「それじゃあ、これで」
「はいお疲れ様でした。弓薙<ユミナギ>さんはこの後は会社に戻られるんですか?」
「ええ、直帰したいところなんですが、資料を一度会社に戻しておかないといけないんで」
 お得意先の担当さんとの打ち合わせを終えて、今日の業務は一応終了した。
「それはそうと、今日増永<マスナガ>さんはどうされてます?」
 もう一人の担当さんの名前を出した途端、ちょっと彼の表情が曇ったような気がしたが、まぁいい。
 彼女は今日は資材部の監督の仕事を任されているらしい。
「凄いですね彼女。本当にいつも、色々勉強させてもらえて助かってますよ」
「はは、そうですか。でも彼女にも弱点ってあるんですよ」
 聞いてもないのに、なんでそんな話を?
「気になります?」
「ああ、いえ、そう言うのは失礼ですし」
「そうですね。これはちょっと調子に乗っちゃいましたね」

アルコール・パニック

 一度会社には戻ったけど、別に仕事が残っているわけではない。
 資料を上司に渡してすぐ同僚と退出。
「どこか飲みに行くか?」
「そうだな、メシ食えるところで飲もうか」
 明日は祝日で休み、晩飯を兼ねて男二人、飲みに行くことにした。
 どこにしようかと町中を散策中、思いがけない人を窓の向こうに見つける。
 別に合流して一緒に食事しようと言うわけではないが、一緒の空間でなに気に時間を共有するのも悪くない。
 我ながらかなりキモイこと考えてるなと思いながらも、そこにすることにした。
 向こうも同じ会社の同僚二人と飲食中。さりげなく相手の様子が覗える場所に座り、まずはガッツリ食事を済ませる。
 その後おつまみとビールを頼み、他愛ない話を魚に酔いを深めていく。
 俺は時々向こうの席を気にしていたが、同僚は気付いていない。
 だから急に立ち上がる俺を見てかなり驚いた彼は、椅子ごとひっくり返りそうになっていた。
 俺はそんな同僚には構わず、急いで一つのテーブルに向かった。
「大丈夫ですか?」
 俺が声をかけたのはさっきまでいた取引先の総務部の女の子、もう一人も確か同じ会社だったと思うが、二人とも面食らっている。
「えっ、ああ、えーっと、弓薙さんですよね。お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様です。そんな事より」
 そんな二人には構わず、二人に挟まれてテーブルに突っ伏している人を気にかける。
「大丈夫です。いつものことなんです。って言ってもここからが大変なんですけど、この子こうなったらなかなか起きなくて」
 なんだ寝てるだけか。急に突っ伏したように見えたから何かあったのかと思った。
「そう、何ともないのなら」
「あ、あの、こんな事お願いするのも失礼なんですけど……」
 彼女たちはそろそろ店を後にしたいらしい。だけど彼女を置いて出て行くわけにはいかず、いつもなら仕方なく起きるまでこのまま粘るらしいのだが、俺が良ければ面倒を見てもらえないかという。
「そうですね。お店にも迷惑ですし、僕で良ければ」
 取引先のよく知った相手と解って安心して任されるのだが、女性を男に預けてまさか帰ってしまうとは、と言うかこっちの連れが彼女たちを連れて行っちゃったんだが、俺はどうしようもなく酔い覚ましがてら河原を歩くことにした。
 川辺の風はちょっと肌寒かったが、背中に人肌があるから、割と平気だった。
「う、うーん……」
「あ、目覚めました?」
「えっ、弓薙さん!? なんで?」
 ほどよく冷たい風を浴びて目を覚ました増永さんは、どこでどうなって俺の背中に乗っているのかが理解できずに軽くパニックを起こした。
「あ、あの……もう平気なので下ろしてください」
 一気に酔いまで覚めたようで、慌てて降りようとする。
「はいはい、よっと、……おっと、あぶない」
 足下がまだ覚束ないのか、ふらつく彼女の肩に手をかける。
「ああ、スミマセン。……でもなんであなたが?」
「いや、さっきのお店で僕も飲んでたんですよ」
 見かけたのは偶然だが、あの店で飲食していたのは偶然ではない。しかしここはそれを説明する必要もないだろうから端折ることにした。
「あなたが酔い潰れているところに居合わせまして、同席していた彼女たちにお願いされたんですよ」
「……本当にごめんなさい」
「いやいや、同じ仕事をする仲間じゃないですか、それになんだか得した気分です」
 今日対面した担当者の言っていた弱点って言うのは多分このことだったのだろう。
 彼は増永さんのことをあまり快く思っていないようだったから、俺にこのことを教えてほくそ笑みたかったのかもしれないが、俺は尊敬すらできる人のちょっと弱い部分を知ることができてとても嬉しく思えた。
「お恥ずかしいです」
「いや、俺こそ申し訳ない。人が気にしている部分を見て得したなんて言って」
「私、別にお酒が好きって訳じゃないんですけど、いやなことがあると止められなくなるんです」
 近くの公園のベンチに腰を下ろす。
 辺りにはあまり人影もない。
「いやなこと、ですか」
「……私は今の仕事が本当に好きなんです」
「ええ、見ていればよく分かりますよ。お陰でいろいろと助けられています」
「ありがとうございます。そう言ってくださる方もいらっしゃるんですけど、同じ会社で仕事をしていると、やっぱり女だてらにっていうのが気になる男性社員は居て、いやな思いをすることはもう日常茶飯事なんです」
 いやな思いをするセクハラのような行為を受けても、仕事を続けていくためには我慢もしないといけない。
「だからそれを一時でも忘れられるように飲むんですけど、私いつまで経ってもお酒に弱くって」
 確かに彼女たちも「いつものことなんです」と言っていた。
 社内に味方がいないわけではない。だけど彼女たちとできるのはせいぜいが憂さ晴らしのお酒くらいなのだ。
「増永さん、もしよろしかったら僕がお付き合いしますよ」
 きっと社内でも探せば俺みたいに彼女を応援する人間もいるだろうけど、こういったことは少し距離のある人間の方がいいと思う。
 もっとプライベートなことを語り合って、お互いのいろんな事を知るのもいい気がする。
「そうですね。愚痴をこぼすなら、あの子達より言いやすいかも」
「ええ、ドンドンこぼしてください」
 ようやく笑顔が戻ってきた彼女は、仕事中にはない自然な表情を見せてくれる。
「やっぱり弓薙さんっていい人だなぁ。知ってました? 私結構前から好意を抱いてたんですよ」
「……増永さん、やっぱりまだ酔ってます?」
 いたずらっぽく微笑んだかと思えば、彼女は急に近寄ってきた。
「ふふ、そうですね。酔ってるみたいです」
 まさかのキスに驚きながらも笑みがこぼれてしまう。
「それじゃあどこかに飲みに行きましょうか? もちろん酔い潰れないように気をつけて」
「遠慮なんてしませんよ。あなたがいてくれれば安心して眠れます」
 夜風に冷えた体を温めるように、体を寄せ合い夜の街へと向かうことにした。