水遣り



 

 以前にも書いたことですが、「玄路庵」のお庭は、敷地いっぱいに家が建つ現代の建売住宅
などとはわけが違い、とても広々としたものでした。短冊に「花守 宗凡」と名を入れられる
先生は、数十年間、下鴨のこの地で、いく百もの花に囲まれたくらしをされていたわけです。
 
 稽古中、柄杓を構えたとたんに「そんなにお庭が気になりますか?」と言われ(事実、横目で
ホンの一瞬お庭を見ていましたから)、また、新入りのお弟子さん(大概、僕よりずっと年下の
「女の子」)には「このお人はずいぶん変わってはる。稽古中もお庭ばっかり見てます」などと
紹介され、どれもこれも当たっているだけに文句の付けようもなく、また、先生とは相変わらず
稽古前の「庭の見回り」を欠かさず・・・

 阪神淡路大震災の後、半年いけず仕舞いとなった久しぶりのお稽古の日。先生は「庭」には
居られませんでした。二年前に「肺にガンがある」と診断され、その後、手術をせず、放射線
治療だけを受けられ、いっとき落ち着いていた病も、やはり徐々に進行していたのでしょう。

 その日から、僭越ながら先生に代わっての、「お稽古前の庭の水遣り」が、週一度の僕の日課
となりました。なにぶん広いお庭のことゆえ、ホースに散水栓をつけて廻っても、全部に撒き
おわるまで1時間半はかかります。真夏には、暑さ以外に「ヤブ蚊」と、春先には「木ダニ」と
ケンカしながら水を遣り終え、それからお稽古となります。

「門弟に水を遣らせる」こと自体を、先生はあまりいい気分では居られなかったのだろうと
思っています。「おうちは、水遣りにきたんと違いますやろ」と、言われたこともあります。

 ただ、一度だけ。

例によって「小服で」僕が点てた薄茶を喫した後。
先生は茶わんをしたにも置かず、手に持ったまま、いつも僕がそうするように首を庭に向け、
「ほぉ〜 ええこと」と、一言だけ言われました。

庭木は水に濡れ、碧色の葉が輝いているように、僕には思われました。





 人と人の出会いは、「奇蹟」だと思えます。ですがまた、何らかの「必然」でもあるようにも
感じられます。堀先生や、多くの人たちと出逢えた「お茶の世界」。どこまで掘り下げられるか、
全く未知数ではありますけども、まだまだこれから。 先生の言葉をお借りするとすれば、
「人は常に変わるから、人です。毎日変わらないけません。そこが何よりの楽しみ」と、
教えて頂いたことばかりであった僕は、これからもそう考え続けていくつもりです。



 (2002.4.17)



 


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