祇園祭 北観音山  作事方「六角会」  2007年 

* 日程 *
     2007 7.12 (木) 【参】  山建て  *御山胴組立  *午後二時 「御松建」
7.13 (金) 【参】  山建て  *午後三時より「曳き初め」(参加自由)  *祇園囃子鳴り初め
7.14 (土) 【参】 宵山(宵々々山) *四条傘鉾 鉾立て
7.15 (日) 【参】 宵山(宵々山)
7.16 (休) 【参】 宵山  *午後十時より「日和神楽(ひよりかぐら)」
7.17 (火) 【参】 巡行  *午前九時半出発 午後二時半帰着(柳の枝取り)
7.18 (水) 【参】 蔵仕舞
                                  【参】参加日
今年の巡行順
【さきの巡行】
1  長刀鉾 なぎなたぼこ   くじ取らず
2  芦刈山 あしかりやま 山一番
3  太子山 たいしやま
4  白楽天山 はくらくてんやま
5  函谷鉾 かんこぼこ くじ取らず
6  霰天神山 あられてんじんやま
7  綾傘鉾 あやかさぼこ
8  伯牙山  はくがやま
9  月鉾 つきぼこ 鉾一番
10  木賊山 とくさやま
11  孟宗山 もうそうやま
12  占出山 うらでやま
13  鶏鉾 にわとりぼこ
14  郭巨山 かっきょやま
15  四条傘鉾 しじょうかさぼこ
16  油天神山 あぶらてんじんやま
17  菊水鉾 きくすいぼ
18  保昌山 ほしょうやま
19  蟷螂山 とうろうやま
20  山伏山 やまぶしやま
21  放下鉾 ほうかぼこ くじ取らず
22  岩戸山 いわとやま くじ取らず
23  船鉾 ふなぼこ くじ取らず
【あとの巡行】
24  北観音山 きたかんのんやま くじ取らず
25  橋弁慶山 はしべんけいやま くじ取らず
26  鯉山 こいやま
27  八幡山 はちまんやま
28  鈴鹿山 すずかやま
29  役行者山 えんのぎょうじゃやま
30  黒主山 くろぬしやま
31  浄妙山 じょうみょうやま
32  南観音山 みなみかんのんやま くじ取らず
                                                                  
【今年も雨の山建】

 7月12日早朝。一週間分の着替えを詰め込んだカバンを車に放り込みながら、気になったのは
やはり天気のことです。甲子園近辺は、夜半の雨がまだ路面を濡らしていましたが、取り敢えず雨そのもの
は止んでいました。ココで心配してもどうしようもないので、イグニッションを廻し、一路京都まで。

到着したとき乾いていた新町通の舗装は、山建開始から30分もするとすっかり雨に濡れていました、今日も
明日も、どうやら降ったり止んだりの空模様が続きそうです。
六角会では、「とにかく雨でも山は建てる。但し、部材や縄はなるべく濡らさない」という方針ですので、
山の四本柱(四隅に立てる柱)を据えたあと、部材にシートを被せ、雨除けを万全にしたあと、藁縄を
巻き始めます。日頃、オヤブンから「遅い!」と言われている繩巻ですが、今年も 「松立てまでに樽巻きを
すべて終える」という目標には、遠く及びませんでした。また、この時点ではっきりした、「来年への課題」
です。

【台風がやって来た】

 宵山初日の14日。朝6時に四条西洞院の四条傘鉾に集合。普通の年でしたら、午前中で四条傘鉾の
鉾建を行うのですが、おりから台風四号が接近しているとのことでもあり、連合会から「状況を見て判断
されたし」との連絡が入ったとのこと。四条傘鉾はこの日、鉾建を中断し、本体の木組みと、埓(らち:柵)、
町内の人が入るテントの設営と、ご神木の松の準備だけをして、続きの作業は台風をやり過ごした翌朝
行うこととなりました。

 夕方までたいしたことがなかった雨風も、午後6時を過ぎる頃には時折、土砂降りの雨となってきました。
新町通を見通しても、ほかの山鉾は提灯を既に降ろして、台風への備えをしているようです。常と同じ、
駒形提灯がついたままなのは、うちだけか・・・。 こんな天気でも、観光客の方は傘を差しながら、かなり
の人通りです。 
ふと思いたって、四条通の鉾はどうなっているのか、見に行ってみました。六角会から応援を出している
四条傘鉾は、テントを畳んで撤収準備。その向こう、月鉾は提灯を降ろしています。函谷鉾は、懸装品
まではずして、ブルーシートを巻き付けてあります。そしてその先・・ 長刀鉾はまだ、普段通りの姿で
ありました。「先の祭の先頭がまだ提灯を降ろさない以上、後の祭りの先頭が降ろすわけはなかろう」
と、思っておりましたが、北観音山が提灯を降ろしたのは午後9時過ぎ、この日のお囃子を演じきったあとの
ことでした。(町内では、「こういう日には11時までお囃子をヤレ!」との意見もあった、とのことです(^^;))

 15日未明の台風接近、とのことでしたので、この夜は「会所での不寝番」を、およそ10年ぶりに
認めて貰えることになりました。それ以前は、宵山の期間中、泊まり込みをしていたとのことなのですが、
専任のガードマンが夜間手配されるようになり、泊まり込みは出来なくなっていたとのこと。

 午前1時ころ。台風は南にそれて、直撃の心配はもはや ないと解っていましたが、それでも風は
ときに強く、通りを吹き抜けてゆきます。山の上に渡ってみると、まるで舟に乗っているように、材のきしむ
音がしたあと、山の床はかすかに持ち上がり、また次の音とともに、反対側が持ち上がり・・を、繰り返して
いました。

ひとしきり、イロイロな?話を聞かせて貰ったあと、寝込んでおりました。朝七時、オヤブンがオムスビと
お茶をぶら下げて会所にやってきました。 「どーもあらへんな!」

 通りに出て振り仰ぐと、提灯の屋根を下げた山の上高く、真木の松が、キレイな姿で聳えていました。

                                                  

【蔵掃除】

 四条傘鉾の鉾建が台風で延期になってしまいましたので、14日は午前中に、六角町の会所まで全員が
戻ってきました。同じ時間帯に、うちの蔵ではこの機会しかできない、蔵掃除が行われています。
北観音山の部材一式を仕舞う蔵そのものは、かつて新町通をはさんで向かい側、今の逓信病院の敷地を
占めていた、三井家にあった米倉を移築したものだそうです。江戸時代、新町通は、今の河原町通りや
烏丸通りなどをはるかに凌ぐ、室町通りとならんでのメインストリートであったとのこと。北観音山をだす
六角町は、三井家と高島屋の大きな商家が軒を連ねる、ど真ん中に位置しています。
 江戸期の豪商による、「掻き山から曳き山への改造」は、おそらく当時の贅を凝らしたものであったろうと
思われます。懸想品の豪華さだけではなく、山そのもののしつらえの美しさなど、今に伝わるの北観音山
全体をを細かに見れば、(僕個人の主観が混じりますが)それはあきらかなことです。
そのこともあるのかどうか、北観音山の「もと米倉」も、空間的には非常にゼイタクです。一階部分、山の
部材を収納するスペースは天井まで高さ4m、二階、懸想品を納める部分は3m。スペースに余裕があると
言うことは、ただそれだけのことではありません。収納された部材がもし雨に濡れていても、乾かす空気の
動きが、そこにはあるということです。結局、部材を良い状態で長持ちさせることが出来るわけです。

 普段、一階の部材を出し入れすることはあっても、二階(ここは基本的に「囃子方」のテリトリーなのです)
には足を踏み入れることは少ないのですが、お掃除のサポートということで、床のほうき掃除と雑巾掛け、
 そして山の懸想品やら、提灯やら、その他諸々を入れてある長櫃・・・全部で50個位あるでしょうか、
それらを少しずつ移動させながらの、大作業となりました。  長櫃には、それぞれの製作年度がキレイな
筆跡で残されています。箱書きの一覧を作れば良かったなぁ、と、作業が終わったあとで思ったことでした。


                                                        (to be continued)


祭topページに戻る