なれそめ   又は私は如何にして嫌うのをやめて、お茶を愛するようになったか



 

確か、1991年秋 だったと思うのですが・・「月見の茶会」に招いて頂きました。

やや肌寒さを感じる、月見の会だというのに小雨の降る日、だったように記憶しています。
 バスを降りて、停留所からの道すがら、いや、正確には、京都駅でバスに乗る前から、
結構不安な気持ちで居ました。「茶会」なるものについて僕は、「お茶を頂く席だ」と言う事
以外の全てのこと、どんな人がいるのか、何が礼儀に適い、何が駄目なのか、そもそも
どんな順序でなにが行われるのか。それらに全く無知でしたから。
ただ、それまでに感じたことのない「興味」というか、そういったものが「今夜の茶会」に
僕を連れて行ったのだと思います。

 ご多分に漏れず、「茶道って言うのは、作法がうるさくて、茶わんをくるくる回すんだ」としか
思っていなかった僕にとって、その日、「玄路庵」で見た、感じた「茶会」というのは、いささか
想像とは違ったものでもありました。

 門に掛かったのれんをくぐると、飛び石づたいの路地が庭の中を通って母屋に通じていて、
路地の脇には、数歩ごとの間隔を置いて蝋燭が石の上に置かれ、水を打たれた庭の草木の葉先
が光っていました。そして、母家の中からはなんと、「鼓」と「謡(うたい)」の声が・・・
 「茶会ってこんな事もやるのか」と思ったのは、どうやら僕の勘違いだったようです。要は
「客に鼓が拍てる人が居て、小鼓を持って茶席に来たので一緒に亭主が楽しんだ」と言うこと
だったようでした。 (いや、一番楽しかったのは、やはり鼓を拍った「客」だったのでしょう。)

 「席入り」は一度だけさせて頂きました。正直なところ、お茶の味など憶えておりません。
待合いに居るときから、前日読んだ茶席の作法のことばかり考えて反芻していましたから・・・・ 
でも、一夜漬けで身体が動くほど、茶席の作法は簡単なものでもありません。
 「お菓子」を前にして僕が固まっているその時、隣に座っていた「社中」の人が、なんとお菓子を
そのまま右手で摘んで、そのまま「ぱくっ」と食べてしまいました。作法も何も、あったもんじゃない
ようにも思えましたが、お陰で僕も、それを真似てお菓子にありつくことが出来ました。
それが、僕が初めて寄せていただいた「宗凡社中:(先生を含めて)」の、「お茶への構え」だった
ようでもあり、魅力(というか、吸引力なのかもしれません)を感じた点でもあったのです。

 お茶やお花。それぞれに長い伝統があり、「流儀」として確立すればするほどに、「伝統」とやらの
長い裾を引きずることになり、それが「知らない人の誤解」を招く原因でもあると思います。
 ただ僕が通った数年の間、その席で堅苦しさを感じたことが一度もなく思われ、それが
「嫌うのをやめて、お茶を愛するように」なればなるほど強く、心に残ったことどもの一つでもあります。

 


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