祇園祭 北観音山  作事方「六角会」  2001年 

【山建ての朝】

 2001年7月12日午前4時30分。まだまだ薄暗い中、京都に向けて出発。今日は朝6時集合です。
名神高速に乗り、途中吹田SAで軽く腹ごしらえ、京都南から京都市内へ。これは僕がお茶してた
頃、毎回通った道でもあります。そして、当時も今も、この時期の市内(特に四条通周辺)は、
祇園祭の飾り付けと,既に建て始めている鉾が「本番間近」の雰囲気を醸し出しています。
 北観音山のある新町通も、既に山建てが始まっていて、南北方向の通り抜けはできません。
(北から順番に「八幡山」「北観音山」「南観音山」「放下鉾」の順です)駐車場にたどり着くための
交差点を間違うと、また鉾町一周ツアーをしないといけなくなります。
      
【運び出し】

 集合時間10分前には到着しましたが、既に作業は始まっていました。まず、地下足袋、ニッカ、
Tシャツに着替えて、首にはタオル(鉢巻き状態でも可)を巻き、服装面は準備完了です。

 ご存じの通り、「山鉾は一本の釘も使うことなく」組み上げられます。そのための部材(パーツ)
は、各山毎に大切に保管され、年に一度『虫干しみたいなもんやなぁ』とか言われながら、日の光を
浴びることになるわけです。ただ、その部材の数たるや、半端なものではありません。山の構造部
になる部材だけではなく、屋根や胴の飾り掛け、そして「建具」と呼ばれる「柵」の部分に至るまで、
新町通に面した町屋(こちらのお宅は現在、生地を扱う商売をされていて、表側は事務所になって
います)の玄関を開け、「だいどこ」の横を通って奥に20mの所にある、蔵に収められています。
これを、小さな物から大きな物まで、すべて肩に担ぎ手に持って、通りまで運び出します。蔵の中と
通りの側には、熟練の車方さんが居て、「これは○Xの部分!」「それはそっちに纏めて置こう」
などと指示を飛ばします。また同時に、「藁縄」も準備されます。搬入された藁縄は、そのままでは
「一本の長い縄」ですが、山の組み立てに使うときには、必ず「二本で一筋」で縄を巻いてゆきます。
その為に、縄の束を一旦ほぐし、扱いやすい長さにしていく作業が延々と続きます。

【組み立て】

 午前9時、朝食のおむすびを頬張ったあと、いよいよ部材の組み立てに入ります。各部材には
「北東」「北西」等々の部品位置を示す書き込みがしてあります。(もっとも、僕がそれを見ても、
そもそもどの部分に行くべきパーツなのか、皆目見当がつきませんが・・・・)まず、山の胴体部分に
あたる部材を組み上げ、臍(ほぞ)に閂(かんぬき)を木槌で打ち込みます。次に、足場になる杉の
板を、まず、胴の下の部分に井桁状に差し入れて、縄で仮止めして・・・。

 「○野さん、はよ上揚がって! みつひろ、一緒にやったって!」 『げーー!! (@@; 何する
んです?>親分(以上、口では言えませんでした)』 縄掛けの始まりです。

【縄掛け】

 新町通は南北に延びる通りです。午前中、町屋の陰に隠れて当たらなかったお日様も、丁度
これくらいの時間になるとまともに差し込むようになり、ましてや日陰などない山の上での縄掛けは
なかなかの重労働です。  縄掛けの基本(こんな事を言うとおこがましいんですが)は、部材の
クロスする部分に藁縄をかけて、更にかけた藁縄を補強するための縛り(樽巻き)をしていくもの
です。二本揃えた縄が、重なったり捻れたりすることの無いよう気をつけながら、部分部分によって
決まった数だけ(すべて「奇数回」です)巻いていくことになります。縦の縄を巻き終わると、次は
巻いた縦の縄を二本、または四本ずつ纏めての樽巻きです。用意した縄が足りないときは、途中で
縄を繋いで(表からは見えないように、裏で繋ぎます)延々藁縄との格闘のような・・  この山で
一体どれくらいの長さの藁縄を使うのかは、残念ながら聞きそびれました。

【松建て】

 午後3時(頃か? 正直言いますと結構もーろーとしてたので、時間が今一あいまいです(^^;))、
昼過ぎにトラックで到着していた松(真木)の取り付け(?)開始です。
 丹波から、トラックに載って運ばれてきた松2本(以前は清滝あたりの産が使われていたとのこと)
は、南北両観音山でクジ引きをして、どちらに来るかが決められます。次に、松の根本側に、
山本体に取り付けるための「台(と言うか足)」を取り付ける作業が、縄掛けと平行して進められます。
 そうこうするうちに(胴回りの縄掛けが完全に終わる前、でしたが)松建てが始まりました。まず、
組上がった山を横倒しにするための支点になる角(一番南の一辺)を、昔の心棒を使って固定します
(固定と言っても、蝶番のように動かせるような仕掛けはしてあるわけです)。
 次に、その反対側、つまり山の北側の部分に、松を立ち上げるときの錘となる「大梃子」を二本
固定します。「大梃子」側の方が重量はあるのですが、松の木の方が長いため、(12m位あります)
これでバランスがとれるのだと思います。
 ここまでの準備が出来ると、山の南北両側に分かれて、屋根の部分にかけたロープを引きます。
山を倒す側と、ブレーキ側の力加減が巧くいかないと、急に倒れて山が壊れる事にもなりかねません
ので、ここはごくごく慎重に慎重に・・・。

 山がうまく寝てくれると、次は松の取り付けに移ります。
囃子方の乗る二階部分と、車軸の通る台座部分、この2カ所には真木(松)を通すための直径20cm
ほどの穴があけられています。松に「足」をつけ足すのは、一つは松の長さでは足りないことと、
今一つは、真っ直ぐはない松を、山にきちんと固定出来るよう曲がりを調節するため、ではないかと
思うのですが・・・。 
 作事方総出で松を担ぎ、狙いを定めて2個の穴に松を通して台座側で固定。これで「松建て」の
準備は完了しました。引き縄を先ほどの逆側(北側)に延ばしたところで、町中に「非常ベル」の音が
鳴り響きます。「これから松を建てるぞ」という合図です。このベルの音を聞いて、近所の家屋や
事務所や病院から、人が多く集まってきました。『松が建つ』瞬間こそ、山に神が降臨する瞬間でも
あるのです。

 巡行の時と同じ、「よーいよーい えんやらやー」の掛け声で、一気に縄を引きます。

 松は、山は、一気に引き起こされ、無事、神が降り立ちました。あとは拍手拍手・・・

 【屋根つけ】

 このあと、真木は向きを直して(前方にやや傾くように・・・拝むような方向とでも言うのでしょうか?)
固定され、縄掛けと屋根の取り付けの仕事が続きます。山建ての際にはずした足場は、今度は
山の二階部分に取り付けられて、屋根付けのための足場となります。
 下で見上げているだけだと、さほど気にならない高さのように感じましたが、「屋根の上」が結構
怖い場所(高さも足場の悪さも)だということは、のちに知ることとなりました。

 【玉入れ】

 山建て初日の作業は、「玉(たま)」と呼ばれる「車輪」の取り付けで終わります。まず、ここまで
組み上げてきた山本体に、車台にあたる部材(「石持(いしもち)」と言い、「享保二年」の銘が
あり、部材の中では一番大きなものです)を取り付け(取り付けというか、この木材の上に山を載せる
感じです)、さらにその下に車軸の部材を噛ませます。各部材を縄で固定したあと、山全体をジャッキ
で持ち上げておいて、一番最後に蔵の奥から出てくるのが、直径1m95cmの車輪です。(北観音山
では平成2年に車輪を新調していますが、その折りの記録によると、一個の重量が200kg、
お値段は1セット(4個)で軽く一千万円を突破するものなのだとか。)
 蔵から表に車輪を引き出すためには、町屋造の細長い土間(通路)を転がしてゆくしかありません。
車輪の片面に4,5人づつとりつき、「とにかく車輪が倒れないよう」慎重に慎重に表を目指します。

 全ての車輪入れが終わったのが午後5時。本番と同じ高さまで組み上がった山と、町会所との間
の渡り廊下が町会所側から渡されます。周りに散らばっている藁クズや、まだ組み立てていない
部材などを片づけて、本日の作業は終了。それにしても、暑かった・・・・

【山建て二日目】
   
 7月13日午前9時京都着。朝7時30分の電車に乗って(仕事時ではこんな早い電車に乗りません)
ようやくたどり着きました。体中あちこちが「ぎしぎし」鳴ってる感じがします。日頃の運動不足を
実感できる瞬間・・・。 僕以外のメンバーは、今朝も6時から作業を始めていて、縄掛けの続きや
装飾金具の取り付けなどが進んでいます。今日の2時半には「曳き初め」があるわけですから、
全ての準備をそれまでに終わらせる必要があるわけです。

 昨日に続き、藁縄をかけてゆく作業の一方、山本体への部品取り付けが進み、前掛(まえかけ)
胴掛(どうかけ)、見送り、と呼ばれる織物が山の周りに捲かれる頃、山は祭り本番の姿に
近づきます。今年は石持につける飾りエビを一つ作らせていただきました。もっとも、この部分は
巡行本番には幕で隠されてしまうため、見えはしないのですが・・。

 こうして、準備は出来上がり、午後2時からの曳き初めを行い、曳き初め後に山の周囲に建具を
建てて駒形提灯を取り付け、明日からの「宵山」を待つことになりました。

【宵山期間中の出来事】

 三日間の「宵山」。最終日の夜行われる日和神楽(ひよりかぐら)までの間には、これといった
イベントはありません。車方の詰め所に座って、昼間からビール飲んでるだけみたいな感じです。
(あと、たまに「シャッター押してください対応」とか、身の程知らずにもほどがある「これ(山)って
どうなってるんですか応対」とかです)

 そんな二日目の正午過ぎ。親分に「ちょっと手伝うてんか」と言われ、山の上に上がりました。
上も上、屋根の上です。
山(鉾)の屋根は銅葺き屋根で、真っ平らな面になっているのではなく、やや反った形をしています。
その、角度が一番急になる屋根の背中中央から、真木が空に向かって伸びているわけですが、
屋根の上には、真木を屋根に固定するための材木が高さ3mほど組みあげられ、部材の周りは
赤のフェルトで飾られています。この「あみ隠し」に掛かっているビニール製カバーを、天気が
良くなってきたため、中のフェルトが蒸れないようにはずす事が目的です。

 屋根に上がる為に、まず、蔵の中から「梯子」を取ってきます。もう何年使い込んだのか解らない、
見事な艶が出ているそのはしごを天井の「目隠し桟」に掛け、天井板と屋根板をめくると、30cm四方
の「屋根上への抜け穴」が現れます。梯子をとことこ上って・・・

 いや、屋根の上の暑いこと熱いこと!! 上からはジリジリと京都のお日様が照りつけ、しかも銅板
屋根ですから、下もほとんどフライパン状態です。と言って、飛び上がろうものなら、たちまち地上3階
の高さから地面まで滑り落ちることは必定・・・遮るものは、僅か4cm角の角材数本。しりもちを
ついたまま、あたりを見渡すと・・・これがなかなかの景色です。何回か見た「二階からの景色」とは
また違い、少し妄想を働かせると、「見渡す限り屋根が見える、ちょっと前の京都の家並み」、つまり
ビルのない、昔の京都を(妄想ですが)させてくれる雰囲気が、このあたりにはまだ残っている、
そんな感じがしました。

 仕事のことを忘れていました。屋根の上に聳える(そんな感じ)あみ隠しによじ登って、カバーの
紐をいっこずつほどいてゆきます。結び目は全部で10個程でしょうか?解き終わると、カバーは
そのまま屋根の上に残して退散です。あみ隠しの一番上の方まで上ると、高さは目の前の病院の
4階の窓と同じになることがわかります。「手、放したらおだぶつやなぁ・・」とか思いながら、下まで
降りてきました。    

 ・・・と、2時間後。

 あれだけ晴れていた空がいきなり暗くなり、湿気を帯びた風が新町通の北側から吹き付けて
来ました。どうやら夕立がくるようです。と言うことは、さっきはずしたカバーをもう一回つけないと
いけないということです。急いで屋根の上に。そしてあみ隠しに上って、カバーを・・・ ん?

 ここで気が付きました。紐をほどく時、左手はあみ隠しの芯材を握っていれば良かったんです。
ところが、結ぶとなると「両手を材木から放して」やらないといけません。全部で10個ある結び目を
結わえる間、大げさですが「生きた心地もしない」ような時間でした。でも・・・

 その時、おやぶんはあみ隠しのてっぺんによじ登って、つまり、僕よりまだ高い所にいて、足場も
ない所の処置(カバー掛け)をしてました。   恐れ入りました・・・・









祭topページに戻る