お手前のこと -1-



 

 先日、一通のメールを頂戴しました。差出人の方の名前に記憶が無く、いぶかしく
思いながら開封してみたところ、そのメールは、僕が玄路庵に伺い始めた頃、ほぼ入れ違いで
お稽古に来られなくなった先達の方からのメールとわかりました。数日後、お電話をいただき、
当時のこと、また、僕の知らない堀先生のことなどを伺いながら、なるほど、「道は宙(そら)に
広がる」とはこういう事なのかと、改めて実感できたように思いました。

 その先輩とのお電話で、特に記憶の中から呼び覚まされたことが、堀先生の手前、というか、
お茶事全般(つまり、客からすれば、席入りから、すべて終わって門を出るまで)の「潔さ」、
です。僕も一度だけ、つまり、自分で釜を掛けるほどまで、稽古が行きませんでしたから、
お初釜のおりだったのでしょうか。堀先生に直接、お話を伺ったことを思い出しました。

 「よろしいですか、お茶はさぁっと、出します。出された客は、これもさぁっと頂いて、お茶席が
終わったら、さらりと帰ります。いつまでもぐずぐず居る客は、一番あきません。」

 「お手前はさらりさらりと」  大きく手前をしなさいと教えて頂きながらも、堀先生のお茶は
「その時間の短さ」をも、意識されていたように思います。「茶席の時間の短さ」を裏打ち
していたのは、茶会3週間前から始めるという準備、庭から母屋から茶室まで、すべてを
磨き上げた上でお客を招くのだという、矜持だったのかもしれません。



 「今日は、客は私と松子。30分で終わらさんとね」

最初の薄茶のお稽古のおり、ふすまを開けた瞬間、そう言われたようなことも
いま、思い出しました。





 (2002.8.3)



 


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