします。宵山での、静かに据わったままの山の姿と、何と違って見えることか・・・。  やはりこの瞬間、
それぞれの山鉾には「神」が、人の手によって運ばれるべく、降り立っているのでしょう。

 神の降り立った「北観音山」は、四条通の半ばで全く動かなくなりました。前後の山鉾の運行責任者と、うちのおやぶん
が話をしています。「どこや?止まってるのは?」「あの飾りやと、鶏やろ」「まだかかるかなぁ」。京都一の繁華街、
四条河原町交差点(観客も一番多い所です)で辻廻しに手こずった鉾が動き始めたのはそれからさらに15分後。
一般車両通行止の四条通での「山鉾の渋滞」は、およそ1kmにも及びました。立ち往生した鉾の作事方は、
きっと肝を冷やしたことだと思います。


【巡行点景】

 懸案(?)の四条河原町交差点での辻廻しも、綺麗に3回で廻し終わり、北観音山は河原町通りを北に向かって
進みます。この頃になると、まず、日頃履き慣れない地下足袋を履いているためか、膝と腰に疲れが・・。
そしてなによりもこの暑さ、のどが渇いて、「水!びぃる!」とぶつぶつ唱えながら、車列に付いていくようになってきました。
と! 目の前に「接待所」の看板が。曳き方、作事方の為の休憩所(と言うか、水分補給のお茶の接待)なのでした。
この時戴いた冷茶のうまかったこと・・まさしく「蘇生」の思いがしました。ところで、山の上にいる囃子方への補給は
どうなるのでしょうか?実は、山には、上下するための梯子も(外からは見えない山の内側に)付いてはいますが、
20人もの囃子方がみんな降りてくるわけにもいきません。そこで、こういう場合の常套手段として、お茶やら差し入れの
アイスキャンデーやらが入ったバケツが、ロープによって上がり下がりする事になります。

 三回目、河原町御池の交差点での辻廻しでは、ついに2回目の曳きで山が止まってしまいました。何度かかけ声に
合わせて綱を曳きますが、山はびくとも動きません。観客からは「がんばれー」と言う声と、笑い声とが聞こえてきます。
割竹を引き直し、樫棒を車輪の下に差し込んで、山を動きやすくするよう細工し直す数度、やっと山は西を向いて
くれたのでした。


【帰ってきました】

 新町通の手前で他の山鉾に道を譲り、巡行の「トリ」を努めて、北観音山のこの年の巡行も、終わりを迎えます。

 町会所の手前で減速した山は、この時ばかりは「しずしず」と据え位置まで運ばれ、最後の止め木を咬まされて
役目を終え,巡行に関わった人達の手締めを聞きます。そのあと、あつまった町内の人達に、山の背に飾り付けて
京の市内をを練り歩いた柳の枝を配り、また来年の山立てまでの間、蔵の中で夢を見ます。
過ぎこし伝統と、新しい時代の両方の夢を・・・・。


【拾遺1. 手締め】

行事の無事終了を神に感謝する「手締め」。三本締め・一本締めなどでおなじみだと思いますが、祇園祭の各山鉾
で行われるのは、(まだ未確認ですが)どうも、山独自の言葉、手拍子に依るようです。北観音山での手締めの言葉
を今、正確には覚えていませんが、最後に「念のためにもう一度」で締めるのが、とても可笑しく思われました。

【拾遺2. 柳】

北観音山は、山の背中、いわゆる「見送り」の部分に、柳の枝を飾って巡行に出ます。これは、巡行当日の早朝、
軽トラで運んでこられたものを、飾り付けの一番最後にとりつけるもので、まさしく「巡行のための飾り」とでも
言うべきもののようです。(解説書には、観音懺法にちなみ飾る、とあります)

手締めのあと、この枝は町の人達に配られますが、「一年間の無病息災に霊験あらたか」と言うことらしく、結構な
争奪戦になり、あっという間になくなってしまいます。

僕は、何とか山の車輪の間に落ちた一枝を拾って持ち帰り、玄関に粽と一緒に飾ってあります。

【拾遺3. 大梃子】

町会所の前で立ち上がった山の位置を、少しずらしたり、車輪を抜くときなどには、長さ10m、重さ200kgくらいの
(そのまま電信柱になりそうな)「大梃子」を山の下に差し込んで、車台を持ち上げます。車台の前後をかわるがわる
持ち上げるため、この「大梃子」を、5,6人で担いで移動させるわけですが・・。  何回目かの移動の時、前を担いだ
のがたまたま僕だけ、みたいな形になってしまい、大梃子の重量が全部右肩に掛かってきました。「ぐえーー!」
と思いましたが後の祭り(確かに祭の後でした)。移動予定場所の「10m先」までが、すっげぇ遠くに感じられ・・
身体を鈍らせておくのは良くない、と、つくづく実感しました。右肩にはその後2ヶ月間、違和感が残りましたが、
大したことはなかったようです。





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